レインバレー
「あまり上手くないから小声で話してほしい」
そう言って透明な結界を張る。
その結界はワイングラスのように薄く、春の湖の薄氷のようでもあった。
「私は防御をあまりまなばなかったんだ。今となっては真面目にやればよかったと後悔している。だからこの結界はせめてもの抵抗だよ」
そう言って困ったように笑う。
私もその表情を見て吹き出してしまった。
悲しみの涙と、笑い声が混ざって泣き笑い状態になっている。
「そんなに笑わなくても。未熟な結界だから笑いたい気持ちはわかるが」
「いえ、笑ったのはグラッドさんの情けない顔に対してよ」
そう答えると、グラッドさんも力無く笑った。
その顔をみて、胸の奥がざわざわする。
この気持ちの正体はなんとなくわかっているけど、今は気づかないフリをしたいのでぐっと飲み込む。
「私は何があってもグラッドさんと離れたくありません」
意を決して耳打ちをした。
「私もだ。ただ、これまでの話が本当だとしたら私がコニーを危険に晒してしまうかもしれない。でも、初めて会った2人を信用していいのかわからない」
「私もです。あの2人が信用できるかわかりません。敵が送り込んだ何かしらの刺客や諜報員かもしれませんし」
私がグラッドさんと結婚したのは、彼を守るためだった。その事を忘れないようにしないといけない。
2人で沢山の相談事をして、そして決めた。
「ではコニー、結界を解くよ」
その言葉に頷く。
ここまでお互いの運命を預けてきたのだから最後まで預けると誓った。
私は自分の意志でグラッドさんの妻になったのだ。例え白い結婚でも最後まで支えたい。
その気持ちに嘘はない。
「私たちは共に行動します。別行動は取らないわ」
私の言葉にカイナツさんは呆れたように笑い、トロンさんは口笛を吹いた。
「わかりました。まず、あまり時間がないのはカロリーヌ様です。カロリーヌ様は18歳になる前にレインバレーに行って、封印を解かないといけませんね。では、この場所を提供してくれたセイレーン様にご挨拶をしてから出発しましょう」
私達はセイレーンにお別れの挨拶をした。
すると、セイレーンは財宝の中から剣を探し出し、私達にくれた。
グラッドさんには長い剣を、そして私には短剣を差し出した。
「この剣、綺麗でしょ?柄は金と宝石で綺麗に装飾されているから。でも、これ海に持っていくと錆びちゃうのよ。だからあげるわ。それから、ここにある金の山、もう少し貯まったら溶かして海底に神殿を建てようと思うの。でも、少しくらい貴方達にあげるわ」
そう言って、大きな袋をくれた。
「たまにはこの島に遊びに来てね」
そう言って抱きしめてくれると、水の中へと消えて行った。
セイレーンの姿が見えなくなると、カイナツさんは腰に下げた小さな袋を手に取り、広げた。
そして、私達の手を取った。
次の瞬間、灰色の雲の上に乗っていた。
この前の嵐ほどではないが、雲の下では激しい雨が降っている。
その大きな雲はすごい速さでバーリエル国に向かった。
「カイナツさんに質問があるんです」
「どういたしましたでしょうか?カロリーヌ様」
「もしも私がバーリエル国に留まり続けていたとしたらカイナツさんはどうしていたんですか?」
「もしもそうだとしても、18歳になる前に一度、お迎えに上がっていたでしょう。その時に私の言葉の真偽を判断するのはカロリーヌ様ですから」
そう話をしているうちに、大きな雨雲のそばに来た。
「あの雨雲の下がバーリエル国レインバレーです。では下に降りますよ」
その言葉と共に乗っていた雲が消えた。
私達は上空から雨雲に向かって落ちていく!
