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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
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Ep02-04-03


   3


 運搬されながら、ジョバンニは理解していた。

 一合たりとも打ち合えなかったあの相手を理解することは、これから百年千年を剣の修練に費やしたとしても不可能と理解してしまったのだ。

 景虎の動きは初め、ゆっくりととても良く見えていた。斬り掛かられる前から、景虎の上限が見えていた気がしていた。

 もちろん、そんなことで見縊ったりはしなかったつもりだ。タイミングを合わせきっちりと頚への攻撃を止めにいったはずだった。

 なのに、不意にとてもたくさんのことがいっぺんに起こったような、起こってないような、それが戸惑いであったことすらあとからでしか認識できないくらいの刹那のうち、両手を使い物にならなくされていた。いま考えてもわけがわからないが、景虎の斬撃は途中でなくなり、想定よりも遅く、想定よりも下方に突然現れた。だから剣で遮ることもできずに、手首やら腕やらがすっぱりと斬られたのだ。

 続く突きでは、眉間から後頭部までを串刺しにされる幻さえ見えていたのに、転ばされるだけになった。右腕と左の指四本を失くした直後で、脳が身体の動かし方を忘れていたらしく、ジョバンニはただただ見つめていたのだが、渾身で突き掛かられたようにしか見えなかった。直前に見せられたあの鋭利さはどこへ消えてしまったのか。

 などと思わせておきながら、景虎が転倒させたジョバンニにした仕打ちたるや、その鋭利さを使い尽くしたかのような手際、いや、足際だった。近づいて刃をすっと腹に突き立てそれを蹴り上げるという無造作極まりないやり口で、ジョバンニの腹筋を切り裂いたのだ。その数たるや縦に四回、横に四回。そうして人の腹に、九つの桝目を刻んだ。筋肉や脂肪だけを切ったらしく、内臓はおそらく紙で引っ掻いたくらいにしか傷は残っていまい。口から血を吐かないのがその証拠だった。もっとも景虎が訊ねてきたように、腹筋が機能しなくなったジョバンニはもう、口から出す声に類するものを吐き出すことはできなくなってしまっている。

 それを思うと理不尽極まりない気がするが、質問に答えなかったジョバンニは、止めの一撃をもらうはめになった。彼はジョバンニの腹筋にした同じやり口で、刃の切っ先を顎に添えてから、ジョバンニの顔面を骨ごと縦に蹴り割ったのだ。途轍もない痛みに襲われた。いっそ脳まで切断してくれていたら、これほどまでの痛みを感じずに済んだのにとさえ思う。

 だが、どうしてこんなことになったのかを考える余力が、ジョバンニにはなかった。

 もはや心は恐怖に支配され、身体は未来永劫、震えることしかしたがらなくなるのは想像に難くない。命に別状のない重傷の身体を無造作に運ばれながら、ジョバンニは現在の痛みを感じることもなく、あの瞬間の痛みと恐怖を永劫のものとするのだった。


 そんなジョバンニと景虎の、一戦と呼ぶべきかも怪しい一幕。そこで景虎が披露した剣技を理解できた者がこの世界にいるとすれば、それは景虎と最も剣を交えているクロムエルくらいだったろう。似たような攻撃を受けているというのももちろんあるが、剣を交えるということにおいての造詣がジョバンニとは桁が違った。言うなれば時代最強と史上最強の差だ。

 そのクロムエルをして舌を巻かせるほどの技巧とは、以下のようなこととなる。

 まずは忍び足、と言ってしまえばそれまでのことだが、景虎はそれを、普段からなんの兆候も見せず自然にやっているのだ。他生徒のことごとくが鋼のごとき筋肉を身に纏っているのに対し、運動能力の高い一般人くらいの身体つきなのもおそらく、気配を絶つのには適しているのだろう。人の背後から近づいた場合、完全に向きが一致した追い風でも吹いてなければ、事前に察知するなんて不可能なレベルで接近して来る。

 この時、相手方二人は背後から近づかれていたものの、風はほぼ真横から吹いていて、木々を柔らかにざわめかせていた。芙実乃なら猫がなんたらとか言うところだろうが、景虎たちの世界の人間なら、それだけでどんな歩き方をしたか理解できるものらしい。

