石と音楽の都
レオンとサンリアは慣れない森をたくましく旅していた。次の剣の仲間を迎えに、新たな異世界へと向かうために。
「着いたっぽいわよ」
「…早!」
旅立って三日目の朝。森の中を最短ルートで進んで来たのだとしても、別の世界から来たにしてはちょっと早すぎである。
「でも…遠いな」
目の前にあるのはただ限りなく広がる草原。遥か遠くに僅かに黒い城のような街のような影が見える、それだけだった。舗装された道すら近くには見当たらない。小規模な集落がある訳もなく、それが近代的に開発された街や畑しか知らないレオンには、ひどく未開で、そして贅沢に見えた。
「うーん、そうねー!よし、競走しましょ」
「え!?」
「当然でしょ、一刻を争うのよ。早く行かないとー」
「楽しそうだな…単に走りたいだけじゃないのか?」
「まぁ、まぁ」
サンリアはニコニコしながらはぐらかした。
(まぁ、十三歳の女の子なんかに俺が負ける訳ないけどな)
レオンは心の中で微笑んだ。
「途中で倒れても知らないぞ?」
「そっちこそ!よぉし、じゃあ…よーい」
『ホウ』
(だ、駄目だ…気が抜けた…。)
レオンはつんのめった。
隣のサンリアも額に手を当てて「駄目だこりゃ」のポーズをとっている。
「じーちゃん、いきなり気の抜けた声出さないでよ…」
『済まないのう。じゃが、実験は成功したぞ、と言いたくてのう』
「実験?」
サンリアは目を円くして首を限界まで傾けている。その隣で、
「あ、あれか。成功したのか!」
レオンは素直に喜んだ。が、
ガン!!
サンリアにグーで殴られてしまった。
「ちょっと、どういう意味!?」
レオンは肩を押さえ痛みに耐えながら話した。
「一昨日の夜頃から、じーちゃんと話してたんだ。どうやったらじーちゃんが昼でも話せる様になるのかって。
んで、思い付いたのが、じーちゃんの周囲だけ夜にしようって案だ。じーちゃんの周りを減光することで〈夜〉みたいな状態になるんじゃないかってね」
『そして、成功じゃった』
「…じゃあ、じーちゃん、これからはいつでもお喋りしたい時に出来るのね!?」
『そういうことじゃ。グラードシャインの力は、抑えられていても凄いのう…』
レオンは鞘に納まっている剣を見遣る。
剣は、レオンが〈夜〉のイメージを明確にして、条件なんかもしっかり考えてから祈ると、驚くほど呆気なくその術を遂行してみせた。翻訳機能と同じく、一度発動してしまえば、柄を握るどころか意識する必要すらない。しかし、確実に彼の体力の一部を今も吸い続けているのだろう。
少し欲張るとすぐにレオンの体力を奪っていく、美しく危うい光の剣。
一昨日の熊との遭遇で、レオンは既に一度危険に晒されている。
遠くの光景を集めることと、対象の光を奪うこと。それらを同時にやろうとして、彼は失神しかけたのだった。
これで力は抑えられているという。本来の力とやらを引き出すとなれば、負担も増えるに違いない。それを彼が十全に使える日は来るのだろうか。
それとも、やはり本来使うべき人間が他にいるのではないだろうか。
(どうして、俺なんだ…)
それは、彼が〈選ばれし者〉だからだった。だが、彼はそんなことは識っていて、信じられずにいた。
(どうして…俺なんかが…)
あのまま剣を抜かなければ、もっと相応しい誰かが抜いたかもしれない。
サンリアとじーちゃんで、その誰かを探し当てていたかもしれない。
そういえばあの時、謎の声も言っていた。まだ足りない、と。
真実を見せよう、と。レオンの不安を先読みする様に。
旅は辛くて、危険で、知らないことが多過ぎる。
世界を救うなんて重責を背負う覚悟も無い。
無事に帰れる保障だって、全く無い。
でも…
(…仕方ないんだよな)
自分が決めた道。この剣を抜いたのは事故みたいなものだったが、サンリアと共に歩むと決めたのは、紛れもなく自分なのだ。
…自分しかいなかったとしても。
「おし、競争だ!」
草むらを掻き分け走るのは、レオンには初めての経験だった。そのせいか、慣れるまでは余計な怪我もするし上手く進まないしで散々な結果だった。
途中から打ち捨てられたような街道の跡を見つけなければ、ここをキャンプ地とする!と諦めてしまっていたかもしれない。
漸く城門近くに辿り着いたレオンは、その場にへたりこんだ。
「つ、着いた…」
「案外遅いのね」
「うるへー!…お前セコいよ!風の力で運んで貰うなんてさ!」
「でも四時間も後れをとる程じゃないと思うけど…」
「…お前一回自力で走ってこい」
「嫌」
「…んなあっさりと…」
フウッと大きく息を吐いて、レオンは城門を見遣った。
外敵など全くいないのだろう。門は開かれたままだ。
「服替えなきゃね。私達のじゃちょっと寒いみたい」
そう言って彼女は、道の脇にあった荷車から幾つか衣類を取り出した。
「お、お前何処からそんなもの…」
「ん?この荷車から」
「っじゃなくて。いつどうやって手に入れた?」
「レオンがたらたら歩いてる間、暇だったから。出所は聞いちゃやーよ」
「…盗みは駄目だぞ」
「ご心配なく。正当な取り分よ」
取り分って、おい。レオンは突っ込みかけたが、やめた。
ここはやはりサンリアに感謝しておくべきである。
「有難うな、サンリア」
「照れるからやめてー」
(…普通そこはどういたしまして、とかそう言うもんじゃないのか?)
