雲の街から来た男
その晩レオンはいつになく興奮していた。ひと煮立ちしたスープにセルシアが狩ってきた鴨肉を入れてかき混ぜながら、昔見たアニメの主題歌を歌っている。
「雲の中の街か!天空の城ってやつかなぁ!」
『ワシは行ったことがあるが、まあお楽しみに、というやつじゃな』
「くうぅ!ワクワクする!!」
「どうやって昇るのかしらね。またウィングレアス頼みになるのかな…」
「それは大丈夫!俺がパス申請してきたからー」
「なら良かっ…誰!!?」
サンリアが文字通り宙に飛び上がる。レオンは咄嗟にお玉を構える。セルシアは、
「あ、来ましたねクリス君」
「ハーイ、ご相伴のお誘いありがとーセルシアさん」
なんて謎の男とハイタッチしていた。
「「知り合い!?」」
「夕餉の狩りの時に出会ってね。例の雲の街から来たそうだから少しお話ししたんです」
「ナチュラルボーンコミュ強だ…」
「どもどもー俺はご紹介に預かりましたクリスッス。雲の街から森の調査しに来てる十八歳だよ!よろしくねー晩御飯ありがとーいただきまーす」
クリスと名乗った謎の男は硬直するレオンからさっとお玉を取り上げ、セルシアから器を受け取りスープを啜り始めた。
「うおっ何これ美味しいなー!野宿でこんなの作れるの天才じゃね!?ライオン頭君すごい美味しいよー」
「味付け私ですけど!?…じゃなくて!!」
漸く我にかえり、サンリアが空中から反応した。
「貴方何者なの!?森の調査?この森がどういう所なのか知ってるの?」
突然の闖入者に一切油断はしないぞ、という態度で彼女は上空から声を張り上げた。
「知ってるよー。最近ちょっと怪しい動きしてるんだよね、この辺りの森。森がそんな活発に動く訳無いだろー!って感じなんだけど、拡がってるのは間違いなくてさー。
ちょっと偉い人に相談したら、じゃーお前が調べてこいって言うもんだから、こうやって調査してたってワケ」
「…ちょっと、セルシア!?」
「渡りに舟かと思ったのですがねぇ?」
セルシアはちらりとじーちゃんを見る。じーちゃんは如何にもただのフクロウですという顔をしてヒョコヒョコと頷いた。
サンリアはそんなじーちゃんの様子を見て、今はこれ以上議論できないと判断したらしく、渋々地面に降りてきた。レオンから器とスプーンを受け取り、ぴったりと彼に引っ付いて座る。
レオンはびっくりして彼女を見たが、サンリアがクリスを睨み付けて動かないので、少しだけクリスからサンリアを隠すように座り直した。
「セルシアさんもだけど、君も面白いの持ってるねー。今のはARじゃないし、それが端末?オシャレな形してるねー。全く動作音がしないの羨ましいなー」
クリスがウィングレアスを覗き込もうとするので、サンリアは更にレオンの陰に隠れた。
「あの。セルシアは知らないけど。私は貴方といきなり仲良くするつもり、ないわよ」
「おっと、ごめんねー。そうだよねー怖いよねー。でもセルシアさんとは取引したし、君達にも悪いようにはしないよー!あの街に入るつもりなんだろ?パス失くしたってのはびっくりしたけど、住民が話通せば再発行も簡単だからさー。晩御飯代だと思って受け取ってよ」
「そうそう、大きな崖で大変な目に遭ったところでしてね。助かりました」
セルシアは舌先三寸で話を合わせている。余計なことを喋ってボロが出てはいけないので、レオンはこの場をセルシアに任せることにした。
クリスは焚き火と月の明かりだけではよく分からないが恐らく暗い色の髪と瞳で、少し肩に届きそうな短髪がレオンに兄を彷彿とさせた。森の調査と言う割には軽装だ。
「いやー、まさか夜の森に泊まれるとはねー。晩御飯と寝床の心配をしなくていいってなったから、今日の調査はかなり捗ったよーホントありがたいなー」
「それなら良かったです。僕達も無理矢理昇るか?なんて攻めあぐねてたので助かりました」
「わはは、それはちょっと見てみたかったかもなー!まあ雷様にゴミと間違えられて落とされるのがオチだったかなー。あ、そうだARはビジター回線なら無料だから。インプラント式?だよねー?見た感じ。事故でメンテが必要ならいい店知ってるし紹介するよー」
「本当ですか?実は僕達、全くカクチョーゲンジツ、使えなくなってて。どうしようかと」
「うわー、マジかー!全くって全く?そりゃあ大変だなー。じゃー落ち着いたらメンテ前に医療モジュール入れるとして、とりあえずヘッドセット借りるかー、さっき言った店連れて行くよー無いと不便だもんねー。目は見えてる?耳は聴こえてそうかな?手足も普通に動くよねー?」
「…ねぇ、大丈夫?セルシア…」
(多分大丈夫ですよ。ボロが出そうになったら殺しましょう)
(物騒過ぎる!)
