Ep03-03-06
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川べりを上流に進む五人は、全力疾走後からしばらくは息を整えながら歩いていたが、ここにきて持続可能なハイペースを保てるようになっていた。両隣で芙実乃に肩を貸す二人のうちの一方、ラミューンも口を開く程度には、息づかいも落ち着きだしている。
「もう結構登って来ましたけど、敵性体がまだ来ないってことは、残った二人が無事倒してくれたってことになるんでしょうか?」
ラミューンは質問の相手に、一行の中で一人きつそうでないアーズを選んだ。芙実乃を抱えながらだから、ちらっとしか振り返れない。そのため、ラミューンの言葉を受けて後方を確認しているアーズとは目が合わなかった。が、ちゃんと答えだけは寄越してくれる。
「わからねえけど、切れる堅さの相手じゃなかったから、倒してるイメージは沸かねえな」
支えている芙実乃から、息を詰まらせる振動が伝わる。転生させられている以上、虚弱ではなくなっているはずだが、目も当てられないほど体力にも運動神経にも恵まれてない子だ。
ラミューンは芙実乃に声をかける。
「芙実乃ちゃん、だいじょうぶ? もう少しペース落とそうか?」
だが、芙実乃はラミューンの声も耳に入ってない様子で、誰にともなくつぶやくだけだ。
「景虎くん……。景虎くんの刀は無事なんでしょうか……」
「……刀? お嬢は変な心配の仕方をすんだな」
アーズの言うとおり、そこは普通に本人を心配すればいいところなのに。しかし、芙実乃はその発言の気楽さを咎めるように、彼女の杞憂の正体を明かした。
「景虎くんの刀は、皆さんの武器と違って、硬質化の処置がされてないんです。だからへこむし、曲がるし、折れもするんですよ。聞いてなかったんですか」
武器が……へこむし曲がるし折れる。それはなんというか、送る時に注意しなければならない、壊れ物に属しているものの話ではなかろうか。ラミューンは思わず疑問を零す。
「えっ? 景虎くんはなんでまた、そんな壊れちゃう武器を使わされてるの?」
すると、ひっついてる芙実乃が胸を反らさんばかりに、得意げに語った。
「景虎くん曰く『折れぬ刀を恃むは小心が過ぎよう。折れる刀を折らぬよう振るのが侍だ』ということらしいです。力尽くで攻撃する意識が動きを身体に出すことになるから、とも言ってましたが、それで雑になる人ではありませんから、どちらかと言えばこれは戒めみたいなことなのかもしれません。わたしは正直なところ、あれはハンデでしかないと思ってますね」
セレモニーの勝者、などと、わりと前代未聞らしきことを成し遂げて、現地人のあいだでも有名になっているという景虎。彼以外の二人の男子も、元いた世界で史上最強というだけのことはあって、ただならぬ強者の風格を漂わせてはいるものの、確かにその中にあっても別格な雰囲気が景虎という麗人にはあった。ただそれは、ラミューンにとって強い弱いよりも関心が高くなる美貌が主になってしまい、景虎から感じた印象は強さよりもむしろ儚さだった。
しかし、彼をこの世界に呼んだ魔法少女、芙実乃がこうまで誇らしげに大言壮語するのだから、景虎の強さはあの異世界人学校の中ですら度を越したものなのだろう。強い武器に頼らない精神性。語る言葉。意識そのものが遙かな高みの領域にいる人間であることが窺える。
芙実乃の発言の衝撃が強かったのか、アーズが神妙な声で確認した。
「俺の時や、セレモニーの時もか?」
「それはそうですよ。景虎くんは刀を替えてませんから」
「マジか。なら虎様の強さは、俺の想像の少なくとも倍はあるわ」
「景虎なんだから百倍以上よっ」
間髪入れずにルシエラが上方修正する。
「そもそもの評価も、ありえねえレベルの使い手だよって感じで、戦って訓練して、その都度上がってってもいたんだけどな。でも、そうか……」
何かを理解したように言葉を濁すアーズに、今度は芙実乃が噛みついた。
「そうかって、なんですか! 景虎くんのことをわかってるみたいにっ」
「マチュチュチュチュー!」
マチュピッチュも加勢する。仲間二人がアーズを責めだしたかららしかった。
