Ep03-03-05
5
女性陣が背を向けたのとほぼ同時に、銀色の女性型敵性体は、彼女の指を踏みつけているクロムエルに飛びかかって来た。
クロムエルは水際まで踏み込むと、後方の下段にまで下げていた剣に、最大の遠心力を持たせて上段から振り切る。
顔面の中心から下腹近くまで、重みを持って当たった手応えが腕に伝った。
「アーズは芙実乃らの殿でゆけ」
投げ出されているさなかの女性型に攻撃の気配はない。そうと見るや、景虎は先行するアーズに芙実乃たちのあとを追わせた。女性型はいまだ、元の足場の岩あたりで宙を舞っている。ただし、クロムエルが女性型に放ったのは、女性陣から少しでも遠ざけよう、と微妙に角度を下流に向けた打ち返しだった。
ゆえに、女性型は足場に戻るのではなく落水することとなる。
「手応えは」
「やはり刃が食い込む感触がないですね。しかし、重みは金属でなく、人並みかと」
「とすると、防御力場内の人とも違うのだな。あれには切れぬが刃が食い込む感触はある」
「確かに、相応の堅さを持っているようですね。私見となりますが、この世界製の武器同士をぶつけ合った感触と近いように思われます」
「指の時もか?」
「それが……はい。指も顔も身体も、中までは不明ですが、表面はとかく、細かな傷をつけたその引っ掛かりすら感じられぬほどに堅くありました」
女性型は、先刻の芙実乃のような浮力がないらしく、川の中を沈んで流されている。
景虎は水中の影を目で追いながら、おずおずと寄って来るクワットルトに声がけた。
「いまのうち、そなただけでもシェルターに入っておくがよい」
芙実乃たちが濡れた服の乾燥をしていた時、あのポイントが緊急時の地下シェルターへのエレベータにもなるのだと、当のクワットルトから聞かされていた。数十人規模で横になれる広さと、水と栄養剤の永続した補給経路が通されているという話だ。彼と景虎のいる位置からなら、川から垂直に離れてゆくだけで、あのポイントまで行ける。
景虎が芙実乃たちを、すぐそこのシェルターに向かわせなかったのは、アーズとクロムエルが近づいたのがきっかけで、女性型が攻撃行動に移ったからだろう。芙実乃たちがシェルターに向かうには、アーズとクロムエルとは向きを逆に、女性型の横を通り抜ける必要があった。堅さの片鱗を見せられた直後で、相手の攻撃を軽く見積もるわけにもいかなかったのもある。
歩きが達者でない芙実乃には負担の大きな指示だったが、それが最も安全な方法だったことはいま、クロムエルの目の前で証明されつつあった。
水中から女性型の指が伸びて突き出し、先ほど足場にしていた岩に巻きつく。激流に逆らって、身体を手繰り寄せるつもりなのだろう。そう遠くなく、水底から脱出して来るはずだ。
素直に流れて行ってくれない以上、戦場となるこの場に、芙実乃を抱えた女性陣にうろうろされては、目も当てられない。直撃すれば身体を貫くかもしれないあの指を相手に、庇わなければならない人間の存在など、こちらの命がいくつあれば足りるかの見積もりすら立たない。
状況の変化に、景虎がクワットルトを急かした。
「急げ。現状わたしも足手纏いだが、そなたが駆けるあいだくらい、攻撃は止めてやろう」
景虎の口調は優しいし、内容もクワットルトからすれば命の補償に等しい。クワットルトは謝罪しながら、景虎の言葉に従った。妙な気概を見せられないで良かった、とクロムエルは胸を撫で下ろす。彼が何かしようと思えばその思った時間の分だけ、女性陣を無事逃がすための注力時間が削がれることになる。
ただ、先ほど景虎は、クロムエルが聞き捨てならない言葉も発していた。
「マスター。マスターが現状足手纏いとは?」
女性型の影は伸ばした指を縮めながら、巻きつけた岩に近づいている。その影とクワットルトとのあいだでクロムエルは、隣り合った景虎に確認する。
「わたしの刀が柔く出来ておるは、そなたも承知しておろう。すぐに曲がるであろうし、そのままの力任せも、実際どの程度持つか見通しが立たぬ」
確かに、あの堅さに対して、足止めに有用な力押しのぎりぎりの線を即座に見極められたとしても、それでどの程度の時間なら刀が耐えられるかなんて見当はつけようもない。
景虎が刀を使い潰す姿など、クロムエルには想像もつかなかったが、景虎自身なら経験則からそれを見定められて当然だった。
「それでアーズを行かせたのですね」
