結局のところ、どちらが先に惚れたのかは謎のまま
ご笑納くださいませ
「見つけた! ほら見てショーン、あのときの子よ! あなたはもうパパなのよ!」
そう言いながら俺の腕を掴んだ女性――年の頃は20歳くらい、茶色のふわふわのセミロング、色白、可愛い――は、実に俺好みの女性だった。天使が舞い降りたと思ったくらい、好みのストライクゾーン! それもド真ん中!
でも。
まちがいなく初対面だと思うぞ。その彼女の腕に抱っこされている赤ん坊も。
――そんな初対面で、パパと言われても。
「知らないなんて言わないでよねショーン。あたしたちの愛の証がちゃんといるんですからね! ちゃんと一緒におうちに帰りましょう?」
彼女はいったいなんなんだ?
人通りも多い往来のど真ん中での物騒な台詞のオンパレード、効果は抜群だ! 通り過ぎる人がチロリチロリとこちらを窺いつつ通り過ぎようとしている。
いわゆる、注目の的。
派手な外見のわりに内気な俺としては、あまり人の注目を浴びたくない。渋々ながらそのお嬢さんと話しをすることにした。
何かの勘違い、あるいは詐欺、あるいはパフォーマンス?
俺を騙してなんらかの利益がある?
分からん。
「えっと? きみ誰? たぶんだけど、俺たち初対面だよね?」
俺に声をかけてきた第一声で、人違い確定だ。だって俺、彼女いない歴、年齢の人だもん。『あなたの子よ』って言われても身に覚えないし。
「あらひどいわショーン・スミス。あなた、あたしの処女を奪って孕ませて生ませておいて、そんな冷たいセリフ、よく言えたわね」
やーめーてー!
彼女いない歴=年齢の人に、なまなましいこと言うなっ! こんな往来で、それも妙齢の若い女性が!
「……あら? よく見たら若い……」
彼女はジロジロと俺を睨みつける。
なんだよ、よく見たら若いって。
「もしかして……今住んでいるのってセカンドアベニューの古いアパートメント? おかあさまと住んでいたっていう思い出の?」
え。なんでそんなこと知ってんの?
「あぁ、そっかぁ……、まだあたしと会っていないショーンなのね……そっかぁ」
「……はあ?」
どういうこと?
茶髪の彼女はがっくりと項垂れた。
彼女の腕の中で赤ん坊がみじろぎをするが、よく寝てる。
「話には聞いていたけど、そうか……やっと実感したわ。こんなに堪えるものなのぉ……自分で体験しなきゃわからないってこのことなのね」
赤ん坊を抱き締めながら、まるで自分に言い聞かせるみたいに呟いている。……もしかして、震えてる?
「……えっと、だいじょうぶ?」
俺には、彼女がなにを言いたいのかさっぱりわからない。
しばらくその動向を見守っていると、がばりと音がする勢いで彼女は顔を上げた。
「だいじょうぶよ、ショーン。あたし諦めないから! あなたに言われたとおり、頑張るから! どんなショーンだって愛しているからね!」
黒い瞳、きらきら。
丸い頬、つやつや。
――可愛い、としか思えない。
「え? いやいや、さっきからキミ、なにを言ってるんだ?」
可愛いけど! たしかに彼女は可愛いんだけど!
これはもしや、警察ならぬ、お医者さん案件か?
「あなたこそ、なに言ってるの? 全部あなたが教えてくれたのよ、ショーン」
はぁぁぁああああああああ????
「あぁ。今のあなたにはびっくりすることかもね。でもね、ショーン。以前のあなたに言われているの。『全力で俺を口説き落とせ、絶対あきらめないでくれ』って。言われたときは何の話だかと思っていたけど、こういうことなのね。よぉくわかった。口説くわ! わたしとラルフの未来のために! そしてもちろん、ショーン! あなたのためにも!」
――なにを言っている?
