Ep03-06-04
4
場の空気が悪くなりやしないかひやひやするクシニダをよそに、向かいにいたアラルが人の悪そうな笑声を、くつくつと喉の奥でくぐもらせている。彼女はだが、別にギリークに対して隔意があるわけでもなさそうだ。誰彼かまわず人をからかいたい、といった性分なだけなのだろう。すぐに飽きたとばかりに、もう一度バーナディルに対して質問を振った。
「ま、武器が壊れるようにできてるかできてないかでは、敵性体に対しては特に変わりないってことだよね。だったら、あの子だけがあんなふうにすぱすぱ敵を斬っちゃうのって、やっぱり魂の力が強いとか、そっちになってくるん?」
「魂ですか。敵性体も魂も、観測のしようがありませんから、断言するのも憚られますが、わたしは、魂の係数を一と考える思考体系のほうに合理性を感じますね」
「わたしはあれ嫌い。人も虫も一で一緒なら、敵性体に魔法が効かなくなってるわたしは、なんなのって言いたくなるってもんでしょ?」
「アラルはまあ、それで整合性がついて――」
バーナディルがはっとして口を押さえた。と同時にクシニダのほうを向くと、さらに慌てたように、ルーアリィプのほうに視線を逸らした。ルーアリィプは気鬱げに首を振っている。
そんな現地人二人の様子に気づくと、アラルはクシニダを見て破顔した。
「あはは。ごめんね、クシニダちゃん。この二人はわたしの事情の拡散に配慮してんだわ。だからまあ、わたし関連のことが唐突に伏せられてても気にしないで。知ってても面倒になるだけなんだからさ」
「はい」
と、クシニダは素直に頷いておく。アラルに対しての興味なら多少はあるが、面倒事に巻き込まれるのは御免被りたい。
こほん、とバーナディルが咳払いをして、話を本筋に戻す。
「少なくても、柿崎さんの斬撃が敵性体に対して桁外れの切れ味を見せることは、魂うんぬんの話ではなく、通常の物理現象で目途がつけられると思いますよ」
その発言に、一番の驚きを持ったのはおそらく、五人の中ではバーナディルに次ぐ知見を持つ、ルーアリィプだったのだろう。思わず、というようにつぶやいていた。
「あれが、通常の物理現象?」
確かに先程見た景虎の戦闘は、映像の細工を疑いたくなるほど信じられない光景の連続だった。他の人間が傷もつけられない強化体を容易く切り裂くあれが、あの双方が、通常の物理現象に見える人間がいるだけでも驚きだ。
アラルがルーアリィプのつぶやきをきちんと言い直す。
「通常の物理現象だけで説明がつくん?」
「だけ、と言われてしまいますと、敵性体そのものが物質で構成されているかすら定かではありませんからね。あくまでも、いままでの対処結果に、新たな概念的な要素を加えなくてもいいということです。敵性体討伐には魂の存在が必須なのも変えられませんが、魂の係数が一も変える必要はありません」
「それでいいから続けてちょうだい」と、ルーアリィプ。
「では、少し、先に前提となる現象を並べてみましょう。兵器が敵性体に効かない理由、これは魂がない、とされる一方で、軌道が完全に予測されるから、その衝撃さえもエネルギーとして吸収されてしまう、との説も有力です。仮に人のコントロールで動かしても、機械がそのとおりに動こうとした時点で、敵性体には予測がついてしまう、と考えられているわけですね。魂うんぬんが叫ばれだしたのはこれのせいなんですが、物理的に考えれば、敵性体は単に生物の動きが予測できない、情報として読み取れない、というのが正しいのかもしれません」
各人が頷くのを見て、バーナディルが続ける。
「けれど、生物の精度の不確かさが敵性体に有効とは言い切れない。なぜなら、異世界人戦士の証言が多々残されているのですが、調子が良い時ほど敵がよく斬れる、等のさらなる真意だと、ギリーク大将、思ったとおりに剣が振れた、ということに尽きるのではありませんか?」
「そうだな。力尽くの振りを当てるより、精度が高く振れた時のほうが敵を脆く感じる」
「良い回答をありがとうございます。軍ではこの貴重なご意見を単なる主観、あるいは、思いどおりに扱える類のものではないと割り切られているのでしょうね。ですが、これが主観でなく客観、現実に即しているとするならば、精度の良さという攻撃の質的要因が、敵の防御を弱めているなり間に合わせなくしているなりと解釈するのが妥当となる」
アラルがしきりに首を傾げながら確認する。
「防御、と言うのは防衛反応を抜いた防御力、硬度と考えても?」
「硬度の扱いはあとで変えようと思っているので、いまのところは防御力とだけ考え目を瞑ってくだされば幸いです。とりあえず、攻撃の質により、防御の効率が下がる可能性があるとでも気に留めておいてください」
ギリークが、肩の高さまで手を挙げる。会議で発言する時の癖なのだろう。
