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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
85/140

Ep03-05-03


   3


 ルシエラとラミューンの二人に引っ張られながら駆けている芙実乃。元の世界の難病だった身体と違い、この世界での芙実乃の身体は完璧なまでに健康で、疲労もそれほどではない。

 ……はずなのだが、いかな健康体といえど、長距離走ともなればどうしても、酸素摂取が欠かせなくなる。呼吸が荒くなるのは致し方ないことなのだ。

 が、芙実乃はその、荒い呼吸というのがどうにも、すこぶる下手らしかった。

 もう少しだけ多めに息を吸えばいいと思い試みるも、そうすると今度は息を吐ききるのを疎かにして、余計に酸素摂取量を減らしてしまうのだ。三月前までは自発呼吸自体、かけっこも七、八年はしてなかったのだから、相応の運動音痴とも言えるが、変に健康にも慣れだしているせいで、この急激な身体の変調に気持ちが追いついていかなかった。

 それなのに、健康を持て余しているような身体は、実に無理がきいて引っ張られればどうにか走れてしまう。血中酸素や皮膚呼吸で、芙実乃の身体を扱う拙さをカバーしてくれているのかもしれない。無理に走らされているとも言いがたい状態なのだ。

 その結果、意識も思考もはっきりして、身体もどうにか動かせているのに、そのどれとも乖離した疲労の只中に芙実乃はいた。

 病気の影響と言わざるを得ないが、芙実乃は止まることに安住を求めてしまうのだろう。

 景虎の不在が長く祟ったいま、動きづめなことに、心が根を上げかけていた。

「なんだか暗くなくなってきたわね」

 マチュピッチュのしっぽを掴んだルシエラからの声が聞こえると、何も意識していなかった周辺の様子が認識されだした。確かに明るくなったとは言いがたかったが、暗さがやや薄れてはきている。床や壁に模様がないのがわかるし、元々の色味も想像できるくらいにはなっていた。と、思考は回るものの、芙実乃はやはり身体を動かすことでいっぱいいっぱいだ。

 そうした芙実乃をたびたび気づかってくれていたラミューンが、ルシエラへの受け答えで皆を励ますように声を明るくする。

「きっともうすぐ出口なんだよ。外が道路だったら、もう走らなくて済むかもしれないから、もうちょっとだけがんばってみよう」

「マッチュチュー」

「そうね、ほら、芙実乃も」

 ルシエラに促され、芙実乃もなんとか首を縦に振った。返事ができるほど息を持ち直してはいないが、ちぐはぐになっていた身体と意識との距離が縮まった気がする、くらいには気持ちも浮上してくる。

 そんな余裕からなのか、後方から声が聴こえるのに気づけた。男性の声。

「アーズ君が戻って来たのかな?」

 振り返ったラミューンが、自然と足運びを鈍らせる。ラミューンにも声が聴こえていたならもちろん、ルシエラとマチュピッチュにも聴こえていたはずだ。ただ、二人の場合は減速でなく逆に加速しだした。法律が適正に運用されてなさそうな環境で育った二人だから、暗闇で男の声を聴いたら逃げるような刷り込みも強いのかもしれない。

 しかし、男性の声が途切れてから微かに響いた中性的な美声に、芙実乃とルシエラとマチュピッチュの三人は、途端に足を動かさなくなった。

「わっとと……」

 芙実乃と手を繋いでいたせいで、走り続けていたラミューンだけが進行を止められ、たたらを踏んだ。だが、その様子には端から目線を向けず、芙実乃ら三人はじっと、後方の暗闇に目を凝らしている。

 交互に響く、男性の声と中性的な美声。

 美声が誰のものかだけにひたすら集中しているからか、翻訳の恩恵には与れない。

 そして、声に確信を得た時にはすでに、その人の姿も見えるまで近づいていた。

「景虎くん!」

「景虎!」

「とらー」

 呼び方はばらばらだが、三人が声を揃えた。ちなみに、マチュピッチュは口を「かげ」の形に開くのに時々しか成功せず「とらー」と間延びするような呼び方に定着していた。平仮名に聞こえるのは、それでも意味や発音を合わせようとしている奮闘の顕れのようだ。

 三人は奥へ引き返そうとするが、手を繋いだりしっぽを掴まれたりしている都合上、一番遠かったマチュピッチュが逆に先行する。ルシエラが二番手。一人引き返す態勢に入ってなかったラミューンと手を繋いでいる芙実乃は三番手だ。

 もっとも、引き返したと言ってもせいぜい五、六歩くらいのことだ。

 景虎のほうがはるかに早く駆けつけてくれた。それは魔法少女三人が合流を喜ぶ声を上げる間もなく、警戒する声を上げるほどに。

「ルシエラ、マチュピッチュをわたしの後ろに。手を繋いでおる他の者はそのまま、わたしの背からはみ出さぬよう縦の列となれ。後退しながら出口へと向かう。が、ラミューンと言ったな。先頭となるそなたには行く手の警戒もしてもらう。何かあれば警告せよ。クロムエル、殿を任せる。そなたとの距離はわたしが計るゆえ、遠慮なく剣を振るってよい。わかっておると思うが突出は控えよ。そなたの後退に合わせ、全員が後退すると心しておけ」

 景虎は静かに手早く各員に指示を出す。芙実乃だけ名を出してもらえなかったが、ラミューンとルシエラのあいだに位置する者のするべきことと言えば、その両者の補助しかあるまい。後ろ向きに進むことになる列を崩さぬよう二人を繋ぐ。可能なら、二人の役割も頭に入れた上で、前後をよく見ておければなお良し、といったところか。

