ただ愛する者と共に
武闘会決勝戦。リノはクリスとの戦いで、わざと剣を受け、医療モジュールによる治療を拒んで死んでしまう。大好きなクリスに癒えない傷をつけるために。
最後の試合が大事になったからか、閉会式は次の日に無観客で、雷様と上位者、そして関係者だけで執り行うことになった。つまり、剣の仲間達だけである。
『クリス・カニス。雷の剣を其方に授ける。そして、今より剣の仲間と共に使命を果たせ。其方はこの世界の英である』
「…クリス・カニス。拝命致しました」
クリスは式典においては実に冷静に、威風正しく振る舞った。いくら泣いても目が腫れないのは良いわね、とサンリアは思った。
『出立は十日後。戻れぬやもしれぬ旅と心し、覚悟を示せ』
「御意に」
式典が終わると、クリスは何も言わずに、昨夜から離れなかった部屋に戻っていった。
そこは、琥珀宮と呼ばれる宮殿の一室。ニ人前の子の息子、王子クリス・カニスと、末の子リノ・カミナリノが出会った場所。
そして、今はリノ・カミナリノの遺体が安置されている場所だった。
「…ざまぁねぇな、リノ。リノ・ライノなんて、死んだら名乗らせてくれねぇんだよ。死んじまったら、何もかも無駄なんだよ…」
棺に寝かされたリノは、丁寧に血を拭き取られ、美しく勝者の笑みを浮かべたままだ。クリスはその白い頬に触れようとし、驚くような冷たさを既に味わったことを思い出し、手を引っ込めて棺を背にして座り込んだ。
「お前は、俺が後追いすることは考えなかったのかよ?それも良いな、なんて思ってたりしたのか?もうめちゃくちゃだよ俺は…お望み通りな」
なんでこいつは昔からこんなに強情で、こんなに俺に迷惑を掛けて、こんなに心を奪っていくのだろう。俺はただ、リノに幸せになってほしかった、ただそれだけなのに。お前が幸せになるためなら、俺は何だって捧げた、のに。もう、涙も出尽くした。もう何もしてやれない。
結局、お前は自由になるために捨てなきゃいけない最後の矜持に拘ってしまった。命よりも、俺よりも、お前は無謀な戦いを選んだんだ。そして、自分で潰れてしまった。だっせぇな、折角あんな強くて綺麗だったのに、全部捨てちまってよ。
死ぬ間際に愛してるなんて言われたって、何も嬉しくないんだよ。そんなのは夢、幻聴、まやかし、気の迷いだ。本当に愛してくれてたんなら、俺のために生きて、そっちだって全部捧げろってんだ。お子ちゃまめ。
なぁ、好きだったんだよ。リノ。
お前の容姿も、考え方も、才能も、生き方も、意外と口が悪いとこも、俺がベタ惚れなのを最大限利用するズルいとこも、普段あんなにつれないくせに俺がいないとすぐ暴走する弱いとこも、全部好きだったんだ。お前とつるんでると俺まで口が悪くなるなって、雷様が笑ってたんだよ。雷様も、お前のこと好きだったんだぞ。でなけりゃ家出息子にこんなに綺麗な部屋とさ、花いっぱいとさ、デカい棺と……お前が大好きな俺との二人だけの時間と、用意して、さ。そんな贅沢させないって。
雷様はお前の開発したブーストマシン群をさ、リノ・ライノの名前で実用化するんじゃないかな。あの人はそういうことやる人だよなー。人間が好きなのに、どうにも愛情表現が模倣じみてる。嘘くさいよな。俺らあんまりあの人のこと話題にしなかったけど、その辺が耐えられなかったんじゃないの?お前。不気味の谷は、近ければ近いほど深く感じて怖い、らしいからな。でも、あの人もお前も、確かに凄い能力はあるけど…どうしようもなく人間だよ。俺には分かる気がする。てめぇらマジで下らねぇことばっかしやがって!ってキレたくなるとこ、そっくりだぞ。ざまあみろ。
…帰ってきてくれよ、なぁ。俺、こんな気持ちで旅に出なきゃいけないわけ?お前がもういない世界なんて、救う意味ある?…いや、知ってるよ。お前から押し付けられた面倒事、断ったことないもんな。畜生、弱み握りやがって。
でもさ、もう見返りにお前の笑顔が見られないんだぞ。せめてもいっぺん声聞かせろよ、なぁ。
『…ケツ叩きシステム起動。強制ブースト開始』
脳内に突然天使の声が響く。
「…!!?!?」
『初回確認。やぁ、びっくりした?これはクリスが何かベコベコに凹んだ時に起動する簡易会話プログラムだよ。そういうの、大抵僕関連だからね。急ぎの場面かもしれないからブーストもかけるよ』
「お化け!?」
『違う、僕が用意したお前をあしらって適当に励ますだけのプログラム』
「ほんっと、ろくなことしねーなお前!!?」
クリスは思わずブースト地団駄を踏んで立ち上がった。しかし棺の方を向くとリノが起き上がって喋ってそうで、怖くて振り向けなかった。
『で、何があったの?可能性として、僕が死ぬことも本体から示唆されてるんだけどね。その場合は常時起動に移行しろと言われてる』
「…絶対にお前には言わねぇ。くそ、何とか消せないのかこれ!お前の声は聞きたいけど、今は最悪のタイミングだぞ!!幻聴じゃねーのか!!」
『あぁ…、事情大まかに察した。悪いけど、これはリノ、僕自身の遺志でもあるんでね。消せない。お前が僕を忘れるまで、いつでも傍にいる』
「………!!」
傍にいてほしいと願った。もしくはリノが、傍にいたいと願った。しかしこれは、俺の夢よりは都合良くない分幾らかマシなだけの、幻想じゃないか。本物のリノは…もういないのに。
ぼろぼろと温かい涙が頬を伝う。枯れたと思っていた涙が復活したのが、我ながら現金で、とても悔しい。
でも、ああ、こいつはこんなことする奴だった。悪戯好きで、倫理観なんかまるで無くて、目的のために手段を選ばない。インプラント技師なんか絶対やっちゃいけない、最低の性格と、最高の腕を持つ、俺の天使。
「クソ野郎が…押し付けやがって。分かった、こんな破格の報酬、前払いでくれるってんならやってやるよ!ただし俺の口が悪くなったみたいなクレームが来たら一生恨むからな」
『ああ、一生一緒にいよう!』
「っ誰が一生一緒になんかいるか!お前なんかさっさと忘れて、とびきり可愛い彼女作ってやるわ!あの世で泣いて悔しがるんだな!!」
クリスは棺の中のリノに向き直り宣言した。リノは変わらず、美しく満足気に笑っていた。