Ep03-01-01
第一章 やせいの少女
1
景虎の月一戦第三戦。
この日、二日目一巡目、という日程の試合に補助参戦する芙実乃の両隣には、当然のごとくルシエラとクロムエルの二人が同席していた。脳処理に演算が補助されることで、時間の進みが十分の一倍速に減速されたように感じられる控え室の窓辺から試合場を見下ろし、対戦相手よりも景虎の姿が見えてくるのを見逃すまいと目を凝らしていた。
その、待ち侘びた視界にようやく、お目当ての景虎が映りはじめる。
試合が開始するや否や相手に向かってゆくのは相変わらずだが、前戦では見せなかった微加速の歩法をいま一度持ち出しているようだ。
「ある意味慎重な入りです。バダバダルと同等のスピードを持ち、そのスピードの活用方法が一撃必殺ではなく手数という相手ですから、試合の流れをコントロールしにかかっている、ということなのでしょうね」
クロムエルが解説をくれる。思考が十倍に加速された状態での会話だから、実際の音声によらない、聞こえたように錯覚し合う応酬になる。もっとも、翻訳自体がほとんど同じプロセスを経たやり取りになるのだから、特別な会話なんて目新しさはまったくない。
「ある意味、と言うのは?」
芙実乃が応じる。騎士だから、という理由でルシエラは自身のパートナーであるクロムエルを当たり前のように無視しているが、ルシエラは実声を出さない脳加速状態での会話も若干不得手で、この環境では芙実乃にもまだ話しかけてこない。
ただ、試合の推移に関しての疑問があったとしても、答えられるのがクロムエルだけのこの人員構成では、ルシエラは発言をしようともしないだろう。クロムエルもまたそれを承知していてなお、発言を芙実乃にしか向けて送らない、なんて意趣返しはしてなかった。
この会話はちゃんとルシエラにも開示され、三人で共有している。
「単純に有利不利を語るなら、得物の長さで勝るマスターは、待ち受けているほうが対処しやすいからです。結果として勝つだけを目的とされるなら、自ら仕掛けには行かないでしょう」
もちろん、景虎が負けようとしてるだなんて誰も思ってない。とすると、勝ち方の問題か、と思った芙実乃は、それを質問にして送ってみた。
「セレモニーと月一戦、今日も合わせると都合四度景虎くんの試合を見ましたが、どれも自分から相手に駆けて行ってますよね。もしかするとですけど、本気で戦ってる、みたいな証明のつもりで、タイムトライアル的な気持ちがあるとかなんでしょうか?」
「確かに。マスターの戦いは、戦い方それ自体が全力や必死さと無縁になりますからね。手を抜かないとの礼儀に則り、最短で仕留めかかっている、というのなら頷けなくはありません」
軽めの会話で脳加速状態での会話を慣らしつつ、ひたすら景虎を見続けていた。
景虎と対戦相手――アーズ・スクラットとの初撃の応酬が、もうじきはじまる。
先に仕掛けたのは、景虎。届くはずもない距離で軽めのバックハンドのごとく反対側に刀を抜き放つと、右下から半円を描くかのような軌道で斬り上げる。
相手は二刀。刃渡り二十センチ程度の左右対称諸刃剣、同型二振りのうち、左手の一振りでその斬り上げを打ち落としにかかる。が、景虎の刀に捥ぎ取られるよう中空に舞った。
華麗。癖のつかない長髪が中空でたわむ。十分の一倍速で見てるいまはもちろん、一瞬一瞬がまるで奇跡の一枚の連写なのだが、これをまた実速で見直せば、刀の柄の指を掛ける部分が残像となって、黒い花片とちらつく虹光の舞い散る様が見られることになる。
景虎の勝ちだ。そう思った芙実乃は、ぼうっと見惚れながら試合状況の確認を取る。
「これは、景虎くんのほうが力が強かったっていう勝因の決着ですか?」
