Ep02-03-06
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サーディミトルト東公園に北西口から入った芙実乃とクロムエルは、周辺を観察してルシエラの足取りを想像していた。
「建築物がない代わりに林や茂みが点在してますがこれは、わたしには校庭とたいして変わり栄えしていないように見えます。芙実乃殿はいかがですか?」
「そうですね。これ見よがしに遊具でもあれば、ルシエラがいると思ってたんですけど、管理された自然公園って趣ですかね、わたしから見ても」
「地図上では海水浴場とやらが隣接していましたが……」
「四キロ東ですから、海の気配なんて感じませんね。だけどまあ、そっちに行ってないとも断言できませんが」
「わたしも、捜しているのがルシエラでなければ、この入口周辺に重点を置くべきだと思いますよ」
「すぐ駆け出して行っちゃうんですよね、ルシエラの場合。一人だとそれを止める人間もいないわけですから」
「ただ、本来の出来事がどういう経緯を辿ったのかを考えると、いまより少し前の時間から、ここでルシエラとクシニダ・ハスターナが顔を合わせた可能性が、高くなってくるでしょう」
「えっと……、どうして時間と場所の特定ができるんでしょう?」
「クシニダ・ハスターナは、マスターに声をかけられなければ、わたしたちがここに着くよりも前にデザートを手に到着していたと思われるので」
学校で捜索の方針を固めた時には、クシニダ・ハスターナの行動予測など立てようもなかったのだが、繁華街で出会い景虎が足止めにかかることでそれを制御下に置き、本来の足取りの予測も立てられるようになったということだ。
「ああ。オブジェクトでベンチを出して休憩できるんでしたっけ。あの人はじゃあたぶん、近場かお気に入りのリソース開放ポイントに行くはずだったんですね。まさかそんなベンチの取り合いみたいなことで殺し合いに発展するんでしょうか?」
「さあ……、あの、ルシエラはオブジェクトを出せるようになっては……」
「ないです。だったらそんな諍いが起こるとは考えにくいですね。まあ諍いの種がなんだったかにせよ、本当に何分前かにはここにルシエラがいたかもしれないんでしたっけ?」
クシニダの足取りは変わっても、ルシエラの足取りは変わってない、という想定でものを考えるのは、芙実乃にしたら少々ややこしい。
「到着が遅れる場合もありますから、この入り口を拠点に、見当をつけて探すのが上策かと」
「見当ですか。それこそ、未来視の使いどころってことになります?」
クロムエルは静かに首を振った。
「彼らは時間いっぱい使って公園の南半分を視れると言っていましたが、それなりに遮蔽物の多いこの公園の様相を知っていたわけではないと思われます。また、それで効率が落ちないのだとしても、上げられる成果が時間に比している以上、勝手に行動を変えさせるわけにはいきません。マスターとの連絡を密にしなければ」
「でも景虎くんの場合、迂闊に電話なんてしたら、お店でお話するのを切り上げるきっかけになっちゃったりしないでしょうか。相手のほうからじゃあこのへんでって」
「マスターがあの女性軍人を足止めしているからこそ、ルシエラから死を遠ざけられているのですから、ルシエラを見つけるよりそこの邪魔をしないほうを優先すべきかもしれません。少なくとも、連絡の回数を絞る方向で行くのが望ましいでしょうね」
「だったらじゃあ、ルシエラにもう一度かけてみますね。そっちなら別に何度かけてもいいわけだし。――って、繋がった? ちょ……ルシエラっ! いまどこにいるの!」
「……木のもさもさした中……」
いきなり強い口調で問い質したからか、ルシエラはしょげ返った声で、珍しく素直に報告してくる。ちなみに芙実乃がすぐに繋がったとわかったのは、手首のところに緑の光輪が回りだしたからだ。芙実乃の声が周囲に聞かれなくなり、逆に周囲の音はノイズキャンセリングされる、デフォルト設定のままになっている。
それにしても木のもさもさした中とはかくれんぼでもしてるつもりなのだろうか、と芙実乃は安堵の裏返しのような腹立たしさを宥めすかし、本題に入る。
