祝福の交換
祝福を交換する、というのは、この世界で共に宴会をする、という意味らしかった。そこで音の民から音楽による寿ぎを得ることを有難がるものらしい。ただし、宴の席は音の民側が用意する。彼らなりの自衛なのだろう。つまりウイリマは台所番という訳だ。
本来なら祝福を交換、というだけあって、先立つものが必要らしいが、今回はセルシアの自腹で全て賄われた。それを全て後で聞いたレオンは、このひと癖ありそうな優男に借りを作ったのではと焦ったが、セルシア当人は「どうせ僕の財布が意味を成さない所に旅立つのだし」と気にしていないふうだった。
セルシアの心中には、レオン達のおかげでメイラエ氏を救えた、という大きな恩義があった。
それはたった一度の宴会とは釣り合うはずも無かったので、むしろ逆に気にしており、しかし素直にそれを口にする男ではなかった。
かつてメイラエであった怪物は、蒼い宝石を取り込んだレオンの剣から光を注ぎ込まれ、そのまま散った。
闇と混ざり過ぎたのか、遺体も残らなかった。救えた、とはセルシアの主観である。
あのまま怪物として在るよりは、幾分か救いのある最期だった、と。
セルシアは、宴の席では感傷的な顔など全く見せずに、音の民の役目を果たした。
飲み食いの合間合間に英雄譚、祭りの曲、新年の曲、レオンやサンリアモチーフの即興曲、二人には少し早いですか?と茶化されながら愛の曲、サンリアのリクエストで何故か別れ唄、そこから流れるように応援歌がレオンに向けて歌われ、レオンは慣れない酒精もあってよくわからないがいいきぶんで、そとのかぜにあたってくるよ、と宴の席を抜け出した。
背後で、それじゃあ飲み比べする人ー!なんて不穏なサンリアの声がして、ぬけてせいかいだな、と彼は笑顔になった。
「レオン君。剣を忘れてますよ」
セルシアが後から出てきて、天幕の傍のベンチに座っていたレオンに剣を手渡した。
「お、おう、けん?たしかに。おいてきた」
「大丈夫ですか?酔って夜盗なんかにやられないで下さいよ。外に出る時はちゃんと帯剣してね」
「…え、こわ…ちょっと酔いが醒めました」
「良かったです。…君はホント、平和な世界から来たんだね…」
「そうだなー。基本的に警察がちゃんとしてるから、そんな犯罪万歳みたいな街ではなかったけど。でも、この世界より武器は発達してたかな。ここに銃とか無くて本当に良かった」
「ハジキ?うーん、確かに聞いたことのない単語ですね」
「あー、同じ物がないと、二重翻訳かけたみたいなことになるんだな…」
頷きながら、何でそんなヤクザ用語が翻訳に選ばれたのだろう、とちょっと気になるレオン。この街の治安の悪さに対する自分の印象がそのまま反映されているのだろうか。顔だけは優男なセルシアからそんな単語が飛び出すのは面白過ぎるからやめてほしい。
「銃は飛び道具で、めちゃくちゃ簡単に人を殺せる武器。で、しかも弱い人でも体を鍛える必要なしに扱えるから、例えばこないだのアルソエなんかが持ってたら、俺もセルシアも下手すりゃ一発で即死」
「うわぁ…」
セルシアは嫌悪感を顕わにしたが、
「これから行く世界に、そういう最悪掛ける最悪みたいなところもあるかもしれないと覚悟しておかないといけないか…」
と難しい顔をしてレオンの隣に座り、考え込む様子だった。
「そうだな、魔法とか使われたら俺、全然ついていけないし。本とか漫画とかゲームの世界だし。この剣が俺に扱える魔法なんだったら、カツヨーホーホーを色々カンガエテ…むーん…」
「…僕もいいアイディアを思い付いたら教えてあげますね…」
セルシアは気の毒そうにレオンを励ました。
「あれ、そういえば、旅に出る決心はついてるのか?」
「え?それはもう、とっくの昔についてますよ。オルファリコンを手にした時から。言いませんでしたっけ?」
「はっきりと確認してはなかった気がするけど。でも、すげーな」
レオンは思わず正直な感想を述べてしまい、セルシアに怪訝な表情を浮かべさせた。
「いや、俺は。全然実感湧かなくてさ。夢でも見てるんじゃないかと思ってるフシがあったんだ。
世界を、救う?この白い不思議な剣一本で?
しかも、この剣は本来の形じゃない、らしい。それって、俺はこの剣の本当の持ち主じゃないんじゃないか?
