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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
46/140

Ep02-04-02


   2


 魔法で抵抗されるのを警戒していたミレーヌとジョバンニだったが、魔女はその兆候を見せず、ひたすら喚き続けていた。その様子は狂乱としか言いようがなく、こちらが声をかけてもちゃんと聞いているかすらも怪しかった。

 二人は話しかけようとも内緒で話そうとも思わず、だがしっかりと魔女の挙動を見据えながら、今後の方針を確認し合っていた。そんな中、うるさかった魔女が急に黙り込んだ。唇を内側に押し込むほどにへむへむと歯噛みをし、沈黙を貫こうという妙な意思を見せだしたのだ。

 それが、唐突にくたっと脱力する。そして高音のため息のような息を吐き出してから再度息を吸い込むと、よれよれと声を絞り出そうとする。しかし、歯噛みで疲れきった口に力が入っていかないらしく、つぶやく程度のしょぼくれた声を出すのがやっとのようだった。

 それでも、魔女はその四つの音を口から出してみせた。

「かげとら……」

 それがミレーヌらを退散させようとしてた時に出した人名で、いまはただその場にいる相手へと呼びかけるものだと気づいた二人は、はっとして魔女の視線の先を追った。

 すると、気配など一切感じてなかった程近い距離に、魔女に呼びかけられたその人――景虎らしき人の姿があった。だけでなく、こちらに向かっている。まずい状況……のはずだ。が、その人物の足取りはあくまでも自然で、どこにも違和感がなく、ただただ素通りしてゆくだけなのではと思わせるような、慌てふためいた感じのないものだった。

 だから、これは無視して行ってしまうのでは、との楽観に囚われた二人は、誰何の声を上げ損ね、束の間の先延ばしに身を委ねての様子見を選択してしまう。

 混じりけのない黒の長い髪。天の使いでも群れさせて引き連れているかのような最上の相貌に、浮かべられる慈愛の表情。どこにいても稀にしかならないはずなのに、周囲の景色に馴染んでしまって見えるのは、近辺の異世界人学校の男子用制服を着ているせいか。ただ、そんな衣服を着ていたとしても、その美貌は性別不詳。よくよく見れば風景に馴染んでいるのではなく、あらゆる場面で絶世として中心に据えられるであろう姿が、風景の存在感を希薄にして、ただただ背景にしてしまっていただけのようだ。

 ゆえに、穏やかに笑むこの景虎という人からは、表情にない危険性など感じられない。笑んでいるという情報以外に注意を払えなくなるのだ。客観的に見れば犯罪じみた真似をしているミレーヌらが、この期に及んでまで警戒心を抱けないのはおそらくそのせいだろう。しかし、明らかにこちらにしか向かっていない直進を続けられれば、対応せざるを得なくなる。二人は互いに気づいてなかったが、同時に喋りだそうとしていた。

 が、それが音になる一瞬だけ前に、稀人に口を開かれてしまう。

「ルシエラ。駆けつけが遅れた詫びにいまより――」

 その美声は、この場にいる彼以外の三人のうち、唯一人にだけ語りかけられていたものだったが、部外者にすら遮るのをためらわせるほど、音楽だった。二人はそれに気後れし、またも発言権を譲って、決定的な一言までをも言い切らせてしまう。

「――そなたの憂さを晴らしてくれよう」

 ゆったりとした歩調を刻みながら、景虎が腰に下げていた鞘から得物をスラリ抜き出した。その切っ先はまるで氷上を滑るスケーターのスラロームも斯くや、という優美な線をなぞり、最終的には地面と平行になるまで目一杯真横に真っ直ぐ伸ばされた。

 光をたゆたえる刃の曲線美。空気の流れに浚われる漆黒のストレートロング。

 その姿はさながら、銀の翼を広げた黒き孔雀。

 景虎はまるで高貴な挨拶であるかのように、その銀の翼を対角の足下へと折り畳んだ。三日月が地上に写ったと思わせる翼の残光が、目にではなく脳裏に焼きつく。あくまでもゆっくりと描かれたそれはあまりにも優雅で、呼吸の音を立てることさえ礼を失する行いだと、直面した者は誰しもが恐縮するに違いない。

