声を捨てた天使
雷様に雷の剣の主を決める武闘会での腕試しに誘われたレオン達は、森で出会った青年クリスの案内で雲の上の未来都市へと向かう。
ふわり、と空気が香りを帯びた。
煙のような、焼きたてのパンのような、日溜まりのような、悪くない香りだった。
四角いゲートがいくつも並んでいる。その中を、一行の乗った鳥籠のゴンドラはどんどん進んでいく。左右を昼間にも輝く街明かりが流れてゆく。どれも店なのだろうけれど中の商品が見えない。
「この辺りは外国人観光客向けの高級ブランド店ばかりだよー、武闘会で稼いだら来てもいいかもだけど、あんまり君達の興味引くものはないかもねー」
鳥籠がカクンと右に曲がった。下は雲の運河といったところか。レオンは今更だがこの鳥籠はどういう原理で動いているのだろうとセルシアの傍まで移動して眺めてみた。驚いたことに、吊られている訳でもなければ下に噴射している訳でもなかった。風で動いている訳でもないし、レールもどこにも見当たらない。
「ふふふ、不思議そうだねー。これはトニトルス名物、超電導磁気輸送網。んー、この沢山あるゲートに付いてるなんかすっごい向きをコロコロ変えられる磁石の力で、音もなくすいすいーっと移動できる!」
「うわー、なんかすっごいな!」
正直それ以上説明されてもよく分からん!となりそうだったので、レオンは素直に感動することにした。
街並みは官庁街のような整備されたビル群から、高級そうなマンション団地、閑静な住宅街と移り、やがてゴチャゴチャした下町のような風景に変化した。雑居ビルが建ち並び、日光が遮られる。看板は沢山出ているが、何も表示されていない。ARで見る専用のものなのだろうか。
「この辺はもう低所得市民の日常生活区域だから、AR無しだとあんまりパッとしないんだよねー。よそで言うところのスラムに近い。でもね、」
ゴンドラが減速しながらゆっくりと運河の岸の停車場らしきタラップに寄ってゆき、ゴンと鈍い音を立てて接続する。クリスは近くの雑居ビルの看板の一つを指差して続けた。
「ここが、今から皆の助けになるところ。兼、俺の魂のオアシスなんだなー」
クリスの先導で、一行は茶色い雑居ビルの地階行き階段を下った。鉄の扉が一枚あり、クリスがその前で暫く立っていると、その扉はゆっくりとスライドして開いた。
「やっほーモルガンの叔父貴!今日は客を連れてきたよー」
「んん?坊んに客引きなんか頼んでねえが」
中は小洒落たバーのような店構えだった。木樽や石臼など、ちょっと時代錯誤のような、懐古趣味のようなアイテムが散見される。
クリスにいらえたのは、スキンヘッドでタバコの様なものを咥えたおっさんだった。黒目が大きいのでベビーフェイスに見えて、レオンの感覚的には少しアンバランス。でもよく考えたらクリスも同じく黒目が大きいので、この世界では標準サイズなのかもしれない。
「ちょい訳ありの外国人客さ。ARが使えなくなってるんだ。必要なナノマシン一覧は雷様から来てる?」
「ち、アレかよ。未読無視するつもりだったのに…」
モルガンと呼ばれた店主らしき男は、眉間に皺を寄せたままレオン達を見て、眉間に皺が寄ったままニカッと笑った。
「ようこそ、お客さんがた。細けえ話は後だ。酒は飲めるか?」
クリスは何かの蒸留酒、サンリアはクリスと同じ物、セルシアはカウンターで目に付いた果実酒、レオンは飲酒の経験がほとんど無く困ったが、濃度三パーセントくらいのやつを、と頼んだ。元の世界の広告でよく見かけるチューハイがそれくらいだった気がする。
「あんまり薄いと効かねえんだがな。まあ、後で足せばいいか」
店主が何やら不穏な事を言ってオレンジ色の飲み物をレオンに差し出した。
「叔父貴、リノはどこ?俺はリノに会いに来たんだけどー!」
クリスが早速目元を赤らめて言う。強そうな酒を頼んだ割に酔うのは早いんだな、とレオンはほぼジュースのような飲み物を恐々飲みながら隣をチラ見した。
不意に、
カランッ……
涼やかな鐘の音がひとつ、店に鳴り響いた。
手持ち鐘を右手にぶら下げた、金髪三つ編み色白の美しいひとが店の奥から出てきた。男か女か分からない、華奢な体。柔和な笑みを浮かべる整った顔。そしてぐっと目を引く、喉元の大きな傷。
「リノー!会いたかったよー!」
栗毛の大型犬と化したクリスが飛びついてハグする。リノと呼ばれたその人は、その細い体でどうやってと思うほど微動だにせずクリスを受け止めた。
リノがモルガンを見遣る。モルガンは彼と暫く見つめ合ったかと思うと頷き、カウンターの奥の棚から酒瓶を取り出しグラスに注いだ。
レオンがグラスに踊る琥珀色の液体をぼんやり眺めていると、目の前に小型の機械が置かれた。リノがサンリア、セルシアの前にもそれを置く。リノのマント役あるいは荷物役のクリスがウインクして言った。
「ヘッドセットつけろって言ってるよー」
透明なハーフマスクに眼鏡と耳を覆うヘッドホンが付いている形の様だ。三人は恐る恐るヘッドセットを被った。レオンが手こずっていると、リノが頭の後ろでバンドの長さを調節してくれる。と、突然視界に文字情報が溢れた。勿論読めない。
「僕はリノ。ここの技師だよ、宜しくね。セットアップしてるから少し我慢して画面を眺めてて下さい」
耳に少し低めの女性の声が流れる。いや、これは少年の声だろうか。傍らに立つリノは一切喋らないので、ヘッドセットから流れてくる声が本人のものなのか、合成のものなのかも判別できない。僕、と言うからには男なのだろうけれど、とレオンはとりあえずリノを男扱いすることにした。
「キャリブレーション終わるまで待ってね。聴覚完了、視力調整完了、言語認識、えーと…うわ、雷様特別パッチだって?三人とも違う国から来たの?面白いね…はい完了。嗅覚キャリブレーション、匂い感じたらそちらを向いて…完了」
「おお、俺の国の文字だ、すげえ!」
レオンは思わず声を上げた。異国どころか違う世界で、こんなに有難いことはない。ぐるぐる見回すと、酒のラベルからポスターの内容まで、オーバーレイヤで逐一変換してくれるようだった。
(気持ちは分かりますが、あんまり感激するとボロが出ますよ。なるべく平常心でいましょうあああ歌にしたい!!)