と思ったら、カイナツさんがエスコートする様に私の手を取った。
すると、落ちていくという感覚が無くなった。
グラッドさんを見ると、トロンさんがグラッドさんの上着の肩の部分を持ってフワフワと漂うように下に向かっていた。
怖いのか顔面がこわばっている。
そうして下に向かっていると雨雲の中に入った。
雲の中はフワフワしていて気持ちいいが湿度が高い。
そこを抜けると、全てが真っ白な不思議な森に出た。
「ここは常に雨が降っていて植物は緑色にはならないのですよ。おかえりなさいませ、カロリーヌ様」
真っ白な木々の奥には白亜の白が見える。
「ここが……?レインバレー?」
「さようでございます。常に雨が降っている谷です。城の中だけ太陽の光が差してきますから、そこだけは植物が緑色なんですよ」
カイナツさんが話している間に羽の生えた小人達がトランクを運んでいく。
「では、カロリーヌ様、お母様がお待ちです」
そう言って白亜の城に続く一本道に足を乗せると、滑るように道が動き出した。
そして、城の目の前まで来ると扉が開いた。
レインバレーは真っ白な世界だったのに、城の中は光が差して緑が青々と茂ってる。
まるで城の中の景色が庭園のようになっていた。
びっくりして城の中に入って辺りを見回した。
庭園の奥には大理石でできた城が見える!
「室内なのに面白いわ!」
と言ってグラッドさんに同意を求めたが、そこにグラッドさんはいない。
「あれ?グラッドさん?」
「彼らはカロリーヌ様が魔法を受け継ぐが又は拒否するかお決めになるまでは入れません」
「そんな!それは困ります」
「しかしながら、ここは貴方様の先祖達が代々大切に守ってきた決まりがあります。その中には他者を入れないという決まりもあるのですよ。ですから、それを破る事はできないのです」
私は不安になってきてどこか出口がないのか辺りを見回した。
後ろを振り返ると、頑丈な扉が閉じており、無理矢理これを開けて外に出るか、前に進むしかないとわかる。
自分の力では開きそうにもない鉄製の大きな扉を見て先に進む事に決めた。
カイナツさんに案内され、階段を登ると、そこには大きなステンドグラスがあった。
私が近づくとステンドグラスに光が差してきた。
まるでスポットライトが当たったかのようにステンドグラスから差し込む光は床の一点に集まっている。
そして、その光が段々と形を帯びてきた。
光はキラキラ光る塵となり、人の形を形成していく。
それは豊かなストロベリーブロンドを胸まで伸ばして、タイトなラインのドレスを纏った女性の形になった。
女性のキラキラ光るアクアマリンのような瞳が、優しい眼差しで私を見る。
『はじめまして、かしら?私はアナベル。どうぞ、名前で呼んでちょうだい。貴女を抱きしめる事ができないまま先に逝ってごめんなさい。我が娘カロリーヌ。立派なレディになりましたね』
そう言って透明な女性は私を抱きしめてくれた。
顔は私と少し似ているけれど私よりも大人びている。
「貴女は私の本当のお母様だと聞いたけど、では私のお父様は?」
『貴女のお父様は、メイスン侯爵様の弟君よ。貴方の本当のお父様は騎士団に所属していたの。当時、召集がかかって魔物討伐に行ったのだけど、その部隊は行方知れずになってしまったの。貴方が産まれる少し前の事だったわ』
「じゃあその部隊は結局見つからなかったの?」
アナベルはかなしそうに頷いた。
『私はもともと心臓が弱かったの。だから、貴女を一人残してこの世を去る事になってしまったの。だからカロリーヌは伯父夫婦が育ててくれたという事よ』
本当の両親が2人ともすでに他界していると聞いてもピンと来なかった。
今まで育ててくれたお父様とお母様が本当の両親ではないと聞いても、実感がない。
たしかに厳しい両親だったけど、私の幸せを考えてくれていた事はわかっている。
『カロリーヌ、私の生家はこのレインバレーを守る小さな伯爵家だったのよ。私が死んでしまって、もう誰も居なくなってしまったの。だから、末裔はあなただけ』
「私だけ?」
『そうです。私は実体のない魂ですもの。それにあなたの誕生日が来れば消えてしまう』
「消えてしまう?それってどういう事?」
『そのままの意味よ。魔力を受け継ぐか、それとも受け継がないのか。貴女が決めるまで私の魂をここに縛り付けておいたの。貴女はどうしたいのかしら?』
「受け継がなかったらどうなるのですか?」
『その時は、平穏に暮らせるわ。ただし、受け取らなかった魔力はバーリエル国の王族達のものになって、好き勝手されるでしょうね』
それを聞いて、この魔力は王家に渡したくないと強く感じた。
今でもやりたい放題にこの国を動かしているのに…さらに権力を持ったらどうなる事か!
