Ep03-04-04
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現地監視要員の二人は、突然の命令変更に、慌ただしく対応しようとしていた。
「おい! これ、前に出ようとしても出られないんだが」
「敵性体の間近は飛べないんだろ。この距離のまま、半周して前に回るんだ」
後輩に指図しながら、自らやって見せる。
オブジェクトで浮遊する場合、人を乗せる重力作用点の下方でも重力調整をしているため、敵性体の一定範囲内が自動で進入禁止となるのだ。当然の話になるが、重力調整のためのエネルギーで、敵性体を強化させないための予防措置だった。先行する学生がこのあたりを通過したのが半ロムグリ前。まだ見えてもないし、その程度の迂回に焦れる時間でもない。
二人、息を合わせて着地すると、魔女喰らいは早速、指での攻撃を仕掛けてきた。
この指での攻撃速度は、喰われた魔法少女の記憶の残滓なのか、運動能力の高い一般男性の会心の投石スピード程度しかない。おそらく放魔法を再現しているつもりなのだろうが、現在の魔法教育水準からするとレベルはかなり低かった。もっとも、実体を伸縮させているのだから、その威力までも低レベルと侮ることはできない。大木の上まで跳躍するような膂力が込められていて、直撃すれば肉体など容易く貫通してしまうはずだ。
前を行っていた片方が指を払いのけるうちに、片方が横に回り膝裏を攻撃する。
がくり、と、膝を落とす魔女喰らい。だが、その態勢にさせたのがいけなかった。
足場の悪い場所で、上へ向かおうとする相手に対してなら有効だった足止めが、しっかりした足場がある場所で、下へ向かっている相手には、むしろ逆効果となってしまったのだ。
曲がった膝を伸ばしての、目いっぱいの跳躍に及ばれてしまう。
前を塞ぐ一名が、瞬く間に跳び越され、十歩分も先に行かれる。これを続けられたら、足止めどころか遅滞すらおぼつかない。だが、人と同じ形で、人にはできない跳躍をした魔女喰らいには、坂道で姿勢を崩さずに着地するバランス感覚は備わってないようだ。
接地した足裏をその場にキープすることができず、尻もちをついている。無理もない。運動神経に優れた人間があの勢いであの高さに撃ち出されたとしても、下りの斜面でまともに着地できるかは五分五分より低い賭けとなるだろう。
しかも、魔女喰らいはその着地失敗でダメージを受けるはめになったのか、再度の跳躍の気配を見せなかった。手を着いて尻を持ち上げるものの、しゃがんだ姿勢から立とうとしているだけに見える。地面への落下が、敵性体へのダメージになることは周知の話だ。高高度に出現した等倍級くらいなら、着地点のオブジェクト舗装の解除が間に合えば、落下衝撃を喰らって無力化されることだってある。着地失敗を嫌がり、跳躍をやめてくれればいいのだが。
追いついた二人が息を合わせ、魔女喰らいの両肩に剣を叩きつけた。駆け下りた勢いを乗せた二人の一撃だったが、刃が食い込んだ形跡はない。
単に屈ませただけとなり、またしても跳ばれる。着地失敗よりダメージが大きかったのだろう。ただ結局のところ、この繰り返しをするしか足止めの方法がない二人では、何もしないで追っているよりはまし、くらいにしか、魔女喰らいを遅滞できないのだった。
アーズ・スクラットは、葉のざわめきの中に交戦の音が混じるのを聞き取っていた。
まだ遠い。だが向こうのペースのほうが速く、いずれは追いつかれる。
戦闘音は遅滞に努めてのものだろうが、敵、あの銀色はおそらく、人の数倍の跳躍力を持つ獣と考えたほうがよさそうだ。だとすると、遅滞に努めているらしき複数人の音は、アーズの知る限りの状況から弾き出すと、景虎とクロムエルということになる。
しかし、それは迂闊に口を滑らせていい推測ではなかった。
魔法少女たちはきっと、景虎が近づいて来ていると知れば足を止めてしまう。アーズ自身はそれでもいいという気持ちもあるが、当の後ろの二人が遅滞に努めているなら、景虎の判断はこちらに接敵させたくないに傾いているに違いない。
