Ep03-04-02
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首都、作戦統括本部。
「当該魔女喰らい対処臨時編成班、処置予定地への展開配置整いました」
「アラ・ル・トルテ・ナフミリヤ様、出立準備完了後、待機継続中」
「高速通過ルート上居住区域の重点警戒態勢、三ロムグ以内に完了との予測です」
「内海目測監視態勢の確保には、残り一ロムグリ。域内ドローンをすべて放出すれば、十ロムグ以内に通過地域をカバーできますが」
「それには及ばない。衛星監視で見落とす等級の敵性体なら、そのうち魚群にでもやられてしまう。その他の監視、警戒に追加の要請はないな?」
「――ありません」
「では繋げ。現地監視要員を動かしていい頃合いだ」
上流側にじりじり進まれてはいたが、景虎たちと顔を合わせた現地監視要員の軍人二人は、女性型敵性体――魔女喰らいの遅滞におおよそは成功していた。
その彼らに、敵性体強化回避措置の制限エリア内でも問題なく通信できる、軍用回線からの連絡が入ったのは、景虎たちを見送ってから一ロムグリ経ったころだった。
「遅滞戦闘に努めているようだが、紅焔管轄ではそんな通達が出ているのか?」
「いえ、現場判断です。元々は交流遠足の学生二名が、同行者五名を頂上シェルターへの避難支援のため、当該敵性体を足止めしておりました。その二名が、引き継がなければ現場を離れそうもなく、彼らを逃がすためにも我々が戦闘に入った次第です」
「それでその二名は頂上へ向かったのか? それと、もう一名いるはずだが、安否確認は?」
「その一名だけが近場のシェルターへ退避できたのだと彼らが。その後、合流を目指している様子でしたので、シェルターへは避難してくれず、上流へと向かわれました」
「上流……となると、現行の囮方面の先を行っているわけだから、いま君らに遅滞をやめさせるわけにもいかないか。いや、衛星確認できた。魔女喰らいを逸らすポイントの画面をちょうど二名が通過し、頂上方面に向かっている。赤の差し色までは確認できないが、この地域でこの制服なら紅焔生と見做すべきだろうな。黒と銀の髪色の二名で間違いあるまい?」
「黒ははい。銀は多少色味がかっていたようにも見えましたが」
「警戒エリア内の映像だからな。純粋にレンズだけで拡大した衛星からの映像だと、細かな色味などあってないようなものだ。立ち止まったが、すぐに走りだしたし、一致と判断していいだろう。君らにはこれから、魔女喰らいを見失わぬよう追ってもらうことになるが、敵の機動力をどう感じている? 跳躍力ベースで過小評価することなく見積もって数字にしてくれ」
「そうですね。人の五倍は越さないかと」
「しかし、人の五倍に迫る跳躍ができる相手を、二人で足止めしておけるとも思えんが……」
大口を叩いていると感じたのだろう。本部指令と思しき通信相手が声を渋らせる。
「足場の悪さが味方してます。岩など足場の崩れない場所を使われるようだと、追いつけない可能性が高くなるのは理解してます」
「なるほど。さしもの魔女喰らいとてそこまでの知恵は回らんのだろうが一応、飛んで追える準備の手回しはこちらからしておく。ポイントで曲がらせるまでに追いつけばいいのだから、一時的に引き離されたとしても慌てなくていい。遅滞を終了――する前に。処置予定地の位置と作戦ルート、そこに至る迂回路は頭に入れてあるか?」
「問題ありません。通信制限下で参照できなくなる事態に備え、データで受け取ってからの出動と、道中での熟読を命じられてました」
「結構だ。ポイントよりも上流側に行かせた分だけ、囮を多く動かさなくてはならなかった。重点警戒態勢の海域が最低限に止まらせられる。遅滞は良い判断だった」
「恐縮です」
「では今度こそ遅滞を終了。追跡に当たれ」
「了解しました」