「わかりました。では受け継ぎます」
私の言葉に、アナベルさんはにっこり笑った。
『よかったわ。これで安心出来ます。では、このステンドグラスの光が集中する場所に、聖杯を持って立ちなさい』
聖杯ってどこに?
と思ったらカイナツさんが胸ポケットから、ワイングラスほどの黄金の聖杯を出してくれた。
それを受け取り、一歩前に出ると辺りは暗くなり、聖杯と、キラキラと光の粒が舞い降りて消えていく様子しか見えなくなった。
『その光で聖杯を満たしなさい。光はカロリーヌにしか見えません。ですから聖杯が光で一杯になったら教えてちょうだい』
アナベルさんの声だけがする。
言われた通りに光が聖杯に入るようにすると、光はまるで液体のように聖杯を満たしていく。
そして溢れる寸前になった。
「あの!溢れそうです」
焦っていうと、楽しそうな笑い声がした。
『では、目を閉じて、聖杯に満たした光が聖水に代わる事を願いなさい。そして、願い終えたら目を開けて、その水を飲み干すのです』
私は言われた通りに目を閉じた。
そして、この溢れんばかりの光が聖水になる事を願う。
すると、光のお陰であたたかかった聖杯が、だんだん金属そのものの温度へと冷えてきた。
それでも目を閉じて祈り続ける。
両手が冷たいくらいになった時、そっと薄目で聖杯を覗いた。
そこにはキラキラ光水が少しだけある。
びっくりして大きく瞳を開いた。
たしかに、少しとろみのある光輝く水がそこにはあった。
私は意を決してその水を飲む。
とろっとした水は喉越しが柔らかく、なんだかお腹の底から暖かくなる感じがした。
すると、茶色に染めたはずのストロベリーブロンドが、絹のように滑らかにピンク色に光輝き、フワッと広がった。
そして、光が消えると同時に髪が元に戻った。
何が起きたのかしら?
『これで貴方の中の魔力が目覚め始めました。よかったわ。そうそう、カイナツの言う小言の事だけど、たまには聞かなくてもいいのよ』
フフフフ
と楽しそうなアナベルさんの笑い声は小さくなっていった。
「次はどうすればいいのですか?」
大きな声で叫んだけど、辺りは明るくなり、元の景色に戻った。
お城の吹き抜けに私の声がこだましただけで、何も返事が聞こえない。
「アナベルさん?ねえ?返事をして?」
「もうアナベル様は旅立ってしまわれましたよ」
その声に振り返るとカイナツさんが立っていた。
「カロリーヌ様、魔力を得る事が出来たようでおめでとうございます。今、その魔力を解放すると、魔力を嗅ぎつけた者どもがやってきてしまいますから、そのままでいてください」
体はなんの変化も感じないので、そう言われても実感がない。
私はどうすればいいかわからずに立ち尽くしていると、カイナツさんが私の手からサッと聖杯を回収して胸ポケットに入れた。
「さあ、急いでレインバレーを離れましょう。グラッド様の魔力がダダ漏れなので、嗅ぎつかれるのは時間の問題です」
カイナツさんはそう言いながら、来た道を戻っていくので私も小走りで後に続いた。