魔法少女たちの望みと景虎の判断。事態を好転させるためにどちらを優先させるかなんて、考えるまでもなかった。
アーズは黙したまま、前方に目を凝らし、後方の音に耳を澄ます。
戦闘音の近づき具合で、敵の身体能力の想像がついてくる。さほど予想とかけ離れてもないが、獣型ではなく人型でそんな跳躍力を持つ相手に、よくぞこれだけの時間遅滞させられていたものだと感心する。脇道に逸れてからは追い縋るだけで精一杯のようだが、川辺ではだいぶ相手をやり込めて、こちらに距離を稼がせてくれたようだ。
景虎たちの奮闘に思いを馳せたところで、アーズは自身の予想に修正を加えた。
川を遡上していた敵が頂上を目指している、というのはほとんど確信だったのだが、こうして脇道に逸れているということは、こちらの誰かが標的だったと考えるほうが妥当だ。それならそれで、川の遡上だってその目的のためと説明もつく。
では誰がその標的に当たるのか。
これまで敵性体について教えられていたのは、手当たり次第に人を殺しにくるということ。その法則で言うなら、あの銀色はまず一番近い人間ということで、全員に近づいた。
より厳密に言えば、殿の景虎が標的だったはずだ。
しかし、銀色は後ろに固まっていた男性陣の横を泳ぎ抜けて、少し上流の岩の上に座った。つまり、水中にいた時点では、景虎どころか男性陣は攻撃対象ではなかった。だが、アーズがその脇を通り抜けようとした途端に、アーズに攻撃を仕掛けた。水中での戦闘意思がなかったのだとしたら、地上で出くわした一番近い人間ということで、手当たり次第も間違ってはいない。それでも、残った景虎たちよりこちらを追うということは、一度標的にした相手を追う習性があるということになりはすまいか。それなら標的はアーズということになる。
あるいは、アーズが単に邪魔だから排除されそうになっただけ、という線だったとすると、敵性体が真に狙いたかったのは女性陣のうちの誰かとなる。だとすると、対敵性体への攻撃力を見込まれてるという魔法少女が標的なのか。はたまた、敵性体はそもそもこの世界の人間を殺すために現れたのだろうから、標的は基本現地人という線もありえなくはない。向こうにもいた現地人を仕留めたか、シェルターに逃げ込まれたかでこちらに足を向けたのなら、時間的にはかなり符合する。
いずれにせよ、そのどれの蓋然性が高いとも言えない状況なのだから、アーズが離れれば女性陣の安全が確保されるとも言い切れない。後ろの動きに合わせるなら、これだけ時間が経ってはいても、景虎の言った可能な限り遠ざかるのが、いまもって最善だった。
ならば、それを忠実に実行しようとしている魔法少女たちに、言うべきことは何もない。
これ以上のペースアップは土台無理な話だし、追いつかれて標的がアーズとわかったなら、逃避行の引率は景虎かクロムエルに替わればいい。また、標的が女性陣の中の誰かだったとしても、アーズの機動力は、跳躍メインで動く敵性体に対して充てられるべきもののはずだ。
その時に揃う、景虎、クロムエル、アーズ、走りどおしで合流するであろう三人の中でただ一人、芙実乃のペースでしか走っていないアーズだけが存分に、余力を残している。
アーズは戦闘準備をする心構えをしながら、変わらず殿として足を進めるのだった。
包囲部隊の展開は、一筋縄ではいってなかった。
本部の方針自体は確かにこれしかない、というものだったのだが、その命令遂行に耐えうる即応体制を、現場はまるで整えていなかったのだ。
と言うのも、魔女喰らい出現の一報が入るや否や、出払っている隊の居残りや緊急招集に即応した休暇中の隊員たちが急遽かき集められ、囮ほどではないにしろ、そこそこの速さで動かされて、先に現地入りさせられていたからだった。
魔女喰らい対応が得てしてそういうものになる、というのは、今回派遣部隊長とされたベイデルクとて知らないわけではない。むしろ最も場数をこなしているからこそ、派遣部隊長なんてものにされてしまったわけなのだが。
