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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
64/140

Ep03-01-04


   4


「懐いてくれて良かったぜ。これからは放課後とか引き取ってくれると助かるんだが……」

 芙実乃に撫でつけられて目を細めてるマチュピッチュを見ながら、アーズが言った。

「わたしはまあ、別にそのくらいなら」

 なんとなく芙実乃は景虎を振り返って見たが、口を出したのはルシエラだった。

「安請け合いしないの! 勝手に連れて来たりしたら、部屋から追い出してやるんだからね」

 ルシエラの、頭ごなしの母親みたいな言いぐさに、芙実乃はカチンとくる。

「ルシエラはまったくルシエラは。そもそもわたしの部屋でしょ。本当にそんなことしたら、わたしはマチュピッチュちゃんと旅に出ちゃうんだからね」

「馬鹿言って。子供だけで出歩いたら、人攫いに攫われちゃうでしょ!」

「人攫いなんて、マチュピッチュちゃんを鍛えて、技で勝ちまくってやりますよーっだ」

「二人だけでなんとかなるもんですか!」

「さてはルシエラ、仲間に入れてほしいだけなんでしょ。それならそうと素直に言えばいいのに。だいじょうぶ。二人ともわたしがきっと、つぎの町に連れて行ってあげるから」

「そんなの、芙実乃にできる保障なんてないでしょうが」

「まあ、そうだけどね、でも……、マチュピッチュちゃんは本気だよっ、生きてるよ」

 芙実乃に刷り込まれていた理論武装に太刀打ちできず、ルシエラは景虎に泣きついた。

「景虎っ。芙実乃が何か途轍もないものに憧れてなろうとしてる。このままだと絶対とか言いだしかねなくなるわっ」

「大方、郷愁に浸っているだけであろう。それに、追い出すとなど言わねば済む話だ」

「むーーーっ」

 ルシエラが地団駄を踏んで悔しがった。それにしても、ルシエラが絶対などと口にしだしたのは単なる偶然でなく、芙実乃が旅と口にした瞬間から絶対へと帰結する流れを、刷り込みで持っていてしまったからだろう。芙実乃が全体の流れを思いつつ、一節ずつ小出しにしていたから、ルシエラは薄っすらと一曲丸ごとの歌詞を、翻訳として受け取り続けていたのだ。

 芙実乃がそんなことを考えていると、アーズが見計らったように提案を差し込んできた。

「それはそうとそいつ、外で遊ばせてくれんなら、嬢ちゃんらにも担任からの許可、こっちで取るけど、いいか?」

 マチュピッチュの首輪に、紐を出す許可のことだ。それが、うやむやのうちに景虎やクロムエルを含む、ここにいる全員に下ろされてしまった。裏を返せば、マチュピッチュを保護する責任をも負わされてしまったわけだ。

「いいんですけど、でも、あれ、印象悪かったんですよね。せめて、しっぽ風にするとかできません?」

「そりゃいいアイデアかもな。けど、突っ走っても苦しくならねえって気づけば、嬢ちゃんらは二人がかりじゃなきゃこいつを止めておけないだろうし、そん時ゃこっちに連絡してくれればいいから、一人ん時はあまり無理してくれんなよ」

 アーズは、芙実乃とルシエラをマチュピッチュと見較べながら言った。ついでに連絡先の交換も全員で済ませておくことにもなった。まあ、必要事項の範疇だろう。

「そう言や、今日は固有魔法を見せに来たんだよな。いまから見とくか?」

「使用許可で問題とされぬのであればな」

「公共の場での使用は禁止――なのは魔法全部がそうだっけか。私室での練習はどんだけしてもいいって話だったぜ。まあ、危険どころか間違っても怪我するような魔法じゃねえんだ。でも、そうだな、考えてみりゃ、他人の部屋で使うと面倒なことになるかもしんねえ」

 クロムエルがぴくりと反応し、険のある声で問い質した。

「マスターの部屋で面倒事だと? それならどんな魔法かくらいは先に説明しておけ」

「悪い悪い。何しろ俺、魔法を使えたことがなくてよ。こいつ、通常魔法っての? それ使えねえわ、その固有魔法一個しか使えねえわで、俺は魔法使う要領がさっぱりわかんねえんだ。使ったあとにどうなるかなんて気にしてなかったわ」

「お前はそれで、交渉なしの条件放置で試合に臨んでたのか? 相手が魔法を使ってきたら、くらいは考えなかったわけでもないだろう?」

「そりゃそうだけどよ。魔法を使えねえ俺が、魔法を使ってくる相手に負けたからって、なんだっつー話じゃねえ? 悔しくもなんねえだろ。そんなら推奨条件ってやつ? それに合わせときゃ負けても同じだけ金みたいのが入んだ。そっちのほうが得だし、良くないか?」