「柿崎景虎の精度は、この国の異世界人戦力の誰とも比較にならないほど、圧倒的に頭抜けている。だが、剣技における精度というのは、どう数値化すればいい。何に何度成功した、なんて回数記録で較べたところで、戦闘にどう反映するかわかるものでもないだろう?」
「仰るとおりですね。けれど、代用できそうな数値なら出ているじゃないですか」
「……武器の再現度、か? ほぼ百パーセントという数値だったから、彼がそういう精度で己が刀を振るっていることにはなんの異論もない。だが、本部所属の精鋭の武器再現度平均が四十五パーセントなんだ。この数値を彼らの精度と言われてしまうのには違和感があるな」
「そういうことでしたら、空中に突然現れたラインを、敵に対するくらい真剣に攻撃するテストをするとしましょう。ギリーク大将の仰る彼らならば、このラインに対して剣を振った時、四十五パーセント以上の長さをなぞっていられる印象があるのですね?」
「まあ……な」
「ラインの厚みはどうでしょう? 持った剣の刃先とぴったり同じ厚みのつもりでしたが」
「それでも、最大で四、五十パーセント止まりではないはずだ」
「ではこうしましょう。ラインに奥行を持たせます。この包帯みたいなラインを刃先でぴったりなぞれた面積の割合なら、最大四十五パーセントほどでご納得いただけますか?」
「そう……だな」
ギリークを渋々頷かせると、横のルーアリィプから疑問の声が上がる。
「何か、都合良く条件を付け替えているふうに聞こえてしまうのだけれど、物理的な説明というのがそんなふうに融通を利かせてだいじょうぶなの?」
「条件に関しては、正直適当で差し支えありません。柿崎さんが他者に差をつけている事象に対して、武器の再現度の値を流用したかっただけですから。ただ、最後のテスト内容はあとで説得力の足しにもなってくると思うので、頭の隅にでも留めておいてください」
「あの斬撃の謎を解くには、百パーセントに近い数値のロジックが必要になるわけね?」
バーナディルが頷いて、説明を先に進める。
「百パーセントに近い値、という言葉が出てきましたので、早速これを柿崎さんの斬撃に当て嵌めてみますね。要は、ロスの少ない斬撃はそれだけ切れやすくなる、という流れにしていくつもりなのですけど、ここで異論のある方はいらっしゃいますか?」
誰もが黙っていたが、代表するようにギリークが返事する。
「とりあえずは、それでいい」
「では、斬撃のロスが何を指すかですが、ここではそれを衝撃の反動だと定義します。ですから、反動が少ない当て方をすればそれだけスムーズに斬り進められる。異論があればどうぞ」
「いや、納得できる話になってきた。確かに柿崎景虎は反動を極小にする斬り方をしている。壊れやすい得物を壊さないよう振っているのだから、いついかなる時でも、反動を起こさせないよう、歪んだ振り抜き方にならないよう、気を配り続けなければならないわけだ」
「刀を強化しない理由を柿崎さんにお聞きした折に彼は、雑になる、腕が落ちる、動きが身体に出る、と仰っていました。だから、ギリーク大将がご指摘になられたようなことを、望んで是としているのでしょうね」
「あの域に達してもなお、腕を磨き続けているのか……」
「ただ、そんな柿崎さんでも、ほんの少しも反動をもらわないで戦えるわけではありません。柿崎さんの刀は、密度の雑味が微妙に異なる金属が層を成した構造になっていて、表層の柔めの金属に包まれている堅めの金属の層があり、それがどうも、刃を真っ直ぐに立てて振り抜いてさえいれば、その薄い堅めの層に反動の大半が伝って行ってしまうようなのです。これは、おそらく柿崎さん本人も知らないはずの、彼の刀の仕組みとなりますが、堅めの金属の配分を少し増やすだけでも、格段に扱いやすい刀にできますね。もちろん、全体を硬質化すれば何も気にせず振り回すことができるようになりますが、それだけでは柿崎さんが見せたような、敵性体への強い斬撃力を発揮することはないでしょう。硬質化しても、柿崎さんのように振らなければ、ロスの少ない斬撃にはなりません。刃の鋭利化も同様です。奥行をつけたラインをなぞる、という例を先程は出させていただきましたが、そのくらい、刃の向きと力の向きを一致させなくては、要らぬ負荷で刀を曲げてしまう。即ちロスが多い、ということになります」
ルーアリィプがごくりと喉を鳴らす。
「ギリーク大将、これは、そう心がけるよう通達して、どうにかなるものなのか?」
「無理でしょう。剣の振り方の一つとして皆心得てはいるでしょうが、急場を凌ぐために持っているだけで、これを頻度の高い攻撃として組み入れている者は、まず見かけません。ましてや、それを実戦で、柿崎景虎ほどの精度練度にしろと言うのは不可能だ。現地人に赤子のうちからこれを仕込み、運良く天才であってくれれば、真似事くらいにはものにしてくれる。と、そうであることを願って、育てる他はないな」
