Ep02-03-02
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方針が決まると、全員で連絡先を交換し合い、シュノアだけが部屋へと帰った。気をつけるよう言い含めながらも、ピクスアはそれほど心配した様子には見えない。彼女は危険があっても自分で避けられると思われているらしく、芙実乃やルシエラよりも自立しているのだ。
二階のエントランスまで同道したピクスアとは、別ルートのためそこで別れる。
「マスター。不利な条件を呑ませてしまい、申し訳ありません」
外階段を下りながら、クロムエルが謝罪した。監督不行届きみたいなことを気にしてるのだと思うが、ここにいる三人が三人とも同じ案件で担任に呼ばれていて、避けられるような用事でもなかったはずだ。それでもクロムエルは責任を感じてしまうらしい。背後にいるから見えてないが、律儀な彼のことだから、本当に頭まで下げていそうだ。
「それよりいまはそなたが言っていた、担任にルシエラの足取りを追わせる、との申請をしてみよ。通話の声は相手のもそなたのもこちらに聞こえるように繋げ。喋るつもりはないが、こちらが会話に加わりたくなった時、相手に聞こえるようにもして、だ」
芙実乃ならハンズフリー通話と一語で済ますところだが、戦国時代から転生してきた景虎にはそれに該当する単語が言語感覚になく、仔細に話さなくてはならないのだろう。逆に芙実乃が景虎にハンズフリー通話と言えば、おそらく雰囲気を察してもらえるくらいには翻訳されるはずだし、景虎が現地でのそれの言い方を覚えれば、芙実乃にはハンズフリー通話と聞こえるようになるはずだ。
「芙実乃。階段を下りれば足を速めるゆえ、ついて来れぬようであれば言って止めよ」
「えっと、あの、下りてもこのままぎゅっと服を掴んでてもいいなら、わたしも少しくらいは速く歩けるような気がします」
下り階段、というのもあって、芙実乃はいつものように景虎の服の裾を摘むのではなく、背中あたりの生地をぎゅっと掴んでしまっていた。杖代わりとまでは言わないが、歩けるようになって一月の芙実乃でも、そのくらいしっかり掴まっていれば小走り程度はこなせるだろう。
「かまわぬ。クロムエル、そなたは芙実乃の後ろについておけ」
「わかりました。それでは、担任に繋ぎます」
数秒全員が黙っていると、芙実乃の真後ろから女性の声が聞こえてくる。
「クロムエルくん? ルシエラさんが見つかったって報告かな?」
「いえ、それが、どうも学外へ出てしまったようで、ティウ担任なら彼女の現在位置がわかるんじゃないかと連絡させていただきました」
「んんー? そんな通知は来てない――って、外出の講習受けちゃってたんだっけ。そっか、そっか。それじゃあ来るわけないや。えーっと、どうしたものかな、これ」
「ですから居場所を……」
「ううーーん、難しいかなぁ。と言うか、無理なのよ、それ」
「えっと……、足取りとかもでしょうか?」
「同じ、同じ、同じだよ、それ。……まあ、そっちから捜すの頼んでおいてなんなのって思うかもだけど、ちょっと、ちょっと言い訳させて。理由はちゃんとあるの。あのね、たとえば、ああ、クロムエルくんはそんなんじゃないって知ってるけど、たとえばの話。男女はまあどっちでもいいんだけど、パートナーのことが大好きな子がいたとして。でもそのパートナーは別の異性と街歩きしてたり、その異性の部屋に入り浸ってたりしてる、と。ほら、そういうの、迂闊に教えちゃだめだってわかるよね? ただこれは、教えられたほうが何するとかって信用してないわけじゃなくて、教えられちゃうほうのパートナー側のプライバシーとか自由とかを侵害しちゃいけないっていう、概念? なんだ。わかるかな? お願い、わかって」
のんびりとまくしたてている、みたいな表現が適切な口調で、ルシエラたちの担任は一気呵成に説明してみせた。その考え方は正直なところ、芙実乃にはよくわかってしまう。いや、むしろそうでないとおかしいんだよ、という刷り込みじみた社会通念の賜物なのか、芙実乃にはこれの融通のつけ方や異議の伝え方が、まったくもって思いつけない。ゆえに、ここから情報を引き出すことは、暖簾に腕押しになるという予感しかしなかった。
予告どおり景虎も口を出さないし、後ろのクロムエルからも沈黙の気配しかしない。
おそらくだが、一刻も早くルシエラを見つけ出さなければならない理由として、未来視に触れなければならないことがネックになっているのだ。もしかすると教師間では異能の情報が共有されているのかもしれないが、それにはきっと守秘義務が課せられるはず。そうでないと、対戦相手の異能や固有魔法は自分で看破しろ、にはならないだろう。ただ、自分のクラスの生徒を勝たせたくて、それに反してでもこっそり耳打ちする、なんて担任の不正が横行しているかどうかまでは、ここにいる全員がまだ判断できていない。
