Ep03-05-06
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外の景色が見えだすと、トンネルの天井までの高さは五階ほど、幅もほぼ同じなのが輪郭からわかってきた。高さがあれば、陽光もそれだけいっぺんに入っても来る。前方と後方を交互に見ているラミューンの印象では、同じ長さでも高さだと高く見え、幅だと狭く見えた。
さらには、トンネルとの境では端まで切り拡げられた道も、進むにつれ定格のコンテナを一基通す程度に狭まっている。見るからに深い森を道幅の分削っただけ。これまで通った川原や山道は元々の地形や獣道を人の足で踏み固めたものだったが、この先はおそらく、誰も分け入ろうともしなかった深い森林部分を伐採し、地面すら削って造られた道だ。舗装は損傷もなく残っていそうだが、オブジェクトを発生させる補助機能のない数百年前のインフラだろう。
あくまでも輸送路と避難経路でしかなく、課金制移動オブジェクトも出せない、実物の車輌か、電磁力あたりでコンテナを動かす想定に違いない。人間同士の戦争を想定していたとすると、山中の地下シェルターまで貫通させられる大型兵器を、簡単には持ち込ませないため、必要最低限の幅しか取らないのももっともなのかもしれなかった。
「あ、あの、出口が見えてきましたけど、後退は、トンネルを出てもいいんでしょうか?」
ラミューンが声掛けると、景虎が一瞬だけ振り返って後方確認する。
「あの道はここほど滑りやすくあるか?」
「え? ……っと、山の坂で、雨や凍結にも対応しなきゃだから、たぶん、かなりの滑り止め対策がされてるはずです」
トンネルの内部は謂わば屋内なわけで、中で動く人や物のほうの滑り止め対策で間に合う。一方、外の道はと言えば、電磁力をカットすれば傾斜のついた一本道になるわけで、万一のことを考えると、平らな床のようにすべすべしていていいはずもない。
「そうか。なれば――」
景虎が、言うのをためらうかのような間を開けて続けた。
「マチュピッチュ以外の三人だけでここを離れるのが、この国の施政における最善手なのやもしれぬぞ」
時が止まったかのような静寂に包まれるが、奧の交戦音が継続していることが、そうでないことを証明している。しかし、間近ではないその音が増して聴こえだすほどに、周囲は静寂でぴんと張りつめている。誰しもが、固唾を呑むことすら躊躇する時間。
その束の間の終わりは、マチュピッチュの号泣により破られた。
「ピー! ピーー!」
トンネル内がその泣き声で埋め尽くされた。
「わわっ、マチュピッチュちゃん。わたしは一緒にいますから寂しくないですよ」
芙実乃がすかさずマチュピッチュを宥めにかかると、ルシエラもそれに畳みかけるようにマチュピッチュに言い聞かせる。
「わたしだって逃げないわよ。それにあんたねえ、景虎に近くで守ってもらえるあんたのほうが、わたしたち三人よりずっと危なくなくて、安心なんだからねっ」
種類の違う姉のごとく振る舞う二人の服を、マチュピッチュは離さないとばかりにぎゅっと握りながらしゃがみ込んだ。だが、二人からさらに二言三言声をかけられると、次第に落ち着きを取り戻し、じきにしゃくり上げるだけとなった。
そして、そのあとそうっと首だけを振り向けると、前を見ている景虎の背に、まだ涙に湿った声を投げかけた。
「チュピィ……」
なんとなくだが、好意を口にしているのだとラミューンにも伝わる。
それにわずかな頷きを返してあげたのか、景虎の髪が微かに揺らぐ。その間も彼は敵性体から目を離さない姿勢を崩さず、ラミューンに確認した。
「ラミューン、そなたはいかがする? そなた一人であれば、いまがここを離れる好機だが」
「――っその、お邪魔にならないのなら、わたしも最後までみんなといたいです」
嘘ではなかった。逃げたい気持ちは正直強いが、自分一人でとは微塵も思わない。これまでの道中、魔法少女たちの幼く脆いメンタリティは実感しどおしていた。そんな彼女たちを魔法少女としてこちらの世界に迎え入れてしまったのは、自分が生まれた国の仕業なのだ。芙実乃とルシエラの二人を安全圏に連れ出すことで、マチュピッチュが守られやすくなるというのならともかく、一人だけで逃げるなんて、ラミューンにはとてもできなかった。