「ああ、いや、なんで嬢らに付くのが俺なのかなってのが、虎様の刀が折れるって聞いて、それでかって思っただけだって」
アーズは、突っかかってくる相手を気にしないでコミュニケーションを取れる性分らしく、普通に応じている。弟妹の相手でもしているかのようなこなれ具合だ。
「刀が折れちゃうから、景虎くんはこっちに来てくれなかったんですか?」
「たぶんな。虎様は長短二本刀を持ってるけどよ、どっちもすぐ使い物にならなくなる、特に折れるって想定なら、さっきのやつに一人で対処しなきゃなんねえ状況だと、嬢らを逃がしきるのも難しいってことなんじゃねえの」
「それでも景虎のほうが頼りになるのに」
「ほぼほぼ全部の場合でそうだろうなって俺も思うぜ。ただ、たった一つ。ほんとに最後って時、虎様がしてもあんま意味ねえことが、俺にはできるってとこが大きかったんだろうな」
「また持って回った言い方をして」
「わりい、わりい。なんだ、最悪の時な、身を呈すってことを虎様がしても、嬢らはむしろ逃げられなくなるだろ。だけどそれが俺ならそんなことにはならねえから、確実に一時しのぎができんだわ」
芙実乃もルシエラもそれなりに納得できたのか、抗議の声は上げなかった。
「ま、あっちにゃ虎様もいんし、抜かれる心配はあんまねえけどな」
アーズは最初倒せるイメージがない、と言っていたはずだが、あの二人が負けるとも思ってなかったのだろう。
問題は敵の頑丈さだけなのだ。
そこでふと、ラミューンはすっかり頭から抜けていたことを皆にぶつけてみた。
「あのさ、敵性体っていうのは、魔法で倒すのが普通なんじゃないかな?」
すると、マチュピッチュを除く三人が、意外にも虚を打たれた顔つきでラミューンを見返してくる。
「いや、俺、魔法とか使えたことねえし、そんなんまったく考えもしなかったわ」
アーズがまるで想定外だったことを明かすと、ルシエラが狼狽えだした。
「い、急いで戻らなきゃ」
しかし、芙実乃がそれを諫める。
「待って、ルシエラ。景虎くんなら、ルシエラがここにいてもルシエラの魔法を使えるから。それより、敵性体からできるだけ離れるように言ったのは景虎くんなんだから、そっちを守るほうが正解のはず」
「そっか。そうよね」
何よりもそれが重要、とばかりにルシエラが落ち着きを取り戻した。それにしても、いま芙実乃は景虎がルシエラの魔法を使えるのが既知であるかのようなことを言った。ルシエラの同世界人はクロムエルのはずだが、クロムエルが景虎に負けて、もうすでにパートナーは移っているのだろうか。優秀な戦士が複数の魔法少女をパートナーとする、みたいな話を聞いた覚えがあった。また、芙実乃自身の魔法はどうなのかが、ラミューンには気になってしまう。
「あの、芙実乃ちゃんのほうはその、まだ魔法が使えなかったりするの?」
「いえ、使えはしますが、威力がかなり低くて、静電気ってわかりますか?」
「わたしはもわもわってする感じのやつしか知らないけど、パチッとするとも聞くね」
「まあそれの若干強めのやつを、速く正確に動かすっていうのがわたしの魔法なんですけど、そんなんでさっきの敵性体に効きますかね?」
芙実乃が肩越しにアーズに問う。両側で肩を借りていて、後ろは見えてないだろうが。
「さあ、知んね。でも俺なら、虎様に石でも投げられたほうが着実に即死ねんな」
「ですよね。敵性体って投石が効くってよく聞きますし」
「じゃあやっぱり、わたしの魔法だけが景虎の役に立てるんじゃない」
「むっ。で、でも、わたしは操魔法だけじゃなく、纏魔法もいい線行ってるって言われてるんですからね。纏魔法は敵性体戦闘の主力。なのに、ルシエラは纏がまだのはずでしょ」
頭をくっつけていがみ合う二人を宥めつつ、ラミューンは訊ねてみる。
「ま、纏魔法って何かな?」
「えっと、刀に魔力を纏わせて威力を高めたり、身体に纏わせて防御力にしたりするんです」
「あれ? ちょっと待ちなさいよ芙実乃。それは月一戦で魔法が可の場合にそうなるだけで、防げるのは魔法だけって話じゃなかった? 武器の攻撃を防げるわけじゃないってことは、敵性体の攻撃だって防げないし、景虎の刀が折れなくもならないんじゃないの?」
