恵みの司教と清水の司教
夜明けの神が降臨なさってから一年半後。
玉犬達がイルカの姿で海を飛び跳ね、ぽんと跳んだかと思うと狼に戻って大樹の根に飛び乗った。赤い髪の女司教が、聖職者らしからぬ作業着を着て何やら大樹の枝の上で野良仕事をしていたが、玉犬達の姿を認めると笑顔で声を掛けた。
「おう、お帰り。たらふく食ってきたか?」
わんわんと玉犬達がはしゃぎながら幹を駆け上る。そして、彼女がいる枝まで到達すると、急にその場をぐるぐると廻って催しだした。
どしゃあ、と土が枝の上に排泄される。玉犬の主食は岩や土、砂なのだ。
海底の土砂は塩分が多く農作業に適さない。しかも、樹上に引き上げるのにも手間と労力がかかる。それを一気に解決してくれるのが彼等玉犬達だった。玉犬達は土の中の塩分などを消化し、植物が耐えられる程度のミネラル含有量に変えてくれる。更に、イルカの姿で海底まで潜って食事をし、狼の姿で枝まで上って排泄してくれるので、土砂を運搬する必要もない。
人々は最初こそこの巨大な神狼達を怖がっていたが、大層役に立ち、しかも人に馴れていて温厚だと分かると、手の平を返したように有難がった。
そしてその玉犬達を従える女司教も、尊敬の眼差しを集めていた。一見男勝りで気性が荒そうだが、その実思い遣りがあり誰に対しても飾らず分け隔てなく接する彼女は、密かに豊穣の女神などと呼ばれることもあった。胸の大きさのことではない、念の為。
「豊…インカー様!これ神さんと司教の皆様で召し上がって下さい!」
「ホウって何だ?…うわ、すごい量のニンジンじゃないか!こんなに貰ってしまったらお前らの取り分がなくなるだろ。長命種はメシなんか殆ど無くても大丈夫なんだから、お前や家族と皆で分けろ」
「そんなこと言わんで下さいよ、勿論私らの分もありますで!折角初めての収穫なんだから、神さんに捧げてご加護頂きたいんでさぁ」
「そうかい、足りてるなら遠慮なく頂くよ。まあアズ…武神サマはニンジン嫌いだけど…私の腕で何とか食わせてみせるさ」
インカーはお日様の様な笑顔で喜び、人々はもうそれだけで祝福を得た気分になるのだった。
「インカーさん遅くなりました!お待たせしました〜」
水色のワンピースを着た女司教が駆けて来る。
「フィーちゃん!よく来てくれたね、…髪濡れてるぞ」
「あっ、急いでて忘れてました…ん〜!」
彼女が頭を振ると、彼女の髪を濡らしていた水がぱらぱらっと吹き飛び、周囲に水滴になって漂う。その一瞬で髪は乾いていた。
「どうせなのでこれも使いますね。それじゃ、いきますよー…それ!」
彼女が両腕を拡げると、真水の塊が彼女の頭上に出現した。
「ん、十分だ。それじゃ今日はあっちの枠の中お願い」
「はーい」
フィーネが水を操り指示された畑に水を遣る。
「毎日来てくれてありがとね、助かるよ。…ところで遅くなったのって」
インカーが尋ねようとするとフィーネが頬を赤らめたので、なるほどね、とインカーは納得して追及を避けた。別に羨ましくはない。羨ましくはないが、今日はちょっと本の虫を誘い出してみるか、と彼女は図書室のある学園を見下ろした。
「あら、二人はここにいたんだ」
ふわりとサンリアが降りてきた。彼女は今学園に編入し、魔法の勉強をしている。休日の筈だが、自主的に飛行訓練でもしていたのだろうか。
「おお、サンちゃん。中々魔法少女も板についてきたねー」
「や、やめてよその呼び方…今の私は魔女見習いってとこよ。ウィングレアス持ってた頃は魔法少女だったかもしれないけど、今はちゃんと勉強して自分の力で飛べるようになってるんだから」
「何が違うのか…門外漢には分からんな。そうだ、今日ニンジンを頂いたんだ。皆様でどうぞって言われてるから、サンちゃんも是非来てよ」
「あら、良いわね。アザレイも何とは言わずに連れてくわ」
サンリアが企み顔でニヤリと笑う。アザレイは今学園で体術の指導をしている。小柄な体から繰り出される強烈な技のキレに、武神先生、武神様、などと呼ばれているが、元が貴族なので意外と食に好き嫌いが多い。そこでインカー達はあの手この手で克服させようとしているのだった。
人の世界はあの時から、とても狭くなった。嫌いなモノ、苦手なモノとも和解していかなければ生き残れないからな、とインカーは青い空と青い海を見渡し笑みを浮かべる。女神の様な微笑みを。