「それほどですか。適性のありそうな者に充分な訓練期間を与えるのではだめかしら?」
「速く力強く躍動するのを旨とする舞踊家に、指先の伸びや傾きを音に少しも前後させずに合わせる舞踊をさせるようなものです。優劣ではなく、培ってきたものの質があまりにも違う」
「簡単に戦力アップとはいかないねえ」
アラルが茶化すように口を出すと、ルーアリィプが反論する。
「誰も簡単になんて思っていませんよ。その程度のものなら、これまでの実践データにだって某かの兆候が顕れていたはずですから」
「同感ですな。ということは博士殿。ロスの無い斬撃が敵性体に有効、はいいでしょう。それがいかに困難かは、むしろ実戦に近しい立場の軍のほうがより知悉している。しかし、困難さに見合う成果があの斬撃力というのではいささか、物理的な説明とは言いがたいのでは? 百パーセント対四十五パーセントとはいえ、四十五パーセント分の成果は見えてきてほしいところなのですが」
「正確には九九・九九九九九九八七九四――と、もう数百桁ばかり続くわけなのですが、すっきりした数字にしたほうが説明しやすいので、小数点以下の九はおまけして七つということにさせてください。代わりに、と言ってはなんですが、較べる数のほうもすっきりと、思いきって五十におまけしておきますね。ということはつまり、柿崎さん以外の人の通常の攻撃には、二分の一のロスがあることになる。対して柿崎さんは、十憶分の一しかロスしていない――」
バーナディルはそこでもったいぶった間を空けると、ずばりという感じで皆に確認した。
「――これなら数値にして五億倍の差があるのを見えやすくできましたか?」
ごふっ、と、飲み物を口にしていたらしきアラルが、仮面の下で盛大に噴き出したのちに、噎せていた。まあ、気持ちはわからないでもない。バーナディル以外はクシニダも含め、皆、桁違いの数字に身体が拒絶反応を起こしている。
アラルが首を振り、軍人二人を交互に見やりながら、しきりに訊ねだした。
「ごふっ、ごっ、ごごご、五億倍! え? ほんとにそんな差になっちゃうの。ほんとに合ってんの、それ」
「理解しかねますが計算上は……。ああ、でも、強化体を真っ二つにした斬撃の威力を考えると、それで妥当なのかもと思ってしまいそうで……」
ルーアリィプでも動揺を隠せないらしく、額に手を当てていた。
その横でドンッ、と円卓を叩く音が鳴る。ギリークの仕業だ。怒気すら孕んだ声色で、バーナディルの計算を拒絶した。
「大げさは大概にしてもらおう。机上の空論でなく、現実の数字で話してくれないか」
口までは開けていないが、バーナディルはぽかんとした表情だ。
「五億倍が現実に即していない、ということでしょうか?」
「そうだ。おおよそ人の振る剣の威力を語る時に出す数字じゃないのがわからないか? 柿崎景虎が成し遂げた偉業に、こちらは何一つケチをつけるつもりはない。最高評価で彼の価値を認めているつもりだ。だから、妙な数値を出してまで、彼の評価を上げようとしなくていい。彼がロスする力が十憶分の一というのも、あながち信じられないわけじゃないが、攻撃の威力として較べるべきは、四十五パーセントと百パーセントであって、ロス分ではないだろう。彼の攻撃の威力が他者と較べて二倍以上なのは、そちらの数値でも確実だし、三、四倍までなら充分に頷ける。実際に戦闘をする身としては、そういう現実的な数値を聞かせてほしい」
ギリークはバーナディルと同い年くらいに見えるが実際は百近い。祖父と孫以上に歳の開きがある二人なのだ。もちろん、若い見た目のままで生きているのだから、そうそう枯れも老け込みもしないのだろう。ただ、それでもギリークはそれなりに大人だったし、言っていることも至極真っ当に聞こえた。
確かに、五億倍というのはクシニダの感覚でも、吹っ掛け過ぎている。なんて思ったつぎの瞬間、クシニダは自分が間違っていたことを悟った。
ちら、と目にしたギリークを見るバーナディルの表情が、ものを教える相手の知性を計るような、苦笑交じりの愛想笑いだったからだ。見覚えのある、どのレベルで説明してやれば理解できるだろうか、なんてことを考えている目。
付き合いはまだ浅いが、バーナディル・クル・マニキナが、自分の理解が及ばない高度な知性でものを考えている人間だと、クシニダは肌で感じている。
バーナディルがそんな目をするということはつまり、五億倍はでまかせでもなんでもなく、信憑性のある数値でしかないということなのだ。
そこそこ賢く生きてきたつもりのクシニダは、それがどういうものなのかの見当もつかない自分の頭の出来に、失望すら覚えそうになるのだった。




