天上の案内人
翌朝、早朝のフィールドワークとやらを終えたクリスに、森を出る支度を整えながら、セルシアが武闘会の話を振った。
「あー、あれねー!そうかー遠くから来たのはその為だったんだねー。でも街の外の人の参加は受け付けてるのかなー?」
『問題ない。彼等はゲストだ。レオン、サンリア、セルシアという名前だ』
「あ、雷様。じゃー大丈夫だね。というか雷様管轄なら俺が手回ししなくても良かったくないー?」
『お前がフラフラ森に入り込むから先に会ってしまっただけだよ』
「そんなー!雷様が森に行けっていったんじゃんー相変わらず適当だなー」
「めっちゃ普通に喋ってる…」
レオンは目の前を飛ぶ輝く蝶をすんなり〈雷様〉と受け入れて会話するクリスに驚いた。
「あー、驚いた?俺雷様と近いんだよねー。孫の一人。王位継承権も一応あるんだよー」
「そっちに驚いた訳じゃ…王位!?」
「うん、王子様ってワケー。今の王様が雷様の三人前の子でー、俺は二人前の子の一人息子!」
「三人前の子とかいう表現が斬新過ぎてついていけないですね…」
「そう、かなー。うーん。一番最近の子が末の子。その前の子が一人前の子。その前が二人前、三人前」
「なんかお腹空いてきたな」
「レオンのそれは完全にサンニンマエの音に引き摺られてるだけでしょ」
エスパーか何かなのか?彼は単純な自分の頭ではなくサンリアの方を疑った。
『クリス。ついでだから、王宮までお前が連れてきてくれ。ああ、彼等の状況は聞いているな?必要なナノマシンリストはモルガンの店に送っておくから、先に寄るといい』
「ふーん。雷様、珍しい店使うんだね?」
『お前の馴染みを考慮しただけだが?』
「げ、バレてらー。おっけーだよー」
伝声蝶は用済みになったのか、クリスの右頬に止まると、そのまま光を失いタトゥーの様に表面に貼り付いた。
「あら、可愛い模様になったわね」
「これあると便利だよー、雷様の遣い扱いになって、ホントの意味で顔パスになるから。ま、逆らうと酷いんだけど」
「見張られてもいるってことですね。それじゃ、出発しましょうか」
地上の門は本当に完全に顔パスだった。何の咎めも呼び止めも説明も案内もなく、天幕のある大きな鳥籠に全員載せられる。扉が閉まると、籠はエレベーターの様に徐々に雲の方へ加速し始めた。
「おお、これは快適ですねえ」
セルシアが手摺から乗り出して下を覗き込む。じーちゃんがホー、ホーと騒ぎ、クリスがセルシアの行動に気付いた。
「あ、あんまり端に寄ると…」
クリスが言い終わる前に籠はズボッと雲の中に入り、セルシアは上半身びしょ濡れになった。
「…もう少し早く教えて下さいよ」
「雲だから濡れるだろ、そりゃ」
レオンが呆れた調子で声を掛けると、セルシアは眉間に皺を寄せて目を瞑り、「…そっか」と呟いた。
「それが好きでわざと端に寄る人もいなくはないよ」
「…うん。そうそう。僕は詩人だからね。できるだけ自分の身で色々体験しておきたいのさ」
サンリアの上昇気竜は避けてたの知ってるぞ?とレオンはツッコミかけたが、剣に関する話題はまずい、とすんでのところで思いとどまった。
「さあ、そろそろ出るよー…三、ニ、一!」
雲が突然晴れ、眼前に大きな街が出現した。黄白色の街並みが、朝の陽射しを受けて明るく輝く。
「側方移動に移行するよ。揺れに気をつけてねー」
クリスがアナウンスする。皆が慌てて手摺りや柱に捕まった頃に、ぐんと横に重力が掛かるのを感じた。
「クリス君がいないとこの時点で大混乱だったかもですね」
相変わらず手摺りから身を乗り出しながらセルシアが笑う。濡れた服を乾かしたいのかもしれない。
「いやー、一応ARでは警告出てるんだけどねー。完全に使えなくなってる人のためにやっぱ物理アナウンスも残しておくべきだよなー」
「暫くお世話になりますね」
「セルシアさん達みたいに見た目で分からないとつい忘れちゃうね。気をつけてみるよー」
ちょっと調子の良い所はあるが善い人間なのだな、とレオンはクリスを評価した。
「雲の内側に風がこんなに吹いてるなんて意外!気持ちいいわねー」
「結構なスピード出てる気がしたけど、そうでもないのか。これは進む方向じゃなくて普通に雲から吹いてくる風ですね」
「冷たい所から温かい所に風は吹くからねー。直接日を覆わなくても、雲の壁が傍にあるだけで結構涼しいんだよー。勿論エアコンも効いてるけどねー」
「エアコンなんて言葉が異世界で聞けるとは…」
「ちょっとレオン!」
サンリアに慌てて呼び止められて、レオンはしまったと口をつぐんだ。
「異世界…?」
遅かった。クリスが訝しげに片眉を顰める。と、クリスの右頬の蝶模様が黄色く光り、クリスはすとんと素の表情に戻って目をぱちくりさせた。
「あれ?何の話してたっけー。ああ、そうそう、エアコンが効いてるって話だよねー。野宿してたしもしかしてエアコン久々かな?無いとキツいよねー、ここに居る間はゆっくり休んでねー」
(何だ、今の?)
