Ep02-02-06
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隣の部屋にいる景虎とともに、芙実乃はクロムエルからの連絡を受けていた。ともにというのだから当然、景虎の麗しい声も壁越しでなく通話からのもので、翻訳も働いている。
「早急に三人だけでも合流するとしよう。芙実乃、場所を決めておいてくれ」
「わかりました。位置情報から等距離を割り出してみます」
「でしたら、わたしは駆けつけますので、マスターたちにより近い場所にしてください」
「えっと、じゃあ、四、六くらいの割合にして、出た合流地点を送りますね」
芙実乃がコンソールを操作すると、左手の甲から一センチ程度浮いた位置に、黒い矢印が現れた。この矢印のとおりに進んで行けば、最短のルートで合流できる。
三人は一度通話を切った。
通話しながら歩くだけならややマナーに欠ける程度のことなのだが、遮音の設定をしたまま走ったりすると、目撃されれば注意される。自分たちの声で通行人に注意喚起することもできなくなるし、通行人からの注意喚起も聞こえなくなるからだ。
部屋を出て顔を合わせた景虎のあとを追い、芙実乃はそそくさと通路を歩いた。だがやはり歩き慣れていない芙実乃は、途中でたたらを踏んで景虎に掴まり、歩くペースを落とされた。
それでもわずかながら、クロムエルよりは先に合流場所に到着する。
「遅れて申し訳ありません」
「よい。こちらはエレベータで待ちなく来られた」
その上歩く距離も四、六で短かったから、芙実乃たちのほうが早かったのだろう。
「それで、どう探す?」
「出歩くなら、外に出ようとしているのだと思いますが」
「では二階で目撃者を探すか? ここから近きエレベータなればすぐにも着こう」
「あっ、待ってください。ルシエラはエレベータに一人じゃ乗れませんし、外を目指すなら上り階段を使うんじゃないでしょうか」
「そうですね。階段を探しているか、一階を歩き回っている割合は高いでしょう」
「なれば階段を使って最短で一階へ行くとする。道中で見つかるやもしれぬな」
「だったらわたしは迂回する別ルートで行き、探しながら一階まで行くことにします。見つからなかったとしても、そこで一旦連絡を入れますね」
「そうか。だがここはルシエラの部屋は元より、我らの部屋よりも下の階層であろう? 見回るとしても、省いてよい階もあるのではないか」
「では、三階上まではマスターたちと同道させてもらいます」
「わたしたちの部屋より下を見なくていいならエレベータにします? わたしと景虎くんのナビには、階段のルートを入れちゃってますけど、再設定しましょうか?」
「いや、あれは時折待つこともある。三階分くらいなれば歩きでよい」
ちなみに、エレベータは実物の箱が上下するのではなく、上り下りそれぞれの入口から、浮遊するオブジェクトを出現させて乗り、降りたら出口が閉まって消える、という仕様になっている。景虎が言う待つとは、もっと下の階層から来るエレベータが連なってしまっているような時に、行く手を塞ぐようにはエレベータを生成できない場合のことを指している。
芙実乃は頷き、足を動かすのに集中した。景虎に掴まりながらだから、足下だけをしっかりと見ながら歩ける。一人で歩くよりも早いペースで進むことができた。
景虎は、後ろを振り返らなくてもそれを把握しているらしく、階段を上ろうとする前には、芙実乃に警告をくれた。その警告の二度目の時。一つ上の階でまた少し歩き、そのつぎの階段の前へ回り込んだ直後のことだ。
景虎が、それを言いかけてやめた。
動揺ではないのだろうが、予想外の光景に出くわしたからなのかもしれない。
芙実乃も階下から階上を見上げてみる。と、息を呑むしかなくなった。喋りかけていたなら絶句を禁じ得なかったに違いない。それくらい意味のわからない光景だったのだ。
否。光景と言うのなら実にありふれた光景でしかない。二人組みの男女が階上にいる。ただそれだけのことなのだ。しかし。
その二人というのが、ミルドトック兄妹だとしたら。あの時食堂で、景虎たちに接近しないと誓ったあの兄妹なのだとしたら、自ずと意味が違ってくる。
ぞわり、と芙実乃は背筋にうそ寒いものを感じる。
