気付けば異世界
「本当に、何でもない森が異世界に繋がるんですね」
セルシアの街の傍にある森が、彼の記憶に反して一日経っても抜けられないのを知って、セルシアは納得しつつ驚嘆した。
「ああ、俺も、近所の森からこの世界に出たんだ」
家を出てまだ二週間ほどしか経っていないのに、レオンは懐かしささえ覚えた。
『普通の人間には知覚出来ぬ坂道に乗っていると思えばよい。あまり違和感なく進み、気付けば異世界、という訳じゃ。
この違和感なくというのが危険で、油断すると世界の境界が侵食されてしまう。今まさに起こっていることがそれじゃ』
先頭を進み風の剣を使い道を拓くサンリアの肩で、じーちゃんが高説を垂れる。
「イグラス、夜の都、でしたっけ。その人々が森を操っているのですか?」
『うむ。かの国が信仰するのは夜の神、その加護によって繁栄してきた。元々彼等にしか渡れぬ森を産み出したのがその神じゃ。森を拡げていくだけで勝てる一方的な侵略じゃった。
しかし森によってイグラスの世界と接続されたことを知覚した世界の人々は、対抗として、イグラスの民の血を混ぜた選ばれし血族を用意した。
これを受け継ぎ血を繋ぐのがワシら長、イグラスが侵略に転じた際に対抗するのが、お主ら英というわけじゃ』
「俺達全員親戚ってこと?」
『そんなこと言い出したら隣国にまで親戚ができるぞい。血の繋がりなど横にはほぼあるまい』
「そういうもんか」
そういえば叔母さんなんてのもいたな、その旦那さんはもう他人だしな、とレオンは納得した。
「僕の場合は、親戚が誰か分からないですが」
『音の民は特殊じゃな。本来お主の兄が長になるべきだったのを、メイラエが受け持っただけじゃ』
兄に言及されたが、セルシアは全く動揺することもなく話を続けた。
「なるほど…?メーおじさんに托したのは誰だったのかが気になりますね」
『長が絶えた場合、他の世界の長がその血族を探して新たに長を任命する。これから向かう国の長が接触したはずじゃ』
「長が絶えたっていうのは分かるものなのですか?」
『詳しくは話せぬが、長は定期的に連絡を取り合っておる。また、一部の者はワシらよりも気軽に世界を渡ることができる。
と言っても、最悪レオンの時のように数年放置してしまうこともあるな。お主がグラードシャインを手に取ったのは本当に偶然じゃった』
「俺…いや、そうなのか」
手に取った時に死んだサレイ母さんの声を聞いたのだと、彼は言いそうになった。
しかし、サレイを騙る者が暗躍し、じーちゃんなどは生存していた母本人であると考えているらしい。サレイ母さんは黒髪だった、と主張したが、髪の色を変えることなどたやすかろうと一蹴された。
もしそうならば、母がレオンを邪魔するならともかく、剣を取るように勧める訳がないではないか。グラードシャインと一体化した宝石も、彼女からの贈り物だった。
光の剣に関しては、サレイはレオンの味方だった筈だ。
彼は沈黙を選んだ。信じたいものを信じるためだった。
セルシアは、ティルーン以外にもいくつかの楽器を持参していた。音の民の楽器は、旅先でトラブルを回避するため、大抵が仕込み武器であったり他の用途に使えるものであったりした。
夜営中、セルシアが道具を広げていたので、レオンとサンリアは物珍しそうに眺めた。
「よく考えるわねー。このティルーンのカバーに刺さってる棒は弓?」
「そう、弓です。矢は少ないですがここに入ります。ティルーンと組み合わせて楽器としても使えるんですよ。調整は必要ですが」
「この黒い石は何だ?」
「火打石兼ナイフ兼打楽器ですね。鍋とセットで使います」
「マントの下に鍋背負ってるの見た時は笑ったけど、これも立派な打楽器だったなんてねぇ」
「ふふ、何でも楽器にしちゃうのは僕らのお家芸って感じかな。荷物を増やすなら一つでも多くの楽器をって人種だから」
