Ep03-06-01
第六章 斬撃の解法
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傍観している芙実乃たちのいる、トンネルの出入口近くはもう、ほとんど外と言って遜色ないほど明るかった。幅も高さも二十メートルはあるし、五十メートル奥にいる景虎も、そう暗くは感じていないだろう。ただ、ここからでも明るさ以上によく見えているのは、ひたすらに長くうねるトンネルの闇色で、人物のコントラストが浮き彫りになっているからだ。
景虎。クロムエル。銀色の敵。景虎とクロムエルの上着は白い制服だし、銀色の敵などは、暗闇の中で浴びた光を微光として身に纏っていて、本当によく見えている。
そんな敵が、景虎に遮られたかと思うと、すぐにまた全身が露となった。
おそらくいま、景虎が敵の背後に回って刀を振るいだしたのだ。などと思った途端に、敵の身体がすとん、と上半身だけとなって落下したのちにぱたり、と前倒しに伏した。
この時の芙実乃は、景虎が勝った、とも、敵が倒された、とも思ってなかった。
思う間もなかった、と言うほうが正しい。
学校内での観戦なら、脳に補助演算を入れることができ、見ているものの速さも十分の一に感じられる。見たい部分の拡大だって思いのままで、景虎の表情だけにずっと集中してもいられるのだ。が、こんな山奥の中ではそんな恩恵には与れない。
実時間で見て理解し得なければ、時間は等速で過ぎ去ってしまうのだ。
景虎がここから向こうへ行ってしまった時のことを例に挙げると、距離にして五十メートルとなり、せいぜい七秒の出来事となる。実時間の七秒など、芙実乃の主観だとあっという間でしかなく、景虎が走りだしたと思った時にはもう向こうに着いていたし、敵の首が刎ねられていたらしきことも、見間違えどころか、気のせいとしか感じてなかった。
だから、敵の下半身が消失したところをばっちり目撃しても、おぼろげに、だるま落としじみた光景を見た印象があとから残るくらい。はっきりと、意味の理解できる行動として、認識と現実が合致しだしたのは、こちらに駆けて来る景虎が見えた時となってしまうのだった。
その時になってようやく、景虎が敵を倒して戻って来た、と感じたのだった。
「アーズは加勢に急げ。軍人、そなたには話してもらうことがある」
加勢……という言葉が出るからには、戦闘はまだ終わっていないのかもしれない。芙実乃は見た光景を自分なりに解釈するのにはそれなりの時間を要すが、言葉から発言者の意図を汲むことに関してはそう時間を要さない。
戦いがまだ終わっていないことを理解した。
景虎は飛び出したアーズのいた場所に立つと、左手だけで腰から鞘を外し、軍人に訊ねる。
「敵はいま、本当にマチュピッチュを狙っておるのか?」
「どういうことだい?」
「胴から上だけになってから都合二度、わたしはあれを叩き落したが、想定よりも左に逸れて跳ねようとしていた。あの場に残したクロムエルなど右寄り、こちらから見れば左寄りで対処しておる。標的に対して真っ直ぐに進む相手、とはもはや思えぬのだ。指さえもう、伸ばそうとしておらぬように見える」
状況を説明しつつ、景虎は刀を鞘に納めようとしていた。普段なら、納めている途中なんて芙実乃が認識する間もなく、景虎は刀を納めきってしまうのに、鞘を、紐まで解いて腰から外してしまっている。なぜだろう、と納刀の様子をじっと見ていて、刀が曲がっていることに気づいた。景虎は刀の歪みの箇所に逆向きの負荷を掛けながら無理矢理、最後には杖のように身体を預けてまで押し込んでしまった。たぶん、無理矢理にでも、鞘の中で正常に近い形で納刀されていれば、自然な直りが多少なりとも早くなると考えてなのかもしれない。試されたことがないから定かではないが、歪みは放っておいてもそのうち直る、ような趣旨のことをバーナディルからいつぞや聞いた気がする。が、景虎があんなにも力尽くのような真似までするくらいなのだ。完全に直るのは、一晩明けて以降となる可能性も低くない。それまでは、歪んだ刃が鞘につっかえて、抜くことさえできなくなる。