また、それを抑制するため、異能の情報が他担任にも秘匿されていた場合、クロムエルが兄妹の異能を担任に明かすことは、景虎が信義に悖る行いをした、ということになってしまう。しかも、未来視そのものの信憑性や、兄妹の発言の真偽やらが立ち塞がって、結局は担任に情報の開示を迫る決定打にならない事態だってあり得る。
先のような言い訳をしたティウ担任だと、前者の心配はそれほどでなくても、後者による決断の先延ばしは大いにありそうだ。
芙実乃がこの線からルシエラの足取りを掴むことを諦めかけていたその時、長引いた沈黙に耐えかねたのか、ティウ担任が下手な独り言風に二度三度唸ってから喋りだした。
「ルシエラさんは問題があるってほどじゃないけど、危なっかしい子ではあるから、学内にいるかどうかだけでも確認しておこうかな。あれ、東門から外出中か。繁華街に一番近い門だから、ポイントで食事とかして遅くなるのかも。でも、学内での栄養摂取じゃないから、夕飯を抜いてるって通知は来るか。その時になっても学内に戻ってないようなら、強制連絡することにしよっと」
ティウ担任の中ではこれが精一杯の情報提供なのだろう。それによるとルシエラは東門から学校を出ていて、ティウ担任が帰宅の指示をできるのは夜になってから、となる。それ以上の譲歩は望めない、とばかりにクロムエルが二言三言言葉を交わして、その通話を終えた。
直後に景虎が芙実乃に確認する。
「芙実乃。われらが元より出ようと向かっているのが東門で合っているな?」
「はい。繁華街経由で公園に行くルートにしてありますから。さっき別れたピクスアさんが向かったのが南門ですね。住宅街っぽいのを抜けて公園の西に着くルートです」
芙実乃が地図を見ながら説明すると、クロムエルが景虎に指示を仰いだ。
「ピクスア殿が道中ルシエラを見かける可能性は、ほとんどなくなったわけですね。繁華街の捜索に加わってもらうよう、連絡を入れますか、マスター?」
「いや、あちらは公園の捜索範囲を潰すのに専念してもらおう。繁華街での捜索は、大まかな目撃情報がすぐに入れば時も割こうが、そうでなくばこちらも公園に急行する」
事件は公園で起こるという。ルシエラをそこに行かせないで確保できるのが一番だが、どこまで先行されているかわからない状況で繁華街に止まるよりも、追い越してでも公園に着いてしまおうと景虎は考えているようだ。
「だとすると、事件の一時間前にはこちらも公園に着けてる感じでしょうか?」
繁華街での捜索を十数分と仮定して、芙実乃は訊ねてみた。
「ああ。ルシエラが動き回っておれば、先行した兄妹の網にかかることもあろうが、その範囲外の一所に止まっていた場合、わたしか芙実乃がおらねば逃げ隠れするやもしれぬしな」
ここでクロムエルの名前を省いたのは、ルシエラが先にクロムエルを見つけたなら、きっと隠れてしまうからだ。ただ、芙実乃にはその心配がなくても、まだまだ不慣れな異世界の街で単独行動できるほどの気概もなければ危機対処能力もない。この二人が組めば、景虎に劣るものだとしてもルシエラの発見と救出が可能になるが、芙実乃のせいで行動範囲が狭まってしまう。おそらく、全力で駆けずり回るクロムエルと比較すると四、五倍は違ってくる。
景虎がまだ何も指示しないのは、現場に着かないと方針を決められないからだろう。だが、柔軟な対応ができる布陣にしておきたくて、景虎は芙実乃の同行を許したに違いない。
何を言われてもまごつかないよう心がけながら、芙実乃は足を進める。
追い越した二組の女生徒たちにルシエラの目撃情報はないか訊ねつつ、十五分程度で繁華街まで辿り着くことができた。ただ、芙実乃の感覚ではそこは、繁華街と言うよりもオフィス街と言いたくなるような雰囲気を醸していた。
敵性体対策の一環として超高層のビルは混じってないが、十階建てくらいのビルが立ち並んでいる。一階部分はテラス席のあるカフェかレストランというのが半数。残りは見えなかったりよく分からなかったりがほとんどだが、ブティックとかブランドショップらしきレイアウトの店舗もある。ただ、緊急時にはこういう地表の建物は地下に丸ごと格納されるそうだ。
それは道の中央に連なっている小型店舗も同様なのだろう。
和室風に言えば四畳半くらいの店が、軽食やらスイーツやらを売っている。
どれもそこそこ繁盛しており、その様子が、芙実乃には昼時のオフィス街に見えたのだ。
人の割合は目算だと、学生が七割で、それ以外が三割というところか。学生でないと判別された人々は、思い思いの服装をしている。景虎に掴まっている芙実乃は、迷子の心配などをせずにきょろきょろとルシエラの捜索と、周囲の観察を行う。