言いかけて、またやめた。レオンはいまだに彼女との距離感を測りかねている。
「…き、着替えよねっ」
サンリアの声が上ずっている。本当に照れている様だ。
可愛い所もあるのにな…と彼は思った。その瞬間、一昨日の晩の記憶が過ぎり、揶揄われたことと胸チラを思い出してしまった。
いや、これは、よろしくない。レオンは焦った。今後事あるごとにサンリアの胸チラを反芻してしまうかもしれない。
記憶を兄の胸に置き換えてみた。勿体無い気もしたが、サンリアの思うつぼに嵌まってやるのは歳上として癪だった。
(うーん…よし、平常心)
「じゃ、着替えたらまたここで落ち合おう」
「そうね」
サンリアはあの回転ノコギリ…もといウィングレアスを振って居なくなった。
レオンは着替え終わって、サンリアを待った。
服に縫い付けられた腰までの焦げ茶色のマントが、重くて慣れない。色合いも、今まで着ていた黄色のシャツとは違って地味な若草色だ。
サンリアの趣味にしては、彼女の服装の様子ともかけ離れている。
どうやら服を選んでいる時間までは無かったらしい。
ただ、長袖長ズボンになったので、手足の傷はきっとかなり減ることだろう。
暫くして、薄灰色のワンピースを着たサンリアが戻って来た。
しばしお互いの服装を見つめる。
「似合わねー」
「変なのー」
これが二人の意見。この世界の服は彼らの感覚には合わない様だ。
「じーちゃん、鞄の中に入ってて」
サンリアは荷車の中から帆布の背負袋を取り出し、フクロウを押し込んだ。
じーちゃんは羽ばたいて必死に抵抗した。
他人の目から見ると完全に動物虐待だ。
「行きましょ」
サンリアは苦しむじーちゃんなどお構い無しに進み出した。
城壁の中の街並みは全て、石と煉瓦で出来ていた。
小麦のパンが焼ける香ばしい匂いが南から流れてくるかと思えば燻製のキツい匂いに眉を顰めさせられ、氷を置かない魚屋の側を足早に通り過ぎ角を曲がると、お口直しとばかりに花屋の百合が道までせりだしている。
道行く人の装いこそ石の都と一体化した煤けた色が多いものの、活気に満ち溢れていて、その流れは途切れる事がない。
気になったのは、街の人々と目を合わせられない、という点だ。
「サンリア、気付いてたか、この人達、目が…薄い灰色だし、…黒目の中の黒目、真ん中の黒い部分が無い。ガラスみたいで、どこ視てるか分からねぇ」
「勿論。瞳孔って言うのよ、確か。
…最初見た時はちょっと怖かったけど、慣れたわ」
彼は、簡単に慣れたと言われてみれば、確かにそれだけの事、気にするまでもないという気持ちになった。彼が今まで遊んだゲームはシオンのお下がりばかりだったが、この人達に似たようなキャラクリエイトができるものもあった筈だ。彼自身、一時期ゴツい白目キャラで遊んでいた事もある。
雰囲気に慣れて気楽になってきたレオンとサンリアは、両手に並ぶ石積みの精緻さに一々感動しながら、自然と街の奥、聳える宮殿に向かって足を運んでいた。
と、喧騒の中に笛の音色を聴いた二人は、どちらからともなく歩みを止めた。赤い髪が、明るい旋律と共に近付いてくる。
…しかし、二人は近付けなかった。周りをがっちりとファンの群れが囲んでいたのだ。
老若男女入り乱れているが、やや女比率が大きい。という事は、あの赤髪はきっと男なのだろう。
とても美しい音色とその一団が過ぎ去るまで、二人は壁際に寄ってじっとしていた。
漸く人が疎らになると、サンリアは笛吹きが歩き去った方向に付いて行こうとし、レオンは思わずその腕を掴んだ。
彼女が訝しげに振り返ったので、我に返って彼は硬直した。
「…あ、いやその。ほら、城は反対方向だぞ、と」
「ん?お城が目的だったっけ?」
「いや、ち、違うけど…だって、一番怪しそうじゃないか」
「私達が此処で探すのは、人よ。剣の仲間。あの人なら…そうね、音の剣なら持ってそうじゃない?」
「にしても…うん、そうだ、あの人だかりじゃ近付けない。夜まで待つべきだよ」
「あぁ…それもそうね。じゃ、ちょっと観光しましょうか」
「そうそう」
「ところで、どうしてそんなに必死なの?」
「ん?何の事だ?」
(天然でやってるんだ、この人…)
サンリアはこっそり呆れ返った。