耳元に届けられる囁き声に、思わずレオンとサンリアは目を瞑った。
クリスは食事を終えて暫くセルシアの歌に聞き惚れた後、無防備にも大きな欠伸をしてその場で寝始めた。
「ねえ、さっきのこいつが話してたこと分かった?」
「Augmented Reality…拡張現実。いえ、翻訳機能は言葉の変換はできても、概念まで届けてくれるものではないみたいですね…」
「俺、多分ちょっと分かるぞ。俺の世界にもあったモンだから。ただ体に埋め込むとか無いと不便だとか、そこまで発達はしてなかったけど」
「どういう魔法なの?」
「いや、魔法じゃなくて技術だよ。うーん、装置を使って、そこにないものをあると見せかけるんだ。目を騙す感じ。あ、音もセットなこともある。家にいながら旅行できたり、リアルなゲームできたり」
「光の剣と音の剣の力が合わさったようなものですかね…」
「あー、そうかも。そうか、グラードシャインで似たようなことも出来るか…」
レオンは何かを思いついた様子で黙り込んだ。
『雷様と呼ばれていたのは、あの街、あの国のトップじゃな。そして長の一人じゃ。じゃから街に入ったらワシはまずそやつに接触する』
「そういえばじーちゃん、さっきは何で黙ってたの?念話なら別に、セルシアの囁きみたいに私達にだけ届ければ良かったじゃない」
『ワシ、そんな器用じゃないからのう。一対一なら良いんじゃが、一対多に届けようと思うと、半径こんだけと決めた範囲内の人間には漏れなく聴こえてしまうのじゃ』
「え…そうなんだ。うわぁ、知りたくなかったわ」
『なのでクリスが起きたらまた黙るぞい』
「実際の声ならむしろ普通に話していただいても、クリス君に対して今も眠っているけれど一応やってるみたいに、音の剣で聞こえないようにできるんですが…念話は難しいですね。分かりました。
ところでおじいさん、雷様ということはもしかして、この世界にある剣はプラズマイドですか?」
『その連想の通りじゃ。雷様が保管する雷の剣、プラズマイド。電場と磁場を操る強力な剣じゃよ』
「雷を落とせるの?怖いわね…」
『雷も出せるし炎も出せる。宙に浮かぶものを地に引き摺り下ろしたり、逆に彼方に飛ばすこともできる』
「炎は、炎の剣の領分では?」
「俺も火はおこせるぞ。太陽があればだけど」
「ああ、確かに。つまり専門ではないけど出来はするってやつですね。僕のティルーンみたいな」
「ええっ!?セルシア、ティルーン弾きじゃなかったのか!?」
「僕は主に歌かなぁ。弦楽器では、ティルーンより小型で片手剣を仕込むサイズのトーリという楽器をよく使ってました。ティルーンを始めたのはオルファリコンを手に入れてからですね」
「それ、つい最近ってことでしょ?すごいわね」
「いえ、弦の数が違うのに慣れれば、ティルーンの方が今の僕の体格には合ってるので。トーリは子供の頃から使ってましたからね」
『…話を戻すぞ。プラズマイドは雷様が管理しておる。彼奴はメイラエやワシとは違い半人半神じゃから、まず間違いなく無事に英に渡すことができるじゃろう』
「はんじんはんしん?」
「半分人間じゃないってことですか…?」
レオンとセルシアは首を傾げた。レオンは、単に言葉の意味が分かっていないだけだったが。
『神、という概念が薄い世界もあるようじゃの。ここでは信仰の話は抜きに、人智を超えた力を持つ者を神と考えればよい。力であれ魔法であれ、人の扱えるものを遥かに凌駕する。
例えばあの街は、全体が雷様の造った雲に百年単位で覆われておる』
レオンは昼間見た巨大な雲を思い出した。故郷なら災害級の積乱雲だ。それを百年維持するとは…それこそ本当に高度な科学か魔法か、神様でもなければ実現し得ないだろう。
「あれは魔法の雲だったのか…」
『十分に発達した科学は魔法と見分けがつかないもんじゃ。ワシにはあの雲の絡繰が分からんから魔法じゃろうと思っておるが、あの街が科学的に比類なく発達しておるのも事実じゃ。
あの街はな、森の影響を受けぬように雷様が浮かせたのじゃ。森の侵攻について、この世界は既に雷の剣以外にも対抗策を用意しておるということじゃ』
「なるほど、かしこい」
レオンは馬鹿みたいな感想を述べた。
『…よいか、雷様は人の血を引いてはおるが、その実態は神じゃと思うがよい。そしてその血縁が英、雷の剣の主じゃ。失敗は許されん、必ずイグラスに奪われる前に見つけ出し、味方につけよ』
「この世界にいる仲間は神様の子ってことですか?すぐ見つかりそうですね…でも、雷様がご健在なら、イグラスなどに奪われることはないのでは?」
『…雷様は数百年を生きておる。この街の殆どが血縁と言って良いじゃろう。誰が候補なのか、見つけるのは困難を極めそうじゃよ』
「あー、神様あるあるだな…」
「あるあるなんですね…?分かりました、モタモタしてるとイグラスの手が掛かる可能性も…」
セルシアが言い終える前に、突然焚き火からバチバチと火花を弾いて輝く蝶のような塊が出現した。
『その通り。故に、この機に武闘会を開くことにしたのだ』
殷々と頭の中に男の声が鳴り響く。レオンが思わず眉をひそめて耳を塞ぐと、蝶の輝きが少し小さくなり、声も平静で聞ける大きさになった。
『…雷様の伝声蝶じゃな?聞いておったか』
様づけで呼ぶ割に、声の主に対するじーちゃんの態度は気のおけないものだった。
『庭先で話されているようなものさ。ナギラの念話は相変わらずうるさい』
『わーるかったな!!で、武闘会じゃと?』
『ああ。生憎人の子供達はどんどん入れ替わってしまうので、どの子が英なのか決まらなくてな。戦わせて一番強かった子を英に据える予定だ。
お前達が到着する前に決めておきたかったが、案外早かったじゃないか。大会は二週間後だ』
蝶がひらひらとレオン達の頭上を舞う。
『勿論、剣の仲間達は腕試ししていくだろう?』