混乱を極めた俺の目の前で、彼女の腕に抱かれスヤスヤと眠っていた赤ん坊が目を覚ました。
そのぷっくぷくの丸い手でうにうにと目を擦ったあと、そのつぶらな瞳を俺に向けた。
赤ん坊は、にこぱーと音がするように弾けた笑顔を見せ、
「ぱぁ?」
と愛らしい声をだした。
「そうよラルフ、パパよ」
すかさず彼女が赤ん坊に言い聞かせる。
赤ん坊はそのちいさな手の平を両方とも俺に向けてきた。どうやら抱っこをせがんでいるらしい。というか、彼女の腕から落ちそうだ……おいっ、気を付けろって!
慌てて支えると、赤ん坊は難なく俺の腕の中に納まった。
そしてその小さく温かな手で俺のあごや頬をぺしぺしと撫でる。
「ぱーぱ、ぱーぱ」
実に無邪気に安心しきった笑みを見せながら胸元に頭を擦り付けるさまが可愛らしくて。
これが父性というものかと納得してしまったのだが。
「ラルフ、よかったねぇ。パパに会えたよ!」
女性と赤ん坊が軽やかな笑い声を立てるすぐそばで、混乱に混乱を重ねた俺は、なんというか嵐の渦中にいるような心境で。
「さぁ! お家に帰りましょう! あぁ、そうなると赤ん坊用品なんてなんにもないってことよねぇ……とりあえずおむつ用の布を買って帰りましょう!」
彼女の有無を言わせない謎の迫力に押された俺は、寂れたアパートメントに案内してしまったのだった。
不用心は百も承知。それでも連れ帰った理由は……だって、好みド真ん中の女性だったから……。それと、赤ん坊が可愛かった……。
それと……『おうちにかえりましょう』ということばのせい、だと思う。
つまり俺は、人恋しかったんだ。
◇
家に帰り、まずしたのは事情聴取。
この女性が誰で、どうして俺を知っていて、この腕に抱いている赤子が俺の子だと言い張るのはどうしてか。
彼女は自分をマリアと名乗り、驚くことに未来から来たのだと語った。
帰り道で購入した木綿の布をあっという間に断裁しておむつ用の布に縫い合わせた。“直線に縫うんだもん。簡単よ”と言いながら、亡き母の遺した裁縫道具を器用に扱う姿に呆然とする。
母が死んで以来、まともに火もいれてなかったオーブン。マリアはそれにどっかどっかと薪をくべ火を熾す。
そして有り合わせの物を使うと、あっという間に夕食を作ってしまった。なんて手際がいいのだろう。
俺は赤ん坊をあやしながら、マリアが家事をするさまを見守るだけだった。
家事を熟しながらのマリア曰く、彼女が連れていた赤ん坊は俺の子で、俺たちは俺が28歳、マリアが18歳のときに出会った。それはもう、素晴らしく情熱的、かつしつこく俺が求婚して恋仲になり結婚し、ラルフができるらしい。ラルフという名づけも当然俺なのだとか。
ちなみに、いま俺は25歳。マリアは21歳。
……彼女が未来から来たという話は本当なのだろうか。
「結婚したあと、ショーンから“マリアは身籠るとタイムスリップする”って聞かされていたの。そんなことってあるぅ? って半信半疑だったよ? でも実際、あたしはタイムスリップという現象を体験した。 “君は数回、タイムスリップする。そのとき、まだ若いころの俺に出会うだろう。なーーんにも知らないときの俺だけど諦めずに口説いておくれ”って」
そう語ってにっこりと微笑んだマリアは、びっくりするほど可愛くて俺好みで魅惑的だった。
ドキドキしてしまったのは言わずもがな、か。
◇
兄弟のいない俺の唯一の肉親は母親だけだった。
父という人は浮気をして母と離婚したらしい。
