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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
52/141

Ep02-05-02


   2


 景虎の月一戦第二戦が予定されている十三日の五巡目というのは、芙実乃の感覚で言うところの月曜日の五時限目と考えたくなる時間だった。と言うのも、一週間は六日しかなくても、その最終日、六の倍数の日付の日は休日、日曜日に当たる曜日と決まっていたからだ。その上きっちり六週で一月となるこの世界の暦では、日付と曜日が地球みたいに月毎でまちまちになりもしない。十三日なら必ず休み明けの曜日――月曜日になるのだった。

 無論、この世界にはこの世界なりに曜日の名称があるのだが、それにまったく馴染めそうにない芙実乃の場合、月、火、水、金、土、日、と、木曜日を抜いた地球準拠の曜日感覚になってしまったらしく、翻訳でもそんなふうにしか伝わらないのだった。

 また、五時限目の実際の長さも、六十分や三千六百秒と等しい一時間でなく、約三十四分しかない。端的に言うと、一時限一ロムグリだ。このように、ロムグリを基準にスケジュールを立ててくる学校側は、講義時間三十ロムグと休憩六ロムグの一ロムグリを、セットで一コマとしている。これはつまるところ、一つ一つの授業時間が短くなる分、一日のコマ数は多く取られ、授業の種類も多岐に渡らせられている、ということでもあった。

 だから、五時限目が終わると帰っていいとかではなく、昼休みがはじまるという、芙実乃からすると、ややトリッキーな時間割で、この学校は運営されている。

 そのため、四時限目あとにある休憩の六分弱では、移動が間に合わないと見積もった景虎と芙実乃は、四時限目の授業時間を丸々移動のための時間とし、すでにもう臨戦控室に当たる、第十一対戦場の東側三階第二控室に待機していた。四時限目半ばの時間だった。

 決着が着いてないか、ポイント戦形式の試合なら、四巡目の対戦が行われている最中だが、この控え室からは、階下に見下ろせるはずの試合場が見えていない。屈曲しているから見間違えはしないが、窓が壁と同色の不透明だった。その試合がどうしても見たければ、対戦している彼らのうちのどちらかの控え室に入れてもらう必要がある。これは、リアルタイムでの観戦者を気にしないで済むようにという、対戦者への配慮であるらしかった。

 つまり、五巡目になって景虎の試合がはじまったとしても、対戦を終えた四巡目の生徒たちに、ついでの観戦などはされない、ということでもあった。五巡目を肉眼で眺められるのは、各対戦者のパートナーである二人と、控え室への立ち入りを許可された者だけ、となる。

 それは、景虎側で言えばルシエラとクロムエルの二人で、ピクスア側は不明だった。

 控え室に補助参戦者以外の観戦者を入れるのに、相手側の許可を取る必要はないとされていたからだ。ただ、試合前の打ち合わせで取り決めなくても、課金申請での観戦不許可にしておくことはできたりするらしい。だが、今回の試合では景虎はもちろん、ピクスアもその申請は行ってなかったようだ。未来視の口止めにこだわる兄妹も、すでに口止めの約束がある以上、ポイントをさらに削るのは無意味と考えたのかもしれない。

 ルシエラとクロムエルもすんなりと見学の申請が通っていた。

 二人も四時限目と五時限目を抜けてしまうことになるが、これは特段さぼりとかの問題にはされない。講義の録画ならいつでも見られるし、放課後の自クラスや、なんなら深夜の自室でも済ませられるからだ。同科目のつぎの講義までに見ておかない、などの行為が累積すれば警告も受けようが、罰が下るわけでもなく、単に出席率が悪くなるだけに過ぎない。