妹が、確か対戦通知によるとシュノア・シルキ・ミルドトックという名の妹が、芙実乃の顔で視線を止めると、満足気に表情を綻ばせた。
「あらあら、これは皆様偶然ですこと。わたしたちはあれ以来できるだけ、皆様のご住まいや学び舎から離れた通路を使っていたもので、エレベータの使用すら控えてこんな階段を上り下りして疲れてしまいました。それで、ほんの少々休憩をしていたところですの。本当に、たったいま、ここに。ですから、つけまわしている、とお疑いでしたら、放課後のわたしたちの足取りを開示してもかまいません」
明らかにこれはおかしかった。だって、この時にこの場所の階段を使ったのは、景虎が効率で考えた原案に、芙実乃やクロムエルが提供したルシエラの性格や傾向を加味したからこそなのだ。盗聴でも、心を読んだのだとしても、三人よりこの地点に近い場所にいた、という幸運にも恵まれていなければ、待ち伏せなどは不可能だろう。
また、三人が合流して話し合う前の時点で三人の心を読んだのだとしても、のちの話し合いのすべてを想定して結論を導き出すなど、それこそ人間業ではない。むしろ、そんな思考力があるほうが恐ろしいくらいだ。
この行為を可能にする固有魔法か異能があるとすればそれは、瞬間移動か未来予知。だが、瞬間移動だと盗聴か心を読むかの異能を併せ持ってなければ、どこに先回りしておくかは決められない。実質、兄妹の名前を対戦通知で見た時に思った未来予知一択となろう。
「これでもわたしたちは、皆様をつけまわしていることになりますか?」
シュノアが、余裕たっぷりというトーンの声で、問いかけてきた。
それに、景虎は優しく返答する。
「いや、なれば不問だ。ああ、不問はそなたらに対し礼を欠き過ぎた。詫びよう。もちろん、此度のことはただ偶然居合わせただけと承知する。問題があるとはこちらも露ほどにも思わぬゆえ、懸念には及ばぬ。偶然に目くじらを立てては、狭量と謗られても致し方ないからな」
「ぷっ……ふふっ……そう、偶然、偶然ですものね。ええ、ええ、わたしたちも、柿崎景虎、貴方がまさかそんな狭量だなんて、ふふっ、これっぽっちも思ってないわ。く……くくく」
嘲弄、だった。
シュノアの笑いは、あろうことか、柿崎景虎を笑い者にした。
芙実乃は激昂、するところだった。が、そのことで逆に頭が冷え、動悸も治まった。
思い出したのだ。景虎の言葉を。
景虎は彼らの異能を信じないスタンスを取るよう、芙実乃に言い含めていた。つまり、現在景虎が取っているスタンスはその言葉どおりであり、芙実乃がしゃしゃり出て景虎を擁護する必要なんてまったくない。そうはするな、とまですでに言われた状況になっただけ。景虎は、いつどこで何を、を知る未来予知になど頼らずともその知性だけで、芙実乃にまで処方箋を渡していたことになるのだ。
だとすると、シュノアという少女の見え方も、また違ってくる。
彼女は景虎を嘲弄した。しかしそれはおそらく、景虎を低く見ることが主ではない。景虎をすら出し抜いた、という優越が彼女にそうさせただけなのだろう。しかし、彼女にそう思わすよう景虎が仕向けている、が芙実乃だけが知る正解だ。
芙実乃は、勝ち誇るシュノアがいっそ哀れに思えてきた。その冷ややかな想いで、景虎が笑われた瞬間に沸き立った血を平熱に戻す。少し進んで景虎の横顔を見ると、そこにはやはり、いつもと変わらない美しい頬笑みを湛えて、口を開くところだった。
「話は終いだ。急ぐ用がある」
「え……あ――」
階段を上りだす景虎を見て、シュノアは口籠もる。咄嗟に呼び止めるような言葉が浮かんでこなかったのだろう。相手を替えればどうにかなる、と考えたのか、景虎の一段下から服の裾を掴んでついて行く芙実乃に期待するような眼差しを向けてくるが、シュノアへ残されている芙実乃の感情はもう、生ぬるい程度のものでしかなかった。しかし、そんな温度のない一瞥を返されたことが堪えたらしく、シュノアは縋るような目を兄に向けた。
その彼――ピクスア・ミルドトックが口を開く。
「時にルシエラ、と言ったかな、彼女の命運が脅かされていると教えてあげたら、僕らがしていることへ興味を持ってもらえるかい」
ルシエラの命運、という言葉にぎょっとして、芙実乃は足を止めてしまう。その影響はもちろん、芙実乃が服を掴んでいた景虎にも及ぶ。
