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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
89/140

Ep03-05-07


   7


 クロムエルの足は、敵の指が戻るよりも、はるかに速かった。

 なぜなら敵の指は、景虎が切断した時のようには萎れてはいなかったものの、指のつけ根より奧にある二の腕が、掲げたままぷらんと垂れ落ちていたからだ。もちろん、敵の腕をそんなふうにしてしまったのは、景虎以外の誰の仕業でもない。

 景虎はクロムエルが指を弾くのに合わせ、敵の二の腕に皮一枚を残す上段斬りを振り下ろしていたのだ。

 その結果として、敵は指の戻しより腕の修復を優先させざるを得なくなった。額以下を真っ二つにされた先ほどの復元に倣うなら、ぶら下がっている肘あたりを、新たな手のひらとして生成し直したほうが早いのに、指を戻せないせいなのか、そこの修復が遅くなっている。

 そんな景虎の一手のおかげでクロムエルは、地べたに落ちた指に沿って、気懸かりなくその横を駆けていられるのだ。景虎の声が飛ぶ。

「そのまま弾き飛ばせ!」

 そのまま、というのは、助走の勢いまで利用して、ということだ。

 伸びる指はこれ以上短くしない。指の大元である右腕が差し出されたかのように掲げられていたのに、斬りきらずに繋げておく。この攻撃手段を敵から取り上げてしまうのは、得策ではないと景虎が考えている証拠だ。

 とはいえ、その攻撃であればしたい放題にさせてやろう、なんて意図であるはずもない。その攻撃手段を持たせたまま、弾き飛ばして敵を射程外に追いやる、というのが魔法少女たちを最も安全にしておけるという判断なのだろう。が、ただ弾き飛ばすだけでいいなら、アーズと軍人の二人を下げて、クロムエルを呼び寄せる必要はない。

 二人がずっとしていた、疲れるたびに仕切り直すやり方は望まれてない。

 だから一撃。

 一撃でできるだけ敵を遠くに追いやり、敵がその距離を戻そうとするあいだに、可能な限り景虎が攻撃を加える。クロムエルの役割は、敵を奥へ奥へと追いやることではなく、指を伸ばそうとする位置より、常に敵を押し込めておくことだ。心がけなければならないことは、求めに応じて剣を振れる態勢を整えること。決して疲れないことだ。

 クロムエルは肺に息を溜めだした。敵は、裂かれた二の腕の断面を下に向けた状態で繋げようとしている。元の形を保ったまま傷口を修復するならそれが最短だからだ。それでも、肘下の中身を重力に逆らわせて傷口を塞ぐのには、それ相応の時間を要すのだろう。敵が腕の修復を終えた時にはクロムエルはすでに、地を這っている指を跨いで、敵の真横を占めていた。

 その瞬間にちょうど肺を息で満たし、満を持しての一撃を敵の胴に叩き込む。

 ガギッッ!

 ――キィィィィィィ!

 敵の身体を浮かせた一撃は、その分だけ、地面と足の擦れる音が立つのを遅らせた。当然、その分の飛距離をも稼いだということでもある。けれどやはり、クロムエルには敵を傷つけた感触は得られていない。軍人が斬れてないのも目にしてるから落ち込みはしないが、敵が唐突に柔らかくなっているわけでもなさそうだった。

 まさか景虎に斬られる時だけ柔らかくなっている、なんてことはさすがにありえないから、クロムエルはこの件を、斬り方の上手さということで割り切ることした。ここで自分の不甲斐なさに焦れても事態を良くしない。自分は、いつものように景虎から学ばせてもらうだけだ。

 その景虎が、滑る敵を追いかけて、敵の正面に躍り出る。

 いや。出てから舞い踊る、と言うほうが、クロムエルの見た印象にはより近い。

 景虎は、敵の正面で敵に背中を向けなくてはならない、回転からの、胴の薙ぎ払いを放ったのだ。かなり危うい真似だが、敵の指が戻りきってないうちは攻撃もないと踏んでのことだろう。それにあの柿崎景虎が、敵の動く兆候を見逃しているはずもない。

 クロムエルはそこに疑いを挟まず、その一刀に眦を凝らす。

 短い助走をきっかけの動力にしての回転、回転中でのさらなる加速、そうして積み重ねた速度をそっくり剣速に上乗せしてしまう、鮮やかな斬撃だった。

 腰を落とし目にしての横薙ぎは、完璧なまでに地面と平行する剣閃を描き、敵のウェストのくびれ、胴の中で一番細い高さにアジャストされている。

 シュルル。

 と、耳障りな金属同士の擦過音も立てずに、景虎の斬撃はみるみる敵の腹の中へと埋まっていく。

 ただしそれは、刀の長さの限りまで。

 充分な助走を取れた一刀でも、景虎は敵の首を斬り落としきれていない。そのことを踏まえれば、刀の長さで切りきれる太さは、首の太さが限度。回転を加えたこの一刀も、威力なら助走ありの一刀と遜色ない出来となっているだろうが、当てた部分がウェストともなればそもそもの太さ自体が違う。断面の面積で換算すると、ウェストは首の三、四倍にもなる。形状として太い分だけ、効率良く纏めて切れもするのだろうが、それでもさすがに微増だし、誤差の範囲内でしかない。景虎が一刀のもとに斬れるのは、やはり首の太さが限度と見るべきだ。