「そんなはずは……ん? そうか。景虎くん以外の人の武器は、そもそもが壊れなくなってるから、壊れる壊れないは、威力が相乗するのとは関係ないのかも」
「ほら見なさい。だったら今回も芙実乃の魔法は役に立たないじゃないの」
「なにおー」
二人はまたしても頭をぐりぐりし合いだした。そこに我もとばかりにマチュピッチュも参戦する。別に二人の諍いを止めようだとかではなく、単に仲間に加わりたかっただけのようだ。じゃれ合って遊んでいるように見えたのだろう。こんな子たちが、親元どころか親のいる世界からも離れ、敵性体駆除のために魔法を訓練させられているのかと思うと、現地人として身につまされるものがある。母の受け売りそのものだったが、ここにきて激しく共感を覚えた。
もっとも、子供の相手のようでちょっぴりほっこりもしてしまうが。
「ほらほら、やめよやめよ。また歩くペースが落ちちゃうから」
それでは景虎の言いつけに背くと思ったのか、三人の頭ぐりぐりの会は散会した。
一行は逃避行を再開する。散発的に言葉を交わしながら、敵性体との遭遇より一ロムグリ半も歩いたころ、川が川というほどでもなくなってきた。この山はそこそこ長い連山になっていて、山に含まれた雨水の大部分が、先ほどまで流れていた川の底から浸み出しているらしい。つまり、頂上に近づけば川が先細ってくるのが当たり前なのだ。
ラミューンが休憩ポイントで、シャワーを浴びているあいだに流し見ておいたナビでは、それまでのペースで頂上に到達するのは、三ロムグリ後のはずだった。ペースを速めたことで、トータル半ロムグリは詰められるとして、頂上までの残りの行程は一ロムグリ。敵性体確認によるインフラ制限エリアに指定され、ナビの通信機能やらが制限されている現状では、誰にも連絡が取れないしGPSも見られない。こういった予測計算も、自分で割り出さなければならなくなっている。
だから、選択肢が増えた時でも、必要な情報が揃わないなんて事態にもなるわけだ。
「マチュー」
マチュピッチュが指を向けている先を見ると、脇道が合流していた。ラミューンはこの場にいる中でもっとも情報を持っていてもらいたい相手、ということで、アーズに向けて話した。
「たぶん、別の麓から登って来る道ですね。この山の登頂が目的でなく、尾根を走破したいなんて人がショートカットに使ってるルートなのかもしれません」
川べりを歩くという今回のルートは、川遊びを楽しみつつ、且つ迷いにくいというルートになる。だから逆に、急いで下山するならこの脇道を行ったほうがいいかもしれないのだ。山の水が浸み出す面、ということで、今回歩いてきた道は石でざりざりだった。しかし、この脇道だと固まった土肌が見られ、ところどころ滑り止めのような石も埋まっている。
それを見てか、絶賛足手纏い中なのをずっと申し訳なさそうにしていた芙実乃が、おずおずと思うところを口にした。
「このまま支えてもらえてれば、の話になりますが、石だらけの道でなく、しかも下りなら、わたしはいまより速いペースにも付いて行けるんじゃないでしょうか」
それに、ルシエラが賛意をかぶせる。
「芙実乃がもっと速く歩けるなら、景虎の言いつけである、さっきのやつから遠ざかる、が、その分だけ捗ることになるんじゃないの」
そしてマチュピッチュも。
「チュピッチュ、ピー」
アーズは三人の発言を受けて、最初の提言者であるラミューンに顔を向けた。
「んじゃあ、現地の嬢ちゃん、逆にこのまま登る、ってのにメリットがあるとすればこれ、みたいなものがあるなら言ってみてくれ」
皆が進路変更に傾いているからあえてなのだろうが、逆の意見を求めてくる。
「そうですね。交流遠足の予定行動と同じになること。迷いづらいこと。避難場所として頂上の方向をナビが示していること。シェルターの入り口になる休憩ポイントが、おそらく目立つ場所に、確実に設置されていること。などでしょうか」
「要はシェルターってやつに入り損ねることがなくなるわけだ。さっき出てた話と絡めると、俺が足止めで脱落しても、嬢らだけで行き着ける目がかなり残る」
「なるほど……」
そう考えると、進路変更がある種の賭けであることに気づかされる。
