共にゆく者、別れる者
雷の剣を巡る武闘会はリノの死で幕を閉じた。最愛の人の喪失を嘆くクリスの頭の中で、生前にリノが仕込んでいたリノモジュールが起動するのだった。
宮殿の奥のバルコニーに、白髪の若い男と一羽のフクロウが並んでいた。
「…あの子は立ち直れそうだよ、ナギラ。思ったよりずっと早かった」
『若さは柔軟性だ。頭が超合金のカミナには真似出来ないな』
「俺が生身でいる間は権能を使えないと高を括ったか?」
カミナと呼ばれた男が右手をバリバリと帯電させる。
『ふん、今の俺はか弱い小動物だぞ。そんなもの食らえるか。おい、加減しろ…あいたっ!!』
バチンと静電気が走り、フクロウは思いつく限りの悪態をついた。
「なあ、俺は基本的に、生身の人間でいるつもりなんだ。確かに〈雷様〉というシステムは肥大化し続けて、神としての一面が強くなってしまっているのはその通りだ。それは都市の維持に必要だから仕方ない。
でも、次々に妻や子を喪って、大切にしたいものを取りこぼして傷付くこの心は、もう捨てた方が楽だと分かっているが捨てちゃいけないものだ。そうだろ?なのに何で、誰も人間としての俺を信じないのだろうな」
『俺は旅人だ。俺にとってお前は、〈居て当然の神様〉じゃない。だから規格外ではあっても対等な人間に見える。だがこの街の人間にとっては、お前は人間だと困るのさ。見たくないんだよ、そんな姿を』
「それなら話は簡単だったはずなんだがな…。その一方で、人間らしくない、紛い物だと糾弾し反発する民もいる」
『諦めろ。人の統治はまず、多様性を認めることから始まる。万人に受け容れられる統治者はいない。取りこぼす前提で受け皿を置け。自分で全てを救おうとするな。青二才に説教されるな、何年やってるんだこの仕事』
「ふふ、お前は変わったな。ジジ臭くなった」
『ほっとけ。……年老いたって変われるものも、あるということさ』
「やっほー!セルシアさん、レオン君、サンリアちゃん」
翌朝、満点の明るさで扉を開けたクリスを見て、三人は思わず固まった。
「…おはようございます、クリス君。今日も元気ですね」
「はーい、元気が取り柄の俺だからな!で、リノの事なんだけどー」
「待って。待ってよね。あの、せめて気を遣う暇をくれない?」
サンリアが我ながら変なお願いをしているなと頭を抱えながら提案した。
「…俺はもう大丈夫だよ。ありがとうね。あの最愛の馬鹿がとんでもない置土産を残していったせいで、調子が狂いまくって逆に元通りさ」
「えー、うーん本当かな…。元通りな様な、そうじゃない様な…。貴方、今の方が素なの?もっと何ていうか…」
「そうだな、もっとぽやぽやじゃなかったか?」
「ちょっとは言葉を選べ!」
サンリアは思わずレオンを叩いた。でも気持ちは彼と同じだった。
「ぁ、あー…。そういう意味では、うん、やさぐれたかもしれない。でも二人の前で見せてたのは基本的にお客様向けの顔だったから…どちらかというとこっちが素かな」
「リノちゃんと話してる時に近くなりましたね。仲間だと思ってもらえた、ということかな?」
「さっすがセルシアさん、いやセル。俺の傷ついたハートにスッと塗ってさっと溶ける」
「意味が分かりません」
「よく効くんです、これがまた。セルがいてくれて良かった」
そう言われてセルシアは、完全な営業スマイルをクリスに刺した。リノの代わりにはならないぞ、という牽制だった。クリスはそれに気づくと少し寂しそうに、ふわりと笑顔を返した。そんな事当然弁えてるよ、という返事の代わりだった。
「さて、皆。俺が雷の剣、プラズマイドを継承したことは立ち会ってくれたから当然ご存知だと思うけど、俺はこのこと、納得してません。これは完全に、リノの大馬鹿野郎が厄介事を俺に押し付けてきただけです。あの試合運びからいけば、本来の持ち主は、リノになっていた筈でした」
何を言いに来たのかと思えば、そんな主張を?三人の間に緊張が走った。
「なので、俺は皆も、本来の仲間であるはずのリノに、きちんとお別れしてほしい。あいつ、すげー清々しい顔で死んでるんだぜ。いや、マジで、見てやって。そんでハメるつもりが嵌められた俺の不幸に寄り添って」
「クリスは…雷の剣を捨てたいのか?」
