Ep03-03-02
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青い髪の現地人男子をじっと見つめているマチュピッチュに、芙実乃は声をかけた。
「マチュピッチュちゃん。初めて会ったお二人に自己紹介、できますか?」
マチュピッチュは我に返ったかのようにはっとして芙実乃を見ると、こくこくと頷き、現地人女子――ラミューンの前まで歩いて行った。リード替わりのしっぽを握ったままだった芙実乃は、当然のごとくそれに引っ張られ従うはめになる。
「マチュピッチュ・ピッチェ」
「すごく可愛い名前だね。わたしもマチュピッチュちゃんって呼んでもいーい?」
「マチュー、マチュ、ピチュ」
「ん? 略した……そのどれかで呼べってこと?」
芙実乃は、ラミューンの問いに割って入り、説明した。
「マチュピッチュちゃんはその、語彙がとても少ない時代や地域の子らしくて、状況説明なんかを音真似で、感情表現を名前の短縮形で喋るんです。だからいまの短縮形は、呼び方がそれでいいって許可と、伝わったのが嬉しい、仲良くしたいが混じった感じでしょうか」
ついでに、マチュピッチュ語を真似ると激怒することも伝えておく。
「そっかぁ。うん。仲良くしようね、マチュピッチュちゃん」
必要に迫られて女性陣のフォローをしているだけの芙実乃と違って、ラミューンは本物のコミュ力を持っているのだろう。脳エミュレータの相互リンクがない音声での翻訳しかされてなくても、過不足なくマチュピッチュの相手が務まりそうなほどだ。芙実乃は無意識下で、いつも楽しそうに相手をしてくれた若い保育士さんの姿を、ラミューンと重ねていた。
「マチュ、マチュ」
そのラミューンに送り出され、マチュピッチュは移動した。もう一人の現地人学生、男子のクワットルトの前だ。しっぽを掴む芙実乃もその後ろへくっついて行く。
「マチュピッチュ・ピッチェ」
マチュピッチュに関する芙実乃の説明を聞いていた彼は、もう見惚れているばかりでも、さりとて困惑するほどでもなく応じようとする。が――。
マチュピッチュのほうが、彼が口を開こうとするのも待ちきれない、という調子でまくし立てていた。
「ピッチェ、ピッチェ、ピッチェ、ピッチェ」
マチュピッチュ語ではほぼ耳にしたことがないピッチェの連呼。
それに芙実乃はあっと思う。
おそらくピッチェは、マチュピッチュにとっては名字、集落名、部族名、居住地域名などを一律で指している単語だ。だからいまマチュピッチュは、クワットルトに対しピッチェを知らないか、ピッチェの場所に自分を連れて行ってほしい、と訴えかけているのだ。
理由があるとすれば、それは青い髪。
空を映す湖のような透ける水色の髪のマチュピッチュと較べると、クワットルトの青髪は透明感がなくべたっとして見える。それでも、純色に近い青に、微妙に白か銀が混じっている色合いは、青灰色の髪色をしている同世界人のアーズより、下手をすると人種的に近く見えなくもない。マチュピッチュと同集落や近隣集落の人々を彷彿とさせてしまうのだろう。
芙実乃がラミューンに感じたのと同じ親近感を、マチュピッチュはクワットルトに感じていた。また芙実乃とは違い、異世界に来たという状況が理解できてないせいで、希望に歯止めがかからないのだ。
故郷に帰る手がかり、と藁にも縋る想いなのかもしれなかった。
「ピッチェ、ピッチェ」と連呼するマチュピッチュの後ろで、芙実乃はその考察を明かした。
「ありうるっつーか、そんで正解だろうな」
アーズが頷き、初顔合わせの時の話を現地人の二人にも聞かせる。マチュピッチュが川で溺れ死んだ話だ。ラミューンが痛ましそうに息を詰めた。保育園児と思しき言動を取る少女が、帰れない家に帰りたがっていると考えれば、家も家族もある身だと、いたたまれなくなってしまうのだろう。大枠で言えば自分も同じ状況、ということで芙実乃が麻酔をかけていた感性部分を、ラミューンは知覚過敏気味に働かせているのかもしれない。
直前までマチュピッチュをあやせていたラミューンも、さすがに言葉を失っているようで、芙実乃が話をしに行く。同世界人のアーズよりもう、芙実乃のほうがマチュピッチュとは話が通じるのだ。もちろん、相互リンクする翻訳の恩恵が大なのだろうが、できるだけ伝わりやすくとか、ちゃんと話せば伝わると思っている度合いも関係があると芙実乃は踏んでいた。
