Ep03-05-04
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見かけとは別物の重さがその攻撃にはあった。
いや。重さというのはおそらく勘違いで、クロムエルが剣に乗せて加えている力を余さず受けきってなお、わずかにしか逸らされないがため、重みとして感じられているだけだ。
敵の顔面に散々攻撃を加え、何度も吹っ飛ばしているクロムエルにそれはわかりきったことだった。敵の実際の重さは、見た目の少女ほどにしかない。身長も景虎よりは低く、ルシエラよりは高い、マチュピッチュくらいのものだ。
そんな敵が放ってくる、指を伸ばす攻撃。
この伸びた指も、ひょっとすると中身は空洞かもしれない。そんな感触がある。
なのに重く、そして堅い。
指は逸らされたまま進んでいるのに、微かにでも傷を付けた引っ掛かりに掛かる感触さえなかった。せめて伸び方が、先端から順々に伸びるだけ伸びるという方式のようなのが、救いと言えば救いだった。
そうでなければ、クロムエルがいくらこの位置で攻撃を逸らしたところで、指先が自在に曲がることも可能となっていなければおかしい。あるいは、もっと単純に、伸ばすのに必要な推進力は、平常時にしか込められない、という線もありえなくはないが、そうと決めるには材料が足りない。保留にしておくのが妥当だ。
とはいえ、そうした場合に備えて、景虎が魔法少女たちに付いているのだから、現状、クロムエルがそこまで腐心することではなくなっている。ただしそれが、景虎の刀が使い物にならなくなるまで、という制限がついてしまうとなると、最悪、失敗のフォローは二度しかしてもらえない、と覚悟していなければならないのだ。
実質、ただ一度の失敗すら許されない状況と言えた。
しかしそうなると、景虎は今回、刀を抜いた交戦を行えないわけで、刀越しに伝わる感触すら得られないままになる。川原で対処した以上の敵への洞察は、クロムエルだけでしなければならない、ということだ。
責任がクロムエル一人の肩にかかっているも同然だった。
目的を達成するための取捨選択までクロムエルの言に左右されることになるし、ともすればその取捨選択をクロムエルが判断しなければならなくなる。
二度、三度と、敵の指を左に逸らしつつ、急務として、その性質に思いを巡らす。
まず真っ先に知っておかねばならないことは、敵が指をどの程度まで伸ばせるか。いまのところは毎回、マチュピッチュを貫くに足る長さだけをきっちり伸ばしている。これまでに駆け引きをしているふしのない相手だから、半分しか伸ばしていない、程度の大雑把な調整すらされていない可能性は極めて高いように思う。
もちろん決めつけは厳禁だが、とりあえずそこを軸にしなければ、考えを絞り込めない。
単純に目いっぱい伸ばされたものとして、マチュピッチュに届く距離さえ保っていれば、これ以上の接近を敵は考えないのかもしれない。クロムエルはこの指の直の攻撃対象になったことがあったが、おそらくそれは邪魔者の排除という意味合いでの攻撃であり、マチュピッチュのような攻撃目標に対してのものではなかった。現在の敵がこちらの後退に合わせるようにしか進んでいない、さらなる間を詰めようとしないのは、そうした違いによるものだろう。
思い返せば景虎は少なくとも二度、川原で遭遇した直後に敵の指の伸びを、最後まで見届けられる位置にいた。あの時の敵の目標はマチュピッチュではなかったが、その二度目にはクロムエルが逸らした指を刀に巻き付けていたのだから、指が最大でどのくらい伸びるのかの見当は、その時点ですでにつけていたに違いない。
だからこそ景虎は、女性陣を闇雲に急かすのではなく、整然と退却させているのだろう。
むしろクロムエルは、いまになってようやく、その時点の景虎に追いついたとさえ言える。
ただし、川原以降の景虎に交戦機会がないのもまた事実。
それを一手に任せられているクロムエルの洞察が、そこで停滞していていいはずがない。
指の先端がマチュピッチュに向かないよう強く逸らしながら、違和感を探る。見ている分に不自然はないものの、指を払う際に感じだしているこの違和感の正体。
威力はあるのに、速度と感触がそぐわない原因。速度は大したことない。せいぜい、クロムエルが軽く石を投げる程度の速度だ。なのに、石を弾いた程度では済まない威力がある。そうした場合、普通に考えれば指には相応の重さがなければならないはず。だが、敵の全体重から考えても、それは絶対に辻褄が合わない。初めから指を空洞のように感じてしまっていたのはおそらく、指がとても軽いからなのだ。仮に全体重が指に集約されてしまっているのだとすると、その分軽くなってしまった本体が逆に振り回されてしまうはずなのに、こうして悠然と歩いて来ているだけなのも、指だけが軽い証だと言える。
しかし、不可解な敵だが、唐突に体重が増減しているというのも考えにくい。