「いえ、体格と動きから考えれば、拮抗してるとは言いがたいほど、向こうの筋力が上になります。その差を覆したこの衝突でマスターが披露したのは、力とタイミングの合わせ技です。下から腕を回す振りで荷重と遠心力を切っ先に乗せ、最接近した一瞬の円の境目でぶつける。以後の刀の軌道は相手から遠ざかるばかりですから、自分に向かって来ているはずの斬撃を、瞬間止めるだけのつもりだった相手は、角度の違う衝撃に見舞われた。峯側で当てられてもいましたからそれはより外向きに、引っ掛けられて刈り取られるようになったのでしょう」
「……ドライバーとか、場外ホームランみたいなことだった、と?」
「不思議なことに、さっぱり意味がわからなくても雰囲気くらいは察せてます。だからまあ、たぶんそんな感じなのでしょうね」
クロムエルの返事には、戸惑いの要素がふんだんに散りばめられているようだった。こちらの世界へはルシエラに引き込まれた彼だが、そのルシエラよりもそこそこ前の時代で病死していたはずだ。だから、ルシエラを地球で言うところの中世くらいの環境にいたとするなら、クロムエルは古代と中世のあいだくらいの環境で育っていることになる。地球発のスポーツであるゴルフや野球など知らなくて当然。芙実乃たちよりも早くこちらに召喚され半年を過ごしてなければ、スポーツの概念すら通じなかったところなのかもしれない。
鎖鎌とかスイートスポットとかの単語は、さすがに思いついていても言わないでおこう、と芙実乃は遠慮した。
「えっと、要は遠心力が一番強くなったタイミングで当てたい部分に荷重を移しておいた、ってことを、言ってるわけですか?」
「ああはい。そうです」
「そういうのを、相手が振る剣に合わせるのって、たいへんなことですよね?」
「ええ、非常に。稀に達人が素人に後れを取る場合がありますが、そういうのは多分にして、こういった純粋な力の伝導が起きてしまった結果でもある、と思いますよ」
だるま落とし、なんて単語も頭をよぎるが、出て行かないよう芙実乃は留意した。
あれは、円柱の外から中心に向けて力を入れることで、弾き飛ばすのに最適な力がわかりやすくなっている、という玩具だ。また、五連となるよう球がぶら下がっている玩具なんかも、クロムエルの言うところの、純粋な力の伝導、を見せるためにはわかりやすい。
つまり景虎はあのレベルの精緻な振りで、遠心力、荷重、力の向きを合わせていたわけだ。
「それって狙ってできるものなんでしょうか?」
「普通に考えれば偶然の産物でしかありえません。相手もあってのことですし。ただマスターの場合、先に加減した速度で振って誘い、相手に対処させた上でそれを読みきり、ぶつけたい一点で振りが最高速度に達するよう、加速を調整していたふしがあります。だから相手の振りの速度に関する想定が少々ずれたとしても、いまと近い結果は得られていたのでしょう」
それこそ、場外ホームランかただのホームランかくらいの違いしかなさそうだった。
景虎だったら、レジェンダリーなトッププロが生涯一度きりの奇跡としてでしか起こせないような真似すらも、普段使いでやってのけてしまいそうだ。
なんて人なのだろう! と、芙実乃は誇らしさが抑えきれない。
が、しかし、景虎の続く攻撃は、相手に身を沈められ、あっさりと躱される。
「あれれ?」
「短剣を飛ばした初撃が、マスターにしては大振りでしたからね、相手が対処できないほどには、次撃を繋げなくても致し方ありません。それに、相手の柔軟性も見事でした」
確かに、ここからでは十分の一倍速にしか見えてないが、相手は筋肉質な中型猫科動物にも匹敵するくらい、動けている気がした。芙実乃はよく、景虎を猫のよう、と、その柔軟性から連想しがちなのだが、どちらかと言うとそれは全力で動く猫ではなく、六、七割で動く時の、優雅で捉えどころのない様のことを指している。ただ……。