 またこの接近時、景虎は唇の前に人差し指を立てておき、ルシエラが口を噤むよう仕向けてもいた。ルシエラはだから力むほどに黙っていられたのだ。ただ、ルシエラが我慢できたのはその指がどけられるまで。だが景虎としても、どのみちそれ以上気づかれないようには近づけなかったからそうしたまでだ。つまりは逆に、あえてルシエラに喋らせることで自分の気配をそこに紛れさせるよう差配したに過ぎない。

 それがなければ相手方の二人は、景虎の接近を自身で察知できたかもしれなかったし、そうした状況に際しての気構えを持って振り返れていたはずだ。それなのに、ルシエラの言葉から意図を察するという迂遠な手順を踏まされたことで、気構えなしにより迫っていた景虎に気づくはめに陥った。狼狽の度合いも一層深まったことだろう。

 そんな中で景虎は事態とは無関係かのようにただ歩いていた。それで、相手方が仕掛けてくるまでの時間をさらに数歩分稼いだ。だがこれは、相手方が落ち着くためにも必要な時間だったはずだ。現に相手方の二人は落ち着き、いや、落ち着き過ぎて、即刻の敵対行動よりも会話を試みるそぶりを見せかけた。だから景虎は機先を制し、先に喋りだすことで相手が一番したがっている行動を掣肘した。ルシエラのみに話しかけたのもその一環だろう。

 ただもし、この時点で相手方の男が剣を抜いてルシエラに突きつけていたとしても、景虎は相手方の女を同じ人質という立場にできていた。

 つまり、一方的に人質を取られていた状況から、最低でもイーブンの状況にまで持ち込んでいたわけだ。

 そこまで周到に状況を整えた上で、景虎は刀を抜いた。

 それができた時点でもはや、相手方の男がルシエラに危害を加えようとしても、景虎は相手の命を絶つことができるようになっていた。もちろん、ルシエラに怪我をさせる可能性も残してはいるのだが、それをすれば即死が待っているとわからないほど相手も馬鹿ではなかった。それはそのあとで、ルシエラが投げ捨てられたことで証明されたと言えよう。その結果、男と景虎は真っ向から対峙することとなった。

 剣技という意味合いでは、この直前からが本領に突入している。

 が、この時の景虎の行動は、自身を不利にしての誘いという檻に、相手を取り込んでいたようだった。それは刀を真横に目一杯伸ばした構えを見せたこと。そして、その腕を一切曲げずに足下へと振り子のように落として見せたことだ。

 これには、自身の最大攻撃範囲を相手に教えてやる、といった意味しかない。

 景虎の場合、刀は鞘に収めておいたほうが剣速も上がるしその軌道も見えにくい。なのに、そうはしなかった。最大の理由はおそらく、ルシエラの安全を確保したかったからだろう。

 それで、見え見えの攻撃を先に仕掛け、相手の行動を防御に確定させた。

 相手は事前に見せられていた刀の軌跡と頚を狙っているという目線で、景虎の攻撃を読めたと思ってしまったことだろう。相手の攻撃範囲が知れていれば普通なら楽に戦える。太刀筋、という概念を口にする者が時折いるが、それの大枠を掴んだのと同義だからだ。

 もっとも、そのレベルの太刀筋とやらが有用になるのは、せいぜい対初心者でのことだ。ただし、初心者の不安定さを考えると、剣の軌道を読めたと決めつけるのは危険だ。だからクロムエルなどは、太刀筋などというものの考え方を採用していない。景虎もそれは同様だろう。二人とも、攻撃範囲は変わりようがないからそれは意識するのだが、その範囲内であればどんな軌道でも有り得る、と備えて、安易に可能性を限定しない。

 腕を真っ直ぐに伸ばして振るのが剣の基本で、そうしないと威力を剣に乗せられない。生まれて初めて棒で人に襲い掛かろうとする素人でも、その基本から外れた攻撃をしてくることはまずない。素振りでの基礎固めが頭打ちになっていない初心者も、その域を大きくは出ない。やや剣の軌道に安定が見られるくらいだ。が、そこを超えた中級者以上なら、腕を曲げるなり傾けるなりした振りの一つや二つを持っていて、今度は当たり前になってくる。

