Ep03-02-02
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終業時刻を過ぎて程なく、と言うのも今日も今日とての休日出勤だったバーナディルからすればおかしな表現になるのだが、今月の初頭からクラスの実習担当官となったクシニダの訪問を受けたのは、そんな時刻になったころのことだった。
「ナディ担任、業務報告に来ましたよ」
「補習実習は初めてになりますよね。いかがでしたか?」
「もうばっちり、一日中、補習漬けだったよ」
公式な年齢だと、彼女はバーナディルの四つ上だが、実際には七年前死亡した時に再召喚されていて、それまでに過ごした三年の記憶を喪失している。要は、経歴より三歳下に修正して見るべき相手なのだ。それでもバーナディルよりは一つ上になるのだが、老化しない見た目も手伝ってか、バーナディルは気安い生徒にため口をきかれている錯覚をしかけていた。
もっとも、バーナディル自身は誰に対しても敬語を心がけているが、他人が自分に対してどう口をきこうが、ささくれた気分になるわけではない。以後自分が敬語で返すのが適切なのか戸惑ってしまうだけだ。とはいえ、ここはやはり普段どおりに応対しておく。
「一日中? 希望者……ってそんなに殺到してました?」
バーナディルの疑問に、クシニダは少しむっとした様子になる。
「それ言う? 誰もいないなら、前倒しの補習にして芙実乃さんたちに個別指導を、なんて感じのメールを寄越してきたのはそっちのくせに。休日出勤はそもそもそのせいなんだからね」
「ああ。遠足申請日の代替実習申請を、……そんなメールでしてましたか」
その返答にクシニダは一瞬眦を上げかけたが、逆に気づかわしげになって訊ねてきた。
「まさか覚えてないの? そりゃ担任博士なんて相当に激務なんだろうけど」
「過労なんてことはないからだいじょうぶですよ。その件が頭から抜けてしまったのはもっと物理的にやむを得ない理由ですし」
「物理的にやむを得ない?」
「わたしあまり、人と会うとかでなければ実時間で過ごしてないんですよ。たぶんその件も、状況確認とメールでの連絡事項ですから、十倍の最低速脳加速補助を受けながら流れ作業でしてしまったんでしょう。二、三日前ですと、わたしにしてみたら都合二、三週前の出来事になりますから、一時記憶からも抜け落ちてて当然ってくらい前のことになるんです」
「人間やめた生き方してるよね、ここの人たちの中でも特に。ほんとにだいじょうぶなの? 生き急いでて死んじゃわない?」
「ご心配には及びません。睡眠なら毎日推奨基準以上に取るよう心がけていますし、医療装置を起動した日も今年度はまだありませんからね」
「いや、それにしたって、二、三日で二、三週間分は過ごしてるわけでしょ?」
クシニダは、口のききようこそぞんざいだが、こんなでも労ってはくれているらしい。
「まあ、十倍速と言っても、脳処理補助が入りますから、疲れるのは結局、実時間で経ってる分くらいに収まるんですって」
仕事だって流れ作業的にこなしてるわけだから、精神疲労とて大したことはない。それに、これは覚えておかなくちゃ、と意識した仕事内容は普通に記憶に定着するのだ。クシニダには言いづらいが、補習関連での芙実乃とのやり取りはそこそこ覚えていたりする。わざわざ休日出勤にさせたらしいが、ほとんどもれなくの担任や実習担当官が休日返上を余儀なくされてもいるから、気にしようとも思わないで、業務として処置していたのだろう。
「ふーん。じゃあ、一応訓練内容の詳細はもうちゃんと送ってあるけど、それの確認はいま、口頭でもしときたい感じ?」
「菊井さんの補習を一日中してたんですよね。気になりますし、話もしておきましょうか」
言いながらバーナディルは手元の横に手ごろなサイズのディスプレイを開き、クシニダから提出されている訓練内容を表示させておく。
「芙実乃さん、順調なんじゃないかな。総代のパートナーみたいなエリートコースに行ってもどうにかやれそうとは思うよ」
「エリートなんて簡単に言わないでくださいよ。まだまだそんなレベルじゃないでしょう」
「現時点では、でしょ? わたしが言ってるのは資質と姿勢が、それに耐えうるって意味なんだから」
「はあ。でも、クシニダさん、紫雲の出身でしたよね。あそこは戦士カテゴライズの生徒に、現地人を入学させてる独自形式の学校となって、オール異世界人のこことは雰囲気というか、教育方針の優先順位みたいなものの差異が、如実に影響していると思われますが」
「そうだね。魔法少女はずいぶん優遇されてたかな」