「いや、俺はやり遂げるね。あいつからのお願いは全部最後まで聞いてやるんだ。だから、皆に俺の覚悟を知ってほしいんだ」
琥珀宮のリノの棺の傍で四人が話していると、雷様とじーちゃんがやって来た。
『もう平静でいられるのだな、クリス』
「うん、心配かけてごめんね」
『よい。では次は私の番を貰いたい。皆、一度ついてきてくれ』
全員で部屋を出る。その時、白髪の青年が軽く会釈をしながら入れ違いに中に入っていった。
「?今の誰だ?」
「ああ…、リノのお父さんだよ」
レオンはええっと驚いたが、あんなに綺麗なリノの父親なのだ、若く見えてもおかしくないかもしれない。
クリスは彼についてそれ以上説明する気はないようだった。
雷様は、宮殿の一角の落ち着いた談話室に皆を案内した。
『昨日、十日間の猶予を約束した。それは離別を嘆くための時間ではない。君達は既にナノマシンによって、自らの意思もしくは死の剣ディスティニーの権能による受傷以外のすべての傷を修復することができるようになっている。また、私が過去に巡った他の世界と会話言語において相互理解できるようになっている。これらの機能は私の領内でしか作動しないものだが、この私の権能をプラズマイドに複製してある。クリスは今より九日間の内に、随行のナノマシン技師となれ』
「すべての傷が治る…」
「過去に巡った世界」
「死の剣ディスティニー…」
「ナノマシン技師、か…」
雷様の言葉に、四人がそれぞれ反応する。
『また、ナギラにも魔力補助モジュールを投入しておいた。これからは、〈夜〉の調節は不要だ。その分余ったグラードシャインのリソースを、攻撃手段の構築に当てるとよいだろう。闘技大会では補助的な扱いしかしていないようだったが、もっとばんばかビーム打っていいんだぞ』
「うおお、マジか…!」
『他の皆も、おのが権能を十全に把握していないと見える。私が可能な範囲でアドバイスをするので、残りの日数を訓練に充ててほしい』
「ありがとうございます!」
「助かります」
サンリアが頭を下げ、セルシアが頷く。
『クリスにも参加してもらいたい所だが、時間もないのでアーカイブデータを送っておく。ナノマシン技師の技量を獲得することを優先しなさい。必要であれば、今から私とリノのデータを複製するが…』
「いや、リノのデータは遠慮するよー。あいつのサーバ、雷様のこと拒否りまくってたから、無理矢理こじ開けることになるだろ?それはちょっと可哀想かなー。俺がなんとかしてみるから大丈夫!」
『…そうか。ではますます猶予が無い。今すぐモルガンの店に行きなさい。…ついでに二席、リノの両親の席を予約しておいてくれ』
「……まあ、分かったよー。今回は叔父貴も開けてくれるだろ。あんまヤケになるなよ…って、カミナに伝えておいてくれ」
『感謝する。クリスも無茶はしないようにな』
クリスは立ち上がって無言で不敵に笑い、背を向けざま手を振った。
カラン…
彼の掌中にあった鐘が、乾いた音を立てた。
『まさか僕の技術をクリスが継承するなんてね』
クリスの脳内でリノが笑う。クリスは発声せず、意識だけで返事する。
(お前に聞けりゃ良かったんだけど、会話プログラムに記憶はほとんど入ってないんだろ?)
『そうだね、僕の思考回路は持ってるから、クリスが記憶領域にアクセスさせてくれれば技師としてのアドバイスは出来ると思うけど。とりあえずインプットは必須だと思う』
(そんなんで良けりゃ楽な仕事だ。サーバから全部ダウンロードしておしまいだ)
『え、全部は死ぬよ?』
(…そうなの?)
『多分、凄いデータサイズだよ。僕のことだから、ヤバいもの大量に持ってると思う。世に出しちゃいけないやつ。クリスみたいなエロ好奇心の塊が触ると絶対駄目なやつとか。大人しく基礎開発系とボディメンテ系に絞ってインプットするのが良いと思うな。まあ、見るなと言っても見るんだろうけど…』
果たしてクリスはサーバに〈クリスは見るな〉と名前のついたフォルダを発見し(見てくれと言っているようなものだ)、中はリノの性癖大公開になっていたため、貴重な九日間の半分をリノの作業部屋で性欲の発散に使ってしまうのだった。
(恥ずかしがるリノに罵られながらするの、最高かもしれねぇ)
『…消えてしまいたい!』