自分にだって手を引くくらいならできる。
転んだ誰かを立たせる手伝いくらいなら、自分にだってできるのだ。
「なればその意気を買わせてもらうとしよう。――芙実乃、先ほどまでの列の維持は見事だった。わたしがここを離れても同じ要領でやれるな?」
「はい。えっと……、――え! わたしは何をすれば……?」
「意識せずにしていたのか? 四人を真っ直ぐに並べ、常にわたしの背に隠そうとしていたことだ。それがなくば、わたしはもっと窮屈な格好で攻撃を捌かねばならなかった」
思うに、それはごくわずかに、身体を捻るスペースを確保した程度のことのはずだ。
しかし、そんなごくわずかなスペースでも、史上最強のアーズやクロムエルにすら格上と崇められる景虎からしてみれば、成否を分ける要因たりえるほど貴重なものとなる。
それは、有能と無能に同じ仕事を振った際に、有能のほうがはるかに短い時間で仕事を仕上げてしまうのと同じこと。有能とは、無能にはとても活用できないほど些細な時間や空間やコスト等で、莫大な成果を上げてしまうものなのだ。
芙実乃はその、ささやかな空間の自由を景虎に提供していた。もしかするといま誰も怪我なく済んでいるのは、たったそれだけのことが功を奏しているのかもしれなかった。
「えっと、じゃあ、わたしはこれから、いまの景虎くんがしてくれてる役割の人に対して、同じように動けばいいってことでしょうか?」
「そうだ。アーズであれば近づく距離も変わりなくてよいが、クロムエルかあの軍人だけが眼前にいる場合は、いまのわたしとクロムエルの間でいることが望ましい」
「わかりました」
芙実乃への指示を終えた景虎が、クロムエルがつぎの指を払うと同時に前へと駆けあがる。
クロムエルの右から、緩やかな弧を描くルートを通って。
途中、刀という、先ほど使った脇差よりも長い腰の得物を抜き放ち、弧の外側に垂らしてもいる。まるで遠心力に振り回されるがごとく、その切っ先が浮かぶ。残りの距離は半分。四分の一。八分の一。そこで、敵性体の指が元の形に戻る。
追い縋っていた軍人が、斧を木に打ちつけるように、左から敵の腹を攻撃。背丈分くらい後退させる。それを待ち構えていたアーズが、軍人とは反対側からの回し蹴りで、少しの後退と軍人の次撃のための時を稼ぐ。そのローテーションが彼らの足止め方法だったが、アーズも軍人もこの時はこの一度きりと示し合わせていたかのように、敵の横方向へ離れて行った。
その間に残りの距離を詰めていた景虎が、緩い弧から急な弧へと進路を変更させる。
と、切っ先はさらに浮かび上がった。
その高さは膝を落とした景虎の肩の高さであり、景虎より背の低い敵の首の高さに合わせられている。
そこからの、敵の眼前を横切るような景虎の一閃で、敵の頭は背中側に落ちていった。
切れる堅さではない敵を易々と切り裂く景虎の姿を、アーズは敵の真横から一歩退いた位置で目に焼きつけていた。助走によって生じさせた遠心力を、急カーブで一旦手元に戻し、刀の根元から切っ先へと再度移し替えながら、常に荷重のある位置で敵の頸を斬り進めるという、刀の長さを余すところなく切断力に昇華させる、神業のような斬撃だった。
しかし、そんな神業をもってしても、そもそも傷一つ付けられる堅さの相手ではない。素手で触ったこともあるアーズには、それが身に染みていた。そのことが、景虎に目を奪われてもなお、敵からも目を離さずにいられた一番の理由だろう。何かがあるのは景虎のほうだとはわかりきっているのに、それでも、敵の堅さへの確信は消えなかった。
ころん、と。
首の皮一枚残った落ち方をした頭が背中に触れると、背中はまるで湖面であったかのようにその頭を沈め、首の断面から同じ頭を浮き上がらせた。
「冗談だろ……」
茫然とつぶやくアーズの目の前では、いままさに敵が景虎へと、拳を振り上げようとしていた。おそらく、その拳には巨木を根っこごと引き抜いて、小石のごとく遠方まで投げ飛ばす膂力がある。それを繰り出されれば、相応の速さをも備えているのは想像に難くない。
ただし、一手一手があまり連動していない敵は、挙動が妙にもたついてもいる。
敵が拳を振り上げた瞬間に景虎が一歩退き、軍人の剣が敵の腹に打ち込まれた。アーズもまたサポートのローテーションに入ろうとするが、景虎に視線で制されて攻撃を譲る。いつでも蹴りを入れられる体勢だけを整えて、景虎の一挙手一投足に合わせられるよう集中する。