 つまり、胴を両断するには、景虎が三、四撃分攻撃を重ねねばならない。

 しかも、敵に修復する暇を与えずに、だ。

 クロムエルは、続けて攻撃を繰り出すであろう景虎へのせめてもの援護たれと、追いかけるその足の置き場を、未だ戻りかけの敵の指を踏みつける進路にしておく。

 一刀目を振り抜けた景虎が、二刀目のための回転に入る。

 だがこれは、その態勢に入れるだけでも神業、というほどの絶技だった。

 剣で人を攻撃したことのない者だと、たった二回転で何を大げさな、と思うかもしれない。確かに人は、連続で回転するだけなら、わりと際限なく回っていられる。しかしそれは、回転自体を目的とした回転であればの話なのだ。前の回転の余勢でさらなる回転をするのは、言い替えると、前の回転はさらなる回転のためにするもの、とすら言えてしまう。

 それに対し、景虎がいまし方見せた回転は、目的それそのものが別物だ。

 あくまでも斬る威力を得るために回転という手段を利用しているのであり、攻撃を当ててしまえば、そこまで蓄えたベクトルをすべて使いきってしまう。威力を余すところなく斬撃に注ぎ込んでしまうのだから、さらなる回転に都合できるベクトルも当然ながらゼロになる。

 おそらく、振り抜く際の、最後の肘の曲げをやや過分にする程度のきっかけで、使う筋力を前面から背面に移行させ、無理矢理の瞬発力で回っているのだろう。言うなれば、二回転目ではなく、単回転の連発。そんな高難度の回転でありながら、景虎は回転軸自体は真っ直ぐに保ちつつ、回転そのものをやや逆円錐状の軌道にすることで、背面筋力のほとんどを二刀目の速度に変換してみせた。

 遅れて軌道を辿る髪の美々しき曲線をその目に焼きつけられるのは、間近にいるクロムエルだけ。この世に一人だけの特権だと思うと見惚れずにはいられない光景だが、戦闘技術の粋を先に見せつけられていたおかげで、迂闊に思考を占められずに済ませられた。伸ばした左足で垂れた敵の指を踏みつつ、景虎の二刀目が掠らない横並びの位置で止まるクロムエル。

 その眼前で、敵に到達した景虎の二刀目が、一刀目でできた傷の中に吸い込まれた。

 景虎は当たり前のようにやっているが、積んだ箱と箱のあいだを振り抜くようなもので、これができるのもやはり景虎だからこそだ。元の世界で、精度を上げる訓練も疎かにしてなかったクロムエルでもこんな真似、二度に一度しか成功はさせられまい。

 が、二刀目を薙ぎ抜く最中、景虎が鋭く声を放った。

「塞いでいろ!」

 何を、とは問うまでもなかった。景虎が次撃を繰り出す準備を整えるあいだに、敵が傷を修復してしまわないよう、クロムエルが剣で塞いでおかなくてはならないのだ。

 ただ、半々でしか成功させられない、と思っていたほどには、それは難しくなかった。

 なぜなら、景虎は薙ぎ払いの後半、敵の横を抜けるように身体ごと動きだしており、クロムエルが剣を振るスペースを空けてくれていた。さらに、その時にはまだ敵の腹に景虎の刀が埋まったままで、塞ぐ箇所が隙間となって、しっかり開いていたからだ。

 隙間に、クロムエルが剣を叩き込む。

 追いかけて来る剣にぶつからない程度の直後に、刀を振り抜いていた景虎は敵の横に。

 どうも景虎は、動くというよりも、逆円錐状に回した上半身を、自然と敵をすり抜けてゆく角度に向け投げ出していたようだ。敵の横でも実に流れるようにくるり回ると、ついでとばかりに左腕と腰に斬りつけながらもう一回転。この移動中の二回転は、足運びによるステップとターンに回転を取り入れているだけで、斬りつけていても、回転力が失われるといった類いのものではない。単に足を動かして移動しているだけ。角ばった動きにしないのは、動くだけで発生する遠心力を無駄にせず運ぶためのものだ。途中おまけで斬りつけているというのも、運びきれない分の遠心力のお裾分け程度にしているからなのだった。

 だから、敵の左腕と腰に斬りつけながらの回転と移動を終えた景虎はいま、斬撃に転嫁できる最大の遠心力を刀に乗せて、敵の背後に到達していることになる。

 その、背後に回って最初の一刀目。累計での三刀目。

 敵の身体を介して繋がっているクロムエルにすら振動を感じさせない静かな一刀は、だが確かに、クロムエルが塞ぐ傷口と同じ高さの傷を、敵の裏側に与えているに違いない。

 続けての四刀目。

 正面同様の神業の二回転目から放たれた一刀は、恐るべきことに、反対側を埋めて待っていたクロムエルの剣の刃を撫でつけた。切り口の高さをぴたりと揃えてみせたのだ。

 しかし、都合四度の薙ぎ払いでも、わずかにまだ内部を残してしまう。薙ぎ払いの軌道を考えれば致し方ないことだったが、クロムエル側から見える敵の右腰にわずかに切れ目のない部分がある。剣の切っ先の感触で、左腰側にも繋がった部分があるとわかった。