母は女手一つで俺を育ててくれた。
親孝行しなくてはと思っていた矢先、その母を病で亡くしたばかりだ。
本当いうと、途方に暮れていた。
俺ひとりの食い扶持すらどうしようか考えていたときに、降ってわいた嫁と子ども(自称)。
未来から来たというこの赤ん坊、ラルフと言ったか。
彼を抱っこして鏡を見れば、目の形以外のすべてが笑ってしまうほど俺にそっくりだった。
……俺の目付きの悪さが遺伝しないなら……まぁ、いいのか。丸い瞳はマリアそっくりだ。
◇
ラルフとマリアは、寂れたアパートメントに住む他の住人たちにあっという間に馴染んだ。もともと母と住んでいたアパートメントだ。俺の幼少期を知っている近所の爺さん婆さんが、すぐにラルフは俺の子だと認定した。
「ショーン! いつのまにこんな可愛い嫁と子どもをこさえたんだい!」
「隠していたなんて人が悪いね!」
「ポーラさんに会わせたかったなぁ……どうして黙ってたんだい」
黙っていたのではなく、突然現れただけですがなにか。
とは言えない俺。
未来から来たというなら、俺はどんな職に就いているのかとマリアに聞けば、
「……未来の出来事なんて、知らない方がよくない? んー、でもぉ……今やりたいことがあるんじゃないのぉ? それをやればいいんだよ。でも、いっこだけヒント教えてあげるね。ラルフをとりあげてくれたのはショーンだってこと」
などと言ってはぐらかされた。
未来の俺の様子をはっきりとは言わないくせに、自分たちが俺の嫁と息子だという半信半疑な事実だけは明け透けに話す。
そして言うのだ。きらきらの笑顔とともに。
「愛してるわ、ショーン!」
◇
マリアはグイグイ俺に迫る。
狭い部屋で同居しているのだ。どうしても視界にはいる。着替えのときとか、お風呂のときとか、授乳のときとか。
彼女の肢体は目の毒だ。しかも俺は今まで生きてきて恋人という存在なんていたことがない。
恋人をすっ飛ばしていきなりできた『妻』にどう対処すればいいのか。
しかもこの子、超! 俺の好みなんだよ。
見せつける様に肌を晒されグイグイ迫られ。
一緒に居るのも、口癖のように『愛してるわ』と囁かれるのにも、慣れて。
触ってもいいのかなぁ……いやいや、心の伴わない関係なんていかんでしょと日々悶々とする俺なのだが。
「ショーンは真面目なんだね」
触ってもいいのよと俺の腕に胸を押し付けてくるマリアを引き離せば、そんなことを言う。
どこか安心したような口調で。
いやいや、悶々としているんだってば。俺も若いんだってば。
でも身体だけの関係なんて、嫌だ。
お互い好き同士でなきゃ、ダメじゃん。
こういう俺の考え方、たぶん、俺の生い立ちが要因だ。
俺の両親は、親に決められた相手と結婚した。昔のことだ。父も母も、『親の意思』に逆らえなかったらしい。
結婚後数年して父は浮気をした。浮気相手を本当に愛してしまったと言って、母に頭を下げたそうだ。
二人は離婚した。
生前の母はよく俺に言った。
『お前は本当に愛する子と結婚してね』
寂しそうな笑顔が忘れられない。
だから本当に好きな子ができるまで、男女の閨事はしたくないし、しちゃダメだと思う。だって子どもができる行為だ。
ましてや浮気もダメだと思う。
とはいえ。
今まで好きになった子なんていなかったし、出会いもなかった。俺はこのまま誰のことも好きにならないで死んでいくのかなぁ、なんて思っていた。