「弓持ってるってことはセルシア弓も上手いのか?」
「まあ、得意な物しか持ってきてませんよ、今回はね」
「じゃあ晩御飯も豪華になるわね」
「獣捕るなら壊れるかもしれない物使うより、音の剣で脳を破壊した方が絶対良いと思うな。それでもいいですか?」
「あ、それはそうね。勿論よ!」
「そうか、音の剣すげえな…その人にだけ聞こえるようにとか、その逆もできるなら、暗殺や混乱起こすのだって簡単ってことか」
「ふふふ」
セルシアは悪い笑みを浮かべた。
(こうやって内緒話もできますよ)
唐突にレオンの耳元で甘やかなテノールの囁き声。
「ひゃあ!!?」
「な、何よ!?」
「セルシアてめーいきなり!ぞわっとした!あー鳥肌!!」
「あはは、ごめんごめん、使ったこと無かったから。次はもう少し加減するね」
「俺で実験するなー!」
翌朝、順調に続いていた旅が壁にぶつかった。
物理的に。
「崖ですね」
『崖じゃの』
じーちゃんは暫く高い空に旋回し、やがて力なく降りてきた。
『割とずーっと続いとるなー』
「迂回できませんか…」
「となると、サンリアだな!」
「私一人なら確かに余裕だけど…他の二人はどうしようかしらね」
「吹き飛ばすとか?」
レオンが提案すると、セルシアがげえっという顔をした。サンリアが頷く。
「それじゃ、レオンひとっ飛びしてくれる?」
「え、俺から?」
「言い出しっぺだしね?」
「ちょ、ま、話し合」
「〈上昇気竜〉!」
流じゃないのか、というツッコミをする間もなく、レオンは上空に吹き飛ばされた。崖など遥か眼下に過ぎ去った。辺り一面森、森、森。遠く霞み、果ては分からない。
遥か彼方に大樹が見える。梢には黒い靄がかかっており、美しいというより禍々しい印象を受ける。
視線を太陽の方に移すと、すぐ近くに異様に大きい雲があった。そこだけ切り取られたように森がない。
と、ついに上昇が止まったらしい。ということは…
「あ、いや、やめあああああああああああ!!!」
レオンは真っ逆さまに落下しだした!
「サンリアちゃん、あれ大丈夫です?」
「うーん、加減が難しくて…まあ、何度かひらひら上下したけど、多分最終的には怪我する勢いでぶつかってはない筈だから…上に見に行ってくるわね…」
「上に行くなら折角だから僕も一緒に連れていって下さい。僕がサンリアちゃんを抱いた状態でウィングレアスを使って貰えれば」
「だ、抱くのはちょっと!腕組みとかでいいかしら!!」
サンリアは少し顔を赤らめながらセルシアの腕にしがみついた。余った手でウィングレアスをぶんと振ると、セルシアとサンリアは凄い勢いで上昇し、あっという間に崖を昇り切った。
しかし体を引っ張られる感覚は強くあったものの、風を切る感触はなく衣服も乱れず崖の上にストンと着地できたので、セルシアは驚いた。
「凄い凄い。僕達の周りの空気ごと移動したのかな?全然辛くありませんでした」
「そうね、私はいつもこうやって移動してるから」
「…じゃあレオン君は無駄な犠牲でしたね」
「三人まとめてだとちょっと負荷が大きいからレオンはこれでいいの」
腕組みが恥ずかしかっただけでは?とセルシアは勘繰ったが、すぐ側でのびているレオンの二の舞にはなりたくないと思い黙っておいた。
「舌噛んら…」
「ごめんなさいね。楽しかった?」
「うう…目がまだ、回ってるんだよな…絶叫系、嫌いじゃないけど、…これは暫くは勘弁だな」
『ところでレオン、見たかの?』
ぱたぱたと飛んでいたじーちゃんが、レオンの傍らに降りて声を掛けた。
『雲を見なんだか?どっちの方角にあったかの?』
「雲?…雲って…ああ、そういえばむちゃくちゃ大きいのが、太陽向いてほんの少し右手側にあったな」
『そうかそうか。大体合っとったな』
「もしかして、おじいさん。次の世界って」
『ああ、雲の中の街に行くのじゃ。このまま近くまで行って、明日の朝突入するぞい』