Ep02-05-07
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柿崎景虎に勝たなければならない。その目的が潰えてしまえば、ピクスア・ミルドトックに去来したのは虚無感ではなく、重荷を降ろした解放感ばかりだった。
魔法攻撃を受け、身動きの取れない時間に斬り殺される。最初の未来視で視た光景として聞かされていた、手も足も出しようのない結末を避けるべく、短期長期を綯い交ぜた未来視を可能な限り繰り返し、どうにか魔法を使わせない試合展開にはこぎつけたが、あの四人の言動の読めないことといったら、常軌を逸していたとさえ言いたくなる。
まず彼のパートナーである芙実乃は、最初の最初に友好的な接触ができると踏んで、彼女たちの教室へと赴いたものの不発に終わった。結論から言うと未来視の見損ねが失敗の主な原因だった。シュノアは話しかけられてお辞儀までされる未来が来る、と言ったが、彼女は通話しながらその相手方にお辞儀をしたのであり、現実のシュノアが丁寧にお辞儀を返した時には、そっぽを向いて教室に駆け込んで行ってしまっていた。未来視の中でのシュノアが彼女に挨拶を返さなかったから、とは関係なく、彼女はこちらに意識を向けてなかったのだ。
ピクスア自身は緑の光輪や遮音で話しているのに気づき、何かが違うと思ってシュノアを見つめることになったがこれもまた、彼女となら友達になれる、と意気込んでいたシュノアに恥の上塗りをさせ、妙な隔意を持たせてしまった一因となった。
もちろん未来視の中でも彼女の声は聞こえなかったはずだが、そもそもが通じるはずのない言語で喋っているのだから、と、シュノアは視るのに集中して、無音であることに気を払ってなかったのだろう。立ち位置が違っていれば緑の光輪に気づけたかもしれないが、自分に向けられたお辞儀が通話相手へのものだったなんて、気持ちをもてあそばれたと言えなくもない。
有名な柿崎景虎のパートナーとお近づきになろうとして、見事なまでに相手にされなかった二人は、周囲から侮蔑の失笑を浴びせられながら退散した。それは軟禁生活を余儀なくされていたシュノアにとって、トラウマものと言っても過言でないくらいの出来事となった。
しかし、対戦相手の発表が間近で、それまでに知己を得ておくのなら、その日の昼休みは、実質最初で最後の接触機会。急ぎ駆けつければルシエラという少女の起こす事故に出くわす。それを未然に防いでみせようと目論むも、入念にはタイミングを計れなかった。シュノアと違い、長時間の未来視ができないピクスアだと、授業中に予行演習をしておけなかったのだ。
かと言って、シュノア自身がする未来視では、ピクスアの行動の微調整は難しい。状況説明だけで想像する事故対処を気持ち早くだの遅くだの言われても、大雑把な変化が起こせればいいほう、何も変化しない場合がほとんどなのだ。
二度だけ、ピクスアが試せた食堂での未来視だったが、微妙にでも早くルシエラの行く手を塞げは、ピクスアも衝突するはずの少女たちも避けられて無視されるとしかわからなかった。やむを得ず、衝突後に支えるつもりで前に出ると、ルシエラに容赦のない突き飛ばし行為に及ばれて、逆にひっくり返られてしまった。
予期せぬ、緊張感の漂う景虎らとの初顔合わせとなった。
会話を主体とした初見の現実になったが、そこからは、シュノアにしたってほんの短い未来視を、場当たり的にこなすしかできなかったはずだ。十倍速で聞こえる声をかいつまんででも聞き取れるのはシュノアのたゆまぬ努力の賜物だが、知らない言語で喋る景虎ら四人の言動が翻訳されない未来視の中で、自分たちだけの返答から会話内容に推察をつけるなんて土台無理な話だ。序盤のやり取りを捨て落ち着いて経緯を話すまで視る判断を、あの瞬間のシュノアが咄嗟にできていたとしても、ピクスアがその内容を知れなければ意味がない。景虎とクロムエル相手の舌戦に、シュノア一人で立ち向かえるはずもなかった。
とにもかくにもピクスアが表立って謝罪し、事態に収拾をつけようとするが、それもまた、ルシエラを激怒させ、芙実乃には聴衆を味方にこちらの悪行を暴いた空気にされた。