「ルシエラ。迎えに行くのに、位置情報の開示許可の出し方を説明するから。言ったとおりにコンソールを操作してみて」
「迎えに……景虎も来る?」
「景虎くんは……わたしと一緒にはいないけど、ルシエラを無事連れ戻すのに一番たいへんな役割をしてくれてるよ。いまルシエラがいる場所によっては、景虎くんが行くことになるかもだから、とにかく、位置情報をこっちに出すようにして」
「……木のもさもさした中……」
芙実乃はため息をつきたくなった。しかし、これは一概にルシエラが悪いとは言えない。おそらく、芙実乃が求めるような精細な位置情報という概念がルシエラにはなく、単純に居場所を聞かれているくらいにしか感じられないのだろう。
「えーっと、じゃあとりあえず、通話中のコマンドの出し方を言うから、そのとおりにしてみてよ。まずね、手首のところの緑の光に指を差し込んでみて」
「……そんなの出てない」
いきなり躓いてしまった。だが、緑の光というのは、通話中につき声を拾ってませんという周囲に対しての通知のはずだ。それがないのなら、ルシエラのナビは、通話に際して遮音をしてない、ということになる。おそらくだが、周囲の声がいきなり聞こえなくなる、という現象でルシエラが混乱しないように配慮がされているとかかもしれない。考えてみれば、遮音したまま走り回って人にぶつかったりしたら、その分だけ責任の度合いも増えるはず。だからこれは、担任がするべくしてしておいた予防策とも言えた。
「だったら……そうだ、電話に出る時はどうしたの?」
「手のひらの真ん中がちかちか光ってたから、見つからないように押さえたら突然芙実乃の声が聞こえてきたのよ」
「それにもっと早く気づいてくれてれば……」
思わず愚痴ってしまったが、明るい場所だとよくよく見てないと気づけない程度の光量でしか光ってなかったのかもしれない。それに木のもさもさした中――おそらく葉っぱの多い木の幹に密着してやっと手のひらの光に気づいた、ということなのだ。それで見つからないようにと慌てて隠した拍子に通話が繋がった、と。
「ん? あれ、ルシエラ? もしかして本当にかくれんぼでもしてる最中なの?」
「そうね。隠れてるわ」
「もう! 誰とそんなことしてるのっ!」
「何よ。わたしいまひとりぼっちなんだから」
「は? どういうこと? 誰かに言われて隠れてるんじゃないの?」
「誰かに言われて隠れてる……わね」
「ほらもうそうなんじゃない。まったく。誰に言われればそんなことする気になるかなあ」
「パティなんちゃらとかいう子供よ。自分が来るまでそうしてろって」
完全にかくれんぼだと呆れる一方、ルシエラから出た子供という単語に、芙実乃は予言との符合に纏わりつかれているような気分になり、思わず声を潜めた。
「子供って、現地人の子供?」
「現地人……。異世界人だって言ってたような……。ピンクの髪だったけど」
厳密な話をすれば、異世界人同士のあいだに生まれた子供も、この国では現地人という扱いになる。つまり、子供の異世界人などはよほど特殊な召喚をされているのでなければ存在しないことになる。しかし、その子の両親が同異世界人で、元の世界の人間だというアイデンティティを植えつけられていたとかなら、異世界人を自称する子供がいてもおかしくはない。
その程度の話なのだと芙実乃はスルーした。肝心なのは、ルシエラが誤ってその子供に怪我をさせる状況を避けることだ。ルシエラによくよく言って聞かせなければ、と考えていると、芙実乃は不意に遠方の人影に目を奪われた。
子供だ。しかもピンクの髪の。
しかし、ピンクの髪自体はそう珍しいものでもないはずだ。なぜなら、この世界の人間は、白、黒、銀、赤、青の色素を組み合わせた髪色で生まれる。黒と青の要素が表れなかったら、純色の髪にならない限り、だいたいはピンクの髪に見えるだろう。
だが、そのピンク髪の女の子がちょこちょことこちらを目指して駆けて来る様子に、芙実乃は確信めいた気持ちを募らせてゆく。ルシエラが言っていた子供とは、あの子供なのではないだろうか。芙実乃はその子供と話す準備のつもりで、周囲の音を遮音する設定と周囲に対して自分の声を遮音する設定をオフにしてゆく。