「相手はもしかして、ちょっとだけ戦い方が景虎くんに近い……んでしょうか?」
「戦闘スタイル、で言うと、マスターはおそらく、なんでもできるんですよ。だから、わたしのようにも、今回の相手のようにも戦える。それを堅さとか柔らかさとかいう言葉にすれば、相手が想定していそうなほうと逆をする、というのがマスターの戦い方、になるでしょう」
景虎のこれまでの対戦相手、バダバダル、クロムエル、ピクスアは、景虎と対比するとオーソドックスな使い手だった。しかし、今回は景虎がオーソドックス寄りに戦っているせいか、芙実乃には対比がいつもと逆に見え、相手が景虎に近いと錯誤してしまった、のだろう。
芙実乃は一瞬だけ景虎から相手に目を移す。
低く転がって景虎から逃れた相手が伸ばした左手の中に、跳ね飛ばされた短剣が収まる。
「――いま! ……いま見ないで取りませんでしたか? まさかまた異能とかじゃ……」
「いえ。微かにですが、笛のような音が聴こえてました。おそらく柄に穴が空いていて、その音で位置を把握しているのでしょう。短剣自体の重心の在り処にも工夫があって、今回のように跳ね飛ばされても、音が鳴る向きで回りやすくなるように調整してあるのかと」
「よく出来てるんですね。あっでもそれって、逆に投げられたら気づきやすかったり?」
「それは鳴らないかと。あの短剣の柄はしっかり、突き刺す時には滑りにくく、投げる時には放しやすくするため、刃に近づくほど幅広になるよう角度をつけられてもいますからね。刃先から直進しているような時には、柄にある穴に空気は通り抜けません」
いくら身体能力に優れているクロムエルだって、ここから短剣の柄の微妙な角度までわかるはずがない。脳の補助演算の助けを借り、相手の手元を拡大して見たのだろう。景虎を中心に据えてしか試合を見ない芙実乃と較べ、見所がさすがに玄人くさい。
「なるほど……。ん? じゃあ、振ってるあいだは?」
「鳴ってませんでした。柄ですから、握れば塞げてしまえるのでしょう」
景虎のために弱点を見つける、みたいな気分があった芙実乃だが、クロムエルにことごとくダメ出しをされて、そこはかとない反撥心を芽生えさせていた。
ただそれはそれとして、前回とは違い、今度の相手はちゃんとした史上最強なんだな、との実感も湧きだしてくる。あまり見ない、景虎が足を止める光景を目にしたからだ。
「もしかして攻め手がなくて、景虎くんは困ってますか?」
「瞬殺の常套手段である、近づく、という戦法が取りにくいのでしょう。ゼロ距離戦、接近戦での刀の取り回しにおいてなら、今回の相手にだって引けを取ってはいないはずです。ただ、相手の得物が二つで、しかも短い、というのだと、攻め手は同等にあっても、守りの手が足りなくなる。一歩踏み出せばマスターの刀だけが届く、あの距離で対峙しているいま、マスターは優勢を保ってはいるのですが、それ以上踏み込もうとすると、二振りを同時に止めておかなければならないわけで、向こうに手数で上回られることになってしまうんです」
クロムエルの説明が終わるのとほぼ同時に、景虎が動きだした。と言っても、実際には喋らずに会話をしているため、実時間の景虎がずっと攻めあぐねていたとかはない。芙実乃たちが会話に費やしていた時間は、相手が左手の短剣を取り戻したのを認識し、景虎が足を止めた直後までのわずかのあいだだけだ。
景虎はその刹那にも、以後の組み立てを定め終えていた。
景虎が、刀を両手持ちに構え、絶妙に高さのない上段斬りを繰り出した。相手はそれをまた左の短剣だけで止めようとするも、慌て二振りを交差させる受けに変更。立ち上がりかけていたように見えたが、その場に膝立ちで耐えている。