護衛と言うのなら、クロムエルは正直、景虎か自分が行くべきだと思っていた。あの時、芙実乃たちから景虎が一番遠かったのは事実だが、声をかける前から走りだしていたら、景虎はアーズと変わらぬ位置まで、芙実乃たちに近づけていたはず。刀を傷めずにあの敵の前に出るチャンスでもあった。また、戦闘スタイルとてアーズは攻撃偏重、しかも遊撃タイプで間違いない。景虎より護衛に向いているわけではなかった。
しかし、女性陣の安全確保のために最重要視されるのが、敵をこの場に足止めしておくことと割り切ってしまえば、クロムエルとここに残るのは、アーズでも景虎でも遜色のない遊撃の牽制役たりえる。それに対し、それが抜かれて護衛役が護衛として働かんとした時は、刀に不安を残す景虎よりも、壊れない得物を二つ持つ、アーズのほうが敵の遅滞に努められる幅が広がるのだ。
水影が岩に辿り着く。
「しかし、あれはどのような行動原理で動いておるのだと思う?」
「はて。一番先に攻撃されたのがアーズだったことを考えれば、自身の一定範囲内にいる人間を攻撃対象にする、敵性体の基本行動どおりなのでしょうが、つぎにわたしが攻撃された時、あれとの距離に関して、わたしとアーズにそれほどの差はなかったはずなのです。攻撃対象を変える厳密な基準でもあるのでしょうかね?」
「伸びていた指も自身に含まれるのであれば、あれを踏んでいたそなたがあの時、あれにとって最も近き者とはなろう。だが、厳密な距離なんてものが基準だとすれば、前後で挟んで後ろが近づくを繰り返さば、その都度振り向き続けなければならぬ。そんな馬鹿なことにはなるまい。踏みつける、は、攻撃を受けておる最中、とも取れるから、そのあたりやもしれぬが」
女性型が再び岩の上に正座した。
その直後、クロムエルの頭の中で声が響いた。
『敵性体確認。一帯の通信、インフラ等のリソース提供に制限がかかります。慌てずに遠ざかるか、シェルターに退避してください』
「ナビからの警告が入りましたが、いまのはマスターもお聞きに?」
「ああ。そこなシェルターに避難者が入り、一帯の見張りが強化された、といったところか。あれが水から出た直後、ということは、水の中まではなかなか見通せぬようだな」
「科学力で起こした波を照射する精査だと、敵性体の強化になると言ってましたしね」
会話はしても二人とも、女性型から目を離してはいない。
女性型は、正座をこちらに向けると、低く直線的に跳んで来た。また川に叩き落とそうと、上段斬りを想定していたクロムエルでは、景虎との距離も近くて振りを横に変えられない。
二人は女性型を挟み打つべく、あいだを開けて、岸への着地を許した。
クロムエルがすかさず、女性型の肩口に斬撃を叩き込む。相も変わらず堅くて斬れはしないが、攻撃の重さの分、景虎側へ押し込むかたちとなる。あいだを開ける挙動に選んだ華麗な舞のごとき回転のうちに、足元に転がっている石を掌中に入れていた景虎が、女性型のこめかみに向けて間近から投擲する。直撃。
ぶつけた力の量ならクロムエルが勝るだろうが、当たり所を考えると、景虎の投擲も遜色なく即死ものの仕打ちだった。ただし、それはもちろん、相手が人間だった場合の話だ。無傷。微動だにさせられない。とはいえ、敵性体最初の撃退が投石とされているのだから、ダメージの蓄積は見込めるはずだ。
しかし、女性型は景虎をまったく眼中に入れず、迷いなくクロムエルのほうだけを向いて、その指を指した。顔の中心。剣の腹を割り込ませる。強い衝撃に耐えてどうにか逸らすと、顔の横を指が通り抜けた。戻る指に掠められぬよう大きく払っておく。
すると女性型は、クロムエルが川側に払って剣のどいた、反対側から通り抜けようとした。
「おそらく交戦意思が少ない!」
逃がすな、というクロムエルへの警告か、景虎が声を強める。同時に、腰から鞘ごと外していた刀を使って、川側から戻ろうとしていた女性型の指を、その鞘で絡め取った。
突破を妨げられた女性型は、振り向いてしゃがみ込んだ。その間にも、景虎は余っていた女性型の指先まで鞘に巻きつけている。女性型は指を伸ばした右手を前に出し、徐々に指を縮めだした。指先から指そのものが縮みだすのだから、さしもの景虎にも止める術などない。
だが、そのゆっくりと指を戻す時間は、クロムエルの準備を万端にした。刀の鞘に絡む女性型の指が最後の一巻きとなるのを見計らい、乾坤一擲の剣先を後頭部へと振りきらせる。
据え物への攻撃、ということで、中空の女性型を打ち落とした時よりも力が乗った。