するとピンク髪の女の子は、芙実乃の手首から緑の光が消えるのを見てなのか、途端に声を張り上げた。
「たすけてください!」
穏やかではない言葉に芙実乃は少なからず動揺した。何を優先して誰に話を振れば良いのか戸惑っていると、耳からルシエラの声が聞こえてくる。
「芙実乃。その声。あと、その下手な喋り方はさっきまでわたしといた子供よ」
「まさかルシエラ、あの子に魔法をぶつけようなんてしてないよね」
「馬鹿じゃないの。そんなことするわけないじゃない」
「でもあの子、いきなり助けてとか叫びだしたんだよ」
「それは……」
と、ルシエラが考えを纏めているうちに、ピンク髪の女の子――パティなんちゃらが、芙実乃の近くまで辿り着き、割り込むように喋りだしてしまう。ルシエラの声が周囲に聞こえるような設定にナビをしてないせいだけでなく、この子供はかなり慌てているらしかった。
「いせかいじんがっこうのせいとさん、ですよね。あの、むこうにしんにゅうせいとおぼしきじょせいとがいるのですが、まずいじょうきょうなのかもしれないので、ほごしにいってあげてくれませんか」
理路整然と状況を説明されているのにたどたどしく聞こえる口調が姉心をくすぐり、芙実乃はこの子供の知性が自分を凌駕しているかもしれないなんて考えもしなかった。一瞬だけ保護欲が頭を擡げかけたが、その当の子供が保護しろと言った対象がルシエラだと気づくと、それ以上の関心を子供へは払えなかった。
「クロムエルさん、向こうにルシエラが、とにかく合流を急ぎましょう!」
芙実乃が振り向いた瞬間だった。
こちらを向いていたクロムエルの背後の木陰から、男が斬り掛かって来ていた。
芙実乃はだが、驚きで身体が硬直し、警告の声さえ上げられない。
しかし、クロムエルはまるでわかっていたかのように、素早く身体の向きを反転させると、回りながら抜いた剣で攻撃を受け、その余勢で相手を転倒までさせてしまった。
「な……にゃ、にゃん……です……か?」
驚きが薄れて声は出せたものの、芙実乃のろれつはまだまだ怪しいものだった。しかし、クロムエルはそもそも芙実乃の言葉を聞いてないらしく、口早に言ってくる。
「芙実乃殿。あの陰にも一人います。その子供を連れて、わたしの言うとおりに動く準備を」
「えっと……」
芙実乃の頭の整理がまだ終わらないうちに、子供のほうから近づいて手を握ってくる。クロムエルの要請に従う気なのだろう。なんなら芙実乃のほうが誘導されそうだ。お姉さんとしてしっかりしなければ、と芙実乃は気を引き締める。
「パティ……ちゃんでしたか?」
「なぜ、ああ、おねえさんのおしりあいなのですね。はい。わたしがパティです」
二人のそんなやりとりをよそに、クロムエルを襲った男が立ち上がって態勢を整えだした。クロムエルの言ったもう一人も木の陰から姿を現す。芙実乃の基準で二十歳くらいの女性だ。クロムエルと対峙している男もそれくらい。男は女性の挙動を気配で察したのか、クロムエルの攻撃範囲から抜けるよう後退すると、素早く手首に触れた。
正面に剣を構えていたクロムエルが両手を広げながら、半歩後退した。未知の攻撃から芙実乃とパティをかばうためかもしれない。しかし、男の動きの意味は直後に知れた。
彼と彼女の手首に緑の光が回りだしたのだ。通話状態。二人の口は動いているのに、声は聞こえて来ない。こちらに聞かれることなく、コミュニケーションを取っているのだ。
こちらもそうするべきなのだろうか、と芙実乃は判断に迷うが決めきれずクロムエルの後頭部を仰ぎ見た。ただ、ルシエラとだけ繋がっている通話を切らずに、クロムエルを招待する方法のヘルプ参照をする余裕はなさそうだった。
クロムエルもまた、誰に何をするさせるの優先度を決めかねているらしく、声を発しない。
一瞬の間を挟んで口を開いたのは、パティだった。
「おねえさんのところにもふたりぐみのだんじょがあらわれましたが、あのふたりではありません。じょせいのふくがいろもかたちもあきらかにちがいます。ただ、だんせいはりょうしゃともいんしょうにのこらないやすものだとおもわれるので、ちこときめつけるのも、かのうせいをはいじょするのもいかがなものかと」