問題なのは、彼が隊を率いたこともない、便利使いされているだけの戦闘屋だったことだ。
所属している隊ももうずいぶんとなく、懇意の者も今回の混成隊の中にはいない。所属隊員をまるっと連れて来られた、ベイデルクと同階級の隊長も二人、いるにはいたが、互いを牽制し合っているのか先任に譲るの一点張りで、現場指揮を引き受けてはもらえなかった。せいぜい、自身の役割を慣れた遊撃に、残りの人員を二つに割って、それぞれの隊の追加人員として扱ってもらうよう取りはかるくらいしかできなかった。
そうして、取る物もとりあえず着の身着のまま、首都から最東端の本島に辿り着いた時は、立場と作戦予定地が決められていた。隊を指揮した経験がないとはいえ、さすがに、そこから予定地への移動や、現場での人員配置にまで戸惑ったわけではない。対魔女喰らいの包囲殲滅戦の従事時間なら、確かにこの混成部隊の中で最長なのだ。ベイデルクは、ここに来させる、という予定に基づいて、記憶頼りの見よう見真似ではあるが、迎撃態勢を整えてみせた。
ここまでならたぶん、瑕疵のない作戦行動が取れていたはずだ。
しかし、作戦開始の予定時間直前になって、作戦予定地の放棄が告げられた。
当該魔女喰らいのターゲットが、現地で違う魔法少女になった、とのことだった。
これはかなりまずい状況だ。と言うより、そういうことにならないように、対魔女喰らいはこんなにも人員を割いて、現地軍人の魔法使用まで禁じているくらいなのだ。なぜなら、魔法少女が魔女喰らいに殺された場合、仮に遺体の損壊が激しくなくても、気力喪失者となって二度と目覚めることがなくなる。取り逃がす可能性も考慮に入れると、ターゲットとなることに同意している魔法少女以外の魔法で戦ってはいけない相手だった。
特に、異世界人学校に通学中の魔法少女がそんなことになっては、同級生たちの動揺も計り知れない。それだけは避けてやらねば、と密かに気負っていたところ、指令に最精鋭を追跡に充てろと言われ、慣れた役割とばかりについ自分が出て来てしまった。
が、普段のベイデルクはそれをすべてお膳立てされた上で役割を全うできていただけ、と、いま思い知ったところだった。
問題はまず飛べないことだ。そもそも、敵性体とは人の密集地域に現れるケースがほとんどで、普段は飛ぶ必要などないくらいなのだが、さすがにこんな山間部に足を踏み入れようとしたら勝手が違う。そこでやっと飛ぼうとして、それができないことに気づいた。元々の作戦予定地である、逃げ込まれる木が少なくなっている麓の平地から、学生たちが逃げているという登山道の入口まで駆けているあいだでのことだ。
それでも、お膳立てはされるものと思い込んでいたベイデルクは、優先順位が低いだけで、そのうちできるようになると高を括ってしまう。ベイデルクは周囲の優秀さを信じていたし、自分の至らなさもわきまえている。だから、自分が誰かに指摘することがあるなんて、思いもよらぬことなのだ。その時点での最善とばかりに、見つけた獣道を登りだした。予定ではこういう道から落ちて来るはずだったのだから、登山道の途中までショートカットして行ければ、魔女喰らいにはその分だけ近づけているはずだ、と。
いま現在魔女喰らいは山の中腹にいる。ということはつまり、この木々で密集した斜面に、包囲部隊を展開するということでもある。魔女喰らいを円の中心にいると仮定すれば、そこに向かう自分よりも上まで行かねばならない人員だけで半数、それこそ頂上付近まで登らなければならない者もいるはずだ。それに他の者だって、対象に合わせて遠方包囲をずらしてゆくのだろうから、どのみち飛行できなければ包囲態勢を維持しておけない。
飛行移動の段取りは、隊長の二人が上手く差配してくれているのだろうか。