 極端な話、実習指導以外の時間割の場合、その全部を部屋で気が向いた時にでも、ながら見をするだけで、出席率はキープできるくらいだった。

 ただ、今回景虎と芙実乃が抜けてきたのはその限りでない実習指導の、二時限通しの魔法授業だったことから、後日訓練場まで足を運ばなければならなくなってはいた。魔法の実習なのだから、景虎の参加は当然のように義務ではない。なんなら芙実乃の参加だって、実のところ義務とまでは言えなかった。だが、魔法少女の立場からすれば魔法の成績、戦士の立場からすれば魔法使用の成績と月一戦の勝敗にも直結しかねないため、授業外の時間に補習に赴くことにしていた。放課後に休日に常時行われている補習だから、収容人数ぎりぎりまで自主参加者も入れるが、公欠に近い芙実乃は優先枠での参加が可能になる。優先枠での参加なら、実習担当者からの直接指導の時間も多く取ってもらえるはずだ。

 魔法には努めておかなければならないな、と芙実乃は改めて思っていた。何せ、未来視みたいな相手との月一戦が今後もあるのなら、魔法が勝敗の鍵を握る場合だって考えられる。

 幸いなことに、芙実乃の魔法の成績は、いまのところそこそこの上位に位置していて、今日の試合に限ってなら、仮にシュノアが魔法トップの生徒だったとしても、まだ手も足も出ないほどの差にはなっていないはずなのだ。

 それでも、魔法の優位が相手側にあるのだとすると、未来視との併用で、試合展開は抗いようもないものになるのかもしれない。そう思うと、芙実乃は心臓まで喉から出てしまいそうになるくらいの緊張に襲われた。芙実乃より上位の評価を受ける魔法少女など、四〇九六人中の百人にも満たないというのに。芙実乃の不安は尽きない。

 唯一の光明らしきものがあるとすれば、芙実乃は操という形態の魔法を発現できていて、それを使用者――景虎に、タイムラグなしで委ねられることだ。この、タイムラグなしというところまでは、操を発現したほとんどの魔法少女もその例からは外れない。しかし、それをそのままで人に委ねられる、というのがとても稀有なことらしく、タイムラグありきの操の場合、高度な戦闘での実用に耐えない代物に成り下がってしまう。操とは、総じて威力の低い魔法ではあるが、その有用性を挙げるなら、自在性にこそあると言って過言ではない魔法だからだ。

 芙実乃は、そんな魔法の使い手だった。

 もっとも、その、委ねられる、という資質は、魔法と言うよりも精神面に依る比重が大きいとされている。おそらくは全身を人に動かされることへの慣れの為せる業と思えるが、委ねる相手の景虎を信じているからこそ、と芙実乃としては主張したいところではあった。

 ただその、稀有な操魔法ではあるものの、とりわけ威力に欠ける傾向にある魔法であることは否めない。魔法成績下位の生徒でも、操以外の形態であれば得意属性の魔法でなかったとしても、芙実乃の操魔法を打ち消してしまえるだろう。

 芙実乃が操を発現できているのは得意の雷属性でだけだが、その威力はと言えば日常生活におけるきつめの静電気くらいのもの。人を失神させるスタンガンとまでは、とてもではないがいかない。もちろん、戦闘中の相手の指にでも直撃させられれば、ひょっとすると武器を取り落とさせることだってできるかもしれない。だが、下位の生徒の魔法で相殺してしまえるのだから、よほどのタイミングで放てなければ、そんな成果は得られまい。

 しかも、遠隔で曲がりなりにも威力のある魔法となると、芙実乃の場合だと、雷の属性だけとなる。基本四属性の火風水土をすべて発現できてはいるが、どれも、放と操以外の三形態、纏、浮、投なのだった。その中では投が飛ばせる形態ではあるが、現状では芙実乃の投手力を大きく上回る速度は出せない。かと言って、スピードが出やすいとされている放の形態で放てる唯一の属性、雷だと、放った位置から二、三メートル先までしか届かせられない。円錐状に拡がり散ってしまう有様なのだ。これを直すために、固めろだとか束ねろだとか組み絡めろだとかのアドバイスも受けていたが、月一戦当日の今日までにものにはできなかった。