「左だけで暫時凌ぎ、刀の下を潜って右を掠めようとしたのでしょうね。けれど、マスターの力は想定よりも強く、きっちりとした防御にせざるを得ないと判断し直した。マスターは力の使い方が上手いですからね。拮抗できているだけでは押し負けてしまうんですよ」
以前同等の力でしか押し合わない、みたいな景虎とクロムエルの訓練を見たが、景虎は押す力の向け処を散らす、というやり方で、一方的にクロムエルを後退させていた。いまだってもう、景虎は難しいと言われていた、間を詰める、という行為を達成してしまっている。
クロムエルは思わずなのか、感嘆の息を実際につきつつも、思考を寄越してきた。
「対双剣使いへの一つの解答ですね。長さと両手持ちの利を活かし、安全に相手の両手を塞いでおいて間を詰める。たぶん双剣使いにとって押し合いは、わたしが想像していた以上にしにくいのでしょう。下で押し返して耐えることはできても、上から押し沈めるようには力を込められず、鍔迫り合いを制す手段がない。片手だけで押し合えれば力の込めようもあるでしょうが、現状彼は、得物の重さと長さの双方に倍の差をつけられていて、それもできそうにない。そもそも、両腕の力を一つの得物に集約するマスターに片手だけで抗するなんて真似、バダバダルのような規格外人でなければ、可能性すら見出せません」
「……得物の重さと長さというのは?」
「得物は重いほうが押し合いには向いているはずですが、もちろん得物をやっと持っている程度では話になりません。自由に取り回せる者同士でした場合に、そういう傾向にあるだけの話です。得物の重みを攻撃力と防御力に一部流用できる感じ、と言えば通じるでしょうか。力を込め続けるのにはすぐ限界が来ますから、適度な脱力は欠かせられるものではない。得物が軽いとその時に押し込まれてしまい、もう一度戻すのにかかる労力も増してしまう。得物の長さは押し合いで疲れる筋肉の部位を微妙にずらすために使え、パフォーマンスの低下を緩やかにし、休憩間隔を無理なく延長するのにも有用です。ただ、双剣の場合だと防御の主軸を左右で入れ替え続ければ、ある程度までなら似た効果を作り出せるかもしれませんね」
「要するにいまは、景虎くんが有利で、相手が不利と?」
クロムエルが、嬉しくて笑ってしまう、みたいな雰囲気を滲ませながら答えた。
「それどころか、相手を死力で抗わせながら、マスターはずっと休憩しているんですよ」
「休憩?」
「はい。マスターはいま上を占めているでしょう。だから押し合いにもかかわらず、握力すら緩めて相手と対峙してるんです。手際を詳細に言うと、柄の根本の右手になかば寄り掛かり、左手で柄の頭を持ち上げつつ、当てている峯の部分を上にずらしてます」
徐々に、徐々に、とクロムエルは付け加えた。
本当に、十分の一倍速で見るとわからないくらいにしか動いてない。いままでの話を総合して察するに、景虎は刀の重みさえ相手に委ねておきながら、それに寄り掛かって体重の一部を重みに加え、あまつさえ梃子の原理の要領で、力を乗算させているのだ。
相手はこのまま圧殺でもされてしまうのだろうか、と思いきや、景虎の足が動く。
左膝で、重さに耐えていた相手の右肘を撥ね上げたのだ。相手は右腕だけバンザイさせられたかのようになり、途中刀で遮られたその手の短剣をも取り落としてしまう。
「おそらく、相手が右から左へと、防御の主軸を入れ替えた瞬間だったのでしょう。下にいた彼は握力も限界で、ほんのひとときでも腕から力を抜きたい、その一瞬を狙い打たれました」
「景虎くんは当然、刀越しの感覚で、そうなることもわかっていた、と」
そのくらいなら、芙実乃にだって察しはつけられる。
芙実乃は、景虎の一番の理解者は自分でありたいとの思いから、クロムエルに対して、妙な対抗心を抱きだしたのだった。