 心奪われずにはいられないその一挙手一投足に、ミレーヌは何かの演目を見ているかのような錯誤を引き起こし、現実感を意識に留め置けなくなっていた。ふらふらと無自覚に相手からその身を遠ざけようと後退する。主演の立ち位置を占拠していた端役に、羞恥にまみれていると気づかせさえせず、ただただ陶酔させて退かせたのだ。

 だが、もう一歩踏み込ませてしまえばその切っ先が頚に届く、という距離感になると、ジョバンニが寝過ごした朝のようなばたついた気配を撒き散らしだした。ミレーヌもそれで自失状態から脱した。

 ジョバンニが魔女を棄てた。

 戦闘に巻き込むまいとしたわけではなく、足下にいられるのが邪魔だったのだろう。明らかに魔女と面識のありそうな相手が、すぐにも攻撃できる態勢でいる。もはや交渉を持ちかける言葉を繰り出す間すらない。あの魔女に人質としての役割を取り戻させるためには、ジョバンニ自身も剣を抜いて戦況を膠着させてからの話となる。

 ジョバンニが剣を抜いた。

 魔女を棄てたのとそれは同時進行で行われていた。なぜそれが可能になるのかというと、彼は元々剣を抜いていた時に魔女の髪を掴んだのだし、剣を鞘に戻してもそのままの左手で魔女の髪を掴んでいたからだ。勝てたことがないとはいえ、ミレーヌの世界の史上最強と目される隊長と、最も長く打ち合えているジョバンニだ。生きた時代でなら敵なしだったという評価も自負もある彼は、無駄などどこにも見つけられないくらい、素早く剣を構えてみせた。

 しかしそれはどこか、直線を継ぎ合わせただけの角ばった動きにしか見えなかった。もっとずっと遅くはあったものの、対峙する人物がいまさっき見せた同様の行為が、きっとあまりにも柔らかく滑らかに見えていたせいに違いなかった。

 ミレーヌはそこでようやく、この国の特異性を思い出すに至る。

 魔女を呼び、その魔女に元の世の戦士を呼び出させる、という敵性体対策は、この国だけでなく、この世界のほとんどの国で採用されている治安政策でしかない。ただ、魔女を呼ぶソースコードが全世界で共有されているのに対し、戦士を呼ぶソースコードは各国で異なる。独自で開発し運用しなければならない、とされているからだ。

 その開発と運用で、各国が垂涎する成果を挙げたのがこの国。

 一人の魔女が、所属していた世界の言語を同じくする数多の人間の中から、過去も未来も網羅した史上最強ただ一人を選別するなんて、これ以上を望むべくもない戦士召喚のソースコードを保有しているという。

 ミレーヌを呼んだ、と言うか巻き込んだ国などは、魔女の選別声とやらに反応した魂を片っ端から蘇えらせたりしている。そんな不効率なソースコードしか持たないせいだ。そんなだから、ミレーヌのような早世しただけの魔女でもない普通の少女を蘇えらせるのも珍しい話ではなくなってしまっている。国際条約で異世界人の召喚上限と召喚数に応じた敵性体の削減義務が課されているのに、だ。が、あの国はそんな負担などものともしなかった。と言うか、そうして召喚した異世界人を、報告すべき召喚数に加えることもなく、国土を気ままに闊歩する大型敵性体に対する肉壁としているのだ。

 世界中で知られた現実だが、逃げおおせた当の異世界人が確度百パーセントの証言をしたところで、思い込んでいるだけと強弁されれば、他国に返せる言葉はない。追求する国は逆に、そちらの国が無断召喚した異世界人を棄てに来ている、と非難されたりもする。国を代表する者の言論に確度を証明させるシステムを適用できようはずもなく、この問題は放置され続けていた。