景虎の二撃目。
一撃目の首と同様に、敵の左手首を切り落としかけるが、途中で敵が腕を動かして、斬撃の角度を逸らされてしまう。切り裂かれている最中の手首が動くことで、一種の受け流し状態となり、切断には至らない。刀が抜けてしまうと、切れ目が塞がる始末だ。
が、その間の敵はそれ以外の行動を並行させなかった。
そうと見るや否や、景虎の三撃目が間を置かず、敵の二の腕を捉える。
助走はないが、根元から切っ先までを使いきる見事な斬撃だ。アーズからしたら、助走などつけられるよりも、滑らかな手元の返しと踏み込みを同時に済ませてしまうこの即撃のほうがよほど脅威に思える。が、助走ありの場合より切断力が落ちることは否めない。
敵の上腕がまた皮一枚を残したかのようにだらんと垂れ下がるも、肩がどろりと形を失くして切断面に癒着する。さらに、垂れ下がっていた下腕から中身が充当されたのか、程なくして腕の太さをも元に戻していた。
まるで液体を見ているようだ。
しかしそれは戻る様がそうなだけで、アーズからすれば、自らの得物に施してもらったのと同じ硬質化がされていると思うほうが近い。また、そんな武器に等しい堅さの敵を易々と切り裂いている景虎にしても、相手は人間と較べれば斬りにくい身体を持っているのだろう。
人間と同じように斬れるのであれば、景虎の攻撃は三撃とも攻撃箇所を切り落とせていた。
一撃目の威力は首を刎ねて余りある斬撃だったし、二撃目と三撃目にしてもそうだ。特に二撃目が切断に至らなかったのは、相手の堅さが人のものでなかったことを物語っている。人の手首を切り落とすのなら勢いだけで事足りているはずなのに、相手の堅さの分だけ景虎は刀の長さを使わねばならず、斬り終えるまでを長くせざるを得なくなった。言い替えれば斬り終えるのが遅くなるわけで、手首のように可動が容易で広い部位に動く時間を与えてしまうことになるのだ。景虎もそれがわかったからこそ、三撃目の狙いは動きの幅が狭い二の腕にした。しかし、人型を模している敵の二の腕は手首より太く、切断するには刀の長さが足りない。
そうなってくると、脚への攻撃というのも厳しそうだ。
低く斬りつけるために、腰を落とすのにも限界があるし、斜めに斬りつければ、それだけ切断面を広くしなければならなくなる。二の腕でさえ太過ぎるのだから、景虎も脚を攻撃対象にしようとは考えないだろう。第一、体勢を悪くすれば、一撃喰らうだけでもまずそうな敵の攻撃を避けられない。
確実に切り落とせそうなのは指くらいのものだが、敵の左手は握られているし、右手も伸びる人差し指のみ一本立てられているだけ。あれを切り落としてしまえば、敵がどう出るかまったくの未知数になってしまう。となると、指に斬りつけるのもまた諦めなくてはならない。
やむを得ず、というように、景虎は四撃目の攻撃箇所を敵の腹にした。
左から右に斬り抜ける胴打ち。右利きなら、上段斬りに次いで力を込められる攻撃だから、それが選ばれたのだろう。確かに、それもまた相手が人間であれば致命傷、というくらい敵の腹を裂いている。
しかしこの時、おそらく景虎にすら予想外だった挙に敵は及んだ。
斬られている最中に、敵は右手を握り込んで、景虎を殴ろうとしたのだ。敵の振りかぶりが大きくて、拳が振り下ろされる前に景虎は斬り抜けるまま射程圏外へ脱してしまったが、割り込める間まではなく、そばで見ているだけのアーズは一瞬ひやりとした。
結局、届かないと悟った敵は攻撃をやめる。
裂けた腹を戻してから、踏み出して指を射出した。が、それはクロムエルが危なげもなく捌いてしまう。狙いは、やはりマチュピッチュだった。マチュピッチュ以外を攻撃するのは、徹頭徹尾、彼女に近づく邪魔になる時だけなのだろう。
そんな敵を間近で値踏みしていた景虎が、口を開く。
「二人、限界まで敵を奥に追いやって見せよ」
「あいよっと」
即答しながらアーズが敵に前蹴りを喰らわすと、続けて軍人も目いっぱいの斬撃を打ち込んだ。もちろん、と言うのもどうかと思うが、傷はまったく与えられていない。景虎が来る前のローテーションを繰り返し、リクエストどおりに敵を奥に追いやるが、同じ動作の連続による筋肉疲労で、敵に跳躍する隙を与えてしまう。ただ、それも含めての同じ繰り返しだった。