景虎の刀、識別名『虎の尾』は、数打物という大量生産品が試行錯誤されている段階でできたなまくらで、何に失敗した刀なのかと言うと、鉄の重ねなる、堅い鉄と柔な鉄の配合に難のあるものらしい。要するに、刀としては柔らかくし過ぎてしまった品なのだ。
では、なぜ景虎がそんななまくらを使用するのかと言うと、この刀にも利点とされるところが、当然ながらあったりもする。その第一が、形の良さだ。鉄が柔らかなために反りが大きな円の欠片のごとく整えられている、とは景虎の言。第二には、左右での重さの偏向の少なさ。これもまた鉄が柔らかなため、整える時の叩き入れが少なく、堅い鉄と柔な鉄が歪な偏りにならなかったのであろう、との推測を聞かせてもらえていた。そして第三は、欠けたり折れたりはしにくい、というものなのだが、これはどう考えても、鉄が柔らかで歪んだり曲がったりしやすい反面の特性だろう。この他にも細かな利点があるのだが、大まかなところではこの三つが決め手だ。そのどれもが、材質の柔らかさゆえの、作りやすさに起因している。
ということなのだが、芙実乃の聞く限りにおいて、この刀の扱いは本当に難しい。単なる剣聖くらいでは一振りでだめにするに違いないが、景虎に言わせると、真っ直ぐに振り下ろしてさえいれば、おいそれと曲がるものでもないらしい。が、クロムエルの感想だと、景虎の剣技に較べれば、自分の剣技など棒を振り回している子供のほうにより近しい、だそうだ。
これには、何事であろうとも景虎のほうを無条件に信じる芙実乃でさえ、クロムエルに軍配を上げそうになる。それでも、景虎が嘘を言っているつもりがないのは、柔らかな鉄だって人の骨よりは堅い、という実用面での過不足ない理由ばかり挙げることからも明白だった。
芙実乃が景虎の刀に見入っているあいだにも、軍人は景虎からの問いに答えていた。景虎が質していたのは確か、敵がこちらに向かおうとしてないように見える理由についてだ。
「敵性体は障害物を避けるか、排除しようとするが、左左……、いや、右左と別方向に向かおうとしていると? ……彼女が右、左、と、動いてしまったんじゃないのかい?」
軍人の言葉に、ルシエラが反撥する。
「景虎。マチュピッチュはおとなしく隠れてたわ」
「ピッチュ、ピッチュ」
そうだそうだ、とばかりに、マチュピッチュも同意した。
「だとしたら……魔――それで逃げ……を、打とうとしてる?」
「逃げ、があるのか? しかしそれで、敵がここを素通りしてくれるのであれば、あとはそなたらだけの問題と考えてよいことになりそうなものだが」
「あ、いや、それは……そう、と、言えないような……」
軍人はこちらを、主にマチュピッチュを見て、歯切れを悪くすると、目を逸らすようにまた前を向いてしまう。その態度から、芙実乃はピンと来た。
たぶんだが、軍人はマチュピッチュを心配してくれたのだ。つまりここで敵を逃がしてしまうと、マチュピッチュを狙われたままにしてしまう。そうなると狙われたマチュピッチュの前には常に敵が現れる危険性があるわけで、それに備えなくてはならなくなるのだ。
おそらく、国も軍も学校も、マチュピッチュの身の安全を万全に整えてくれよう。しかし、そんな万全の態勢を、皆と普通の学校生活を送らせたまま、取ってくれるのだろうか?