放課後だからなのかやはり学生の姿が目につく。一学年八千人超の生徒のいる学校の最寄駅だと考えれば、これでもまだ人通りは少ない日に数えられるのかもしれない。それでも、制服を目印にしてルシエラを見つけるのは極めて困難と言わざるを得ない。幸い、ルシエラは珍しい蜂蜜色の金髪だから、芙実乃は髪色を頼りに制服姿の少女たちを目で追っていた。
そんな中に、学生とは別種の制服を着た少女が紛れ込んでいるのを見つける。髪色は、緑と黒と白を混ぜた感じの、ぱっと見の印象でグレーなのだが、制服と髪の毛を交互に流し見ていたから、制服の違いに引っかかってしまったのだ。どこが違うのか芙実乃がじっと眺めると、どうもフリルっぽさがカットされていて、指し色も赤でなく紫。それだって、ネクタイのように巻かれたスカーフだけだ。全体的に装飾が少ない感じがしゅっとして見せているのだろう。ただそれでも、コンセプトは芙実乃たちが着ている制服と同種であるように思えた。
「芙実乃?」
景虎が振り返る。芙実乃は立ち止まってしまったようだった。
「すみません。ちょっとあの人の制服が気になってしまって」
ソフトクリームのようなスイーツの店舗に並ぶその少女を、芙実乃が指差す。景虎はそこに目を向けたかと思うと、数秒後には早急に確認を取る、という雰囲気でクロムエルのほうを見上げていた。
「あれは軍服か?」
「そうですね……、女性用を見たのは初めてですが……、おそらく」
「二人とも、あれを着た者が他にいないか手早く見渡すがよい」
芙実乃もクロムエルも、理由など聞かずに言われたとおりにする。三人で分担して周囲を見渡す。いない。二人からそう報告されると、景虎は声を潜めた。
「だとすると、あれが件のクシニダ・ハスターナやもしれぬ」
芙実乃は声を上げそうになった。そうだ。シュノアから聞いたルシエラを殺す犯人は、軍属の魔法少女という話だった。ならば、軍服を着用していてもおかしくはない。
「どどど、どうしましょう?」
思わぬ事態に芙実乃が判断を求めると、景虎は考えを纏めるように喋りだした。
「かの者の足止めができればルシエラの危機は去る……か。夜までは無理としても、兄妹が網を拡げる時間が延ばせれば捜索範囲も公園全域となり、ルシエラの居場所も掴める。そこまで足止めしておれば、彼女と顔を合わす前にルシエラも確保できよう」
「なるほど……。で、でもでも、足止めって別に戦うわけじゃないんですよね? だったら声をかけて……なかよくなるってことでしょうか? だ、誰がするんです?」
自分が適任との自覚がある芙実乃だが、責任から逃れたくて挙動不審に二人を見やった。
「そんなふうには見えませんがおそらく年上――としてもですよ、わたし一人でいきなり声をかけても、警戒しかしてくれないでしょう」
芙実乃の視線を受けたからか、役立たずを恥じ入るようにクロムエルが自己申告してきた。クロムエルは耽美な美形であるはずなのに、自己評価が低く止まっているようだ。そうさせる主たる要因であろうクロムエルの女性観が、ルシエラや芙実乃に影響されているとしたなら、芙実乃に彼の翻意を促せる言葉が出せようはずもない。
「警戒うんぬんで言わば芙実乃しかおるまいが、ルシエラを殺す予定の相手に芙実乃一人で行かせるのも正気の沙汰とは言えぬな。芙実乃も怖かろう?」
「あうう……。ず、ずみまぜん」
景虎には見抜かれていたのだ。芙実乃は頭を抱えて謝った。
「なればわたしが行くしかないか。ああ、いや、三人で卒業後のことが知りたいなどと口実を作り、状況次第でクロムエルかわたしが芙実乃と抜ける、なれば警戒も薄まる気がするが、芙実乃、どう思う?」
「確かに、一人から声をかけられるより、女の子込みの三人組から声をかけられるほうが、わたしも怖く思わないかもです」
芙実乃から賛同の気配を感じたのか、クロムエルが不安そうに景虎に訊ねた。
「わたし一人で残るケースもあるのですか?」
「ルシエラが逃げぬのであれば、考えるまでもなく、そなた一人を公園に行かすのだがな」
本当は芙実乃にシュノアのような危機回避能力があれば、ここに残るのは芙実乃が最善で、機動力があり単独行動もできる二人がルシエラの捜索に当たりたかったに違いない。だけどそれだと芙実乃がおぼつかないから、ルシエラが寄って来る景虎と芙実乃で公園に行くのが、繰り上がった最善になった。クロムエルは芙実乃の不出来の割を食うかたちで、不得意分野の能力を求められるはめになったのだ。
「ともあれ、躊躇している暇もなさそうだ。行く。二人ともよいな」
そう言うと、景虎は歩きだしてしまっていた。
急いだのはたぶんだが、彼女がスイーツを買ってしまえば、話しかけても長くは引き止められないと踏んでのことだろう。景虎に話しかけられてるのに離れてしまうだなんて、芙実乃なら絶対にないが、余所の世界の人は、結局のところ未知数としか言えない。
芙実乃は掴むのを控えめに裾に戻して景虎について行く。クロムエルも半歩後ろから続く。
そして、景虎がやや周囲の耳目を集めながら、軍服の少女に話しかけた。