「……なるほど。意外とまともな答えで驚いた。確かに、修練不足で後れを取るのとも違って悔しがるのもどうかというところだな」

「だろ? んじゃあ、本題に入るけど、こいつの固有魔法ってのは、空中に絵を描くって魔法なんだよ。魔法担当は色付きの湿度か光かを出してるって言ってたな」

 マチュピッチュをかまっていた芙実乃は、立てていた聞き耳でそれを知ると、話したアーズではなく目の前のマチュピッチュに目を合わせ、あやすように言った。

「マチュピッチュちゃん、絵が描けるなんて素敵な魔法だね。楽しいね」

 別におだててるのではなく、些細なことでも褒めてやりたくなる姉心だ。それに戦いの役に立つかとは関係なく、そんな魔法を発現したマチュピッチュには、魔法で楽しさを実践してもいいんだというお手本を見せてもらった気がする。

「マチュー。マチュ、マチュ」

 気持ちが通じたのか、マチュピッチュは嬉しそうに返事を返すと、唐突にその指を走らせ、空中に絵を描きだした。丸にしっぽと目をつける単純な図柄だが、可愛らしい。芙実乃の感覚で言語化するとすれば、柔らかしっぽのカブトガニ、みたいな感じだ。

 ほんわかした気分で芙実乃が眺めていると、やや慌てたようにアーズが声を上げた。

「やべっ。描いちまった」

「お前……。何を隠してた。まずいことでもあるんだろう?」

 クロムエルの糾弾に、アーズは頭を掻く。

「いやあ、たまにな、何日とか一月以上消えないことがあるんだ。そんだけっちゃあ、そんだけなんだけどよ」

「お前、マスターの部屋のど真ん中だぞ!」

 確かにそれはちょっとまずい。怒りはしないだろうが、景虎だって迷惑だろう。そもそもこの絵は、芙実乃が促して描かせたようなものなのだ。責任もないのに、マチュピッチュはそのうち自分が糾弾されていると思い、委縮してしまうかもしれない。

 庇ってあげなくては、と芙実乃がおろおろしていると、アーズが解決策を提示した。

「悪かったって。帰る時にはちゃんと持って帰らせるから、いいだろ」

 にわかには理解しがたい返し。芙実乃は後ろを振り向いてアーズに確認する。

「魔法を……持って帰れるんですか?」

「ああそうか、部屋の外で使ってるのを見られたらまずいんだったっけか。じゃあ帰るまでに消えてなかったら、端っこにでも寄せさせておくから、それで勘弁してくんない?」

「いえ、だったら、一旦わたしの部屋に移動させておきましょうか。マチュピッチュちゃん、この絵を持ってついて来てくれる?」

「マチュピー」

 任せろとばかりに頷くマチュピッチュを、芙実乃が壁を入り口にして隣室に誘導する。

 注目していると、マチュピッチュはカブトガニのしっぽをむんずと掴み、こっちに来た。

 本当に動いている。動かせている。しっぽや輪郭と繋がっていない目の部分さえも一緒に。

 芙実乃が当初思った以上に不思議で、そして楽しげな魔法だ。固有魔法と銘打たれるだけのことはある。並んで芙実乃の部屋に入っていたルシエラが、マチュピッチュに手を伸ばした。

「それ、ちょっと貸してみなさいよ」

 まんま風船を欲しがる子供だった。だが、マチュピッチュは「ピッ、ピッチュ」っと言って素直にカブトガニを差し出す。いくらでも自分で作れるから、惜しくないのだろう。

 しかし、ルシエラがいくら指を絡めようとしても、絵からはすり抜けてしまうのだった。

「何コレ!」

「マチュー?」

 マチュピッチュも不思議そうに首を傾げている。

「それなー。描いた本人しか触れねえんだって。だから壁とか描かせても、なんの攻撃も止められねえの。なのに本人だと押せんし、すり抜けんのもありで、回したりもできんのよ」

 こっちに来ていたアーズが説明する。男子三人も遅れて来ていたようだ。景虎以外の二人に対しては勝手に人の部屋に、と思わなくもなかったが、流れを妨げぬよう胸に留めておいた。

 興味もあったし、マチュピッチュの魔法の話が続くよう促してみる。

「楽しさ満載の魔法ですねえ」

 子供のころなら、いつまでもそれで遊んでいられそうだ。ルシエラもそんな気分なのだろうが、話を聞いて諦めていた。ただ、当のマチュピッチュが自分にしか触れないことを理解してないらしく、お手本を見せよう、とばかりにルシエラの前でカブトガニを振り回しだした。

 その様子はもう、ちょっと手がつけられないくらいに楽しげで、ルシエラはぐっと我慢しているものの、うずうずと羨ましそうだった。景虎とクロムエルも興味深く見つめていたが、最後にはクロムエルが、腕まくりまでしてカブトガニと戯れはじめる。

 マチュピッチュはすり抜けるカブトガニでクロムエルを翻弄しているのが楽しかったのか、マチュマチュと笑って喜んだ。だが、不意にはっとして、全員を見渡すように顔を動かすと、景虎で目を止めてもじもじしだし、やおら景虎の背後を取ろうと忍び寄りをはじめた。