クロムエルが、即座に訊き返す。
「剣を抜くような相手がもう二人いると? ルシエラがまずいというのはそれですね?」
「はい。いせかいじんをすかうとするなりわいもあるので。ほんとうはきょうこうしゅだんにでられることはめったにないはずなのですが、おねえさんとかおにいさんはみためがとくべつで、そうするだけのかちがある、とおもわれるかもしれないです」
「ああ……金髪が珍しいのでしたね」
そのやりとりを聞いて、芙実乃はルシエラの状況に思いを巡らせた。
「ちょ……ルシエラ! パティちゃんとかくれんぼしてるんじゃなくて、不審者から隠れるために木の中にいるってこと?」
「そうよ。言ってたじゃない」
「そうは聞こえなかったの。それで、その、不審者はまだ近くにいる?」
「うーん……。子供を追ってったと思うわ」
「そう。じゃあ、そっちからこっちに来るのはやめたほうがいいのかな、はちあわせちゃう」
その会話に、パティが芙実乃の横あいから割り込んでくる。
「あの、おねえさんはなんといっているのですか?」
おねえさんとはルシエラのことだろう。芙実乃が通話相手の声まで聞こえるようにはしてないため、パティとクロムエルは、ルシエラの発言だけが抜けた会話を聞いていたことになる。
「えっと、ルシエラのほうの二人組みはパティちゃんについてったって」
「だとすると、はやしからでたわたしがひとりなのにきづいて、のこったおねえさんをみつけにもどったのかもしれません」
パティの見解を聞くとすぐ、クロムエルが声を小さくして芙実乃に話しかけてくる。
「芙実乃殿。ルシエラに、子供が去ったのと反対側へ向かうよう説得を」
位置関係からして、それだとルシエラは南へ向かうことになる。ピクスアの操作網に引っかけようというわけだ。ただ、ピクスアを信頼してもおらず、一刻も早くルシエラと合流したい芙実乃からすると、忌避感が先だってしまい、思わずクロムエルに反問していた。
「あの、こっちからルシエラのところへは行けないんでしょうか? パティちゃんが走って来れるくらいなので、そんなに離れてはいないと思うんですけど」
対峙する二人組みはこちらをじっと見ている。クロムエルはその二人に聞かれたくないようなそぶりを見せながらも、芙実乃の問いに答えた。
「二人組み同士が一味であるなら、合流されたくありません。敵四に対し三守るのは……」
確かに、手が足りないにも程がある。すでにこの場だけでも、クロムエルは二人を相手取りつつ、背後に二人を匿っているのだ。ルシエラ側の二人組みがパティともども来ていたら、背後に誰かを匿う態勢を保つなんてできるはずもない。
だが、いまならまだルシエラは近くにいるのだ。
それがどうしても諦められず、芙実乃はクロムエルに食い下がった。
「だったらじゃあ、わたしだけがルシエラのところへ行くとかは……」
「途中の二人組みが芙実乃殿には何もしないと決まったわけでもないのですよ。それに、無事合流できても今度は見つかるリスクが高くなるだけになります」
それももっともな話だ。芙実乃がルシエラと合流したところで、戦力アップにはならない。
結局は自分が足手纏いなのだ。状況を認識すればするほど、芙実乃は無力感に苛まれた。
「わたしの魔法はルシエラの魔法みたく殺傷力があるわけじゃないですから。ルシエラのところに行ったって、逆に守られて逃げてるのが精いっぱいなんですよね。合流できたところで、転んで足を引っ張っちゃうだけかもしれません」
芙実乃が独りごちるように零したネガティブな発言に、聞いていた五者が五葉の反応を示して寄越した。
「芙実乃はだめね。ほんとわたしがいないと何もできないんだから」とルシエラが。
「あの、なんならおねえさんのところへはわたしがむかいましょうか? うまくはやしをぬけられれば、がっこうほうめんへにがせるとおもいますので」とパティが。
そしてびくりとして、別の相手へ連絡を取りだしたらしき女と、女との通話が切れて緊張の面持ちでクロムエルの前に進み出る男。
そんな二人を観察していたクロムエルが、満を持したかのように言うのだった。
「芙実乃殿。先の説得をルシエラにしたのち速やかに――マスターにご報告願います」