と言うのも、マチュピッチュは言動や思考こそ単純な概念しか持ち合わせていなくても、その精神年齢は十二、三歳には及ぶと感じているからだ。口調こそ幼い相手に接するようになるが、話が通じないなんて侮り方を芙実乃は微塵もしていない。
「マチュピッチュちゃん。えーっとこの人、クワットルトさんはピッチェの場所を知らない、このへんに住んでる人っぽくないですか?」
「――マチュチュチュ?」
「はい。ほら、ラミューンさんもわたしと髪色が近いって言ってくれてましたけど、偶然似てただけで、全然ご近所さんではないです。言ってみれば、学校にいる、魔法のじゃない先生たちの若いころって人たちでしょうか。この国の人はいろんな髪色の人がいて、似てる場合も多いから、ラミューンさんのように、わたしたち異世界人と仲良くしてくれようとするのかもしれませんね」
「マチュー……」
マチュピッチュは項垂れかけるが、もう一度クワットルトを見上げ「ピッチュ、ピー」とつぶやくと、芙実乃の手を握ってきた。芙実乃は、意味がまったく伝わってなさそうなクワットルトに、それを訳して伝える。
「えっと、連れて帰ってほしいと言ってごめんなさい、みたいな感じです」
「こちらこそその、案内できなくてごめんなさい」
マチュピッチュは頷いた。やや難ありの翻訳でも、謝られたくらいの意思疎通なら可能なのだろう。単調なやりとりならいちいちあいだに入らなくても良さそうだ。それとほぼ同時に、マチュピッチュの熱量を宥める空気ではなくなったからか、ラミューンが自己紹介を済ませてない男性陣に水を向けていた。
「じゃあ今度は、男の子たちもお名前、聞かせてもらってもいいかな」
「アーズ・スクラット」
「クロムエル・テベナール」
「柿崎景虎」
三人はそっけなく、というほどでもなかったが、端的に名前だけを言った。
しかし、名前ごとに名乗る人物に目を移していった現地人学生二人は、最後の、最奥に控えていた景虎にこの時初めて注目し、時が止まったような顔になっていた。
「――まさか、あの、セレモニーの勝者のガイドに当たってたなんて」
「……クワットルト君、知ってるって口ぶりだけど、セレモニーの勝者って?」
「決着がつかない、つくはずのない試合、セレモニーで初の、唯一の勝者となったのが、彼、柿崎景虎さん、なんだよ。国内でももう、ずいぶんな有名人のはずだけど、知らない?」
「セレモニーってわたし、怖いイメージがあって見れないの。でも景虎くんって名前はここのところ、クラス中夢中で話してる子たちがいっぱいいたみたいだったよ、確かに」
予想はしてたが、景虎はやはり学外でも、相当に知れ渡っているらしい。
「ところで、同じ世界の出身だと、髪の色が近い感じの二人ずつになるのかな?」
ラミューンの確認に芙実乃は頷いておく。
ルシエラとクロムエルは金系、マチュピッチュとアーズは青系、色の抜けた感はあるが、芙実乃の栗色っぽい髪は、艶やかな漆黒の髪の景虎と同じ黒系の範疇にはなろう。この三組程度の誤差が許容されるのなら、ペアの大半は人種的な共通点が見られると言っていい。
ただ、ルシエラとマチュピッチュは、各々のパートナーに対し、同胞めいた感情をおそらく向けていない。マチュピッチュはここを別世界だとも思ってないから、アーズより自分に髪色の近い現地人がいれば、そちらに親しみを覚えるのだろうし、ルシエラは元の世で騎士に殺されたから、騎士のクロムエルと心の距離を誰よりも遠くしている。
芙実乃は横のラミューンにこっそり耳打ちしておく。
「あの、ルシエラはクロムエルさんの子孫に迫害された、みたいな子なんで、二人をペアとして扱おうものなら手がつけられないくらい怒りますから、気をつけててもらいたいんですが」
「りょーかい。クワットルト君にも早めに言っとくようにするね」
ラミューンの軽やかな口調は安請け合いではなく、気負わずに取り計らおうとしてくれている、と感じさせてくれるものだ。もしかすると、芙実乃が積極的に社交性を発揮するタイプではないと、察してくれているのかもしれない。
本来は、社交性だって景虎以下二名の男性陣のほうが、芙実乃よりはるかに優れている。