また、本部は本部で、包囲の予定地候補を再選定し、地域の行政と意思疎通を図らねばならないはずだ。場合によっては、都市を丸ごと地下収納しなくてはならなくなるのだから。そうなると、作戦自体の難易度を上げてでも、市民生活の確保に振れるかもしれない。
何せ、強化体を無力化するまでにかかる時間は、一月を超えることだってざらにあるのだ。
逃げない、単なる強化体相手なら、優勢を保つだけであとから包囲場所を望む位置にずらしてゆくこともできる。が、逃げのある、魔女喰らい相手にそれは、迂闊にはできない真似だ。目途をつけて現地軍に引き継がせることにも、問題は山積みだった。
場数の多いベイデルクでさえ、記憶にないシチュエーションだ。それを意識してようやく、お膳立てや段取りの手違いへの疑念が持ち上がる。ただ、そういった諸々込みで、誰もが適切に仕事をこなしているはずだという経験則のほうに、気持ちは引きずられてしまう。
そのくらい指示を盲信しているとも言えるが、結局のところ、この男は自分には戦闘能力しか求められてない、という数十年来の任務に慣れきってしまっているのだった。
命令系統を徒に分岐させないための当然の措置だったが、作戦従事者の一人一人が、気ままに作戦本部へと問い合わせをできるわけではない。もちろん、作戦従事者の一人一人に細かな指示が出される場合もあるが、そういったことはすべて作戦本部の主導で行うことだ。
だからなのか、作戦本部は作戦従事者の誰も飛んで移動してないことに疑問を抱いてなかった。これは、そもそも飛ぶこと自体が、漠然と忌避すべき行為だと固定観念化されてしまっているのが大きい。飛行は、エレベータのように狭い範囲の高低を重力調整するだけで済まない分、敵性体を強化するリスクの高い、エネルギー放出もまた多く必要となる。
広域の衛星画像でしか各員の動きを可視化してない作戦本部はそれで、包囲展開しようとする混成部隊の動きを実に理性的な対応だと満足しているくらいだった。敵性体を強化するほど近くは飛べなくなっているものの、敵性体のほうが逆に重力調整圏内に侵入した場合、デフォルトで飛んでいる人間を落とすまではできない。つまり敵性体の強化を許してしまうわけで、包囲部隊の移動が、警戒区域外のオブジェクト舗装された道路上にほぼ限られているのを、リスク回避の一環と理解してしまっていた。警戒区域外で包囲態勢を保っていられるなら、通信も双方向化が限定された軍用回線だけでなく、ナビもフルに活用できる。それに、逃がさない目的でする包囲なのだから、リスクを冒してまで、最初から範囲を狭める必要もない。
実際には、許可取りを怠ったベイデルクの尻拭いに近かったが、すぐに代替案を立案し実行し、飛ぶのと遜色ない成果を上げられるくらいには、現場が優秀だっただけだ。
また、そういった現場の優秀さを作戦本部のほうでも信頼していた。何せ、どこかしらの世界の史上最強を競わせて厳選した戦士だらけなのだ。国際敵性体法を遵守した強化リスク回避優先の監視態勢という、現場に丸投げも致し方ない局面が多々あるにもかかわらず、戦士たちはその類い稀な危機対処能力で必ず解決する。敵性体による一般人の犠牲者が数年来ないだけではない。その数年来前の犠牲者の学生だって、再召喚というかたちではあるが社会に戻すことができているのだ。軍の任務遂行態勢は盤石、とどこかで思い込んでいた。
現場がいつもの、建物を収納した更地の市街地でない、木々の生い茂った連山の斜面でも、運動能力に秀でた史上最強たちに、どれほどの障害となろう。
軍の現地人男女比は半々だが、本部から作戦に携わる人員には女性が多い。これは、現場に立つ史上最強の戦士たちに対し、劣等感などのネガティブな感情が少なく、彼らとのコミュニケーション能力も高いとされるからだ。だから、想定が妙に理想側に振れる瞬間があり、まさに、この時の作戦本部もそれに陥っていた。
たった一人だけ、特に速やかな任務遂行が求められる人員が、自身の行動を最適化する許可を求めずにお膳立てされるのを待っている。
そんな馬鹿な可能性は、露ほどにも考えないのだった。