答えは否だ。
他の学生がたくさんいる場所に、あんな敵を来させるわけにはいかない、と考えるはず。
マチュピッチュは、下手をすると人のいない孤島に隔離されてしまう、なんてことにもなりかねないのではなかろうか。
国やら学校やらのしそうなことには考えが及ばないルシエラでさえ、悪い予感に囚われたらしく、しっぽを掴んでマチュピッチュを心もち引き寄せていた。
「マチュー?」
マチュピッチュが首を傾げる。自分の今後が左右される瀬戸際だと、唯一人わかってないのだろう。マチュピッチュ以外は当然、景虎もラミューンも察しをつけているはずだ。
景虎が悔恨を滲ませる。
「逃げに打って出られたのはわたしのせいだな。そちらの加勢が来るまで、耐えて待っておれば良かったのか?」
「いや、こんなありえないほどの弱体化を見れば、本部だって内心は大歓迎だと思うが……」
「しかし敵は、弱体化ではなく、むしろ元気になっておろう?」
景虎の理解しがたい一言に、ラミューンが声を大きくして反応した。
「えっ! 元気になっちゃったって……?」
「どうやら、身体を半分にしたのに、出せる力はそう変わっておらぬのだ」
景虎の返答に女性陣が頭を悩ませる中、前の軍人が口を開いた。
「いや、それでも弱体化だ。なんと言うのかな。総体のエネルギーを半減させても、出力を半分にできるわけじゃないっていう……」
「なれば、強く見えても道理ということだな」
「確かに、そうと言えなくもなくなるね」
と、ここまで会話が進んでも、芙実乃にはよくわからない。総体と出力がどう関係すれば、敵が強くなることになるのか。しかし、端的な言葉の応酬で会話が成立してしまっている景虎と軍人は、前提となっている事柄を掘り下げて説明してくれそうにはなかった。
そんなところに、おずおずといった様子で、ラミューンが確認を入れてくれる。
「つまり敵の強さは、保有エネルギーを体積で割った値、ということでしょうか?」
「そうだね。同個体で考えるなら、たぶん何も間違ってないと思う」
軍人に肯定されたラミューンに、質問を重ねそうな気配はない。だが、景虎が敵が強くなったと言った理由がわからないでは、芙実乃の気懸かりは晴れないままだ。しばし黙考に入る。
ゲームのように考えれば、敵の攻撃力や防御力は、HPに比例する。景虎は敵のHPを半減させたが、それは最大HPであって、現在HPではない。それが問題なのなら、現在HPだけを半減させた場合とは違う計算法が必要となる。例えば、HPを数値でなくパーセンテージで扱い、その割合を敵の個体値に掛けた値が、現在の敵の強さになるとかだ。
ここまではわかる。だがそれでは、最大HPごと半減している現在HPに対し、個体値そのものが増えてないと、景虎の主観に近づかないのだ。芙実乃は諦めて、景虎に質問してみた。
「景虎くん。どうして敵は元気になってるんでしょう? ラミューンさんたちの話だと、強さは変わらないように聞こえちゃうのに」
「難しいことではない。身体を半分にしたのに、出せる力は変わっておらぬ、の身体のところを、体重が半分になったと考えればよいのだ」
同じ力で重量が半分なら計算上、二倍の跳躍も可能になる。景虎は最初からちゃんと答えを言っていたのだ。頭の悪いところを晒したのは恥ずかしいものの、ちゃんと気懸かりは晴れたし、計算の早いルシエラでも、理解したのは同じタイミングだったようだし、良しとする。
芙実乃は、時々目に入っていた前方の交戦風景を思い出しながら、再び訊いた。
「でも、向こうにいる二人が何度か落っことせない時もありましたけど、二倍は高く跳んでませんし、あっという間にこっちに来たりもないのは、どうしてなんでしょう?」
「形として腕では脚のようには跳べぬのであろう。前へ跳ぶのもな。だが、足で着地せずともかまわなくなった分、着地でのもたつきが少ない。平たくなった胴での着地なれば、地に届く手首でしか跳ばぬが、腹這いで着地されると腕と肘を使いきった跳躍になる」
