船からの脱出
大男はその言葉を言い終わらないうちに腰に提げた袋の口を開けた。
次の瞬間、私達は大きな灰色の雲の上から船を見下ろしていた。
「嵐の真ん中は風も吹かず晴天のおだやかなものなのですよ?お二人ともご存じですか?」
大男は笑顔でそう言うと私達に座るように促した。
その背後には晴天の夜空が広がってる。
後ろを振り返ってみた。
船から見るよりも星が大きく見える。ここは本当に雲の上なんだわ。
下を見ると、足元に真っ黒に渦巻く雲が広がっており、その下は分厚い雲の層になっていた。
この雲の下は荒れた天気である事は容易に想像がつく。
「改めまして、私はカイナツと申します。本当はグラッド様をお連れするのは色々な意味で危ないのですが、致し方ありません。ただ、貴方様がいらっしゃるとカロリーヌお嬢様をレインリバーにお連れすることはできませんので、右下に見える島に一時避難しましょう」
状況が呑み込めずにいると、グラッドさんが私をかばうように立ちはだかった。
「グラッド様はご自身の魔法能力に自信がおありの様ですが、ここは私が作り上げた空間ですから、貴方様の魔法は発動しませんよ。そうそう、お二人のお荷物は侍従達に持ってくるように指示しましたから大丈夫ですよ」
カイナツと名乗った大男は、私にだけにっこり笑いかけると、進行方向をみるためにこちらに背を向けた。
「あの島はセイレーンが管理しているのです。ですから、彼女にお礼をしないといけないのですが……。なにせお嬢様のお迎えにあがるために、セイレーンの力を借りて、船をセイレーンの海域までおびき寄せてもらったのですから」
「セイレーンに力を借りる?」
何のことかわからず疑問を感じていると、カイナツはまた腰の袋に手をかけて口を開いた。
すると、袋から小人たちがトランクを持って出て来た。
「それ、私達のトランク!」
私の声で、小人たちがこちらを向く。
「初めましてお嬢様!お荷物をお渡しします」
鳥の羽が生えた手のひらくらいの大きさの小人達は、みんなで運んできたトランクを私の横に置いた。
「セイレーン様のお力で船を惑わせてくださったんです。そのおかげで私たちお嬢様をお迎えに上がることができました」
小人は囀るように話しながら私の肩に乗った。
「しかし、グラッド様の侍従は何をしているのでしょうか?主人をほったらかしにして」
小人の言葉にカイナツはため息を吐く。
「グラッド様の封印は中途半端なのです。だからお嬢様が危険に晒されるわけですが、この状況を別の角度から見ればグラッド様は自分の身は自分で守れると言うことでしょから、あの島でお一人で侍従を待っていただけばよろしいのではないのでしょうか」
カイナツさんの話が全く理解できなくて私とグラッドさんは困惑した。
「あの、何の話をしているのか私達にわかるように説明してください」
私の言葉にカイナツは驚いた顔をした。
「何もご存知ないのですか?もしやグラッド様も?」
「ああ。カイナツ殿の話が全く理解できない。私に侍従はいない。たしかに捕まる前は侍従はいたが、あの時、きっと逃げてしまったのだろう」
「なんと。私の会話がわからない上に貴方様は誰かに捕獲された経験があるのですね。きっと原因は、その綺麗な紫色の瞳と銀髪のせいでしょう?」
「そうだ。『銀髪で紫の目を持った者を悪魔に捧げると強い力を授かる』という迷信のせいだ」
「その迷信、長い年月をかけて歪んで伝わったんですよ」
カイナツさんは困った顔をした。
「この世界の伝承で『昔、シャドーと呼ばれる邪悪な存在にこの世界は滅ぼされそうになった。その時、神から力を授けられし救世主がシャドーを封印し世界を救った。しかし、シャドーが封印される時『千年後に我の封印を解くものが現れるだろう。その時に必ず世界を滅ぼす』と予言を残していった』って聞いた事ありませんか?」
私達は顔を見合わせた。
この世界では有名すぎる伝承だ。
世界各地に広がる教会はシャドーの封印が解けないように神に祈るためにあるのだから。
「もちろん知ってます。知らない人はいません」
私の返事にカイナツさんは頷いた。
「では、この伝承には本来続きがあったことはご存知ですか?」
続きがあるなんて初めて聞いた。
私達は首を傾げる。
「続きはですね、『千年経ち、シャドーの封印が解かれる時、救世主の子孫が3人集まりこの世界を救う。銀髪で紫の目を持つ者は地神の力、桃色の髪で青い目を持つ者は水神の力、緑の髪で金色の目を持つ者は空神の力がある。』というものなのですよ。これが本来の予言です」
教会にいた私たちは、いつも神に祈っていた。
ずっと神に祈ればシャドーは蘇らないし、そもそも迷信だと思っていた。
でも、カイナツさんの口調は事実であるとでも言いたげだ。
「それがどう歪んで伝わったんですか?」
「土神は地震や火山の噴火などと密接な関わりがありますから、昔は噴火は悪魔の怒りだと言われたんです。それが長い年月かけて悪魔の国の門を管理する神様と誤解され、銀髪で紫の目を持つ者を捧げると、魔界の門が開き力を授かると歪んだ伝承になってしまったんです」
「かなり強引な意訳ですね」
私は驚いてしまった。
そんな間違って伝わった迷信のせいで捕まったなんて酷すぎる。
「そんな話をしている間に島につきました。ここから聖域に向かいましょう」
「聖域ですか?」
「さようでございます。力を秘めしものしか入れません」
雲が地面に近づいていく。
カイナツさんは雲から私達を下ろしてくれた。
降り立った場所はゴツゴツした岩場だった。
そこをカイナツさんは歩いていく。
私たちはその後ろをついて行くことにした。
最後尾は私達のトランクを持った小人達だ。
岩場を登って行くと、高い場所に、海を見渡せるようにして置かれた大理石でできたテーブルがあった。
同じく大理石でできた椅子に座れとでも言うように、カイナツさんはその前で待っている。
椅子に腰を下ろすと、一見、岩で作られたゴツゴツしたものに見えるはずなのに、硬い岩が実はクッションだったようでバランスを崩した。
硬いと思って座ったのに柔らかくてびっくりする!
こんな柔らかいクッションは初めてだ。右に体重をかけると右に大きく沈み込み、左に体重をかけると左が大きく沈み込む。
「これ何?初めての触り心地だわ」
隣のグラッドさんを見ると、同じように座面の柔らかさに四苦八苦している。
「これはウォータークッションです。中にセイレーン様の魔力で作ったウォーターゼリーが入っております」
カイナツさんは、皆が知っていて当たり前だとでも言うような口調で説明してくれた。
その間にも小人達がお茶の準備をしてくれた。
ガラスのティーカップに、綺麗なブルーのお茶を注いでくれる。
それと一緒に、貝殻の器に盛られたクッキーがでできた。
「セイレーン様は、ここから船を呼ぶ事もあるそうですよ。遠くに見える船に向かって歌を唄うと、自然と船がこちらに向かってくるそうですよ。お二人も試してみますか?」
「いえ。結構です」
苦笑いで答える。