 おそらく、この中で唯一になってしまった自分にかまってくれない人間が景虎で、どうにか接触機会を持とうと試みているのだろう。

 景虎は目を逸らすでもなく、彼女が視界から外れてゆくのを黙認した。

 猫の集まる家の人である景虎は、そういう態勢に入った猫を見たり刺激すると、飛び上がって逃げる時に、物に身体をぶつけるのを厭わず怪我することを知悉している。たぶん殺意とか害意とかも感じられないとかで、放置してあげているのだ。

 そろり、そろり。

 全員が景虎に倣う静寂の中、完全に景虎の背後を占めたマチュピッチュが、景虎の胸と腰のあいだくらいに腕をそうっと回してぎゅうっと抱きつくと、うっとりとその言葉を零した。

「……チュピィ」

 それは、誤解なく好きが伝わる、幼くも真剣な愛の告白だった。

 芙実乃は一瞬、マチュピッチュのがんばりに感情移入しかけるも、見た目十六歳に違わない美少女天使な二人が、実は見た目相応のお年頃の男女なことを思い出し、慌てて駆けだした。あのふくらみを押し付けられたら、男の人はきっと毒が回って死んでしまう。

 横にはルシエラ。この世界における唯一無二の相棒だ。二人はマチュピッチュの腕に左右に分かれて組みつくと、回した腕を解かせながら、景虎から引き剥がす。

「マチュー。マチュ、ピチュ」

 マチュピッチュは不可解そうに、名残惜しそうに、景虎に向けて腕を泳がせていた。

「マチュピッチュちゃん。景虎くんはおいそれと触れていい身分の人ではないんですよ」

「マチュチュチュチュ?」

 そうなの、みたいに返事する。こうして聞くと、ボールに入らない例の子くらいには会話が成立する。ただ、その雰囲気をわかってないはずのルシエラが何を思ったのか唐突に、遊んであげるから景虎から離れなさい、みたいな感じで言った。

「マーチュチュッチュー。よ」

 だがそのつぎの瞬間。

 マチュピッチュは激怒した。

「マチュチュチュチュ、マチュピッチュ!」

 それはもう、メロスも斯くやというくらい、突発的に激怒していた。

「きゃあ! 何! 何! 何! 何! なんなのっ!」

 マチュピッチュの剣幕に慄き、脱兎のごとくルシエラが逃げ出した。

 ……もしかしたら、マチュピッチュに対して名前で呼びかけるのはいいが、その名前に意思を乗せて口にするという行為は、アイデンティティやらレゾンデートルの収奪に当たるのではなかろうか。つまり、固有名詞やら、特定個人にのみ許されている一人称の詐称のようなもので、マチュピッチュたちにとっての文化的禁忌だったに違いない。

 だから、ルシエラが「マーチュチュッチュー」と口にした途端に激怒した。

 顔出ししてない有名人が、勝手に自分の名前を悪用されていて、身に覚えのない非難やら悪評に見舞われるだとか、一般の学生が当たり障りのないよう気を配っていたアカウントが、第三者に密かに共有され、好き勝手なことをネット上でつぶやかれていただとかの、被害回復が困難そうな悪さをされた気分になったのかもしれない。

 不快を覚えて無理もなかった。

 ルシエラがさっきしたようなことを彼女が許すとすれば、それは同じマチュピッチュにか、色違いのマチュピッチュにだけなのだ。

 芙実乃は、それ以上行き場のない部屋の隅に逃げ込んでしまった馬鹿なルシエラを追わせまいと、さっきからマチュピッチュの左腕に絡めたままでいる両腕をぎゅっと締めて抱える。だが、芙実乃はマチュピッチュより二十センチもちみっちゃい体格でしかないため、あっさりと抜けられてしまう。アーズの言ったとおりになった。

 それでも止めなければならない。

 芙実乃は咄嗟にそう判断していた。事態の収拾に、景虎の仲裁は期待できないからだ。

 なぜなら、景虎は猫の集まる家の人で、物心がつく以前から、猫の取っ組み合いを見ているはず。そんなものに迂闊に手を差し挟む危険性なら熟知しているだろうし、放っておいても気にならないくらいの感性をも育ててしまっていそうだった。

 芙実乃やルシエラのことは、特定の猫を気にかけてやるくらいにさりげなく庇護しててくれるが、特定の猫を猫可愛がりするような感じはない。喧嘩に負けてルシエラが泣きついても、見もせず頭を軽くぽんぽん叩いて終わりにしてしまうだろう。

 それに、ルシエラだって遊んでやろうとして言っただけで、悪意があったわけじゃない。

 だから、この仲裁だけは芙実乃がしなければならないのだ。

「マチュピッチュちゃん!」

 しかし、走りだしたマチュピッチュに手の届かない芙実乃は、叫ぶくらいしかできない。

 なのに、メロスにだけは言うべきでなさそうな言葉しか、咄嗟には出てこないのだった。

「走らないでえぇぇぇ!」

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