「で、これは完全に俺の勘ってだけだから、話半分で聞いてほしいし、賛成も反撥もしねえで参照だけにしてくれって感じなんだが、あの敵、たぶんな、頂上を目指してるんだわ」
「それはどうしてですか?」
即座にそんな返しをするあたり、芙実乃は根拠不明の話を放置できない質なのだろう。
「んーとな。敵性体ってやつは物の中に埋まって現れた事例はねえ。水の中はまだなんとも言えねえらしいが、大方、空中に出たやつが落水してるんだとも習ったろ。ってことはだ。やつは俺らのいた地点の少なくても下流に落ちて、わざわざ遡上してたってことになる」
「上流で川に落ちていて、流された結果自然と、あの場所に行き着いた可能性とかは?」
「出現場所ならそりゃ半々だわな。けど、水から出たいって行動原理があんなら、落ちたはずの上流のほうがこのとおり水も少ない。判断が遅れて上陸し損ねたんだとしても、ああいう出方になるまでには、まず勢いに乗ってあの岩の裏側にぶち当たり、水底でしがみついて勢いを殺しつつぐるっと反対側に回る、ってことをやらなけりゃならねえ。それにしちゃあ、音にも衝撃にも、虎様ですら気づいてる様子はなかった。それでも、俺らがあれが頭を出す瞬間から目撃できてたのは、水底にでかい魚でもいるのかって気がしてたからのような気がすんのよ。銀色で魚影も何も光に紛れちまって見えるはずねえのにさ」
「……下流で落ちてて、頂上を目指してるってあんたの予想が合ってるんだとしたら、上陸して走ってたほうが速かったはずじゃないの?」
ルシエラが口を挟む。芙実乃は基礎学力を活かし多角的に、ルシエラは与えられた情報から要点を絞って考える子なのだろう。上手く得意不得意を分け合っている二人だ。
「あれにそこまで知恵が回んのか、って言っちまえばそれこそそこまでだな。せいぜい、急流を泳いで横切ろうとすれば、その分下流に流されるからそれがいや、ってくらいか」
確かに合理性で考えようとするとルシエラが正しいのだが、同じ正しさを敵性体が持っているかをアーズは疑問視している。芙実乃やルシエラの得意分野の双方を、落ちるとしても近いレベルで併せ持ち、場数の多さで補った結論の組み立て方をするのだろう。
彼が勘と言った事柄も、その経験から導き出されているのだとしたら、それなりの信憑性を持つと考えたほうがいいのかもしれない。
「わたしも、敵性体が真っ直ぐ上を目指しているって言う、アーズさんの勘が正しいんじゃないかって思います。だから、脇道に逸れるに一票です」
ラミューンが率先して意見を表明すると、芙実乃、ルシエラと続いた。
「わたしは景虎くんが敵を止めててくれると思うので、わたしを抱えて歩く負担が減りそうな脇道に逸れる、に、同じく一票を投じます」
「そうね。わたしはさっきのが頂上に向かうだなんて、これっぽっちも信じてないけど、もっと速く動けるんなら景虎の指示どおりになるわけだし、脇道に逸れるに賛成よ」
「マチュピッチュ」
「了解。本音を言やあ、俺もそっち一択だったから、これで心置きなく行けるってもんだ」
違う。おそらくアーズの目的は、意思統一を図ることにあった。
確かに彼自身は敵が頂上を目指して来ると踏んでいたと思う。しかし、彼は魔法少女たちに対し自身の発言力が高くないことがわかっており、自身の決断で物事を進めることを危ぶんでいた。仮に、彼の指示に従って行動するのがこの場での最善だったとしても、成果が見えなければ、反抗にまでは至らなくても、不満が募り行動も鈍化する。
もしそうなるくらいなら、と、アーズからすれば逆の道を選ばれたとしても、皆で決めたほうに納得して邁進できる態勢を整えておくことが重要だった。
ついでに、皆に選ばせた行動に対し、する必要のない意見表明を自らもして、責任を一手に引き受けてくれたのだろう。それは、選ばれたのが逆の頂上行きだったとしても、同じだったのかもしれない。
ラミューンはこの時密かに、魔法少女たちから人望を得ていないアーズを補佐すべく、影ながら支援に努めようと心に決めた。
こうして、一行は全員一致で行き先を脇道に決める。
ただこうして、一行は全員一致で選択を誤るのだった。