「ええ。ですが紅焔から深海までの七校の場合、輩出したい人材の期待値順が、魔法少女優先とばかりにはいかないんですよ。もちろん、生徒たちをあからさまに差別するのは論外で、公正公平を旨とすべきはすべきなんですが、一方で急務として確保したい人材というのも、致し方なく出てきてしまうんです」
「あー、つまり、紫雲みたいにそれが魔法少女じゃないわけだ」
「紫雲における男子生徒はその、言ってしまえばおまけと言うか、魔法少女育成の一助みたいな意図であることを公言することなく募集をかけてますからね。まあ、ここにはない雰囲気になっているだろうとは思ってましたが、やはりそういった雰囲気でしたか」
バーナディルの頷きを見て、クシニダは気の毒そうな顔になっていた。
「さすがにそこまで言われちゃうとちょっとかわいそうになるね。世界を守りたいっていう、使命感に満ち満ちた現地人の男の子たちでいっぱいだったのに」
「貴女の立場の人にそう言ってもらえると、同じ現地人として少しは救われます」
「中には魔法少女なんてよりどりみどりの性奴隷だ、なんて連中もいたけど」
「それは、どうして面接で落としておかない、とつくづく思うよりないのですが、同じ現地人としてお詫びさせてください。申し訳ありませんでした」
「うん、でも、そういうのも最初のちょっとのうちだけだった気がする」
「紫雲の教育方針だったら、現地人男子なんて適性なしにして放逐もできますからね。現地人のほうの立場が上なんて意識があるだけでも身を滅ぼすと、早々に叩き込まれるのでしょう」
思い当たるふしがあったのか、クシニダがふむふむと頷きだした。
「ちょっと勘違いしてたかも。現地の人って、どちらかと言うと魔法少女には歓迎ムードで、戦士に嫌悪感みたいのを抱く傾向にあるのかもなって思ってた」
差別問題の根は複雑で、現地人がどう異世界人を嫌悪するかは、結局のところ、個人個人の性格で偏るとしか言えない。グループを作って共通の主張をしだす者たちもいるにはいるが、単に異世界人憎しで寄り合っているのだとバーナディルは見ている。
だが、クシニダは異世界人たちを指導する立場にもなったのだから、この問題の要点くらいは押さえておいたほうが望ましい。バーナディルは脱線して触れておくことにした。
「まあ、異世界人を面白くないと思うのって、言ってしまえば、現地人のコンプレックスに過ぎないんですよね」
「ありゃま。じゃあ、魔法少女のほうが危なかったのかな?」
「そういう人もいるってだけで、クシニダさんの感じ方は概ね割合を酌んでましたよ。大抵の現地人は同性の異世界人にコンプレックスを抱く傾向にありますが、数にしてみればきっと、八、九割以上男性になると思われますから」
「極端な数字を出すね。そんな統計とか取ってるの?」
「取ってませんよ。わたしが見聞きした限りの割合でしかありませんが、男性と女性が、どの年代でどんな感情を持つかも併せて考えれば、自明だと思われますが」
「性別と年代――あんまりピンと来ないや」
「そうですか。ざっと説明しておきますと、女性のほうは老化しないことに尽きます。だから嫉妬する時期が三十路くらいからになるんですが、四十にもなると自分の子供が異世界人少女とそう変わらない年頃になり、異世界人少女が召喚されて来る年頃と重なりますから、親心を抱かないで張り合おうって思う時期も長くありません。それに対し男性はと言うと、憧れた世界最強によしんばなれたとしても、ここで最下位になった史上最強にすら及ばないと思春期ごろに悟ります。そして、いつまでも若くかわいらしい魔法少女たちがほとんど自身の世界から呼んだパートナーと結ばれる現実と、青年時代全般で直面します。それでも、現地人の女性と結婚できればいいほうなんですが、そうして結ばれた現地人妻が更年期を迎えたころ、妻と同い年の異世界人女性は、相も変わらず十代半ばの少女である、とまあ、こんな具合です」
「そりゃあ羨ましい限りだよね。よっぽど諦観した年代になるまでずっと悔しいままかあ」
「諦観した年代、には身体の一部機能的な意味を含めて、と言うか、ピンポイントでそこを指していると思われますが、クシニダさん、その機能の衰えは、この世界の男性には期待できません。異世界人ほどでないにしろ、現地人だって老化対策はされていて、寿命は元々が百歳を超えたくらいだったのが、場合によっては二百に届くこともあるんです」
「百五十を超えるとは聞いてたけど、そんなにまでいくんだ」
「一方医療や栄養摂取の環境にもよりますが、ある程度のそれが保証された社会にいた異世界人たちは、現地人の元々の百と少々という寿命と変わりない死生観をお持ちです。その保証がなければ半分、下手をすれば四分の一になる、ということも寿命が百少々と思っている方々だと、納得してくれるでしょう。ご自身の世界もそういった変遷を辿った、ということで」
