誰が癒えぬ傷を負ったか
雷の剣を巡る武闘会の決勝戦は、クリス対リノのカードになった。大好きな相手との戦いの行方は…。
負けて控室に帰ってきたセルシアは酷く不機嫌そうで、空気の読めないレオンでさえ「お、お疲れ…」の一言以外掛けられない程だったが、暫く何やら呟いていたかと思うと、
「そうだ…僕の戦場はここじゃない、僕のやりたいことは…」
と言うやいなや、吹っ切れた顔で準備中のフィールドに乗り込み、雷様の席の隣でティルーン独唱会を始めてしまった。
「…何やってんのさーセルシアさん…これ金取れるやつじゃん…」
クリスがモニタを見ながら笑う。いや、上手く笑えた気はしなかった。
「良いじゃない、彼らしくてさ。それより、お前の準備がまだ終わってないんだから、もっかいここ座ってよ」
リノは左手を半球状のデバイスの上で忙しなく動かしながら、右手で自分の隣の席を叩いた。
「いいよーリノありきのブーストなんだから、リノと戦う時は無しで当然なんだよー」
「そんなの僕のプライドが許さない。座れ。僕無しでブースト出来る様に調整したから。あんまりソース整理する暇無かったから多少僕の声のシステムボイスが聞こえるかもしれないけど」
「えぇ…愛かな?」
「嫌な愛され方してんね、お前」
「リノから愛されるならどんな愛され方でもいい!」
「…ふーん」
クリスはおや?と引っ掛かった。リノが会話に割くリソースは常に常人の四分の一以下だ。なので生返事になる時は本当に限られている。心底どうでもいいとあしらわれているか、逆にクリティカルに重要な、そう例えば、誰にも言えない隠し事に手が届いたか。
何となく、嫌な予感がした。
決勝戦。或いは、宴も酣。
今回初めてブーストという技術が表に出た。決勝戦は二人ともブースト使い。きっとこの大会の後、この技術は高く売れ、リノ・ライノの名声は揺るぎないものになるだろう。リノにとってはそれこそが復讐の手段だった。つまり、クリスとの対決に勝利することなどどうでも良かったのだ。
(でも、そうだな。選べるならば…)
リノはクリスと打ち合いながら、自身の心の底にある冥い欲望を実感していた。
クリスがブーストを使い続けると、発熱量が激しい為に顔が上気し、汗だくになって、息も上がり、見苦しいったらない。リノはサディスティックな薄笑いを浮かべる。実際には完成している冷却機能を起動してやらなかったのは、その様を見たかったからだった。
(雷様のお気に入り。僕の事が大好きなクリス。僕の光の英雄)
このみっともない彼が優勝し、そのまま次期国王に登り詰める姿を見てみたかった。これが普通の闘技大会なら、十分にあり得る未来だった。
しかし、賞品があの、雷の剣だった。
その行く先はつまり、名誉の死。
外つ国から来たというあの三人。或いは、本当に剣の使命を果たす時が来ているのかもしれない。優勝して、雷の剣を得て、世界を救う旅。
(…冗談じゃない)
リノが握る剣に力が籠もる。何もかも雷様の思い通り、何もかも自分には与えられない。
(僕が優勝して自殺する、それはありだ。だが結局二位のクリスが雷の剣を担わされるだけだ。僕がただ負けても同じだ。クリスはあいつの言い付け通りに、僕から離れていってしまう。くそ、あいつのせいで僕の人生いつまでもこうなのか!)
クリスはまだ体力に余裕はあるが、それでも苦しそうだ。リノの方が体力がない分辛く、思考の余裕も無くなってきている。
一旦距離を取らなければ。そして、どうするか決めなくては。
クリスの剣を弾き、彼の胸を蹴り飛ばし、そのまま後方に宙返りして離れる。クリスの目は真剣だ。私情を挟まず純粋に、この勝負に打ち込んでいる。それは正に、素晴らしい英雄の素質だった。
(…だったらやっぱり、最大限傷をつけてやるくらいしか)
リノは最悪の手段を取ることにした。
セルシアは雷様の隣で、二人の対決を見守りながら、動きに合わせティルーンを弾いていた。いくら二人の動きが速いとはいえ、それに即興を合わせられない彼ではない。観客は皆、時々躊躇いがちに感嘆の息を吐くだけで声も上げられず、この美しい楽と舞に魅了されてしまっていた。
しかし、そんな夢の一時など、長く続くはずもないのだった。
クリスの攻撃が大振りになってきている。さすがに冷却無しでここまで稼働させるのは無理がある。これ以上戦わせると、医療モジュールがブースト機能を排除しにかかるだろう。
リノは剣に圧されたフリをして、わざと一瞬前をがら空きにしてみせた。クリスが迷うことなく突っ込んでくる。
(馬鹿だなぁ、お前。こんな罠に引っ掛かる程、限界だったのか?)
リノはふわり、と両手を広げ、微笑んだ。
クリスの剣がリノの胸を刺し貫く。
「…っあ、やば」
水を打ったような静寂の中、クリスは思わず声を上げた。リノは怯える彼の両腕を掴み、引き寄せる。
クリスの左腕のツボを圧した。そこは仕込んで眠らせておいた、ブーストの冷却機能を稼働させるポイントだった。
クリスは突然冷水を被った様に顔面蒼白になった。冷却機能のせいだけではない。
自分の剣がリノを刺し貫いている。
当のリノは微笑んだまま、あまつさえ、その剣を抜かずに自分の首の方に力ずくで押し上げた。
そのままクリスの手にキスをする。
ぐ、がは、と声を上げて彼はその上から血を吐いた。
「リノ、お前…声が、」
「…クリス。僕の命の恩人。僕の英雄…」
震える声が聞こえる。脳内ではない、目の前の、自分の両手の中から。
「愛してる、ぐっ…、ありがと、」
医療モジュールは、何故か働かない。何故か?何故かなんて、分かりきっている。二回目だ。こんな負傷、今すぐ処置しないといけない、のに。
遠目にも異変を察知したか、担架が運ばれてくる。クリスは周囲などお構いなしに、リノから手を離さなかった。あるいは、リノがクリスの手を離さなかった。
「リノ、おい、早まるな、やめろ…」
「…今まで……、黙ってて、ごめん……」
言葉とは裏腹に、赤い金色の獣はニヤリと勝ち誇ったような幸せそうな笑みを浮かべ、そのまま二度と、目を開けることは無かった。
「馬鹿…、馬鹿野郎ーーーッ!!!」
ああ、そうだ。僕は天才で、馬鹿野郎だ。
あいつの世界から逃げたくて、でも結局、
あいつと同じ土俵で勝って出し抜きたい気持ちを抑えられなくて。
大好きな人と、死ぬまで一緒にいたくて。
なぁ、あいつは、少しでも傷ついたかな?
お前はどれくらいの傷を負った?
滅多に見られない、お前の焦る顔、絶望する顔。
もっと見ていたかったんだけど、
死ぬ時って案外瞼が重くてさ。
最後に聞いた声、どんなだった?
お前に愛を囁くための、とっておきだったんだぜ。
みんな、僕のこと、ずっと覚えていてくれるかな。
リノ・カミナリノじゃない僕、リノ・ライノの名前を。