 そういう特殊な癖のようなものを充分把握して初めて、太刀筋を見極めたという割り切り方をする者を、クロムエルは上級者だと考える。だがそれも所詮、中級者を相手取る場合にのみ有用となる程度の手抜きの技術でしかない。中級者と上級者の境目は、言ってしまえば素質と経験の多寡で分かたれる。場数をただ踏んでいればいいというのではなく、適した状況で適切な自身の斬撃が放てるか、の問題になってくるからだ。経験でそれを補える者もいれば、何をしても辿り着けない者もいる。

 今回景虎と戦うはめになった相手は、おそらくその分類で言うところの、上級者だった。

 景虎はそれを見抜いていたわけでもなかろうが、それ以下であったのなら、その時点で対応を変えればいいと思い、中級者対初心者のような構図を演出したのだろう。特に景虎はものの見せ方が上手く、刀の切っ先に光を湛えさせて注意を惹こうとする。相手の目線と体勢を把握しているからこそできる芸当だ。景虎はそこを基点にして、隠した攻撃やら意図をずらしたりし、相手を出し抜く。

 今回の相手は、それで読みと違った刀の軌道を見損ねたのだ。ただ、相手がおそらく思い込んでいる、軌道が頚から下の腕にずれた、というのは外れている。

 なぜなら、刀の軌道なら逆に上がっていたからだ。

 もちろん、景虎なら相手の想像したとおりの大きく下にずれるような軌道修正もできた。全力で振らないからこそ可能になるテクニックだが、極端な話、誰にでもできる真似ではあるのだ。力を抜けばその抜いた分だけ、振れ幅を大きくする余地を作り出せる。クロムエルを含むほとんどの者がそれをしないのは、荷重を乗せて断つ、という振りが身に染みついているからだ。景虎のように得物の鋭利さで対象を切る発想ではない。

 だから、景虎なら実際に軌道をずらした振りをしても、同様の攻撃力は出せたのだろう。

 しかし、それだと相手は驚くだけで、刀の動きを見失いはしない。

 軌道を変えるために力を抜くということは、遅く振るということでもあるわけで、逆に見えていなければ辻褄が合わなくなるのだ。畢竟、相手が刀を見失った理由は、タイミングを計ろうとして見ていた予測軌道とその周辺を、刀がまったく通らなかったからということになる。

 軌道が上がったというのはそれで、そこに至る予備動作として景虎は、切っ先を相手が見ている位置に残したまま、身体だけをわずかに前へと進めていた。元々歩いていた景虎のその動きは極めてスムーズとしか言いようがなく、光を湛える切っ先よりそこに注目できた者がいたなら、クロムエルはその直感に拍手喝采を惜しみはしないだろう。攻撃範囲内で相手に違和感を抱かせずに間合いを詰めている景虎も景虎だが、それを見逃さずにいられるというのもまた景虎の域の者にしかできぬ芸当だ。当然だが、今回の相手はそれではなかった。

 前に出る動作と前に斬りつける動作を連動させた、実際にもそこそこに速い根元からの斬りつけが、相手の頚よりずっと手前にあった手首へと至ることになった。

 相手からすると当然予想外の攻撃になるが、そのずらし方の見事さに、クロムエルならつくづく感動を覚えるだろう。改めて確認するまでもないが、刀の根元部分から切りはじめているのもそうだし、当てる部位が頚から手首へとまったく異なったのもそうだ。また、それだけに止まらないのは、高さだけでなく、刀が来ると想定している向きとタイミングまでもが、意識するまでもないと切り捨てているオフリミットの意識外から来ている。

 相手は斬撃が、自分の右下方から頚へと斜めに斬り上がって来るものと思っていた。それがまだ到達するはずのない時間に、来るはずのない逆方向から切りつけられている。そして、刀で手首に切れ込みを入れながら、動こうとしている相手の力を利用しての後退。この刹那の押し合いさえも刀に力を溜める予備動作とし、前に出していた分の刀を横方向に進めるよう戻しながらさらに手首に切れ込みを入れ、最後に力尽くでほぼ水平に振り抜いたのだ。

