純白の剣
写真撮影のために森に通う少年レオンは、ある日純白の剣を抜いた。彼はその剣を撮影し帰宅した。
レオンは中学を卒業したあと、高校には進学せず、趣味のカメラをやらせてもらっている。学力的に厳しくて、進学しないと決めた時、就職先を探そうとしていたらシオンに止められた。家計は大丈夫なのか?と聞くと、
「お前は今は自分のやりたいことをしろ。金のことを考えるのは大人になってからで十分だ」
と男前な言葉が返ってきた。だからせめて、良い写真を撮って喜んで貰えればいいなと思う。
「早く食えよ、ほら」
「お、ありがとう。シオンは良いよなー。料理上手で」
「まーお前よりはな」
「…俺だって一通り習ったぞ」
「俺に、な!どうせお前暇なんだから晩も作ってくれりゃー良いのに」
「ん、今日は彼女のところへ行くのか?」
シオンは真っ黒なコーヒーを飲みながら目を閉じ、レオンを無視した。
「行くのか!?」
「…それがどーした」
「行くなら泊まれって言いたかっただけサ」
「手の掛かるレオン君がいるから泊まれません!」
「料理位なら大丈夫だって。そのかわり…」
「…土産話か?」
つまり、下ネタである。昔は逐一自慢するように語ってくれたシオンだが、ある時を期に一切黙秘するようになった。本気の相手を見付けたのだろう。
「おう!たまにはきっちり教えてくれよな!」
「まだ早いだろ。お前彼女いないし」
「気になるもんは仕方ないだろ!?」
「断・固・と・し・て・拒・否・す・る!」
「ケチ~」
レオンは口を尖らせ、突然噴き出した。シオンも笑う。何てことのない朗らかな日常だ。
「ごちそうさま。今日もうまかったよ」
「そりゃ良かった。じゃ、掃除の続きしますか」
「あ、待って待って。今日はすげえもん撮ったんだ、ちょっと見てくれよ」
「へえ…?」
シオンに見せるためにカメラをパソコンに繋ぐ。シオンが作業椅子に座り、フォルダを開いて見始めた。
「今日のはここからか?…ほー、こりゃ立派な老木だな!」
「だろ、それにほら、ここ見て……あれ?」
「ん?」
写っていない。
あの美しい剣は、写真には一枚も写っていなかった。
「…おかしいな…。ここに剣が刺さってたんだよ、すっげぇ綺麗な真っ白な剣…。俺がキュッとやったらスポッと抜けて…ここから何枚も写真撮ったんだけど…」
レオンは焦って鼓動が速くなるのを感じた。シオンに見せようと思って撮ったのに。
まずい。
すごいものを見せると言ったのに。
失望、されてしまう、のでは。
そうなったら、俺は。俺の立場は。
「…白昼夢でも見たんじゃないか?」
シオンが軽く笑う。レオンは慌てて弁明しようとした。
「いや、ホントにあったんだって…そう、こんくらいの大きさの、何の飾りもないシンプルな剣でさ…びっくりするくらい軽くてキラキラしてて…」
早口でまくし立てるレオンを、シオンが面白そうに眺めてくる。
「それに、そうだ、抜いた時にサレイ母さんの声がしたんだよ!レオン、って…」
その瞬間、シオンの表情がストンと抜け落ちた。
レオンは兄の様子を見て、自分がやらかしたことに気付いた。
「…今のは笑えない冗談だな、レオン」
「違う、違うんだシオン、冗談言いたくて嘘付いたんじゃない…」
「ふーん。まあ、夢で会えただけでも良かったな」
「う……」
夢じゃなかった筈なのに、本当に手に取り声を聞いた筈なのに、それ以上主張出来る雰囲気ではなかった。
「…俺、昼からもっかい見に行ってくる」
「良いぞ、俺は掃除の後彼女のとこ行ってくるから」
「分かった…」
シオンは今の彼女ともう二年近く付き合っているらしい。
兄がいないと生きていけない、という訳ではない。と思う。
明日から結婚して家を出ていくから、と言われても大丈夫な心構えは出来ている。
しかし、この家に二人で住んでいる限りは、兄に見放されるわけにはいかなかった。お前が出て行けと言われたら、レオンは途端に途方に暮れる羽目になる。兄は優しいから、滅多なことでそんな流れにはならないと思うが…
(サレイ母さんの話は危なかった)
レオンは再び靴を履きながら、ふぅーっと長い溜息をついた。
森の木々に付けた目印は回収していなかったので、彼は迷うことなく歩き続けた。
やがて老樹が見えてくる。その根元に、あの白い剣を放置して帰ったはずだ。
レオンはふと立ち止まった。
(……誰か、いる)
華の様な橙色の髪と朱い額当てに羽根飾り、黒目九割の可愛らしい顔立ち。所々に鮮やかな朱と黄色のラインが入った白いワンピース。レオンと同い年か、もう少し年下に見える少女が、老樹にもたれかかり、肩にフクロウを乗せ、背中に巨大な風車を背負い、何か大きなものを抱えている。
レオンは咄嗟にカメラを探した。しかし、剣の様子の確認だけだと思っていたので、今度は持参していなかった。それに、勝手に撮るのは良くない。撮影交渉から入るべきだし、そのために女の子に声を掛けるのは…レオンには、無理だった。
少女の方がレオンに気付く。目が合った。
「こんにちは、そこの貴方」
少女が甘やかな声でレオンに声を掛ける。
「おっ、お俺?…ちは…」
「ねえ、この剣を抜いたのは貴方?」
彼女が抱えている物を突き出した。それはいつの間にか鞘に入っているが、間違いなくレオンが朝、抜いて写真を撮ろうとした剣だった。
「そうだけど…」
レオンが答えると、少女は突然、消えた。
「ねえ」
「おわっ!?」
突然自分のすぐ隣で声がして、レオンは仰け反った。少女が真横まで一瞬で移動していたのだ。
「お前…誰?」
レオンは少し身構えながら少女に相対する。少女はレオンの警戒を気にするでもなく、
「私はサンリア、十三歳。貴方は?」
とさらっと答えた。
「お、俺、俺はレオンだよ」
吃ってしまった、と彼は軽く恥じ入る。
少女サンリアは暫しレオンの言葉の続きを待った。小首を傾げつつじっと相手の顔を見ている姿は、正直に言おう、実に愛らしい。
「…年は?貴方、幾つ?」
(年?)