違うのは唯一、屈み込んだ敵の背後に回っていた景虎が、ぴたりとタイミングを合わせた、振りかぶってからの両手上段斬りを放ったことだ。すると、跳び上がった敵の身体が空中で縦に真っ二つに裂け、めくれ上がるように両足を振り回しながら失速し墜落する。
敵のことを、微塵も人とは思っていなくても、実に恐ろしく見える光景だった。
ただ――。
「やはり届かぬか」
そう。景虎が述懐するとおり、刀は届ききれていなかった。両断にまでは至っていない。
ただ、それももっともな話なのだ。前に跳ぼうとする敵を後ろから斬るわけだから、頭部はどうしても円の軌道には収まりきらなくなる。景虎はぎりぎりまで深く踏み込んでいたが、それでも敵の額にだけは届かず、繋げたまま残してしまっていた。敵はいま、その部分を腹部にして、左半身が上半身に、右半身が下半身になろうとしている最中だった。
正確には、股から額まで裂いて倍の長さになってしまった身体を、中心部となった額に寄せ集めながら、手足や顔の造形を元の形に戻しているのだ。変形せずに済ませられたのは右脚くらいに見えた。
「そなたらは手を出すな。少し様子を見たい」
立ち上がる敵を見下ろしながら言うと、景虎は敵の背中に斬りつけた。こっぴどくやられたのに懲りたか、軍人にもアーズにも遮られてないからか、敵は跳び上がらない。ばっさりと背中も切られていそうなのに、ただただ前へと進んでいる。
と、そこに、返す刀での景虎の攻撃。両腿の裏側を斜め下を向いた刃が通り抜けた。
この時の敵は、前に進むのをやめている。
「歩くのに支障があれば、修復までは立ち止まる、か」
アーズはそのつぶやきで、景虎が何を確かめていたのか気づいた。おそらく、敵は痛覚がないか痛みを気にしない。だから、歩行が続けられる背中の傷くらいでは止まらない。が、バランス感覚にも乏しいこの敵は、脚はもちろん、もしかすると腕の深い傷でも歩かなくなる。
修復を待ったり待たなかったりするのは、その違いによるものなのだろう。
「おおよそ理解した。そこな軍人。そなたの優先すべき役割は、魔法少女たちの盾となることだ。で、あれば、後ろに残した男をこちらに来させる、とわたしが言えば、否が応もなく、そなたはあちらに行かねばならぬ。これに相違ないな」
「……そういうことになるね」
「なれば先に行っておっても大差あるまい?」
景虎にそう首を傾げられると、軍人は弾かれるように後方へと駆けて行った。景虎の意向を察した以上、従わざるを得ないという、反射的な行動に見えた。桁違いなんて言葉でも生温く思える斬撃を見せつけられているのだ。立場もプライドもかなぐり捨て、従順な配下のように振る舞うことを心が選んだに違いない。
景虎の態度は総じて柔らかだが、それがむしろ人を、過分な厚遇を与えられているかのような気分にさせるのだ。だからアーズ自身、景虎から理不尽な要求を受けたとしても、恩返しのチャンスとすら思いそうな気がしている。アーズは誰に対してもタメ口で、それを気にする質でも本来はない。が、景虎にだけは見逃されている、という負債を積み重ねている気になるのだ。ただ、別にそれは悪い気分ではない。価値の高い人間に相手されるのはありがたいこと。その価値が肩書でしかないのなら反撥もしようが、そんなものに拠らず自然と人に頭を下げさせてしまうのだからもう、計り知れないほどの価値に気圧されているとしか言いようがない。
単に自分の命より、景虎の命を惜しく感じてしまう、というだけのことなのだ。
軍人を尻目にそんなことを考えていると、景虎からの指示がアーズにも飛んだ。
「アーズ、そなたもマチュピッチュに貼り付いていろ」
「了解。でも、いっぺんに行っていいのか? こっちが虎様一人になっちまうだろ」
「あれは、あれの邪魔さえせねば何もしてはこぬ。危険なのは向こうだけであろう」
アーズは頷くと、既に半分の地点にいる軍人を追った。そう近くは通らないが、途中、敵の指が横からアーズを追い抜いて行く。
その指をクロムエルが弾くと同時に、後方から語気を強めた景虎の声が響いた。
「クロムエル、来い!」
「はっ! 我が主よ」
アーズは全速で飛び出すクロムエルとすれ違い、魔法少女たちに駆け寄った。