 これで、右手首と腕、左の指四本を一気に切断したわけだが、大方、力を溜めているあいだにでもそのすべてを切れるラインを見繕っていたに違いない。

 景虎の剣速は遅いが、手元の機敏さは度を越している。時間的な意識外に想定の対角とでも言うべき向きから、思いがけない手首に切りつけられていた相手が、最後の一振りですべてをまとめてぶった切られていたのだと、事後改めて認識し直したとしても無理からぬこと。

 瞬きすらもし終えないくらいの一瞬で、これらのことすべてが行われていたのだから。

 ただ、これを一振りとか一刀と表現しても良いものかは躊躇われるところだが、がちゃついたところのない、滑らかさだけで評するなら、やはり一刀でも差し支えないだろう。

 しかも、この一刀、次撃の準備という意味においてまだまだ意図が残されていた。

 振り切りながら身体を捻り、腕を曲げ、途切れなく突きへと移行できる振りかぶりにしているのだ。指四本など、まだ落下をはじめてもいないうちだ。

 そんな中で放たれた、眉間への突き。

 これだけ態勢を整えた一撃なら、後頭部まで突き抜けるほどの威力を出せる。筋力を最低限しか備えていない景虎でもそれは余裕だったろう。ただ、景虎はそうはしなかった。

 刀は眉間の骨に到達すると束の間その進行を止め、再加速して、貫くことなく、相手を転倒だけさせた。片腕と片手の指四本を喪失したばかりの相手は、身じろぎすらできずにただただ突きを食らい、一回転しかけるほど両足を宙に浮かせた。途中で止まっても威力が落ちてないことは、それで証明されたと言えよう。

 しかし、この突き。景虎は突きに急制動をかけて再度力を入れ直す、なんて、らしくもない角ばった挙動を曝したりはしていない。止まったのは刀だけで、景虎は景虎らしく、流れるようにしか突いてないのだ。

 ただそれで、どうして刀だけを止められるのかと言うと、当然のごとく仕掛けがあり、仕込みがあった。この突きの準備の最初は、直前に刀を振りきっていたさなか。景虎はここで刀を握る位置を調整。遠心力を利用して刀を長く持っておき、攻撃範囲を広げていた。そうしてから、実際の突きの挙動に移ったわけだが、相手は精神的な意味ではなく、肉体を動かす司令塔としての脳が混乱のうちにあり、眉間など的に過ぎなかった。難しげもなく突きを当て、切っ先から骨に到達している感触を得ると、景虎はそこで柄を握る指を緩めた。突きはそれでも継続しているから、手だけが前に進んで鍔に行き当たる。

 この束の間、柄を握る力を緩めているあいだだけ、刀が進行を止めることになるのだ。

 それがこの、勢いを保ちつつ貫かないという突きの全容だ。

 なんという技量なのだろうと、クロムエルなら空恐ろしくも誇らしくも感じるに違いない。が、この突きを景虎が放った理由に思いを至らせた時、さしもの彼でさえ戦慄を禁じえなくなるのだろう。おそらく、このシチュエーションでしか放たれなかったであろう、この突き。繰り返しの修練で会得したはずもない、こんな真似を咄嗟のアドリブで景虎がしてみせた理由。それはひとえに。

 手加減。

 ただそれだけを目的としているとしか考えられないのだ。

 そう。景虎は彼を殺したくなかった。より正確に気持ちを察するなら、殺すのを避けたかったからだろう。だからこんな真似までして彼を死なせないようにした。だって考えてみれば、学校のカリキュラム以外の勝手な戦闘で人を殺すのは、たとえ相手が犯罪者だったとしても、それなりに面倒なことになりかねないとわかりきっているからだ。

 しかも、この時の景虎は、未来視とやらを操る少女の口車に乗らざるを得ない状況にいた。危害を加えられていたルシエラは見過ごせなかったものの、思いきって死体を転がしてみて世界がどう出るかの試金石にする、なんてことの根拠とするのに未来視はあやふや過ぎた。