レオンはクリスの態度に不気味さを覚えた。セルシアも表情には出さないが遠巻きにじっとクリスを観察している。サンリアがレオンの傍に座って小声で話しかけた。
(今、絶対記憶消された…感じ、よね?)
(反応変だったもんな)
(右頬の雷様の模様が光りましたね。何かの干渉を受けたのだと思います)
当然の様に離れた場所から口も動かさずにセルシアが内緒話に参加してくる。音の剣とは便利なものだ。
(ちょっと、雷様…怖いわね。今回は助かったけど)
(マジでごめんな。完全に気が抜けてた)
(気持ちは分かります、クリス君を警戒するのは難しい。気さくで気楽で、滔々と話すからついこちらの口も軽くなってしまう。僕も気をつけなければ)
(毎回記憶消されてると脳にもヤバそうだしな。悪い人じゃないみたいだから負担になりたくない)
(脳にもヤバいの?私は単に常に雷様に見張られてるのが怖いって話だったんだけど…というかこの調子で監視が行き届いてるならイグラスの兵なんか入り込めなさそうよね)
(確かに。でも、イグラスの技術レベルが分からないので、軽く見るのはいけませんね…)
クリス抜きで会話していると、彼はふらっとセルシアの方に寄ってきた。
「ねーねーセルシアさん。あの二人、デキてんの?」
「でででデキてねーけど!?」
レオンはびっくりして飛び上がった。サンリアも口を尖らせて首を振った。確かにクリスから見ると二人でこそこそ内緒話に花を咲かせているように見えただろうが。
「…デキてはないそうですよ?」
「へー、なるほどねー。じゃあセルシアさんはボッチかー。俺にしとく?」
「お金貰えるなら良いですよ」
「うわっ、ノータイムでそんな返しする人初めて見た!お兄さんかなりのヤリ手だねー。こういう人に手を出してはいけないことを俺は知ってるぞーちなみに今のは脈無しの反応なんだなー」
「そういう商売でしたからね」
「何の話してんのよ…呆れた。そんな事よりもっと為になる話して欲しいわ、この街の決まり事とか慣わしとか」
「えー?まあ大体よその国と同じだよ?人に危害を加えないー、物を盗まないー、屋外で飲酒やドラッグをしないー、違法モノには手を出さないー、オフライン時は警告ラベルを付けるー、毎日ボディメンテするー、高速移動する時はハイウェイを使う…免許は他国のでも使える筈ー。
うちの国特有と言えば、そうだなー…雷様が法より上に立ってるから、諦めること、かなー?」
全然自分達の国とは同じでない部分が多い点については、三人とも頑張って黙殺した。
「諦めること、ですか。例えば、…記憶を改ざんされたりは?」
「人同士なら勿論、同意無しだと違法だよー。合意ならそういう治療もあるから大丈夫。でも雷様にされたなら、仕方無い。意志とか関係ない。諦めてねー」
「さっき、されてたわよ」
「んー、そうなんだ。でもね、そういうの、言わなくていいよー。悲しくなっちゃうからねー」
ニコニコしていたクリスの笑顔が突然スッと弛んだ。少し眉を上げて真っ黒な目をしばたきサンリアを見つめる。少女は射竦められた様に身を硬くした。
「そう…なの」
「うん。雷様を否定するならこの国には居られない。でも、消された記憶は何だったんだろう?って、気になっちゃうのは仕方無いよねー?そしてその答えはほぼ確実に得られない。理由があって消されたなら、周りに聞いて補完したところでまた消されるのがオチだからねー。絶対に思い出せない禁忌の過去。ね、不安になるでしょ?悲しいでしょ?だから駄目だよー」
「分かったわ。ごめんなさい」
「いいよいいよー。それでも雷様の庇護下にいるのは俺達自身の意志だから。良い事の方が多いしねー。人の目は誤魔化せても神の目は誤魔化せないから。雷様に誓って、と言えば雷様が判断してくれる。問題の解決で揉めることは殆ど無いんだよー」
クリスは右頬を人差し指でトントンと叩いた。
「雷様は、いつでもどこでも見ててくれるのか?」
「見てる。見てるし、その時見てなくても遡って見られる。雷様の機能の一つらしくて、雷様には何の造作もない。だから誰も悪いこと出来ないし、多分他の国より平和だよー」
「何も悪いこと出来なくて、息苦しくはならないですか?歓楽街とかはあるの?」
「あるよー合法だよー。悪いことしなくてもちゃんと楽しく生きられるよー」
「ならちょっと安心したけど。僕が浮いちゃうと困りますからね」
「まあ、今更貴方に遊ぶななんて言わないけれど。…本来の目的は忘れないでよね?」
「わはは、武闘会もセルシアさんのいい娯楽になるといいよねー!ささ、そろそろ僕らの街トニトルスに到着するよー。なるべく瞬きしないでねー」