景虎たちにもう近づかないとの確約をさせられるも、ルシエラが殺されることになると知っていたから、貸しを作ることを対戦発表後のその日に設定し直す。未来視の中で行動監視し、景虎らの待ち伏せには成功した。が、食堂の一件から二日の猶予しかなく、二週間後の対戦までは視ないままの接触となる。異能禁止にはできなくさせていた、との未来を視たとシュノアは言ったが、その報告をした未来視の中のシュノアは、ピクスアとも離れて部屋に戻った時のシュノアなのだ。その時点でのシュノアが知っている未来は、前回の月一戦後に二日がかりで行った未来視での結果でしかない。未来視の内容を伝えたのだから、未来が変わってゆくとは思っていても、その後の展開、事件そのものが別物になるだなんて予測は不可能だ。
それでも、こちらとしては貸しを作った状態で、対戦条件の打ち合わせを終えられると思っていた。四日近くあった猶予の中には週末の休日が含まれており、一日半はかかる対戦日までの未来視ができていたからだ。それによると、景虎は前に視た対戦とは違い、開始するや否や直進し、もうすぐ間合いに入るというタイミングで武器を投げる、戦い方になっていたという話だった。ピクスアはその武器を避けられず、喉の正面から首の左後ろまでをざっくりと切り裂かれて血霧を噴き上がらせる。景虎はその血を避けるように、逆側を素通りしてピクスアの脇を通り過ぎ、投げた武器を拾いに行く。死にゆくピクスアを尻目にシュノアが視見続けてきた決着を聞いて、景虎が魔法メインでは戦わなくなったと判断した。
ちなみに、精神的に耐えられない光景を視たり、激痛が奔ったりしてもなお未来視を続けるのは、歴代の未来視の巫女でも必ずできるようになるわけでもない行為で、ピクスアにも無理なことだ。現実の痛みに耐えて行動できる、資質ともまた違っているらしい。
実はこれを容易にするのが、途中の時間を飛ばして視る、というやり方だ。飛ばした時間の半分の時間は何にも耐えて未来視を継続できる。未来視の巫女だったシュノアは、高所に幽閉されながら、訓練がてらその未来視の中の時間を利用しての教育しか受けていない。シュノアの十倍速で四ヶ国語を聞き取れるほどの学ぶ時間は、そうやって人の十倍確保された。時代に一人いるかいないかという、未来視の巫女たちは皆、そう育てられるのだった。
その中でも随一だと言われていたシュノアの場合、さらに現実ではできるはずもない非情な選択による未来確認までできたりもする。ただしそのシュノアにしても、ピクスアがどうしたら、などの他者の行動までは未来視の中でも変えられない。ルシエラ捜索のため、ピクスアが捜索ルート毎にいちいち捜しかけていたのは、そうしなければどうだったという報告が、未来視の中のシュノアに届かないからだった。この過程をごく短い飛ばし視でできれば、シュノアもピクスアももっと効率良く捜索ができたのだが、景虎たちに話した飛ばし視はいやという、シュノアの言葉に嘘はない。シュノアは本来飛ぶ期間の精度までも随一だったのだが、それができなくなってしまった。
シュノアが、そうして解除のできない未来視の中で、凌辱されたからだった。
それは、四十日後からの二十日間を、実時間二日をかけて視てくる、という、未来視の巫女の定例の役割をシュノアが終えてきた翌日のこと。ままある放心状態のため、寝所で寝かされていたシュノアの様子を見に行った侍女が発見したのだそうだ。
自らの爪で、顔や胸や性器を一心不乱に掻き壊すシュノアの姿を。
未来視の中のシュノアがどんな目に遭ったのかは断片的にしか知れない。六十日目に報告書を読まされるまでの未来視の中の二十日間は、学ぶことも少なくなっていたそのころ、暇にならないように小説などにゆっくりと目を通しているはずだった。が、その未来視の時のその期間がどういうものであったのか。早くに死んで無為の空白を感じていたのか、それとも、なんらかの手段で連れ出されて延々と弄られていたのだろうか。髪の色、目の色、左肩に二連の黒子、右内腿に飛沫状拳大の火傷痕。六十日以内にシュノアと面識を持つ予定の人間に、制度上そうなっていると強権で確認すると、近く塔に着任予定だった貴族の跡継ぎが、ぴったりと一致した。彼は理由も告げられずに着任を取り消された。未遂以前の罪なのだから、もしかしたらそれすらも不当という、彼と彼の親族の主張はもっともなのかもしれない。だからなのか、貴族ということも考慮され、どういう手段が取り得たのかの聴取や調査も行われなかった。
