Ep03-05-02
2
アラ・ル・トルテ・ナフミリヤは頭を悩ませていた。
魔女喰らいをトンネル内で包囲殲滅。
それが千載一遇の機会であることは間違いない。
ただ、シンプルにそのシチュエーションにするだけなら、もっと安全で簡単な方法があるのだ。が、それには、現状ターゲットに成り代わってしまっている学生を、誘引の囮として動かさなければならなくなる。
そこが軍にとってのネックとなっているのだ。
なぜなら、魔法少女たちが通う学校は、異世界軍学校と俗称されているものの、士官学校とは違って軍の管轄ではない。通う学生も、基本的には現地一般人と差異のない権利しか与えられていない。とは言っても、学生たちは全員が純粋な異世界人だから、各種補助保障の対象他に縁故者皆無等も加わって、諸々の優遇措置が上乗せされていたりもする。それでも一般人である以上、軍が作戦に組み込むことは許されず、速やかに避難させなくてはならない法の建てつけになっており、状況次第では保護の対象にもせざるを得ないのだ。
ゆえに、中央からの派遣人員が学生を標的としている魔女喰らいと接触すると、速やかなる魔法行使により、標的の変更を試みなくてはならない義務が生じる。これを適切なタイミングまで遅らせたい、という作戦本部の意向をそのまま汲んでしまったのか、それをできる第一の人材、魔女喰らいの追跡任務につく派遣部隊最精鋭の男は、愚直な山登りを続けた挙句、魔女喰らいが投げた巨木に道を塞がれ、立ち往生していた。
おそらく、本部から急行の指示が出るまで、努力しているポーズでも取り続けるつもりなのだろう。悠長な遠回りの獣道を行っている。これは、ある意味無理もないとして……。
いま問題なのは、包囲部隊のほうだ。
ここへの直接指揮を与かった本部だったが、この部隊の扱いが存外に厄介なことに気づいてしまい、思惑を叶えられないでいるのだ。
と言うのも、現在彼らに出されている命令は、山中斜面にいる魔女喰らいの包囲。この命令はいまになってしまえば建前でしかないのだが、この建前を破棄するだけの根拠、言い訳が、本部には捻り出せないようなのだ。
結局は初動で連れて来られた人員の少なさ、ということに尽きるのかもしれない。さらに山中斜面という想定外の作戦区域での任務とあっては、建前の包囲任務に不足する人数をこの段階で割って、トンネル出入口の二ヶ所に向かわせるわけにいかないのだろう。
それで、先を見越しての命令変更ができなくなった。
包囲部隊を、本命のトンネル封鎖に向かわせられるのは、魔女喰らいが実際にトンネル内に入ってからとなる。そこから作戦変更を伝え、各自に重力調整飛行を許可するよう地方のインフラ管轄へと申請――となると、軍だけの話で済まなくなってしまう。飛行認可をこの段階で取っておくというのも、軍だけで済まない以上できることではなくなった。しかし。
それではその分だけ、トンネル内で学生たちが危うくなる時間が増えてしまうのだ。
それは、中の魔法少女の魂喪失リスク、再召喚すらできなくなるリスクが高まるということでもある。
これは果たして、許容範囲なのだろうか?
確かに魔女喰らいを仕留めるということは、その一体が今後何十何百の魔法少女を魂の喪失状態にするリスクを排除するということでもある。だが、魂喪失状態になってしまった人間を再び目覚めさせられたケースはいまもってして皆無。それを知っていてなお、被害が一人、多くても三人だからと、打つ手を制限してしまうのはどうにも座りが悪い。
アラルは自ら現場に赴く方向で模索するが、それで学生らの危険を早く取り除ける可能性は低いと言わざるを得ない。アラルは魔法で飛べるが、到着までの時間となると、甘く見積もっても、包囲部隊が近隣側の出入口を塞ぐのとどっこいどっこいだ。また、部屋ごとの高速移動をいま一度するには、経路となる地域の準備を整えてからでなければ、新たな魔女喰らいを誕生させるなんてことにもなりかねない。その場合、魔女喰らいとなった魔法少女は魂喪失状態となり、元の魂の在り処とされる高次元アドレスに信号を送っても、再召喚は叶わなくなってしまう。高速移動が魔女喰らい誕生と直結するわけではないが、現在危急にある三人よりも多くの被害をもたらす可能性がある以上、この国の軍にその積極策が取れるわけがない。
提言をしても、却下されるだけの無駄な検討を本部にさせるだけだ。
他に手はないか、と迷った挙句、アラルは現場上空からの映像、通用口前を拡大する。
一人は仕留めたが、散々遅滞させられた相手、との認識があるのか、魔女喰らいは遠間から指を伸ばす攻撃を繰り出していた。地方軍人はどうにか凌げているようだが、その攻撃を牽制に、魔女喰らいには歩みを進められてしまっている。膂力の差を考えると、接敵されれば一人で持ちこたえられるはずもない。