授業で習ったことによると、質量保存の法則というものがあり、敵性体の出現はそれに反しているように見えて、宇宙全体でなら、例えばブラックホールのジェットの規模や期間で帳尻を合わせているという説も根強いらしい。これは要は、三百五十年の長きに渡った敵性体との戦闘データにおいても、質量を増減させている形跡は見られないということでもある。
だから敵の重さが変わってるとは見るべきではない。重さは見た目の少女程度なのだ。
体重以上の重さの代用ができるもの。そんなもので思い浮かべられるのは、筋力くらいのものだ。クロムエルは自分の体重の倍の重さでも苦もなく持ち上げられるし、どういうものなのかは雰囲気でしか理解してないが、握力でさえ自分の体重以上あるそうなのだ。
強化体という、通常兵器とやらのエネルギーを吸収してしまった敵性体であれば、そういったエネルギーを、クロムエルの筋力を上回るパワーとして出力できて当然。とすれば、この指攻撃は、軽い棒状のものを、その強い力で押し出しているのに近しいものなのかもしれない。質量と速度にそぐわない威力を説明するなら、むしろそれしかないと言えそうだ。
また、質量が変わってないとするなら、あの指が、植物の蔓が成長するように伸びているというのにも疑問符がつく。見た目は金属だ。金属を伸ばすなら、熱して叩くのが普通のやり方だが、蔓のように伸びているあの指は、平たくも細くもなっていない。輪切りにした場合の円周が変わらずに伸びているように見える。ならば、あの指は伸びている最中に、見えないくらいの気泡がスポンジ状に、無数に空きだしているということなのだろうか。
そう推論を進めている最中、クロムエルの頭は別の解を弾き出した。
気泡――空洞。
そもそもあの指を、空洞のように感じていたからこその連想だった。
おそらく敵は、指の中を空洞にすることで、指を伸ばしている。
それが、指の中に空気を取り入れる方式なら、指を戻す時に余計時間がかかっているのにも説明がつく。特に、空気を入れた指が膨らんでいるのではなく、変形しているだけなのだとしたら、伸びた指が勝手に縮んで、空気を排出してくれるというのでもなくなる。指を戻すためには、再度の変形をする必要があるのだ。景虎に巻き取られてしまった時も、指を徐々にしか戻せなくなっていたのには、そのあたりが関係してくるのだろう。空気の吸入と排出をする穴が塞がれていたとか、中の空洞が捻じれていると変形を素早くは戻せなくなるとか。
敵は関節らしき部分を曲げて動いていて、指ももちろんその例外ではないが、関節があるのではなく、関節を真似ているのだとしたら、それもまた変形で成し得ていることになる。散々剣を叩きつけていた感触と照らし合わせると、溶けた金属のような性質のものと仮定するのが一番しっくりくる。そうした性質の物体が人間を模している、と考えると、銀色の中身がしっかりある部分の可動は自由度が高く、中身が空洞で皮膚だけのようになってしまった指には、変形する体積が少ない分、可動が限定されるわけだ。
クロムエルの中で、敵のイメージが固まってくる。
もちろん、クロムエルとてそれが正解だなんて思ってはいないが、どういう性質で動いているか想定しておけば、無闇やたらに対処の幅を広げておかなくて済む。
少なくとも、敵がこの指攻撃しかしないうちなら、景虎を煩わせるまでもなく、クロムエルだけで撤退支援は果たせるだろう。指先はもはや余裕で逸らせられる。
しかも。
突如敵の正面に回り込んで来たアーズが、敵の手首に斬りつけていた。
伸びる直前だった指が大きく角度を変えた方向へ直進しだす。そこまで進んでしまったら、いまから弧を描いたところで、マチュピッチュには届かない。直線距離で貫くくらいしか伸ばせないのだから、遠回りすれば長さが足りなくなるのはわかりきったことだ。
剣を振っても届かない軌道を通る絶対に近い予測が、指を逸らす力を込める緊張を強いられていたクロムエルの身体に、束の間の休息を許した。その直後に。
指の軌道に変化の兆。
指を目で追うクロムエルがそれに気づけたのは、アーズとの連携の取り方を模索しようと、視界の右隅にいる敵本体に意識を傾けだしていたからだ。伸ばしている右の人差し指。その根本がまるで親指であるかのように、横に開かれた。些細だが、人の関節ではありえない可動。
人に近しい何かと割り切ったがための、痛恨の読み違えだった。
ただ、それで槍が振り向けられるがごとく、指が角度を変えたわけではない。根本が標的であるマチュピッチュのほうを向いただけで、伸びた指先までが劇的に近づいたりもなく、まだクロムエルの剣の届かない軌道上で伸びている途中だ。
しかし、一瞬前まで直線だった指には、たわみが生まれようとしていた。
その、変化の兆が三ヶ所に見られる。
一ヶ所は指の根本で、残る二ヶ所は中ほどに。
この変化で、クロムエルは指の中身が空洞になるという自身の予測への確信を強めた。が、空洞のできだす位置だけは見誤っていたことにもまた同時に気づいた。空洞は、指の先端から根本へと拡がるのではなく、指の中央から先端と根本の両側へと等間隔に拡がるのだ。