 実技担当官の評だと、具現確定力が豊富な一方、ベクトル感覚には乏しい、だそうだ。

 芙実乃は要は、魔法にベクトルを組み込む、ことにまだまだ不慣れなのだった。

 ただそれゆえに、動かされる、という適性を備えたと言えなくもない。主導権を景虎に握らせた雷属性操魔法など、芙実乃の目線が追いつかないほどの速さで動き回る。魔法担当官からこっそり聞いた話によると、この魔法の速度は現状、同学年でトップタイムを記録しているらしい。芙実乃本人の意識で動かそうとするとそんな速度はとても出せないのだが、幾重にも稀有な操魔法なのだし、動かすのが景虎次第で、本人の研鑽があまり関係ないのは、よくよく考えればお得よ、とメリットだけを褒められていた。

 ちなみに、芙実乃の得意属性である雷は、最も多くの生徒が発現する魔法のために属性扱いされてはいるが、基本四属性の魔力で発現する派生魔法なのらしい。四属性の複合の場合もあれば、どれか一つの属性から雷に変質している場合もあるという話だ。それを聞いた時芙実乃は発電所を思い浮かべていた。火力風力水力は言わずもがな、雷を打ち消しそうな印象のある土属性だって、原子力という発電方法があるのだから、雷に変質しても不思議はない。

 ただし、土の魔力由来の雷魔法なら、土属性とも互角とかはない。そもそも、魔法同士の相性はケースバイケースとしか言いようがないのだ。たとえば芙実乃が得意な雷属性は風属性に弱いとされる。それは事実なのだが、弱い理由は魔法的な相性などではなく、物理現象としての電気が空気に拡散、湿気に帯電され、それごと風魔法に押し返されるからに過ぎない。そのせいで雷魔法は込めた魔力の分のベクトル進行ができず、到達の遅れによる継続時間不足や強度不足などとの相乗相殺が起こり威力を落としてしまう、といった具合だ。

 また、相性なら良さそうな対水属性だって、敵の身体から直接ホース状に伸びてくるような繋がった水が相手でもなければ、相手に届くまでに直撃していた水弾に、威力を刮がれていってしまうのだろう。さらに魔法の使い手によっては、帯電性が高かったり、絶縁の純水などで生成した水弾を放ったりもあるのだ。安易に有利不利は語れない。

 だから結論として、芙実乃の魔法で景虎が勝つには、雷属性操魔法を当てにいかなくてはならないわけだが、それがたとえどんなに速く、予測目測不能な軌道でピクスアに襲い掛かったとしても、未来視で知った直撃箇所にタイミングを合わせた何かしらの浮形態魔法を設置されて終わる、だけなのが目に見えるようだった。そもそも、芙実乃の操魔法はまだ、動きを指先の連動と切り離せないのだ。戦闘中の近距離では危なくて使えない。芙実乃は顔を俯けた。

「やっぱり、わたしの魔法は役に立たないですよね……」

「いや、魔法を使う展開になれば、優勢なのはこちらのほうだ。芙実乃が優っていよう」

 即答に芙実乃が、え、とばかりに顔を上げると、景虎はわかっていると思っていたが、と前置いてから、説明してくれた。

「連中は魔法も禁じたがっていたのだ。魔法を使う戦いが自身に有利なのであれば、わざわざ禁じようとはせぬ。放っておけばよい。未来視のお墨付きというわけだな。もっとも、学校の希望に添う意味でこの試合は魔法禁止にしておらぬが、わたしも、相手が使ってこぬ限り使うつもりはない。そういった状況になっておらぬうちは、芙実乃も楽にしておれ」