「ほんと、ショーンはストリートギャングかってくらい人相悪いのに、中身は真面目だし、誠実で純情でやさしい……しかも子ども好きなんてね」
どこか懐かしいものを見るような瞳でマリアが言う。
黒い瞳がキレイだ。可愛い。
……目付きが悪いのは……すまん、親父ゆずりだ。
「でもそんなショーンだから好きになったんだよ」
そう言いながら俺の頬にキスを落とすマリアに惚れてしまったのは、もうどうしようもないことだと思う。
何度も言うが、彼女は俺の好みドストライクなのだ。
まず、見かけが可愛くて好み。
家事全般てきぱきと熟す有能さもいい。
近所のじいさんたちとも問題なく会話する朗らかさ。明るい笑顔。
今まで一緒にいなかったのが不思議なくらいマリアは俺の生活の中に溶け込んだ。
もちろん、ラルフも。
こいつがまた愛らしい。よろよろと一人で立って“褒めて”と言いたげに見上げられると堪らない。
ちっとも目が離せないヤンチャさと俺を見るたびに瞳をキラキラ光らせる愛らしさ。
小さな手を一生懸命伸ばして俺を追う。
俺が必ず自分の手を取ると信じ切っているその無垢な瞳が愛しくて堪らなくなった。
なにをしていても可愛いかった。たとえそれが夜泣きでも。
小さな手が必死になって俺の服の端を握り締める。なんだかそれが切なくなるほど愛おしくて、俺はちいさなラルフをずっと抱っこしていられた。
◇
「騙してもいいから口説き落とせって言ったのはショーンなんだからね!」
腰に手を当てて人差し指を俺に突き付けて、その黒い瞳をキラキラと輝かせて。
あぁ……可愛い。
目がマリアを追ってしまう。俺が落ちないわけは無い。
「ん? このおっぱい気になる? ごめんね、今はラルフ専用で大きいだけなの。通常時はもうちょっと小さいよ」
え。そういうもんなの?
「でも美乳だって褒めたのはショーンなんだからね!」
なるほど。美乳。微乳よりはいいか。
「いま凄くふざけたこと考えたよね?」
マリアが訝し気な顔で俺を睨みつける。
俺が彼女のその胸元と顔を交互に見ると、
「ふふっ。しょうもない人!」
マリアは笑いながら俺の胸を突く。この甘えた態度に胸が締め付けられる。可愛いすぎる。
同じものを見て笑い合う相手が身近にいる。
他愛ない、これだけのことが途轍もなく嬉しいなんて、はじめて知った。
そもそも笑っていられるなんて、母が死んで以来ひさしぶりだ。
俺たちはいろんな話しをした。それぞれの生い立ちのこと。なにが好きか、なにが嫌いか。
たまに意見が衝突したこともあったけれど、よく話し合ってお互い納得した。
そんなふうに日々を重ね、知らず知らずのうちにマリアへの愛は深まる。
ラルフが卒乳し、マリアの胸が彼女の言う通常時に戻ったころ。
俺たちはついに一線を越えた。
その夜を俺は忘れない。ほんとうに、いい夜だった……。ぜんぶ、マリアに教えて貰った……。うん、良いものだ……。
マリアへの愛はますます深まった。
ラルフも可愛くて可愛くて。1歳過ぎるとよちよちと一人で歩き始めた。お喋りも盛んだ。
俺は昔から希望していた職に就くため、働きながら勉強を続けて。
そんな生活に慣れたころ。
マリアが目の前で消えた。
よちよちと一人歩きしたラルフを彼女が抱き上げた瞬間、身体がすーーーっと薄くなっていった。
薄くなる自分の手を見たあと、びっくり眼を俺に向けるマリア。
「ごめん、またどこかへ行っちゃうみたい」
泣き笑いの表情を見せた。
いやだ。そんな、いやだ!
マリアがいない生活なんて、ラルフの笑い声を聞かない日々なんて、いやだ!