先程心の中で断言した内容について少し後ろめたさもあり、レオンは慌てた。
(俺って幾つだ?)
「わす…いや、十五歳…だったと思う」
「って、自分の年を忘れるかなぁ!?」
(悪いかよ。)
ちょっと腹が立つ言い方だ。
「でも、十五にしちゃ子供っぽいのね…」
(てめーに言われたかねーや!)
レオンは片眉を上げ、心の中だけで毒づいた。初対面の、正真正銘の子供に馬鹿にされる謂れはない。子供だからなのか、相手への敬意も無く絡んでくるので印象は悪く、もうこいつの事絶対に可愛いなんて思わないようにしよう、と心に決める。
「…何か用?」
話し方まで素っ気なくなってしまう。少女は我に返った様に瞬きしながら、少し困った顔をした。
「あー、えっと。貴方が抜いたって言うなら、この剣、持ってちょうだい」
ずい、と柄を向けて渡されたので、レオンはそれを掴んで受け取った。
「…その剣、持てるんだ…」
サンリアが瞠目する。
「あぁ、軽いぜ?お前のその風車の方が重そうだ」
レオンはサンリアが背負っている大きな杖に目を遣った。よく見れば風車の羽だと思ったそれは、ギザギザとしたノコギリ鎌状の四枚の鋭利な刃だった。
「ううん、違う意味で私は持てないの。柄を握ると目の前が真っ白になるから」
「はぁ?でも此処まで運んで来たじゃ…」
「鞘に入れて運んだから」
「…そういえば、鞘どこにあったんだ?」
「私が作ったのよ」
「早!?」
「一週間前に始めたし」
「でもサイズぴったり…どうやって合わせた?」
「その革はある程度伸縮自在なの。それにじーちゃんが教えてくれたしね」
「じーちゃん?」
「このフクロウよ」
サンリアは肩に乗ったフクロウを撫でた。フクロウは目を細めてホーッと鳴いた。フクロウが教える?意味が分からない。
「私はね、違う世界から来たのよ。世界は森で繋がってるの。で、多分貴方に会いに来た。詳しくはじーちゃんに聞いてよね。私は上辺だけしか知らないから」
サンリアはまた一瞬で近くの木の枝まで飛び上がり、そこに腰掛け足をぶらぶらさせている。
スパッツか。慌ててレオンは目を逸らしたが、その赤い色が妙に脳裏に焼き付いた。
貴方に会いに来た…軽く発せられたその言葉が、ジワジワと彼の胸を打つ。
「フクロウに聞け、とは?」
「…元は人間なの。私の〈じーちゃん〉、つまり祖父が死んでその魂が〈じーちゃん〉の飼ってたフクロウに移った。だから〈じーちゃん〉。
テレパシィ、念話で話せるの。でも今は無理、じーちゃんの魔力が足りないから夜まで待たないと。解った?」
本当は全く理解していなかったが、そもそも気になる点がひとつある。
「えーと…違う世界、って何だ?」
「遅いわよ!?」
少女は容赦なくツッコんだ。女の子に耐性のない彼は今にも涙目である。
「何だよ…違う世界って。此処は」
「此処は世界の狭間。貴方はこの森が何なのか知らないの?」
「何って神社の森だろ?」
「…え?何それ」
「は?知らないのか?」
「だから!違う世界!」
「あぁ…、やっと何となく理解した」
「そう?」
「お前が怪しい妄想女だって事をな」
「!…酷い……妄想なんかじゃ…」
サンリアの声色が震える。しまった、普段の兄と言い合う調子で言い過ぎたか?
「分かった、分かったって。そんな泣きそうな顔するなよ…だけど、説明してくれなきゃ」
あぁそうか、と真顔で少女は瞬いた。全く切り替えの早い…とレオンは呆れた。
「んー、どこから説明したらいいのかな…。とりあえず、貴方も座りましょ?」
サンリアが背中の風車を手に取りブンと振ると、レオンは足を掬われ、そのまま音もなく宙に浮き上がってサンリアの隣に座らされた。周囲の空気ごと運ばれたような感覚だ。
「びっ…くりした〜……」
「うふふ、今のが私の剣の魔法よ。風の剣、ウィングレアス。そして貴方が抜いたその剣は、多分、光の剣グラードシャインだわ」
レオンは魔法なんてものを使われると、流石に「違う世界」とやらを信じざるを得なくなっていた。魔法。ゲームや本に出てくる、ファンタジーの単語だ。
「…ちょっと待ってね、今どこから話すか考えてるから…。」
サンリアが剣の台座になっていた老樹を眺めながら黙り込む。二人に午後の陽気と小鳥の囀りが降り注ぐ。まあ、そんなのんびりした気分なのはレオンだけで、サンリアの頭の中は高速回転していたのだが。
やがて彼女は語り始めた。