 そう言い残すと、景虎は頭を下げるクロムエルの前を通り過ぎて、控え室をあとにした。

 残された芙実乃は、誰にというわけでもないが、自嘲じみた言葉を口にしていた。

「わたしが魔法をもっと上手くなっても、景虎くんは使ってくれないんでしょうか……」

 ルシエラが芙実乃を気づかわしげに見つめてきた。しかし言葉が見つからないらしく、何も言わない。ルシエラに発言権を譲る時間を終えたのか、クロムエルが口を開いた。

「月一戦――対人戦で使うには芙実乃殿の魔法は強過ぎる、とマスターは考えておられるのではないでしょうか。特に操魔法の出来栄えは、稀なものなのでしょう?」

「えっ? まあ、珍しいほうとは言われてますが、威力は静電気程度ですよ」

「けれど、対戦相手の立場からすると、たまったものじゃないですね。手に目に耳、あるいは関節のどこかにでも当たるだけで、もう、マスターの次撃をどうすることもできませんから」

「ああ、魔法で相手を倒さなくてもいいんでしたっけ。それなら確かにそうですけど、でも、発現にはまだ指の動きが要りますし、近づいて来る相手には使えなくないですか?」

「マスターならその程度の間くらい、接近戦でだって、いくらでも都合をつけられます」

「だとしても、使う兆候を見せてしまうのはまずいんじゃないですか?」

「まあ多少は。ですが、守る部分も多いので、武器での攻撃より兆候は隠せてしまうかと」

 そう言われると、結構使い勝手は良いように思えてくる。

「だけど今回は、未来視で事前に攻撃箇所が知れてしまう。だから使う意味がない?」

「いえ。まあ、そうとも言えますが、怪しいところです。兄妹どちらの問題かはわかりませんが、おそらく意識しただけでは狙った位置に魔法を出現させることができないのでしょう。たとえば、手のひらの少し上からでしか魔法をはじめられない、という子も多いですから。それだと芙実乃殿の操魔法には対応しきれません。兄妹はそれで、魔法を禁じたかったのでは」

 クロムエルはルシエラと魔法の訓練ができない代わりに、半数以上のクラスの女子と組ませてもらっている。信憑性の高い見解と言えた。

 ならば、芙実乃の魔法は決して役立たずなどではないのだ。

「だとすると、景虎くんが魔法を使う気がないのは、勝ち方の問題なんでしょうか?」

「あの兄妹、いえ、ほとんど妹でしょうが、未来視を使った兄、だけが正当で、それ以外の要因で兄が劣勢になることを不正、と考えてしまうのでしょう。自分が使えない、防げないかもしれない魔法を芙実乃殿が使うのは、ずるだと思ってしまうのです。マスターに言わせると、それで勝ってしまうのは逆恨みを買う、みたいなことだと思いますよ」

 呆れた。未来視なんてとびきりのずるをしようとしながら、芙実乃の魔法がちょっと防ぎにくいくらいで、なんて勝手な言いぐさなのだろう。そんな連中に纏わりつかれないために景虎は、戦い方にまでいちいち腐心してやらねばならなくなっているのだ。

 シュノアは、景虎に散々な滅多打ちをされているようでいてその実、駄々を捏ねた者勝ち、みたいに、望む未来へと着実に近づきつつあるのかもしれない。兄妹とは距離を置きたい、と景虎が手を打ちたくなる気持ちが、芙実乃にもしみじみ身に染みてきた。

 頷いていた芙実乃に、ルシエラが訊ねてくる。

「芙実乃、下が見えるようになってきたわよ。部屋を速くしなくていいの?」

 四時限目の休憩時間に入り、窓の非透明化が解除されたようだ。

「五秒前くらいに自動でなるようにしてるからだいじょうぶ。いまから十倍速にすると、休憩時間が一時間にも感じちゃうんだから、待ってて。ほら行こ」

 と、奥に進んだ芙実乃を中心に、三人で窓際に並ぶ。一階の試合場、円形状の反対側から、ピクスアが踏み入れるのに気づくと、三人とも、真下にいるはずの景虎を見ようと俯いた。