一生懸命伸ばした両の手は空を切った。
陽炎のようにふたりは消えた。
『諦めないで! 絶対あたしを口説き落としなさいよ! シュークリームは鉄板なんだからね!』
という声だけ最後に残して。
◇
マリアのことばを何度も思い出した。
『18歳のときにショーンと会ったの。その時ショーンは28歳だったわ。教会の前だったの』
それが心のよりどころだった。
ぜったいいるはずなんだ。俺と出会うまえのマリアが。
探して、探して、探しまくって。
彼女の過ごした孤児院の場所を聞かなかった自分の迂闊さを呪った。
絶望と希望を行ったり来たりしながらも、マリアと会えることを信じた俺は、日々勉強を重ね資格を取って希望職種に就いた。マリアのために、そしてラルフのために定職に就き稼がなければ!
部屋も引っ越し、マリアたちのために生活のすべてを整え、探し続けること三年弱。
俺はついに、マリアに再会した。
28歳の俺と18歳のマリア。
俺にとっては『再会』だけど、マリアにとって俺は初対面だ。俺を初めて見るマリアは、思いっきり不審者を見る目で俺を見た。
それも、まぁ仕方ないかも。
なんせ俺は初対面のマリアに
「俺の運命! マイダーリン! 結婚しよう! 愛してる!」
と言って目の前で跪いたのだから。
目立つことを嫌う俺が、町一番のひとごみをみせる教会の前で。
……思い返せばずいぶん派手なことをしたものだ。
◇
その後。
マリアを口説いて口説いて口説き落とした。
俺にナンパ師のような真似ができるとは思わなかったが、必死だったのだから仕方がない。
それに勝機はあった。なんせ、何が好きなのか嫌いなのか、彼女の好みは把握している。本人が申告したとおり、シュークリームは彼女の好物なのだ。警戒心を解くのに役立った。
しかも彼女の生い立ちも聞いている。孤児院育ちでそこから独立してきたばかりってこともよーーく知っている。
親がいないなんて俺も同じだ。
学? 勉強なんていつでもできる。実際俺も働きながら資格を取って、いまは見習いとはいえ獣医師として働いている。
学びたいなら俺が教える。
大丈夫、俺はただきみが好きなだけ。きみと一緒に未来を紡ぎたいだけだから。
そうやって接点を持って、口説いて口説いて口説き落として。
かつてのマリアが俺に囁いてくれた『愛してる』のことばを、そのまま――いやそれ以上に――彼女へ返した。
そうしてやっと。ようやく、本当に彼女と結ばれて。
過去、彼女が言ったとおり『処女』はたしかに俺が貰った。……俺の童貞も彼女に捧げているが、それは過去の話として。
そのときマリアは20歳になっていた。
籍をいれ幸せの絶頂のとき。俺はマリアに言い聞かせた。
きみのお腹に俺の子がいる。
そしてきみはこれから時間を超えて彷徨うハメになるようだけど。
諦めないでくれ! 絶対俺を探して欲しい! 俺を騙してもいいから口説き落としてくれ!
そうお願いした。
マリアは
『このひと、なにを言っているの?』
という不信感バリバリの目を俺に向けた……。うん。その気持ち、とってもよく解るよ……。
◇
臨月に差し掛かったころ、マリアは俺の目の前で陽炎のようにかき消えた。
初めて彼女とラルフが消えた日の絶望を思い出した。
とてつもない不安に襲われたけど。
大丈夫、俺は知っている。
彼女は俺の元に帰ってくると。
長男ラルフを連れて、絶対帰ってくると。
妊娠した彼女は未来の俺に会い、そのときの俺がラルフを取り上げたはずだ。
そして再びタイムスリップしたマリアは、25歳だった過去の俺と出会った。
あのとき消えたマリアが帰ってくるはずだ。ぜったい、絶対彼女たちは俺のもとに戻る。
あの日。25歳だった俺のまえに突然天使が降り立ったように。
母を亡くし、空虚だった俺のまえに現れたマリア。彼女は俺の心を救うために時間を超えてくれたんだ。