形状なら、脚と膝で跳ぶほうが高さも距離も出るが、腕と肘では劣る。ただし、体重が半分になってもいるから、同量の力を出せる腕と肘で、脚と膝より跳べてしまう。
敵が元気になっているというのは、感覚としてなら、正解以上と言えそうだ。けれど、それが敵を半分にした景虎のせいだなんてのは、絶対に違う。この件にはすでに、国やら軍やらがそれなりにかかわっていると思われるが、成果らしい成果を上げたのは唯一人。
景虎だけに相違ないのだ。
もちろん、ここにいる軍人やクロムエルやアーズらが、敵を遠ざけてくれていたことのほうが、芙実乃たちにとっては命にかかわることだったろう。だが、それは被害を拡大させないという意味合いでの成果であり、敵の討伐という、根本的な解決とは一線を画している。
それを。
景虎はすでに、それを一変させてしまっていた。
と言うのもいま、おそらく誰も生命の危機を感じてはいないのは、景虎のおかげだからだ。繋いだ手の奥から伝わる緊張の糸のようなものが、ルシエラからもラミューンからも緩んできているのがわかる。それは景虎が敵の変化を説明したことで、軍人から、敵が逃げようとしているとの推論を引き出したからこその弛緩。危機感の水位が、如実に下げられた証だった。
いまの懸念が何かと言うと、この先の学園生活にマチュピッチュがいられるかどうかというものだ。当然のことながら大問題だし、叶わなければ、在学中、ずっと心を痛める出来事となろう。だがそれでも、たとえ蘇生が簡単にできるこの世界においてだって、死に直面してきたこの数時間と較べれば、どうしても緊張感が薄れてしまう。
会話中の景虎に自然と誘導され、現在、列はラミューンの背中に壁がつくくらいの位置で、分度器の目盛りのように動いている。進ませてしまっている敵が横を通り抜ける時、少しでも離れていられるように、端に寄り気味でいるのだ。跳躍にはクロムエルの撃ち落とし、這いだした時にはアーズの蹴りで対処しているものの、敵にはどうにも進まれてしまっている。
ただ、半分になる前は五十メートル程度でしきりに指の攻撃をしてきた敵が、二十五メートル付近にまで来ているのに、それもしない。逃げに徹しているということだろうか。芙実乃の素人目ではなんとも言いがたいが、もっと密な包囲で出口側の逃げ場を奪い、叩き落した直後の続けざまに押し込むのでなければ、奧には追いやれなさそうだ。単純に人数が足りてない。
トンネルを出て道なりに逃げて行ってくれるなら、あとは軍がどうにでもしてくれるはず。だが、左右の木々の中に逃げ込まれでもしたら、百年、千年の単位で人が足を踏み入れてなさそうな、山の斜面での山狩りをして倒さなければならない。それが終わるまではきっとマチュピッチュとは離れ離れになってしまう。軍が手間取れば手間取っただけ、マチュピッチュがひとりぼっちで過ごすはめになるのだ。
そして万一、取り逃がすようなことにでもなれば……。
「芙実乃」
そこに景虎の声が静かに響く。
「わたしにはいま、あれを斬る手立てはない。脇差でも、曲がった刀でも、腕のどこでも斬れるという長さには足りぬ。また、跳ぶ勢いを利用しようにも、もはや人に類した動きをしておらぬでは、どう振り下ろすかの予想どころか、足の置き場を決めておくことすら困難だ。それを試さば、脇差も一度の攻撃で歪めてしまうことにもなろう。しかし、脇差自体の切れ味を上げることができれば、その限りではなくなる目も出てくるというもの。その方法とは――」
言葉にされずとも、芙実乃には答えがわかった。それでも、固唾を呑んで、実際の声にされるのを待つ。ごくり、と。その音が耳に届いてしまったのか、景虎は、芙実乃の心の裡を見透かしているかのように、それを口にした。
「――わかるな。纏魔法だ」