「まあね。よっぽどの大病をしなければ、わたしのところもそんなだった」
「こちらでは受精卵から出産までの、元々の生態なら母体で過ごすべき期間を医療用カプセルで成長させるわけですが、この期間中に病巣の遺伝子除去、免疫系の強化、その他諸々の身体能力向上を図る中に、老化や認知機能の劣化抑制がありまして、二十二までは等倍、二十二からはその半分になり、四十四からはさらに半分、以後、八十八、百七十六、と理論的にはその刻みで老化が鈍化していくことになるんです」
「えーっと、二十二までは二十二のままで、四十四までに三十三になって、八十八までで四十四、百七十六で五十五かな?」
「理論値ではそうですね。それと、区切りの年齢で老化が突然半分に鈍化するわけじゃなく、鈍化曲線をグラフにした際、区切りの年齢なら平均してそのくらいになっている、というだけですから。わたしは去年二十二でしたが、その数年前から等倍ではなくなっていて、四十四に至る期間中に、平均して半分くらいの老化スピードに落ちているはず、みたいなことです」
「実際には期間の真ん中の三十三くらいが、老化スピードがちょうど半分になってる頃合いなわけだ。現在二十三のナディ担任は、二十二に経過年数の半分を足した歳じゃなく、実際には二十からの三年を、等倍よりは少なく、半分よりは多く歳を重ねてる感じなのかな?」
「数値はあくまでも理論値ですから、鈍化はどこかの年齢で頭打ちになっているでしょうし、その限界点を含めた鈍化のスピードもまた個人差があります。四十四が三十三はいいとして、八十八が四十四は怪しいものですね。百五十で七十未満がせいぜいでしょう」
「でも、わたしが考える七十より、ここの百五十は元気なんだね? 頭もぼけてないし」
「まさに。ただ、ここの老人はいつとか誰とかの認知機能こそ喪失したりはないものの、同じ昔話を何度もするとか、勘違いの多発、情動の抑制が困難になるなどの老化は、何もしないよりは多少抑えられているのでしょうが、するんです」
「読めてきたよ。情動の抑制が効かない、むしろ馬鹿な若者みたいに振る舞うお爺様がたが、十二分に健康な身体で生涯を終えるまで過ごせてしまう、と」
「百何十だかの老人の起こした、異世界人女性への性的暴行未遂事件などが、のちの異世界人排斥プロパガンダの火に油を注いだ、と言われています」
「逆でしょ! 老人を排斥しなよ」
バーナディルは声を荒げたクシニダを宥める。すでに展開しているディスプレイの前にもう一枚ディスプレイを重ね、事件のあらましの書かれているページを表示させながら。
「憤りはごもっともですが、クシニダさん、さすがにそれは言動が不穏当です。生徒の前では控えてくださいね。それとのちの裁判で明らかになっていったのですが、百年以上前の若かりしころから老人はその異世界人女性に恋心を抱いていたということで、百年ぶりに見かけてからの数十年は、付き纏うわけでもなく、密かに出くわすだけで満足していたのだとか」
「ものすごいスケールで語られてるけど、じゃあしょうがないかになんてならないからね」
「女性は魔法で反撃して、老人は下半身が消失、足二本と胴体の三つが救急搬送されました」
「おおう。そりゃあやりすぎちゃったね。だったら逆に女性が罪に問われちゃってたり?」
「双方罪に問われ、双方不問でした。女性は軍未経験の魔力提供者に過ぎなかったので、魔法を手ずから行使するのも百年来のことだとされ、加減の失敗もやむを得まい、と」
「それはひと安心だけど、わたし、軍属になる時にもう少し厳しめに注意されたような……」
「立場なり、ということもあるでしょうが、反撃手段がそれしかなかったと認められたからでしょうね。百を超えた老人と言ったところで、昔の基準なら壮健な肉体を持った五十代の成人男性相当の相手に、実質十代少女の異世界人女性に取れた手段が他にありますか?」
「ないね。でもそれが世間に納得されなかったから、排斥だなんだになったわけでしょ?」
「男性側が結構抗ったみたいで、やれ、老い先短い老人相手にだとか、十年百年純愛に徹してきたことを重視すべきだとか、世論に訴えかけたらしく、長引いた係争中に女性が気力消失で昏睡状態になり、判決も知らずに意識を戻さないまま、お亡くなりになられています」
「実質、お爺ちゃんだけが無罪放免になっちゃったんだ」
「それを受けて異世界人の人権擁護を叫ぶ方々も多く現れたのだとか。三十年前の出来事ですね。とりあえずこの、異世界人女性絡みが現地人男性の嫉妬の一因なのかと」
「いまので一因にしかならないの!?」
驚くクシニダに、バーナディルはゆっくりと頷くのだった。