そんな彼女に『大丈夫』だと、未来の俺が言ったらしいから。
俺は毎日神と死んだ母に祈った。
あんたらが俺に遣わしたマリアとラルフ。彼女たちを早く帰してくれと。
俺の祈りが天に届いたらしく、さほど日を置かずマリアはラルフを腕に帰還した。
首を傾げたラルフ(可愛い盛りの1歳。おしゃべり放題。俺にとっては実に5年ぶりくらいの再会)が言う。
「ぱぱ、としとった」
俺はマリアとラルフを力いっぱい抱き締めた。
それから俺たちは。
町外れの中古一軒家(あぁここだとマリアが懐かしそうに笑うからそこに決定した)にマリアと俺と、二男二女。
幸せに、幸せに暮らすことになるのだ。
約束のあの時を目指して。
『でもねぇ、ショーンにいろいろ聞いてはいたんだけどね、びっくりしたわ。ラルフを取り上げてくれたのもショーンなんだけど、69歳のショーンだったのよ。大丈夫だから、諦めないでおくれって言われたわ。子どもたちにも会ったのよ』
『……たち?』
■ □ ■ □ ■ □ ■ □
マリア・スミス、墓前。
「え? 今年はお父さん、来ないの? お母さんの命日なのに! “一緒にお墓参りしよう”って言ってたわよ?」
「うーん、親父、なーんか変なこと言ってたぞ。“今年は69歳だから行けない”って」
「は? なんだそりゃ?」
「親父いわく、“心配だから家を空けられない”って」
「ますますわからん」
「そう言えば、お母さんのお葬式のあとも変なこと言ってたわよ。“あとはラルフを取り上げるだけだな”って」
「はぁ?」
「兄貴を取り上げる? ってなに?」
「分かんない。でも“ラルフを取り上げられなかったのが心残りだ”って言ってたのを聞いたことあるわよ」
「あぁ……産婆でもないのに出産に立ち会って俺らを取り上げたのって親父だって言ってたもんな。いくら親父が獣医だからって、俺ら牛馬と同じか? って思ったもん」
「違う違う。溺愛している妻を他人に診せたくなかっただけよ」
「……俺はお袋本人から、“あんたたち兄弟全員を取り上げたのはお父さんよ”って聞いてるぞ?」
「……生んだ本人がそう言ってたのなら、わたしの聞き間違いかしら」
「親父って、昔から変わってたじゃん。なーんか突拍子もないこと言うっていうか」
「昔っから妻に首ったけ夫だったよ。いつでもお袋の側に居たがってた。さすがに俺たちが小さい頃は自重してたらしいけど」
「私たちが独立してからもふたりで仲睦まじく暮らしてたわよ」
「うん。ずーっと新婚みたいな夫婦だったよなぁ……お袋の病気があっという間に進行して死んじゃったから……あのときの親父、ただただ泣いててなぁ……後追い自殺でもするんじゃないかって心配してたんだけどさ。葬儀が終わったら意外とケロっとしてて……拍子抜けしたんだ、俺」
「あぁ、ラルフ兄さんもそう思ったのね。わたしもよ。でも逆に心配になってお父さんに聞いてみたら“まだ会えるから。約束してるから”って。なんのことやら」
「まだ会える? 天国でまた会えるって意味じゃなくて? それに約束? なんだそれ」
「……さあ?」
「……大丈夫か? 親父」
「……さあ?」
「……墓参り終わったら、様子見に行くか」
この日は母親の命日。
スミス家四兄弟姉妹は、父の住む家をそろって訪れる。
その道中、夕暮れの道端にうずくまっていた若い女性を保護する。
彼女は臨月の妊婦で産気づいた状態であった。
◇
二男二女。
子どもたちも独立して、孫もできた。
69歳になった俺は、準備万端。初産臨月のキミが時空を超えてやって来るのを今か今かと待っている。
どっとはらい
※マリアが鉄板! と豪語した「シュークリーム」は、フランス語の「シュー・アラクレーム」が由来。英語でいうなら「クリーム パフ」が正解ですが、ここは分かりやすくするため「シュークリーム」にしています。
面白いと感じていただけたら、星での応援、お願いしますっ<(_ _)>