 ミレーヌらも、だから別にこの世界の誰に助けられることもなく、同じ魔女から呼び込まれた同世界人同士で寄り合ってあの国から逃亡した。だがそうなると、言語翻訳だって違法な手段に頼らざるを得ない身の上になる。どの国へ行ったとしても、移民申請さえ行える身分ではなくなってしまう。やること為すことすべて、何かしらの犯罪とされてしまうのだ。

 だが、この国の異世界人はそんな境遇に置かれない。

 全員が国民として承認され、国際社会への届け出も迎えられたその日のうちに済まされる。理由は即ち優秀さが保障されているから。国外で活躍させることすら視野に入れられている。実際、プラントダンジョンという、墜落して身動きの取れなくなった敵性体が無数の分体を放つようになった地下深くにある元地熱発電所でも、この国の異世界人たちは著しい戦果を上げていると聞く。それも、異世界人学校のカリキュラムとして送った三年生だけで削減義務が完済できるのだから、都合三年で召喚の採算は取れてしまうわけだ。

 当然だろう。だって呼ばれる戦士は、全員が史上最強なのだから。

 つまり、いまミレーヌの眼前にいるこの景虎とかいう神の写し身じみた学生も、史上最高の美貌の持ち主としてではなく、どこかの世界の史上最強として迎えられた戦士のはずだ。

 ミレーヌの焦燥感が急速に増してゆく。もしかしたらこの相手には、自分たちの世界の史上最強と目されている隊長でも、勝てないのかもしれない。ただそう思う一方で、単なる一時代一地方周辺で敵なしくらいだったジョバンニでも、その隊長と何十合と打ち合えるのだ。この相手がさらに格上だったとしても、その半分は打ち合えるだろうとミレーヌは算段をつける。

 そのあいだに魔女を再び人質にすれば、向こうは手も足も出せなくなるに違いない。

 景虎が黒髪を靡かせて得物を振りにかかる。

 ジョバンニはそれを頚に届かせまいと剣で遮ろうとする。

 すると、ジョバンニの剣を持った右拳と肘、左の指四本がばらばらと地面に落下した。微妙にくるんとした気がするだけのただの一振りで、ジョバンニの身体から六つの部位が切り落とされたのだ。有り体に言うと、ジョバンニは七分割されたことになる。

 理解の及ばない光景に、ミレーヌは声を上げることさえままならない。

 そもそも、七分割に驚こうと思う前に、ジョバンニは眉間に突きを食らい、足を上げてひっくり返ってしまっていた。

 一、二、三、四、五、六、七、八。

 一、二、三、四、五、六、七、八。

 仰向けに倒れたジョバンニを足下に置き、景虎はそんなレッスンコーチのかけ声が聞こえそうなテンポの、準備運動じみたタップを披露する。

「これで懲りたか? 逆らわぬと言うなら目的を言い置き、どこへなりと去るがよい」

「……ぁ……ぁ……ぁ……」

 景虎の問いかけにジョバンニは、陸に放置された魚のように口をぱくつかせていた。

「ああ、――――――ぬとそうなるのか」

 前半の言葉をミレーヌは聞き逃した。取引した現地人との通信を介しての翻訳は、この国の人間同士のようにはいかない。本来なら参照されるはずの脳エミュレータなる自データが、ミレーヌら密入国した異世界人にはないためだ。とはいえ、ミレーヌがよほど知らないか、理解したくない概念とか言葉とかでしか起こらない、やや珍しい例ではある。

 ミレーヌは聞き逃した部分を補填しようと、集中してつぎの科白を待つ。景虎は微笑を崩すことなく、もしかしたら許してくれるのかもと安心させてくれるような雰囲気で言った。 

「なれば致し方ないか。せめていま一度身体で覚えて帰るがよい」

 そして先程のタップの本番とばかりに、ジョバンニの顎先を切った? 蹴った?