そういう気持ちがずっとあった。メイラエさんとの戦いの時までは。
でもあの時、俺がこの剣を使う、この剣の光の力を使って、メイラエさんの闇を払うんだってはっきり考えた。そうしたら、サレイ母さんの形見が、俺の宝物が、この剣にくっついて離れなくなったんだ。
だからもう、手放せない。この剣に、この旅に意味があるんなら、それで身内が助かるんなら、やり遂げるしかない。
そういう気持ちなんだ、今。俺が世界を救ってやるんだ!とかじゃなくて。
だから、セルシアが世界を救う旅に出るって決心がついてるの、すげーな、って」
レオンが訥々と話すのを、セルシアは黙って聞いていた。が、ややあって首を横に振った。
「世界を救いたい、なんて大それたこと、まあ僕なら出来るかもしれないけど。それを目標にしてた訳ではないんです、実は。
…兄を、ヨナリアを捜したかったんだ。旅に出ればもしやと思ってた。巡業しても手掛かりは見つからなかったから、音の民の領域から出たのは間違いない。
まあでも、違う世界に行った可能性も、恐らくないんですよね。彼は音の民でもないですが、特に選ばれた人間でもなかったから。
だから、サンリアちゃんに違う世界を旅していくのだと言われた時は、正直聞いてないんだけどー、って思いましたよ。
で、逆に、好奇心が湧いてきたんです。きっと見たことのない景色、語られたことのない唄がある。今回はそれを収集して周り、いつかヨナリアに聞かせてあげられたら、それはただ探す旅よりもきっと素敵だ」
セルシアはレオンの理解力に合わせてゆっくり話してくれたので、レオンは少し遅れながらも頷いた。
「兄貴が好きなんだな、セルシアも」
「おや、レオン君にもお兄さんが?」
「いるよ。子供ができそうなんだ。すごいよな、子供ってどうやって作るんだろな。
…え、何?その目」
「いえ…いや…え、大丈夫?」
「何が?」
「ははぁ、なるほど、違う世界…」
「勝手に納得しないで!?」
「同じ人間だと思っていたけど、まさか」
「目が違うとか耳が違うとかじゃなくて!?いや同じ人間だと思うぞ!!?」
「信じられない…思春期といったら子作りなのに…」
「え、俺の年十五だぞ?子供作ってる人いるの?」
「ウイリマは作ってたなぁ。僕は音の民だから作れないけど」
「ほへー、子持ちとは…え?なに、そういう決まりなのか?じゃあ音の民はどうやって増えるんだ」
「増えるって、人をネズミか何かみたいに…。
音の民は、普通の人々から稀に生まれるんです。僕ら音の民は、一代限りなんですよ。
別に決まりがある訳じゃなくて、子供が出来にくいんです。全く出来ないということでもないらしいんですが、僕もエルマリ達も今のところ出来てませんね。
きっとものすごく低い確率なんでしょうね」
エルマリさんとの子供。見たかったなぁとレオンは思い、それってどういうことだ!?と自分の思考に焦って真っ赤になった。
「…何をそんなに鼓動荒らげてるのか知りませんが、エルマリとでもしたくなったんです?」
セルシアが低い声で薄く笑う。そうか、彼は耳がいいから俺の心臓の音までバッチリ伝わるのか、とレオンは余計に焦った。
「いやでも、子供は出来ないって。そのう、セッ…の仕方も知らないし」
「子供が出来ないからこそ出来る練習もあるんじゃないですかねぇ」
「だ、だってほら、まだ体感時間一日!全然知らない人!シオンが好きな人じゃないと駄目だって」
セルシアはレオンの慌てようを楽しんでいたが、少し真顔になり、頷きながら彼の肩を叩いた。
「そういう信仰がある国もあると聞き及びます。僕はレオン君みたいな人、嫌いじゃないですよ。頑張ってね」
「この国は違うんデスカ」
思わず距離感を丁寧語で表してしまう。
「音の民との祝福の交換にはそういうオプションもありまして…。全てはお気持ち次第…。いや、ミリヤラがサンリアちゃんに僕を紹介したって聞いた時は押し付けたなって思いましたが…」
アッと声を上げてレオンは飛び上がった。隣に座っていたセルシアの両肩を掴む。
「セッ…したの、サンリアと」
「いや、さすがにしてないですアルソエじゃあるまいし。あと二年下さい」
「駄目です二年経ってもしないでください」
「はい」
セルシアは肩を揺さぶられ、笑いながら頷いた。まあ二年経たないと分かんないけどな、という笑みも含まれていたが。
「はっ、そういや、あのクソ野郎アルソエはどっちだったんだ?サンリア大丈夫なのかな」
「んん?あれくらいじゃ…まあ、音の民でしたよ、奴も一応。趣味が悪いからいつもあんなことしてましたけどね。取り巻きには音の民じゃないのもいたから、早めに駆け付けられて良かったです」
「そっかぁ、それなら…いや駄目だよ駄目…万一とかもあるし、できなけりゃいいってもんでもないよぉ」
レオンはセルシアの肩をバシバシ叩いた。
「兄貴はねえ、ちゃんと好きな人を見つけてちゃんと幸せになるんですよ。だから子供ができてもいいわけ。
セルシアはサンリアに子供が万一出来たらどうするの?駄目でしょ?だめだあ…そんなの…俺が守らなきゃ…」
「分かりましたよ…大丈夫ですよ…ほらほら、泣かないで。お兄さんが幸せになる、まで聞きましたよ」
「そう!だからね、その幸せは守りたいなーって思うんだよ。だからね、世界を救う旅なんかに出ようと思ったわけ。あとまあ、居場所も無くなるし、丁度いいやーってね」
「サンリアちゃんの隣がレオン君の居場所になった訳ですね」
「ばっか!何!言ってんの!!ばーか!」
惜しむらくはレオンが酔いの醒めた翌日、子作りのくだりをまるっとすっきり忘れてしまっていたことか。
勿論夜を渡るフクロウの記憶にはしっかり刻み込まれているのだった。