もし、本部からの最精鋭がもうすぐそこまで来ているなら、トンネル内に入った瞬間に魔法を当て、魔女喰らいを首都方面、遠方側の出入口方面に向かわせることができるが、学生らが中でそちらに向かっていない、という確証も軍は得られてなかった。
古いトンネルの中、というのが問題なのだ。
敵性体出現以前の建造物は、迂闊にエネルギーを溜めておくと、入り込んだ敵性体を徒に強化する可能性があるため、エネルギーを空にして放置されていることが多い。そのため、人工衛星から見えない地中の様子は、現行の監視態勢では知りようがないのだ。
それに、あのトンネル内の設備を利用するには、地下の大規模シェルターごと起動させるしかなさそうで、それだと、島全体に通常兵器対応のバリアを張れるほどの電力が、一気に急速充電されてしまうらしい。
司令官が「旧式のシステムはこれだから」とぼやいているのを少し前に聞いていた。
いや。単に利便性だけを追求するなら、そちらのシステムのほうがむしろ正統なのだろう。敵性体なんてものが現れるようになったせいで、この世界の技術は少し戻って枝葉から進化をし直さなければならなかった。現に、高次元系のシステムが組まれているわけでもないのに、シェルターの根幹のシステムは、物理的な部品交換を伴わなければ仕様変更できないようで、このシェルターの機能を使った学生たちへの援護は、検討を打ち切られていた。
司令部は、アラルが考えられる程度のことは、とっくに検討を済ませているのだ。
対敵性体戦三百年来の知見と言ったところで、所詮アラルは、遅れに遅れた社会制度の世界で育った異世界人でしかない。魔法理解以外では、現地の高等教育を受けた軍人に口を出せることなんてあるはずもなかった。
アラルが学生たちのためにしてやれることは、結局、無事を祈ることくらいなのだった。
通用口前で魔女喰らいの遅滞に努める現地軍人は、指での攻撃を凌ぎながらも、その不利と限界を感じていた。
相手の膂力はもう身に染みている。巨木を引き抜いた指に巻き付かれかけたあの時、咄嗟に武器を放し、しゃがむ相手の頭に手を置けた。そこを支点にした倒立で指の巻き付きから逃れられていたのも、位置取りのおかげで少し前に押し出された幸運と、振り回されていた巨木にぶつからなかった幸運あってこそのもの。
質量の小さい指の攻撃でもここまで重いのだから、拳で殴り掛かられれば、階段上の手すりまで吹っ飛ばされ、下手をすれば勢いを余して下へと落下するだろう。この魔女喰らいがすぐにはそうせず、遠間からの指攻撃を好むようなのはこちらにも利しているが、この距離を保ったままトンネル内に入れてしまっては、その瞬間にも階段から飛び下りられてしまう。
そうなってしまえば、足止めはもうそこまでだ。
だからこそ、そもそもの本部からの命令も、扉を開放しての外での遅滞、なのだろう。
しかし。それでは結局、殴りつけられるまでのあいだしか、学生たちを逃がす時間が稼げないことになる。魔女喰らいがトンネル内部に入った直後の際どいタイミングで、本部の最精鋭が割り込んでくれるのだろうか。そうならなかった場合に、しておけることはないのか。
その思案のさなか、とうとう目の前にまで到達した魔女喰らいが、拳を振るってくる。
衝撃に為す術なく、彼は身体ごと後方に吹っ飛ばされた。
ただし、本部の最精鋭どころか、士官学校にすら行けなかった彼だが、元の世界では史上最強。命の捨て所なら心得ているし、命を捨てる覚悟もできている。
それゆえに、命の賭け方にもまたしぶとさがあるのだった。
彼は飛ばされている一瞬の機会を捉え、自身の背中を強打するはずだった手すりの上をすり抜けた腕を動かす。そうして剣の腹を手すりに押し付けることで、身体全体の軌道を斜め上に受け流すよう逸らせると、自らの身体を柵の外にまで投げ出させたのだ。
そこで高さを確認。
四階程度の高さがあるのは完全に想定外だったが、垂直落下ではなく放物線を描く落下にできたところは計算通りだ。おまけに、横方向だったはずの魔女喰らいの攻撃ベクトルを、斜め上に角度変化させていたことで、身体の落下角度まで微妙に緩やかにできていたらしい。転がる着地でダメージを分散する賭けに出たつもりだったが、一瞬でも足裏でブレーキをかけられる着地となり、トンネル内の壁で止まることができた。
それなりに背中を打ちつけたが、ほとんど無傷でだ。
手すりに押し付けた直後に手から離れてしまった剣も、手を伸ばせば届く足元の壁際に、先に来て転がっている。もっとも、無傷なのは奇跡だが、剣が足元にあるのは、飛ばされる原因となるベクトルを真っ先に一身に受けているのだから、必然と言っていい出来事だ。
その剣を拾って、上を見上げる。
幸運も積み重なったが、敵より先に下に来られたのだ。
魔女喰らいの着地を狙い打てば、もう少しだけ足止めが続けられる。