 ただ、窓は円の外側に接しており、むしろ部屋側にせり出していて、直下は見られない。

 見えない景虎をそれでも見ようと焦れているうちに六ロムグの休憩時間が過ぎ去り、部屋が加速領域となる。以後の会話で本当に喋ってしまうと、のろのろとしか聞こえない旨を、両隣の二人に伝える意識を送る。三ロムの十倍、約四十八秒を相互に注意喚起し合いながら、景虎の姿を求めて、目を凝らし続けた。

 景虎の剣技は変幻自在で予測不能。相手の思いもよらない角度や軌道で刀を動かしているからこそ、無類の強さを誇っていられると言っても過言ではない。しかし。

 今回の敵は、それを読みきるのではなく、ただ先に知るという相手。

 景虎のどれほど意表をついた攻撃でも、すべて予定されている事柄に成り果てているのだろう。特に、景虎はここに呼ばれた戦士たちと較べると、俊敏とか剛力ではないらしい。ピクスアの一戦目の相手が景虎よりずっと速く力強い攻撃ができていた。と景虎本人が言っていたのだから、その相手の攻撃を躱して流して反撃していたピクスアなら、景虎の攻撃にタイミングを合わせることは前戦よりも容易となるはずだ。

 そんなものを出し抜く方法など、果たしてあるのだろうか。

 開始の鐘が鳴り響き、未来視を使う相手との戦いがはじまってしまう。

 先に動きだした景虎が、芙実乃の視界に割り込みはじめた。十分の一の速度にしか感じられないというのに、あれよあれよと言う間もなく景虎は距離を詰めている。刀は抜いていない。肘袖を指で抓む、いつもの態勢だ。やや遅れて、ピクスアも前に出て来る。背後のスペースが狭くなってしまうのを嫌ったのか。クロムエル戦にもそんな場面はあった。

 が、ピクスアが唐突に左、景虎から見ての左に逸れる。

 景虎も左に。速度を変えずに追撃の態勢。刀も抜いた。

「より左に行かれると、鞘に納めたままの抜き打ちでは、刀が届かなくなるからです」

 来るとわかっていても対処が難しい、とされる景虎の抜き打ち。なぜそれをしないのかとの疑問を芙実乃が知らず発していたのか、クロムエルが説明を挟む。だが確かに、それならどちらも理に適ってる。ピクスアはそう動くことで、景虎の抜き打ちを封じた、のか。

 抜き身の刀をぐるっと背中に隠すような格好で、景虎はぐんぐん間を詰めてゆく。振り自体は抜き打ちと似ていても、これなら、左にいる相手にだって斬りつけられるだろう。

 ピクスアが止まって、正眼で待ち構える。

 景虎も懐には入らず、遠間から背中に回した刀を振るため、足を止めた。

 無数の一瞬を連ねたような時間の中でなお、景虎の流麗さは一フレームたりとも損なわれてはいない。刀は光を揺蕩わせるものの、大きく振り抜くその軌道は真円の淵をなぞったかのように、余分な歪みや揺れのことごとくが省かれている。しかし。

 それゆえに、その遅き一振りは誰の目にも明らかなくらい、見えてしまう。読めてしまう。

 なのに、なのに、なのに。

 芙実乃は目を疑った。それはおそらく、同席しているルシエラやクロムエルまでもが同様の感想を抱いたに違いない。景虎の斬撃が変化しないのだ。ただただそのまま、そのままの軌道を辿って相手の頚へと向かっている。