が、この集まりをできるだけ和やかに、という意識が芙実乃よりも少なく、連絡事項だけを端的に話してしまえばいい、とか思っていそうだ。三人とも、程度の差こそあれ中世乱世風の時代を生きていたらしいし、学校行事の遠足の雰囲気を掴みかねているのだろう。
「じゃ、行こーか。あっちの階段から川べりに下りられるからついて来てね」
と言って、ラミューンはクワットルトと少し先を歩きだした。芙実乃が言ったことを早速、クワットルトにも伝えてくれているみたいだった。芙実乃は、親しみやすい先輩みたいな彼女が、この集団のムードメーカになってくれることを願いつつ、全員で二人に続く。
その際、いつの間にか隊列はバスでの並びに戻されていた。
しかし、それでは前を行く現地人の二人もこちらには話しかけづらくなる。
どうしたものか、と考えながら階段から足を踏み出した直後、芙実乃はへたり込んだ。
目の前の風景がぐにゃり歪んだ、とすら思うほど平衡感覚を失っていた。マチュピッチュのしっぽから離して地面に着いた手に、尖った石が刺さる。走っていて転んだなら出血は必至だが、へたり込んだくらいでは突っつかれた程度でしかない。傷も負ってなかった。
なんとなく掴み上げてみると、両手でなら包めるが片手では包みきれないくらいの石。線路周りにばら撒かれているものに近い。顔を上げて見渡すと同じような石ばかりの川辺だ。
これがバランスを崩した原因。
思えば三月前まで数年寝たきりだった芙実乃がなんとか歩けていられたのは、地球とは比べ物にならないほど傾きのない床や舗道のおかげ。草の上なら歩いていたが、土が固く平らに均された校庭や公園だけでだ。芙実乃はこの世界でまだ、坂道すら歩いたことがなかったのだ。
下手をすると、地球で最上級に均されている地域でぬくぬくと育った、立ったばかりの赤子より、過保護なバランス感覚しか芙実乃にはないのかもしれなかった。
「どうしたのー?」
と、ごろごろの石の上をものともせず、先頭からラミューンが小走りに駆け戻って来た。ちなみにマチュピッチュがマチュマチュ言うだけで、景虎やルシエラから声がかからないのは、芙実乃と同じ推論で立てなくなっているだけと一目瞭然だからだろう。
ばつの悪い思いをしながらも、ラミューンに現状の説明をする。
「どうもわたし、舗装されてない道がまだ歩けないみたいで」
「あらら。もしかして芙実乃ちゃんて、超科学文明世界から来た子だったりする?」
召喚された中には、行き過ぎた科学文明のせいで、肉体操作や日常生活に支障を来す子がいることもあるらしい。そういう場合、準備期間中に適応できそうもなければ、クシニダの通った別校の所属にされるという話だ。芙実乃は首を振る。
「いえ、たぶんここより千年は遅れてる、初期科学文明時代から来ました。けど、そっちでの最後のほう、なんやかやで寝たきりだったんで、日常生活全般下手っぴになっちゃってて」
「こっちの赤ちゃんも建物の中でだけ育てるなとか、家の中をスロープをつけた構成にしろとか推奨されてるからね。バランス感覚を取り戻す訓練とかしなきゃいけなかったのかもだよ」
そういうことを教えるのは、担任であるバーナディルでなければならないはずだが、彼女はこちらを気遣ってくれる反面、日常生活のケアはほとんどしてこない。担任博士という立場に忙殺されているのもあるだろうが、生活面が自身に対しても無頓着なところがありそうだし、単に気づいてないだけなのだろう。ルシエラの担任やタフィールとか、教師だけをしてる人のクラスだったら、気づいて警告してくれていたのかもしれない。
ただ、芙実乃はバーナディルが担任だったことを、運が良かったとも感じているし、この程度のことでバーナディルに対し恨みがましい気持ちを持ったりもなかった。
とはいえ、なんらかの対処をしなければ、この川辺を登って行くことなどできはしない。
景虎に掴まり歩きしたいのが芙実乃の偽らざる本音だが、敵性体との遭遇を想定した並びで歩こうという景虎にそれを言っては、きっと呆れられてしまう。
芙実乃がそんなふうに途方に暮れていると、ルシエラが得意げな調子で言ってきた。
「芙実乃はまったくしょうがないわね。ほら、わたしが支えて登ってあげるから、肩に手を回しなさいよ」
姉ぶりがはじまった。しかし悔しいかな、それが一番の方法なのだった。