下りは下りで身体に負荷がかかる。日本にいたころ芙実乃はそれらしいフレーズをしばしば目に耳にしていたが、いまのところその心配には及ばなかった。転生時に遺伝調整をされたというこの身体だと、その程度の負荷の蓄積ではなんともならないのかもしれない。
悪い足場の登りよりはるかに、疲労も少なく感じられる。これは単純に、身体を動かすためのカロリー消費が少ないせいだろう。乳酸やらもこっちの身体だと溜まりにくい、とかもあるかもしれない。ともあれ、歩行ペースが上がっていても、芙実乃はわりと普通に話せるくらいには、息を切らせずに済んでいた。
しかし――。
「そろそろ三十分くらい、ってことは、頂上に行ってたらもう、シェルターに隠れてられたってことになっちゃうんでしょうか……」
脇道に逸れたいと意見表明していた自責の念で、芙実乃の声は沈んだ。それを気にしてか、ラミューンがすかさずのフォローを入れてくれる。
「あー、でも、こっちはこっちで休憩ポイントを見逃しちゃってたんじゃないかなぁ。たぶん下りで歩いてると見えにくい場所にあったんだと思うし。それに、敵性体からの避難でシェルターに入ると、最悪数日出してもらえない、なんて話があるとも聞くし、このまま道路に出たほうが、移動オブジェクトで近くの街に運んでもらえるはずだよ」
追加情報込みのラミューンの話に、シェルターの知識を得たばかりだったルシエラが、初耳とばかりに口を尖らせた。
「棺みたいなところから何日も出られないなんて最悪じゃない」
「あはは。シェルターに避難中は有料コンテンツなんかも無料で体験できたり、それなりに楽しいって話も聞くんだけどね」
それだと、どのみち景虎とは直接顔を合わせられないのだ。有料コンテンツ無償化はきっとお得だし、収容者のストレス緩和にもいい制度となるのだろうが、芙実乃やルシエラにとっては、それが景虎と会える以上の価値になるはずもない。
結局のところ、芙実乃とルシエラは現在、景虎の指示を仰げない状況の継続に、不安定になりかけていたのだった。
ただ、それがまだこの程度に止まっていられるのはこうして、何かにつけてラミューンが、慰めてくれたり褒めてくれたりと、執り成してくれているからだろう。アーズがおどけながら脅すみたいなことを言うと、それを窘めたりもしてくれる。
マチュピッチュが、機転を利かせた絵魔法を出した時もそうだった。
本来なら、ルシエラにしっぽを掴まれているマチュピッチュは皆の先頭に配置されている。それが、マチュピッチュは全員が脇道に入ると後ろに行って、突如指を前に突き出したのだ。
そこを見ろと言われている、という勘違いを全員がして注目していると、マチュピッチュの指先から、じわっと風景が滲み出ていた。
おそらく、魔法を初めて見るラミューンが狼狽の声を上げる。
「え? え、木? 木が生えだしてるの? って言うか、風景が近づいて……。わわっ!」
道が塞がり、ラミューンが驚きの声を上げる。結論から言えば、マチュピッチュは向かい側の風景を、そのまま近くに写しただけだったのだろう。
「マチュピッチュちゃんは、指で描くだけじゃなく、写真みたいにもできるんですね」
「それはえっとつまり、魔法でホログラフをここに出した、って理解すればいいのかな?」
「そうですね。言われてみれば、まったくのそのとおりなのかもしれません」
「じゃあ塞がってるわけじゃなく、木を避けなくても通り抜けられたりもするの?」
魔法以上のことができる科学力に慣れているせいか、ラミューンの適応は素晴らしく早い。
「ああ。このとおりだぜ」
アーズはそう言うと、わざわざ木の部分に突っ込んで、向こう側に行った。姿が見えなくなる。一歩先にいるとわかっていても、芙実乃は心なし声を大きくして話しかけた。
「裏側からはどう見えますか?」
しかし、声に反応したのはアーズでなく、マチュピッチュだった。
マチュピッチュは指を突き出していたあたりの横を、手のひらでとんと押す。すると、忍者屋敷の回転壁のように、風景がぐるりと回転した。
「「「ひゃあ!」」」