 わからない。

 だがジョバンニは、テクスチャーを貼り替えたCGのごとく、一瞬で顔面を赤色に塗り替えた。血だ。出血したのだ。相当な激痛を感じてなくてはおかしい。なのに彼はぴくりとも動かず、いや、動くまいという強固な意志でもって動こうとしなくなった、としか思えないような硬直状態に陥った。そんなふうにミレーヌには見えた。だが、そんな意志に反してなのか、身体は次第にぴくぴくと震え、やがてがくがくと踊りださんくらいに痙攣しだした。止めるのは無理そうだ。元より、止めようとしているのに、ああなってしまっているに違いない。

 見られたくない。目立ちたくない。注目されたくない。そっとしておいてほしい。動かさないでほしい。そこにいないものと思ってほしい。いっそ消えてなくなりたい。

 もちろんジョバンニはもう一言も喋ろうとしてないが、そんな心の声をミレーヌは幻聴した気がした。赤が流れ続けてつやつやして見える顔も見ていられず、彼から目を逸らした。するとその目を逸らした先には、彼の心をそんなふうにしてしまった景虎が佇んでいて。髪を靡かせていて。座り込む魔女に目をやっていて。そして。

 こちらを向いた。

 ミレーヌの精神も身体も戦慄で身動きが取れなくなった。ただ、その瞬間は恐怖だったはずの感情は、たちどころに消え失せて胸が蕩けるような高揚へと変わる。

 優しい顔。微笑みかけてもらえている。

 悪い予感など微塵もない。悪い気もしない。悪い気どころか、舞い上がる気分だ。

 景虎がミレーヌだけを見つめて話しかけてきた。

「素性と目的を話さば、そなたは無傷で帰そう。手短に済ませよ」

 ミレーヌに異存はなかった。良かった。女の子の自分は無傷で帰してもらえるのだ。ミレーヌは洗いざらい話すことにした。身振り手振りまで交えて、嘘偽りなく、言葉を途切れさせずに素性と目的の概要を説明した。

 景虎の微笑みは変わらない。が、従順にしているというミレーヌの意識は、景虎を満足させていると感じだした。自分は判断を誤らなかった、とミレーヌは内心誇らしくなって、もっともっと詳細を語ろうとした。彼に、自分が必要な人間だと思ってほしかった。

 それを遮るように景虎が頷く。

「もうよい。よくわかった」

 ミレーヌはそれを聞いて、両親から説明が上手だと褒められた記憶を蘇えらせた。だけど、それとは較べものにならないくらい、喜びは大きかった。景虎の笑顔に対応するかのように、ミレーヌも陶酔した笑みを浮かべていた。こんなにも嬉しい気持ちは、この世界で初めてだ。

「中々に賢い。侮りはしなかったつもりだが、覚悟を見誤っていたか。そら、これはそなたの気概へのはなむけだ。受け取るがよい」

 褒められ、ご褒美までもらえる。そう思うと、生まれ変わったことが報われた気がした。

 景虎が優しげな手つきで右手を持ち上げる。すると、握られていた剣の切っ先がミレーヌの口に侵入し、翻され、引き抜かれた。口内上側の皮膚がべろんと垂れ下がり、二又に切り裂かれた舌と舌のあいだに挟まった。溢れた血流は、口内に留め置ける量を一瞬で凌駕した。

 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い!

 なんで! なんで! なんで! なんで! なんで!

 口から血液を涎のように垂れ流す己の姿を想像し、ミレーヌは咄嗟にその口元を両手で隠しながら、へたりこんで景虎を見上げた。表情は変わっていない。だから怒らせているわけではないはずなのだ。

 ミレーヌは口元を隠す手のひらで口中の血液を受け止め、震える腕にしたたらす。

 嘘だ。間違いだ。こんなはずはない。ミレーヌはそんな気持ちで景虎を見上げ続ける。

「そちらに話す気がないのであれば無理強いはすまい。なればこちらからの要求は一つ。これだけは成就して去ってもらう。よいな?」

 ?

 ミレーヌは視線をうろつかせた。何を言われているのかわからなかった……というわけではないのだが、どうしてそんな言われようをされなくてはならないかがわからない。

 だから結局、景虎を見上げる位置に視線を戻すしかなかった。

「ふむ。しらをきる態度は見事だが、いささか望みが過ぎよう。そなたがこちらの言葉を解しておるのは知れておる。気の毒だが挙動までは隠せておらぬからな。潔く認めてしまえ。こちらに解せぬよう喋ったそなたの意気は認めるが、引き際を見誤らば見苦しくなる」

 こちらに……解せぬ――――!