背丈の三、四倍の距離を吹っ飛ばし、小石だらけの上を腹這いで滑らせてやる。すかさず駆け寄る景虎。剣を振りきっていたクロムエルも、態勢を立て直してあとに続く。
「右手はそなたが替われ」
女性型のそこを先に着いて踏みつけていた景虎が、クロムエルに指示する。体重も踏みつける力もクロムエルが勝っているからだろう。右手の指は敵のメインの攻撃手段だ。替わると、景虎は鞘で押さえつけていた左手の甲の手前、手首に、直前まで右手を踏んでいた右足を移し替えた。クロムエルはそれに倣い、剣先を女性型の右手の甲に刺し、踏みつけの補強にする。
上手くいけば、このまま女性型の抵抗は封じていられる。
しかしその手は堅く、剣は刺さっていかない。刀を納めたままの鞘を、手の甲の微妙な窪みに嵌めている景虎と違い、クロムエルでは剣を滑らせず保つのでやっとだった。
それに抜けようとする女性型のパワーが、徐々に上がってきているようにも感じる。下の石の隙間がもがくたびに徐々に狭まり、力の込めやすい重なりになってきているのだろう。
「マスター。わたしがこのまま押さえておけるのは、いましばらくになるかと」
「わたしも似たようなものだ。いけるところまでで諦めるとしよう」
景虎は足止めに徹底するつもりのようだ。
ならばそれに従うまで、とクロムエルは一案を出す。
「関節を極めて、押さえつけておきしょうか?」
「やめよ。身体に焼け石のようになられては、剣を握るどころではなくなる」
ずっと水の中にいた女性型の見た目は金属で、むしろひんやりしているようにしか見えないのだが、確かに、突然焼けた金属のようにならないという保証もない。それにしても、そんな特異な状況にまで思いを巡らす景虎は、想定の幅がどこまで及んでいるのだろう。
この場で何が起きると窮地に陥るかを常に見据え、迂闊な行動への戒めに余念がない。
景虎は、平気で危険域に身体を踏み込ませてしまっているように見えるが、振り返ってみれば、いつもそこしかない、という安全な空白に身を納めているだけなのだ。その場にいる時はたとえ十分の一の速さで見られていても、景虎の思考の大部分に理解が追いつかず、紙一重の光景にひやりとさせられたりもするのだが。
考えてみれば、景虎と肩を並べ同一の敵と戦えるなんて、稀な機会以外の何物でもない。
それも、ダメージが通らずに中々死なない人型が相手ときている。
クロムエルは、敵への集中を切らさずに、景虎の思考を追うことにもした。
女性型の上半身が持ち上がる。景虎とクロムエル、二人が踏む位置が、ほぼ同時に手の甲まで抜かれてしまい、手首の関節の自由を取り戻させてしまったのだ。二人がかりで踏んで腕を抜かれたのだから、女性型の腕力は自分の脚力の少なくとも二倍、とクロムエルは見積もる。
「もうよい」
声と同時に景虎が下流側、クロムエルが上流側に立ち塞がって、挟み撃ちの態勢に戻す。
女性型が向かうのはやはりクロムエル側。だが、これまたやはり、攻撃ではなく突破を選ぶ足運びをしてきた。これはもう、クロムエル側と言うより、上流を目指しているとしか思えない。それか逃がした中の誰かを追っているかだが、とにかく上流へ向かおうとしている。
が、後ろに残る足を景虎に蹴り払われ、つんのめり両手と膝を着く女性型。
態勢を立て直される前に、クロムエルも対処する必要に迫られる。
剣での攻撃より蹴飛ばすほうがきっと後退させられるはずだが、あんな堅さのものを渾身の力で蹴って、足の甲が無事で済むはずがない。直前の景虎は、女性型が後ろの足を前に持って行く準備としてつま先に重心を移行する、そのさらに一瞬前、踏み出すほどには力も入ってない状態の、踵を浮かす意識だけがあるという絶妙のタイミングで払って、力任せでの蹴りなどはしていなかったのだ。相手の潜在的なパワーや堅さを警戒していなければ、そこまで厳密にタイミングを計りはしない。雑に蹴るだけで済ませてもいいところだった。
もしかすると、ここが石だらけの不安定な足場でなかったら、この戦い方は選ばれなかったくらいなのかもしれない。それほどまで、相手の尋常ならざるパワーに、景虎は慎重に事に当たろうとしているのだろう。
クロムエルも気を引き締める。
挟み撃ちに移行したばかりでまだ充分に距離は取れてなかったが、時間の許す限り振りかぶりと態勢を整え、顔面に剣撃を入れる。
女性型の背後から振り切ることのできた先の一撃には及ばないが、どうにかひっくり返らせる程度の威力は出せた。
景虎の足払いとクロムエルの一撃。二人はこの繰り返しで、女性型を着実に上流から遠ざけていくのだった。