マチュピッチュを除く女性陣が悲鳴を上げる。何せ、猛進する大木にぶち当たられたように見えていたのだ。もちろんすり抜けていったが、一瞬くらいはひやっとする。
「いきなり回転させんなよなー」
アーズが風景から突如出現した、ような感じで戻って言った。文句を言われたと感じたようで、マチュピッチュがふくれる。きっと芙実乃が裏側を気にしたから、マチュピッチュは風景を回転させてくれただけなのに。そこですかさず、ラミューンが執り成すように発言した。
「で、でもこれで、裏側は左右対称になってるって、わたしたちも見れてわかったんだからいいじゃない。マチュピッチュちゃん、ありがとうね」
「マチュー」
「そうね。それに写した風景なら、裏返しておいたほうが、向こうから左右を見較べた時に、鏡写しになってない風景にもなるんだから、そのままより見つかりにくくもなってるはずよ。上手くやったじゃないの、マチュ」
「マチュマチュ」
ルシエラが何やら褒めていた。ラミューンの言った表裏を裏返す左右対称と、左右の風景が鏡写しになるというルシエラの発言が、芙実乃は咄嗟には図形や風景として思い浮かべられなかった。それでも、言葉として、計算としてそういう図式が成り立つのだけはわかる。ルシエラは、感覚みたいなもので風景が想像できているのだなと思うに止めておいた。
なのに、アーズが余計なことを言ったのは、その場から下りはじめてすぐのことだ。
「なんつーか。左右対称の違和感とか、そんなもんまで消しちまったら、敵だけじゃなくて、虎様たちまで撒いちまったりはしねえか?」
その言葉に女性陣全員、とりわけ芙実乃とルシエラがぴりっとした。
「ピー、ピー」
「もうっっ! みんなを不安にさせるようなことを言って! アーズ君はみんなが安心して足を進められるようにすることだけを考えなさい!」
「そうよっ。マチュを泣かせるようなことを言ってからにぃ」
「まったくしょうがない人ですよまったく。いま一番大事なのは、景虎くんの言いつけどおり敵から遠ざかることなんですから、わたしを足手纏いと罵るならともかく、敵に気づかれないようにしたマチュピッチュちゃんが間違ってるはずないでしょうが」
「ま、まあまあ、芙実乃ちゃん。誰も足手纏いだなんて思ってないよ。上手く歩けないのなんてほら、仕方ないことなんだから。それも景虎くんが計算してると思うし。ね」
と、ヒートアップしかけるルシエラと芙実乃を宥めたものの、しょげたマチュピッチュを即座に庇ってくれたのがラミューンだったからこそ、一行はその後の三十分間、大きな諍いを起こすことなく、山道を下り続けられたのかもしれなかった。
本部とも現場とも離れた場所での待機とはいえ、作戦従事中でもあるアラルは、本部との連絡だけは密に、というより、完全に隠れてリモート参加してるも同然だった。今回の本部指令役とならいつでも会話できるし、衛星画像から各種データの参照までできている。
現地軍人二人が、女性型敵性体――魔女喰らいの追跡に入ってから一ロムグリ。
危惧していたほど、魔女喰らいは固い足場を選んで利用することもなかったが、一歩一歩をじっくりと踏み締めだしたのか、画面上の点の動きに変化が見られてきた。
登坂スピードも上がってきた。だが、現地軍人たちは浮遊型オブジェクトの起動で手間取るのを嫌ってか、長距離走と短距離走の中間くらいの走りでポイントまで追うつもりのようだ。確かに、ポイントまでの残りの距離を考えれば、そうしたほうが肝心要のポイントを通過するタイミングを見逃す、なんて失態は晒しにくくなる。
しかし、本部司令はそれももう無用と考えたらしい。衛星画像だけでアラルを動かす目途が立ったのだから、現場で便利使いできる二人の消耗を抑えておくことにしたのだろう。
「現地監視要員。現在本部は衛星で当該魔女喰らいの視認が可能だ。タイミング通知の任務は解除。進路変更後に備え、飛行追跡の態勢にて任務続行せよ」