 だから、景虎がこの連中を逃がそうと考えるのは、最初からの既定方針だった。

 この出来事が、景虎の本来居るべき場所で起きたことなら、こういう輩は斬ってしまうのが正しい。だが、それでは都合がよろしくないのがこの世界の価値観だ。景虎はそれで、波風を立てない決着の形として、この連中を逃がすと決めていた。ただし、のちの禍根を絶つためであれば、その選択は下策も下策。また、何一つ手を打たずに帰すのも性に合ってなかった。

 それで、死なせないように細心の注意を払いつつ、刀を振るうしかなくなっていたのだ。

 とはいえ、この世界での人間は異世界人も現地人も、景虎の世界の人間と較ぶべくもないほど頑丈で死ににくい。さらには、景虎にとって魔法よりも不可思議な治療と蘇生の技術なんてものまで、この世界にはある。それを考えた時、景虎は元の世界での釘を刺すという基準を棚上げし、一旦白紙に戻さなくてはならなくなった。

 そこで景虎は、とりあえず即死させるのだけは避けて、一日くらいなら確実に存命できる程度を上限と定めることにした。倒れた相手の腹に刀を刺しても、内臓にまでは至らせない。刺した刀の峰を蹴っても、切る対象は肉と骨だけに止める。ただ、内臓表面に掻き傷がつくくらいなら気にしない、というのがミレーヌがタップに見間違えたこの斬撃だった。

 景虎にしては相当に無造作な斬撃なのだが、それでも較べる相手が並の史上最強なら、極めて緻密だったとさえ言えるかもしれない。何せ、開腹手術も斯くやという切り口しか刻まれてなかったのだ。もちろん、これも何も不思議はない。

 刺した刀を蹴って切るという行為は、斬撃として非常に合理性が高いものだからだ。

 クロムエルらが全力かあるいはそれに近しい剣の振り方を常々するのは、遠心力を調整して当てたい箇所に剣の荷重を合わせようとしているからだ。強く速く振らないと、遠心力は実感しにくい。ましてや、めまぐるしい剣戟のさなかに剣の荷重の位置合わせまで、一振り一振り適切にこなすなんてのは至難の業だ。重い物をゆっくり動かすと意外と過負荷とか、遠心力を発生させると荷物が動かしやすくなるとかは、誰でも経験があるだろう。景虎と較べて雑なように見える彼らだが、そんなふうに遠心力で剣を軽くするほうが、重い剣の取り回しが楽になるから、そうせざるを得ないだけなのだ。そういう腐心を絶えずしている上に、絶妙な荷重のコントロールを、強く速いピーキーさの中で保ち続けてもいる。

 しかし、景虎がしてみせた刀を蹴るという斬撃ならそんな苦労とはまったくの無縁だ。

 つま先という、誰がどうやっても簡単に遠心力を生み出す部位から、ダイレクトに切る部分へと荷重を移してしまっている。これが普通の斬撃と違うところは、遠心力や荷重が、対象に衝突した瞬間から減衰したり散ってしまったりしないところだ。なぜなら、荷重となる部分は常につま先が添えられ、そこを押し進める遠心力も踝あたりからずれることはない。また、腕力よりも脚力のほうが強い力を生むことからもわかるように、この斬撃には、景虎より筋力にも体格にも恵まれた人間のする会心の振りと較べても遜色ない威力が込められている。

 そういう、物を切るということにかけてこれ以上ないという斬撃を、景虎は縦方向に四撃、横方向に四撃と、極めてスピーディ且つコンパクトに容易く無造作な八撃として繰り出した。それほどまでに威力のある強撃を八連撃された相手が失神も即死もしないのは、もちろん景虎がそこそこに気を配って、ダメージが深刻にならないよう調節していたからだ。具体的には、刀を相手の腹に突き立てる時、内臓の感触を感じれば手を止める、といった具合だ。

 だから腹筋の機能を喪失して喋れなくなった相手の顎にくれてやった同様の一撃も当然、脳を掠めない配慮をしながら面だけを割っていた。死に至らしめない、という方針から毛ほどもはみ出ていないのだ。ルシエラの首を切って持って行くはずだった相手に対してさえ。

 景虎は、この救出劇のさなか、匙加減を一つも誤まらなかった。

 それはまるで、毒でも用量用法を守れば薬になる、みたいな芸当なのだった。

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