 ミレーヌはその言葉を理解して初めて、自分が犯していた失態に気づいた。

 この街を見て回るのに当たって、ジョバンニだけと話せれば事足りると思っていたミレーヌは、他世界人の言葉を解せるようにする一方で、自分の言葉が伝わらないようにもしていた。これには、その手の翻訳に協力を要請した現地人との取り決め上、コストを嵩ませたくないという理由もあった。

 つまり自分は、景虎の問いに通じるはずもない自国語でまくしたてていたことになる。

 話す気がないというのは完全に誤解だったが、そんなポカをやらかす相手なのだと思われなかったことが、ミレーヌにとっての悲劇であり、救いでもあった。こうなったらせめて、誤解されたままの機転の利いた自分として振る舞わなければ、目も当てられない。

 ミレーヌは頷いた。

 景虎は刀を振った。切っ先に付着していたミレーヌの血が、仰向けで踊るジョバンニへと向け、撒き散らされた。

「あれを持ち帰れ。欠片一つ残さずにな」

 ミレーヌは改めてジョバンニを見る。痙攣のし過ぎで腹肉のブロック九つのうち四つを地面に落としてしまっていた。また、右手首と肘、左手の指四本の在り処もやはり地面だ。景虎はそれを残さず回収しろと言っているのだろう。

 可能だ。逃げ出した国からくすねてきた装置をいくつか持って来ている。それを使えば、あの国がこの国に作っているダミー会社の運搬用リソースの権限で、薄型オブジェクトを作り出せる。それに包んで表面に光学迷彩を施せば、ミレーヌの力でも軽々と大の大人を運べるし、運んでいる荷物がなんなのか見咎められることもない。

 ミレーヌは血だらけの両手でジョバンニの手指と手首と肘、そして腹肉のブロックを拾い集め、横たわるジョバンニの上に積んだ。ジョバンニからは何をされているのかわからないという目を向けられているが、そんなのミレーヌにだってわかりはしなかった。とにかく、一刻も早く彼をオブジェクトで包んでしまわなければならない。

「それではこれで、失礼いたします」

 支度を済ませミレーヌは咄嗟にそう言おうとしたが、結果は水風船を割ったように口に溜めた血液を吐き出す格好になった。景虎は表情をぴくりとも動かさず、変わらぬ微笑みを湛えている。ミレーヌは羞恥に顔を紅潮させたが、口まわりはもっとずっとただ赤いのだろうと思うと、生理中の粗相を曝したほどの気分になった。

 いたたまれなくなって、ミレーヌはその場からの遁走を図るのだった。

 もちろん、景虎は追っては来ない。期待と不安が混濁した展開にはならなかった。

 未練を残すように、ミレーヌは小走りで逃げながら、後方をちらりと振り返って見る。

 するとそこには、魔女が景虎にしがみつく一幕が繰り広げられていた。

 景虎はその魔女を振り解きもせず、落ち着かせるようにその頭をぽんぽんと叩いている。あんなふうに痛くもせずに繰り返し叩いては、まるで撫でられているようではないか。

 それを見た瞬間、ミレーヌの心は真っ黒く塗り潰された。

 自分のほうが不幸なのに、どうしてあんな魔女だけが恵まれた立場にいる。あいつだけがあの人に庇護されて、撫でられて。なのに、わたしだけが口から血をみっともなく垂れ流して、荷物運びなんてことに従事させられている。

 不公平だ。

 勝手にこんな世界に来させられたのは同じなのに、魔女かそうでないかでこんなにも待遇に差をつけられて、大切にされて。

 血の滴る口を閉じ、ぎり、と歯を噛み締めて、ミレーヌは呪詛の声を胸の奥に刻んだ。

 火炙りの魔女め、ルシェイラめ、と。

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