ピクスアがふっと笑った。嘲弄ではなかったが、その笑いには自信と少しの安堵が混じっていた。芙実乃は失敗したのだ。未来予知を信じていないスタンスを全うできていたなら、彼の言葉に動揺などしないはずだった。
「さすがに無視できないようだね」
「そなたらがルシエラの首に手をかけている、としか取れぬ言いようをされてはな」
「そんなことはしていないと誓おう。これから一時間四十三分と経たないうちにそのルシエラという子は殺されることになるが、そうなった場合僕らは、今日の授業終わりからの行動記録の開示を君たちに対しても認める、でどうだろう? 僕らが彼女にちょっかいをかけても、近づいてもいないとも、結論付けるしかなくなると思うんだ」
「それだけではそなたらの潔白は証明できぬな。異能なるものもこの世にはあるという話だ。そなたらがそうした手段を以てルシエラを害した、との疑いは晴れまい?」
「少なくとも、学校側はそんな結論には至らない。ということは、犯罪捜査の機関も然るべく納得することになる。僕らに問題はない」
「なればそなたらがそれを駆使して誰ぞを操り、ルシエラを殺めさせた、とこちらがクラスの者にでも零したなら、どうなるのであろうな。ここだけの話、と前置いたとしても吹聴する者も出よう。憶測、と学校側も布令を出してくれるやもしれぬ。が、全生徒がそなたらに疑念は残すであろうよ。それでわたし以降に当たる対戦相手どもと、話すことさえ忌避されるようにでもなれば、そなたらは弁明のため、その都度能力を詳らかにして回るか?」
どうやらそこが急所だったようで、兄妹は一瞬息を呑んだ。
芙実乃もそれで気づいた。そうか。彼らの望みは対戦相手との交渉だ。
未来予知の異能を持っていたとしても、月一戦前にする条件の擦り合わせで、相手方が異能の使用を不可にしてしまえば、試合で使うことはできない。話し合いで折り合わなければ、異能、固有魔法、魔法などはポイントを削ることで試合での使用を禁止できる。対して使いたい側は、よりポイントを削ったからといって、特定の項目を書き換えたりはできない。代償さえ払えば自身に不利な項目の免除は押し通せるが、代償を払っても自身の有利を確保しておけるわけではない、との主旨が月一戦にはあるらしい。
一見、魔法や異能を使いたくないほうを優遇しているようではあるが、月一戦とはそもそもが魔法少女のパートナーの戦闘能力を見るためのものだから、それなりに公平ではあるのだ。というのも、条件が不利なほうは話し合いで折り合えなかったなら、ポイントを差し出さない限り、全能力解禁という方向の意見に合わされてしまう、ということでもあるのだから。しかも、そうした能力に使用制限をつけられるのは、補助参戦する魔法少女に対してのみ。実際に参戦する景虎やピクスアに未来予知の異能があってもそれは制限できない、ということになっている。景虎ら戦士として迎えられた者は、実力次第でパートナーの魔法少女を奪われることもありうる、という想定で能力の制限が許容されているらしかった。
つまり、兄妹のうち、未来予知の本来の持ち主は妹のシュノアに違いない。
だから彼らは、こちらに警戒されぬよう、対戦が決まる前に接触してきた。
だから彼らは、こちらに貸しを作ろうという試みをしようとした。
すべては、景虎に異能使用の強制制限をされないために。
それで友誼だとか恩だとか言っていたのだ。
芙実乃はそこまで状況を読み取ると、しかし、と心の中で首を捻った。
だとすると、ルシエラが殺されるという彼らの話は、どう評価すればいいことなのだろう。もし本当だったなら、といういやな想像で冷たい汗が滲んできそうだ。芙実乃は景虎の服を掴む手を、無意識にぎゅっと握り締めていた。
デタラメの可能性だってある。
景虎が前もって芙実乃に言い含めてくれていたのはきっと、こんなふうに相手の未来予知に振り回された挙句、唯々諾々と従ってしまう事態を避けるためのものだ。
自制しなければならない。
目的の達成が見えずに苦しいのは向こうも同じだ。景虎が外れた予想を口にすることで未来予知と渡り合おうとしているなら、芙実乃が動揺を見せるだけでも足を引っ張ることになりかねない。足を止めてしまった失敗を景虎にフォローしてもらったばかりで、すぐまた同じ轍を踏むようでは、景虎のパートナーであることを自分に許せなくなる。