セルシアの囁きが全然平常心でなくて思わずニヤリ。こんな体験、あの石の街では絶対出来ないだろう。
リノの方を向く。彼の顔の傍に目の様なアイコンがある。何だろうと思って視線をそちらにやると、リノのプロフィールが出てきた。
【公開情報 リノ・ライノ 一級技術士(電気電子) 十七歳】
リノの背後のクリスの顔には、
【公開情報 クリス・カニス 鑑定士 十九歳】
「クリス十八じゃねーじゃん!」
「たはーバレたー!」
「え、どうして分かったんです?」
「クリスの顔に書いてあるぞ」
「顔?ああ…なるほどこれか」
「なんでそんなすぐバレる微妙な嘘をついたのよ…」
「実は今日誕生日でさー」
「それも嘘だよ。クリスはそういう奴」
「リノちゃん酷い!俺は害のある嘘はつかないよー!ただの冗談さー」
酷いと言いながらクリスはリノの肩を更にぎゅうと抱き締める。レオンは首を傾げた。
「クリスってゲイなのか?」
「いー!?いきなり何!!?藪から棒過ぎない!?」
「あ、僕は男は嫌です」
「リノちゃんは梯子外すの上手いね!?可愛いね!!俺もゲイじゃないです。好きな人がたまーに男の時があるだけでーす!」
「さっき僕にナンパ吹っ掛けてきたのは?」
「せせセルシアさんリノの前で言わないでくれるかなぁ!?それは勿論!好みだったからだよ!!」
「…ねぇあなた酔い過ぎじゃない?」
「うえーん、こんなんじゃ酔い足りないよー!もう今起きたこと全部忘れたいよー!!」
「クリス君は美人が好きなんですねぇ」
「セルシアのその顔に対する自信は何なのよ…」
和やか、というには些かセンシティブな会話をクリス達が酒の力でゴリ押している間、レオンはリノを観察していた。一体どうやってこのスピードで声を出さずに会話出来るのだろう。口の代わりに指や視線を動かして入力している訳でもなさそうだ。
「あー、レオン君もリノに惚れちゃったー?サンリアちゃんに怒られるぞー」
「ちっ違えよ!いやサンリア関係ないけど!どうやって喋ってるのかなって気になっただけだ」
「ああ、僕はほら、喉を怪我していてね。声が出せないから会話モジュールをインプラントしてるんだ。脳内のニューロン活動をスキャンして言語化して電子音声出力に送信してくれるやつ。僕は技師だから色々モジュール作っては自分の脳で試してるんだよね」
「喉、治せばいいのにねー。リノは頑固なんだよー」
「治す必要性を感じないんだよね。脳スキャン即出力だと、音声出力よりも余程高速にマルチタスクにこなせるから。この会話だって実際かかってる時間の半分くらいで脳の出力は終了してて、君達のヘッドセットの調整やお酒の味に意識を傾けることができる。むしろ皆こそ僕の真似をすればいいのにと思うよ」
「はー…ん、すげえなー…」
「レオンはご覧の通り、口より頭の回転の方が遅いからきっと意味ないわね」
「原理は分からないけれど、でもそれって、会話の途中で相手の反応や不測の事態で声を潜めたりトーンを変えたり中断したりはできるんです?ああ、出来そうかな、考えさえすれば上書きされるのかな。でも、やっぱり歌とは相性が悪そうですね。歌は自分の声が体を震わせることや相手と響き合いリズムになることを楽しむものですから。
折角耳に届くのは鐘の音よりも美しい声なのだし、是非治せるなら治していつか僕と一緒に歌ってほしいな、金糸雀と見紛う貴方」
「流れで口説くな!」
サンリアが容赦ない肘鉄をセルシアの脇腹に食らわせる。レオンは今のが口説き文句だと気付かず目をぱちくりさせた。
「まーたリノがモテてるよ。妬けちゃうわー」
「何で男しか寄って来ないのかなぁ、このお店のせいかなぁ」
「おいおい、俺の店辞める気か?」
「冗談。師匠から離れたら面白い仕事絶対減るもん。追い出されても居座るよ」
ニコリと笑うリノは可憐な花の様で、女の方が自信無くすからじゃないかなぁ、とレオンはぼんやり考えた。