「承りました」

 クロムエル以外は声を出さずに頷く。それというのも。

 カシャーン。

 カシャーン。

 静かな景虎の声にも一定の間隔で重なっていた、金属の落下音。

 ここまで散々逃げ回ってきたのだ。それがなんの音なのかはさすがに、この一行の中では突出して平和ボケしているであろう芙実乃でも察しがつけられた。

 カシャーン。

 カシャーン。

 音は近づきつつある。

 こちらも後退を整然と行えてはいるが、進行速度の差は歴然ということなのだろう。走ったままであればもっと出口に近づけていたことにもなるが、あの銀色に追いつかれてからでは、すぐさまこの整然とした並びにできていたとはとても思えない。そう考えると、事態はすこぶる好転しているのだ。その証かのように、トンネル内もさらに明るく見えだしていた。

 それに何より、ここには景虎がいてくれているのだ。

 その安心感たるや、いつの間にか、息苦しかったことさえ忘れているくらいだった。移動がゆっくりになったことと、健康体のおかげもあるだろうが、精神の安定が図られるのがやはり一番大きいのだ。そういった意味では、いま変調を来しているのはラミューンかもしれない。

 繋いだ手を通して、あの銀色が迫り来ている、という緊張が伝わってくる。

 カシャーン。

 カシャーン。

 トンネルの奥から音が響くたび、ラミューンは身体を強張らせていた。大した足しになるとも思わなかったが、少しでも安心してもらいたくて、芙実乃は彼女の手をきゅっと握る。こんなことで散々助けられたお返しにはとてもならないだろうが、それでもラミューンは、ありがとう、とばかりに細かくその都度頷いていた。そうして出口方向を見回し、ちょっとだけ振り向く、という繰り返しに戻る。

 カシャーン。

 カシャーン。

 その音だけを聴いているのに耐えかねたように、ルシエラが沈黙を破る。

「景虎、この並びじゃなきゃいけないのって、もしかしてマチュピッチュが――そうなの?」

 聞かずにはいられなかったのだろうが、そんなルシエラでもさすがに「狙われている」とまでは口にできなかったようだ。

 景虎も一瞬、正直に話すのを躊躇するように口を噤むものの、話したほうがいいと判断されたか、その推測を明かしてくれた。

「現状を鑑みるに、事態はそう推移したと見る。そなたらを行かせたあとに軍人と出会っていたのだが、彼らの様子からすると、銀色の行く先を誘導できるようであった。また、彼らの助言により、われらも魔法を使わぬほうがよいらしい。この二つの言葉が共通した前提で発せられたものとすると、銀色は、最後に自分に当たった魔法の、魔力の持ち主を追うのであろう」

 芙実乃はあまり詳しくなかったが、おぼろげに知るゲーム由来の概念、ヘイトというものに相似したことを説明されたのだと思った。それは例えば、戦闘中に回復魔法などを使うところを見せると、途端にどの敵からも集中攻撃されてしまう、というようなことだったはずだ。

 つまりいま、その対象にマチュピッチュがなってしまっている、ということなのだろう。

 と、すると、敵に最後に当たった魔法が、そう、マチュピッチュの絵魔法になるわけだ。

 アーズの予想、と言うか、景虎たちが共通で抱いていた、敵が山頂方面に向かっているとの認識はやはり正しかった。だから、山頂から逸れてしまった芙実乃たちの判断も、その時点ではあながち間違いとは言えなかったはずなのだが、第三者の思惑が敵にルートを変更させ、途中マチュピッチュの絵魔法と接触して、追跡の対象がマチュピッチュとなってしまった。

「チュー! チュー!」

 マチュピッチュが怯えた声を連呼しだす。

 景虎の説明で状況の詳細が伝わってしまったとか、どういった行為が原因なのか察せられたとかまではいかないと思うが、ルシエラの問いに景虎が肯定を返した、という了解はできたのだろう。それでいま最も危ないのは自分だと気づいたようだ。咄嗟に、といった様子で、景虎の髪ごと背中の制服をぎゅっと掴んでしまっていた。

「マチュピッチュ。わたしが咄嗟に動かば、掴んでいるそなたを振り回すこととなる。いまは離すがよい」

 髪を鷲掴みにされるのは結構な失礼のはずで、それなりの痛みを伴う。さしもの景虎も反射で振り解きかけたのか、びくりと肩を撥ねさせたが、結局は諭すような響きでそう声がけるだけで、不快すら露にしなかった。

 やんわりと掴むのをやめさせる。ルシエラがしっぽを引き寄せたせいもあるが、マチュピッチュは両手を泳がせはするものの、景虎の背をいま一度掴みかけてはやめる、を繰り返していた。マチュピッチュにも自制と葛藤があるのだろう。

 ただ、不安そうなのが見て取れる分、宥めてやりたくもなるのだが、芙実乃もルシエラも列を維持するために手を繋いでいて、声をかけるくらいしかできない。

「マチュピッチュちゃん。みんな一緒だからだいじょうぶだからね」

「そうよ。景虎が守ってくれるんだから、安心してなさい」

 カシャーン。

 カシャーン。

 次第に大きさを増す不気味な落下音の中、後退、と言うより横歩きを、その振動まで地面ごしに伝わりだしたところでとうとう、その瞬間が訪れた。

 最後のカシャーン、という音のあと、約五十メートル後ろにくっきり、はっきりと、銀色で人型の輪郭が立ち上がり、腕をこちらに向けた。

 と認識するや否や。

 ギキィィィィッ!

 景虎のさらに後方。クロムエルのいる位置で、電車のブレーキ音のような音が突如大きく鳴りだした。その音はまるで、戦いの始まりを告げる合図の鐘の音であるかのように、芙実乃の耳には響いていたのだった。

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