芙実乃は努めて、平常な眼差しを兄妹に向けた。
「他言しない、と約束してもらえるなら、君らには僕らの異能を明かしてもいい。それが知ってもらえれば、ルシエラという子のことも、一刻を争う事態なのだと理解してもらえると思うんだが、どうだろう?」
「と、言われてもな。どのみち、こちらはそのルシエラを探しているところだ。ここで時間を取られて結果元の行動に戻るでは、そなたらに妨害されたと思うしかなくなろう?」
「こちらの条件を呑むのなら、彼女の行方には見当がつけられると思うが?」
「異能を他言しない、であったか。よかろう。言ってみよ」
「困ったね。そんな取引ではこちらはする意味がない。そちらにとって重要な情報をただ出しするだけのために、重篤な秘密を明かすことになるのだから」
「そうであろうか? こちらからすると、信頼できぬ相手からの信憑性のない情報に、値をつり上げられているようにしか感じられぬのだがな」
ピクスアは黙った。
なるほど、と芙実乃は思った。もしいま、未来予知を察しているスタンスで話してたなら、ルシエラの情報と引き換えにするのは月一戦の条件となり、異能の口止めもうやむやのうちにセットにされていたのかもしれない。未来予知を信じている、という弱者の立場でいたら、ルシエラの情報をもらうために、こちらは払えるだけのものすべてを差し出さなくてはならなくなるところだった。
だが現状、兄妹は自分たちの異能である未来予知を、こちらに信じさせるという手順自体を一つの取引とせざるを得なくなっているのだ。確かに兄妹にとってメリットなどないように思える。だが、実はそうでもない。彼らの宿願である月一戦の条件にまで話が行かないだけで、その下準備くらいにはなるのだから。
ピクスアはため息をつくと、諦めたような響きで喋りだした。
「こちらの失敗はやはり、信頼関係を構築できなかったことに尽きるのだろうね。仕方ない。明かそう。僕らがルシエラって子が死ぬと予言する根拠は、未来視という、未来を先に、頭の中でだけ体験する異能を持っているからだ」
兄妹がその異能を明かした。ルシエラの情報に高値をつけるには、その開示が必須だからだろう。本来なら、それでさえ信じないというスタンスを取ることで、取引をしないというのが景虎のプランだったはずだ。しかし、何かをやらかす前に連れ戻そうという程度の捜索が、ルシエラの生死にかかわる捜索になり、完遂しなければならない事柄として、三人に突きつけられている。ましてや、タイムリミットまであるというおまけつきで。
もちろんそれすらも嘘である可能性を疑わなくない。ルシエラを探している未来だけ視て、このタイミングでならブラフをかけられると思っただけかもしれない。それでも、景虎が兄妹を無視して行ってしまえないのは、嘘と断定できるだけの材料もないからだ。
そこを、シュノアが饒舌に畳み掛けてきた。
「助けるでしょ? 助けたいでしょう? だって、ここでわたしたちと取引しなきゃ、あの子は死んでしまうんですもの。だいじょうぶ。助けられるわ。わたしたちが出す条件さえ呑んでくれればね。でも、それが呑めない時は――ふふっ、貴方たちはあの子を助けられるのに助けなかったことになってしまうんじゃないかしら。それって、ねえ? パートナーでもない貴方にずいぶんと懐いてるみたいなのにかわいそうにお気の毒に。もしかすると、生きてることに絶望までしちゃったりして」
ピクスアがそこまで、とばかりにシュノアの肩に手を置き、妹の無作法を詫びるような会釈をしながら、申し訳なさそうに続ける。
「これもまあ、信じない、と言われてしまえばそれまでなんだが、少し、取引が不調に終わった時のために一つ、予言を残しておくことにするよ。シュノア。確か犯人の名前を聞いていただろう? それを彼らに教えてやってくれないか」
「わかりました。お兄様」
景虎のスタンスがどれほど未来視を上回っていても、芙実乃やルシエラが隙を見せればそこを容易く衝けるのが未来視だ。ここまで覆しようもない不利をイーブンにしていた景虎こそ見事と言う他ないが、隙を衝かれた以上不利は不利のまま甘受するしかないのかもしれない。
まるで敗北を受け入れるがごとく、三人はシュノアの口が開くのを止められなかった。
「あの金髪の子を殺すのは、クシニダ・ハスターナ、という軍属の魔法少女よ」