この国では敵性体対応が徹底され、科学的に波を照射する探知は全オフ、衛星高度からただのレンズでピントを合わせて見る、という国際的な取り決めを律義に遵守していた。些末な湯気が、視界を遮る雲として途中にかかるだけで、遠隔地からのタイミングが計れなくなる、ということでもある。現地監視要員の派遣は備えとして欠かせない措置だった。
とはいえ、視界が確保できているのなら、タイミングはターゲットを乗せた乗り物の操作権を持つ本部が決めたほうがいい。ターゲット確度九割以上と算出されたアラルを、敵性体誘導の微調整で動き回らせずにも済むからだ。
「アラル。対象が岐路に差しかかった瞬間に動かしますので、ご足労をかけますが……」
「いいよ。外さえ見えないようにしときゃどうせ動いてるのも感じないんだから、部屋にいるも同然だしね。それよりも通話は本部と繋ぎっぱにしてくんない?」
「貴女の言動を皆におおっぴらにするわけにもいきませんので」
ぴしゃり却下されると、すぐカウントダウンに入られ、揺れる気配すら感じないうちに移動が完了していた。外は全面海上だ。衛星映像の魔女喰らいも無事脇道へと入る。
――が。
「なんだ? 止まってないか?」
衛星からの生の映像だと、立っている人は頭しか映らない。それは人型の魔女喰らいも同様で、画面には見えづらい銀の点が映り込むだけだ。その点が脇道の中央で止まると、もぞもぞ道の端に寄って行く。本部指令が現地監視要員に通話を繋いだ。アラルの回線に切断の通知も通話者の追加同意の確認もないから、軍用の別回線で繋いだのだろう。話は聞こえる。
「そちらは視認ができる距離に戻っているか?」
「ぎりぎりは」
「魔女喰らいは何をしている?」
「もう少し近づけば。――跳んで、いますね。その場で木の上まで」
「私見でいい。何をしているように見える?」
「上から道を見渡しているようにしか……。あの、注目するポイントを教えていただければ」
「いや、こちらでもわからん。ターゲットを動かして脇道に入れた、と思った途端にこれだ」
確かに遠見をしているとしか思えないが、相手は人間でなく敵性体だ。魔女喰らいを含めたこれまでの敵性体に、視覚、聴覚を持っている、と確証の得られる行動は確認できてない。
別の行動原理がないか疑ってみるべきだ。
との、本部指令の意図を酌んだオペレータたちが、関連情報をつぎつぎと表示させる。思考の演算補助の入っている本部と違って、洋上の上空のオブジェクト内にいるアラルでは、とてもではないが読みきれるものではない。が、三百五十年に渡る敵性体との交戦歴があるアラルだと、ぱっと見だけでおおよその見当くらいはついてしまう。
なので、今回の事態の推論に関するものだけに目を通してゆく。
まず、ターゲットがアラルでない可能性が浮上。だが、出現地点からの逆算によると、潮流に押され川に入り込んでしまった当該魔女喰らいは、上陸できる場所を求め遡上。出現地点へと至る渓流が、アラルの所在地方向とほぼ一致していたことから確定されたものだ。同方向にいた別の魔法少女がターゲットの可能性もないわけではない。だが現在の動きをそのターゲットに釣られたものだとすれば、仮にアラルよりも近場にいたとしても、軍作戦以外では許可されないスピードで動き回っていなければ、この動きはさせられない。
つぎに、上陸後のどこかの段階でターゲットがすり替わってしまった可能性。これには別の魔法少女が魔法を当てる必要があるわけだが、最も怪しい五人組みは魔女喰らいが寄った道の端側にはおらず、同じ脇道の先を行っているだけだ。その場で跳ぶ理由にはならない。また、もっと早い段階で五人のうちの誰かがターゲットになっていたとすれば、現地監視要員が追っている最中に、木々を縫ってでも横に逸れ、近づこうと動いていたはず。
そもそも、アラルの移動に連動して、脇道に逸れたのは明らかなのだ。
だとすると、脇道に逸れた途端に跳び上がらざるを得なくなる行動原理とは……。
芙実乃たちは麓へと向かって山道を下る。
そして景虎とクロムエルはこの時、ようやく頂上から引き返しはじめたところだった。