つまり、中身のまだ詰まってるであろう指の先端には、指の付け根ほどではなくとも角度を変える余地が残されているということだ。空洞が先端からと錯覚していたのは、ほぼほぼ伸びきったあとの先端近くにしか当ててなかったからだろう。しかし、そんな指の先端に角度をつけられ空洞が拡がれば、離れて行くはずだったベクトルが、近づく向きに変わってしまう。
アーズは直線攻撃しか脳のない敵に、計らずも迂回攻撃をさせてしまったことになるのだ。
その途中の軌道にクロムエルの剣は届かない。
それに対し、空洞のある指の中ほどが、指先により根本の角度まで手繰り寄せられてしまったら、マチュピッチュへの攻撃が届くに足る長さを用意されてしまうことになる。
目線を左へ。兆候が見えた瞬間にも動きだしていた目と首のおかげで、左端の視界に景虎を入れることができた。刀を――いや、脇差を抜きかけている――が、左手のしかも逆手持ちになってしまっている。その上、あのまま抜くだけでは刃を向けない峯打ちになってしまう。
だが、それが最適解なのだということはすぐに理解できた。
景虎は刀と脇差を二本とも左に下げている。それはどちらも右手で抜く想定がされてのものだ。景虎は右利き。己にハンデを課すかのような美学を優先させることも多々あるが、常在で万全でいることを疎かにしているわけではない。だから腰の刀はどちらも抜きやすいよう、刃を上に向けて差されている。そうしておけば、柄に指を落として滑らすだけで抜きはじめられるし、抜ききる前までにしっかりと握って捻り抜くようにすれば、刃を傾け斜めに斬り上げることすら可能だ。曲剣がゆえの自在性と即応性は、景虎ほどの使い手にかかれば、納刀していてなお、抜刀し構えているに等しい。
それをあえて左手で、短いほうの脇差しを抜く。なぜならそれが、最速最短で左から迫り来る敵の指を防ぐ、唯一無二の方法だからだ。おそらく景虎にしても極めつけの咄嗟だったはずなのに、抜いて振り戻す必要がある利き手の右よりも、抜く動作だけで攻撃を遮る態勢に入れる左手のほうを反応させた。その判断の的確さに、クロムエルは身震いさえ覚える心地だ。
とはいえ、問題点がないわけでもない。
逆手持ちの脇差を利き手でない左手でただ持ち上げている、という態勢で込められる力は、どう見積もってみても最大値の半分以下に目減りする。景虎は女神のごとき見た目の印象からすれば倍の力を持っているようにも感じられるが、純粋な測定値の比較ともなれば、クロムエルの六割以下の筋力しか持ち合わせていない。
計算上、クロムエルの二、三割の力で、この一撃を凌がなくてはならないのだ。
もちろん、不可能ではない。
景虎であればという注釈はつくが、クロムエル自身もさっきまで同じ攻撃を五割程度の力で捌いていたのだから、その程度どうとでもする人に違いないとは端から思っている。景虎の受け流しの技量なら、刃よりは頑丈な峯と反りの構造を使いきって、その二、三割の力で間に合わせてしまえるのだろう、と。
しかし、これは単に景虎が戦っているわけではなく、あの攻撃をマチュピッチュたちに掠らせもさせない、という種類の攻防なのだ。当然、そうさせないための制約は、大小様々なかたちでクロムエルをも縛っている。少なくとも、何かをしようとした前後二回、それが彼女たちにどう影響するか考えないわけにはいかない。思考量が三倍に増えるし、無理を押さなくてはならないケースにも否が応もなく出くわしてしまう。いかな景虎とて、その時には刀や己が身を差し出さなければならない局面に入ることは避けられない。
いや。いままさに、脇差をだめにする覚悟を持ってその対処に当たろうというのだ。
そういう判断を瞬時にこなし、クロムエルは剣を振るう。
まだ何もない虚空。この剣がそこを通過する瞬間、指先ではなくとも、指の途中が近づいて来るはずの位置を狙って。
剣が届くのは、早くても指先と脇差との衝突直後。
衝突の時点ですでに、景虎が無理をしていなければならないようなら、脇差は折れ曲がり、内側を向いている刃が景虎の身を傷つけている事態もありうる。それでも、直後に指の力を下方に叩き落とせれば、傷の広がりはそこまでで済むはずだ。
指は想定どおりの軌道。しなりが逆の鞭のような形状になって、マチュピッチュに向かう指先に手繰り寄せられ、こちらに迫っている。
叩き落とす感触を腕だけで感じながら、クロムエルはそこには目もくれず、一心に景虎だけを見つめていた。ゆえに瞬間、頭が空白になった。そういう事態を目の当たりにする。
脇差。左手。逆手。峯打ち。
これだけの悪条件を揃えながら、敵の、銀色の指先は、その景虎の脇差にあっさりと切断されていた。それは景虎の強さを、強さの種類をこの世界でもっとも深く理解し、最大の尊敬を捧げているクロムエルにすら意味不明の現象だった。