案の定、魔女喰らいが階上で跳び上がる。地方軍人は目を切らずに着地点に走りだす。
だがその直後、魔女喰らいと同じ場所から、人影が躍り出た。
本部の最精鋭。
でないことは、その服装で判断できる。学生だ。期待外れであり、足手纏い。
落胆しつつも、着地点を見誤らぬよう、空中の二者の動向はしっかりと見極める。
手すりに足を掛けることなく跳躍した魔女喰らいは、先に跳んではいるが、高く跳んでもしまっていた。それに対し、学生は手すりに足を掛けて跳び下りた。その違いにより、跳び出す時間差分の遅れは接触間近にまで縮まっている。
ただ。
それでもまだわずかに、魔女喰らいは学生より下、先に落ちている。学生はそれを踏みつけるくらい接近しているが、その足はおそらく、魔女喰らいの背には届いていない。
そうなると、同じ高さで落下してるように見えても、より高い場所から落ち始めた魔女喰らいのほうが落ち方、速度が速くなってしまう。この世界でも教えてもらえるが、彼の元々の世界でも当たり前だった物理法則、重力加速度が、物体に等しく作用するからだ。
だから外部からの力や動力なしに、落下する物体は、不自然な加速をしない。重力加速以外に、落下速度を上げる方法などこの場にありはしないのだ。
落下距離が長いのが人の背丈分くらいでも。引き離されるほどではないにしても。確実に、先行する魔女喰らいのほうが速度も速い。距離が縮むはずもない。
なのに、あろうことか学生は、その距離を縮めてみせた。
着地寸前のつま先で魔女喰らいの背を踏んで、自分だけ落下速度を軽減すると、難なくトンネル内に降り立ってしまった。
動きを観察していたから、どういうことであったのかも察せないわけではない。
一言で言ってしまえばそれは、空気抵抗によるものなのだろう。
例えば、同等出力のまったく同じ乗り物を二台走らせた場合でも、同等出力であるにもかかわらず、後行するほうは先行するほうとの距離を詰めてしまえる。それは、後行する乗り物のほうが空気抵抗を少なくできるからに他ならない。
学生はそれを、落下運動中の自分の身体でやってのけた。
先行する魔女喰らいの背中からチューブのように伸びていたはずの、風を受けないで済む隙間のような箇所にその身をするりと入れ、自分だけが減速しないという方法で速度差を覆し、距離を縮めたのだ。そこで届いたつま先から、何割かの落下推進力を魔女喰らいの背に移して自分だけが減速。四階からの落下衝撃を半分近くに減らし、二階からの跳び下り程度にした。
軍人が無傷で下りられたのとはわけが違う。彼は奇跡や偶然の助けを借りることなく、運動能力だけでそれを成し遂げてしまった。
結果、魔女喰らいは地に伏せ、神業を見せた学生は振り向きそれを見下ろしている。
まあ、あの魔女喰らいはそもそも、自らの大跳躍からの着地で尻もちをつく程度の運動能力しか持ってないのだ。しかし、それで死んでいるはずもない魔女喰らいを前に、学生に油断をさせてはいけない。
落下点に駆け寄っていた軍人は、起き上がろうとする魔女喰らいの手を蹴り払って、横にいる学生に声をかける。
「済まないが、この手を蹴り払う足止めに、しばらく協力願えないだろうか?」
学生は返事の前にも言われた通りにしてくれながら、会話に応じた。
「あいにくと、俺は先にいるはずの女子たちを護衛しなきゃなんねえんだけどな」
「君は柿崎景虎の連れか?」
「虎様を知ってんのかって、まあ、有名人だろうしな」
「確かに知っていたのは有名人だからなんだが、彼ならもう一人と一緒に、先に奧に進んでいるよ。君の言う女子とも合流してくれてると思うが……」
「そっか。そんならまあ、俺もここで足止めしてたほうがいいかもな。一応、聞いとくが、彼ともう一人ってのは、黒髪の神様かって感じのと金髪の背の高えやつか?」
「間違いない。特に柿崎景虎は間違えようがない。それと、もう一人は彼の一回戦の対戦相手に見えたんだが、そうだろう?」
「ああ、合ってる。んじゃあ、護衛は間に合ってるだろうし、足止めに参加しとくとするわ」
というやり取りを交わすうちにも、魔女喰らいには結構這い進まれてしまう。川原より坂道より、恐ろしく平坦な床のせいで移動量自体が増しているのだ。バランスを崩すだけでは普通に歩かれているのと同程度にしか足止めができなかった。
「同時に両手を払えばどうだろう?」
「なら、そっちのタイミングでいいぜ。俺が合わせるから」
確かに、彼なら容易にタイミングを合わせてくれそうだ。早速そうすると、歩くよりは遅いペースに魔女喰らいをもたつかせられた。成功だ。
しかし、その成功が二人の気を緩ませたのか、魔女喰らいの顔と両膝による大跳躍への反応を遅らせた。
撃ち落としが間に合わない。二人、着地点に駆けて追い縋るも、魔女喰らいに両手両膝、四つん這いの格好で着地され、間髪入れぬ跳躍をも許してしまうのだった。