 本当に、何一つ捻りのない素振りの手本のような斬撃。

 芙実乃の主観ならとても速い振りだが、史上最強として呼ばれた戦士たちから見れば、本気ですら振ってないとわかる、未来視だって持ち腐れるほどの遅い斬撃でしかない。

 なのに、相手のピクスアには油断も侮りも見られなかった。極めて精緻にタイミングを見計らう真剣な眼差しで、景虎の体幹の中心あたりから目を逸らさないでいる。

「普通に考えれば、マスターの攻撃は様子見でしかありません。相手が動いてないと、攻撃を当てる隙なんて見つけられたものじゃないですから。ただ、そういうものでしかないとわかりきったような攻撃に対する相手の警戒には異様なものを感じます。考えにくくはありますが、ここから変化するマスターの攻撃に備えている、という場面なのではないかと」

 クロムエルの予測に芙実乃は心の中で頷き、眦を凝らすくらいの気持ちでその一刀の後半に集中する。刻一刻と頚に近づく刀。相手の眼差しには微かな動揺すら見受けられない。それはまるで彼の心もまた揺らぐことのない、確信の中にあると証明しているかのようだった。

 何をするつもりなのだろう。

 景虎もだが、芙実乃がよりその気持ちを割いたのは、ピクスアの対処が景虎にとって致命的になりはすまいかというものだ。

 景虎の攻撃は読めない。読みきれない、とか、読みきれない可能性がままある、くらいが正確なのだろうが、対戦相手はその、ままある意外性をすべての局面で考慮しなければならなくなっている。ゆえに景虎の斬撃は、史上最強レベルの戦闘の中にあって、その遅さが致命傷にならないのだ。しかしながら、今回の相手であるピクスアは、妹の持つ未来視の異能を使い、景虎の意外性をすら先んじて知ってしまっている。

 それがいかほどのアドバンテージになるのか。

 景虎の意外な動きを確実に知りつつ、対処することが可能になるのだ。それこそ、景虎の意外性を優に超した計り知れなさがある。芙実乃の危惧はそこにあった。

 景虎はまだ変化しない。想定どおりの軌道を刀になぞらせているだけだ。

 しかし、相手もまた身じろぎすら控えるがごとき集中と緊張を保ち続けている。

 焦れる。焦れる。焦れる。

 これではもう頚に刀が触れてしまう。こうなってくると、いかな景虎とて軌道をずらして意表をつく手段など残されてはいまい。この控え室からだと景虎の後ろ姿しか見えないからわからないのだが、クロムエル戦の時のように、刀から左手を離しているのか、それとも足でも出るのだろうか。

 また、相手はそれを知っていて、タイミングを合わせた逆転の手を打つつもりなのか。頚ならまだ逸らせる。逸らしつつ、景虎の無防備になる部分へと攻撃を当てに来るのだろうか。それとも、景虎の一刀は本当にただの様子見で、逆にその緩さを知っているからこその、カウンター狙いなのだろうか。

 おかしい。

 だって、刀はもう触れんばかりに……いや、触れている。触れた瞬間が相手の、ピクスアが動きだすタイミングなのだとしたら、すでに何かがはじまっていてもいいはずだ。なのに、どうして動かない。動かないでいられる。それとも、芙実乃が気づかないだけで相手も景虎も動いているのだろうか。

 クロムエルが呆然としたつぶやきを零す。

「このあとはマスターが喉笛を掻き切るだけです。血を見たくないなら、目を瞑られると良いでしょう」

 しかし、それには及ばなかった。

 十倍加速状態が解除されると同時に脳処理補助もなくなり、景虎たちを間近で見ているような拡大処理も終わっていた。景虎の姿は、距離が離れている分だけ小さく見える。唐突に戻された距離感の切り替わりを知覚した芙実乃は、ふらついた場合の保険のように窓に手をつき身体を支えるが、この感覚にももうかなり慣れていて、そんな必要もないくらいだった。

 一息ついて、改めて景虎を見ようとする。

 が、その時。距離以外に自分と景虎を隔てているこの透明な窓に、文字が浮かんだ。

 勝者・柿崎景虎。

 勝った。景虎が勝ったのだ。

 釈然としないまま、芙実乃たちは試合場へと足を向けた。

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