 だからこそ、景虎は五刀目を放つ態勢に入る。

 すぐにでも次撃を繰り出さなければ、敵の背中が修復されてしまうからだ。それにクロムエルが塞いでいる傷口も、そう時をかけずに剣を押し出しての修復がされてしまうだろう。現に景虎の刀の切っ先が触れたクロムエルの剣の刃には、修復の気配のような触感があった。

 いましかない、という五刀目なのだ。

 が、四刀目の動作でさえ、神業というくらい、身体に無理をさせている。そこでまた回転を仕切り直すともなると、逆円錐の動きをさらに円周を拡げて身体を振り回すしかない。

 振りきったあとに転倒は必至、というほど強引に身体を振ろうとする景虎。

 五刀目。その直前。

「合わせよ!」

 それはもはや以心伝心。

 刀の根本から敵の脇腹を撫で斬ろうという五刀目に合わせ、クロムエルは自身の剣の切っ先を引っ込める。ただし、引っ込め過ぎてはいけない。早くどけてしまえばそれだけ、中身を修復されてしまうことになるからだ。剣の切っ先と撫で斬る刀の刃がすれすれで触れないよう、クロムエルは斬り進んでくる刀に合わせて、剣を引き抜いていく。

 そしてついに。

 景虎は敵の胴を端から端まで、一刀のもとに撫で斬ることに成功した。

 ただ、敵の身体という支えを失ってしまった刀にはもう振り抜けた勢いを殺す手段が何もなく、また、事後を顧みずに刀を振りきった景虎にも投げ出された身体を立て直す術はない。

 余勢で動く刀に身体を持って行かれ、左肩から転倒しかける景虎。

 自分側に突っ込んで来られる予測がついていたクロムエルは、どうにか剣の切っ先を景虎側から逆向きへと引っ込めると、すぐに右肘を戻し、二の腕で景虎の肩を受け止める。

 が、それで支えられたのは一瞬だけ。

 左足は敵の指の上。可及的速やかに反転させた剣の荷重。無理に開かせた上体。そんな状態で、体勢を崩す景虎の勢いを半分引き受けたのだ。堪えきれずにクロムエルは転倒した。

 とはいえ、前に真っ直ぐ倒れられたから、左手に握る剣も離さず、両手で受け身も取れるくらいだ。それで、と言うか、それでも、と言うべきか。転倒を許容すれば、クロムエルにはある意味余裕があって、倒れている最中でも景虎の安否は見届けていられた。

 そもそも、自分で自分の身体を投げ出していた景虎に、この時できることはないに等しい。だから、クロムエルが自身の転倒と引き替えに景虎に与えられたのは、転倒速度の軽減くらいのものだった。しかし、そのわずかな時間の猶予とダメージの低減により、景虎は身体より早く左手を地面に着き、どこも傷めずに片膝を着くだけで済ませられた。ように見えた。

 その、束の間の安堵と油断。

 そんなクロムエルの視界の中にいた景虎が、突然、窮したかのように跳び上がっていた。

 何事か、と慌てて追った動きの先に見えるのは、跳びながら刀を握り変える景虎の右腕。

 峯打ちに持ち直された刀が、上段斬りの軌道を描くが、跳んだ体勢と同様にわずかに左へと傾いている。その刀の峯側、見ようによっては鈎状に見えなくもない反りの内側に、上半身だけとなった敵の首のつけ根がかかる。

 そう。油断していた。敵は人間ではない。生物ですらないのかもしれない。

 だから、下半身を失くしても、腕の力だけであんなにも勢い良く跳ねることができるのだ。

 上半身だけとなったそれを、体重を乗せた景虎の斬撃が、地面へと叩き落とす。

 遠目で見た似たシチュエーションの時は、景虎は敵の身体を縦に真っ二つにしていたが、立ち位置が右にずれていた今回は、敵が跳ぶ角度にぴたりとは合わせられなかったのだ。一か八かでも届けばいいものとして、また、わずかにでも叩き落せる可能性を高めるものとして、刀の峯側を向けていたのだろう。反りのある刃を斜め前に跳ぶ敵に、後ろから当てるのでは引っ掛けられないが、反りが逆になる峯であれば、その分、切っ先は前に出ていることになる。

 景虎はそれだけのことを咄嗟に判断し、すべきことをやり遂げていたのだ。魔法少女たちの護衛に就くアーズらに、不意を突いた敵の大接近を許すところだった。

 しかし、その代償は高くつくことになったのかもしれない。

 柿崎景虎が帯刀を許された打刀、識別名『虎の尾』は、いまこの時、その切っ先が捻じれ、折れ曲がってしまっていた。

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