数日後、ピクスアの実家が燃え、両親と祖母と幼い弟妹は焼け死んだ。ピクスアは遺体確認や葬儀やらの手配のため、赴任地からの帰還が認められ、妹への報告も許された。シュノアに起きたことのさわりは、その時に侍女にそっと耳打ちされた。平穏な時期なら年に一度面会を認められる家族の死を、ピクスアはシュノアに伝えられなかった。歳近の妹は、幼いうちから家を離れてしまっていて、彼自身家族未満としか思ってこなかったものの、妹の家族に会えた時の喜びようや、別れ際の騒ぎようはよく覚えていた。だから、家族の死はシュノアにも知りようがなかったし、防ぎようもなかった惨事なのだ。自傷でぐちゃぐちゃの姿になった妹に、ピクスアは行き処を失くした家族への親愛をすべて注ぐと父祖に誓った。それは今生でも、前世で妹を看取っていてなお、ピクスア・ミルドトックが為すべきことだった。
しかしこの世界が、この学校が徹底した実力主義であることに、ピクスアは気づいていた。理由の一つ目は、柿崎景虎が召喚される前に、シュノアが予知していたバダバダルの対戦相手が彼だったこと。二つ目は、月一戦第一戦の自分と景虎の対戦相手を照らし合わせてみたことだ。おそらく、この学校は上と下の一番同士、二番同士、みたいな組み合わせをして、評価の高い者を勝ち残りやすくしているのだろう。それでバダバダルの対戦相手が自分だったのだ。
シュノアの未来視が変わったのは、入学まで一週を切ってから。柿崎景虎がこの世界に召喚されてからだ。このことからわかるのは、未来視は現在世界にいない人物を未来に登場させない。つまり、世界中で頻繁にこの世にいない人物が入って来るこの世界では、未来視はある意味不確定なのだ。もちろん、未来視の期間を飛ばせないシュノアが視れる三、四週以内に自分たちや、それを含めた大局を変えてしまうほどの人物が現れれば、の話になるのだろうが。
それにしても第二戦のカードがどうして対柿崎景虎になったのか。考えられることとして、最下位評価の景虎がトップ評価に繰り上がってピクスアが最下位に落ちた、あるいは、未来視使いのピクスアがトップ評価となり景虎が最下位に据え置かれた、のどちらかだろうか。景虎やクロムエルなら、このことには薄々感づいているだろうが、こんな話、彼らには永遠に振りたくなかった。景虎が誰にどう評価されようが、あれは史上最強の中でも一人次元の違う高みに立っているとしか思えない。いつでも何度でも、身体能力の化け物であるバダバダルとの能力差を覆して楽勝するであろう景虎に、生半可な身体能力や異能などで太刀打ちできようはずもない。戦う次元でまず拮抗してなければ、それらは宝の持ち腐れになる。
ピクスアはそれを身をもって知った。彼自身は史上最強などではなく、たかだか国で随一の守り手というだけだったが、相手の立つ高みが霞んで見えるほど遠くにあるのか、見えるはずもないくらい離れているかならわかる。
景虎には、見聞きしただけのはずの未来視の使い方、理想形なんてものまで教授された。
ピクスアは勝つ可能性がない中で、起死回生の勝ち筋を得るために未来視を使った。だが、景虎は漠然と機会を待つだけだったピクスアの戦い方に未来視を融和させ、戦闘中の時間をも余らせると、そこで行動間隔を狭めるために何が必要になるか整頓してみせたのだ。
おそらく、景虎にとって戦い方が稚拙でない者など、この世にはいないのだろう。
そんな景虎がシュノアのパートナーになってくれたなら、それこそ未来視の理想形である、勝つ未来をそのままなぞることも容易なのではなかろうか。もちろん、シュノアさえその気になってくれれば、の話だが。ただ、来年度のパートナー争奪戦で下手な相手にシュノアを奪われ、不本意な将来へ進まざるを得ない状況だけは避けたい。そうさせないためにも、シュノアにはよくよく言い含めておかなければ。せめて一時的に、便宜上だけでもパートナーとして、景虎にシュノアを預かってもらえる関係性を作っておけるようにはしておきたい。
結局のところ、ピクスアにとって大事なのはシュノアの幸せだけだ。
だから、シュノアが兄離れできないうちは、彼はまだ勝ち続けなければならないのだった。




