Ep02-02-02
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移動した四人は、喧騒に気づかなかったあたりの生徒たちが空けたテーブルに出くわし、そこを確保した。登校前に芙実乃とルシエラで決めておいたティーセットを、クロムエルがカウンターまで受け取りに行く。食堂のどこででも飲食物が出せたりはしないし、席につく生徒全員分の食事が飛び交う、なんて光景も見られたりはしない。公共スペースで自動に行われるのは清掃くらいのもので、このあたりはセルフサービスが基本となっていた。あの女生徒たちもだから自分で食事を運んでいたのだ。
クロムエルが戻り、景虎の隣に腰を下ろす。
彼とルシエラが対角で配置されなくてはならないため、芙実乃はルシエラの隣席だ。景虎の正面をいつも取られているかたちだが、普段朝食を景虎と二人きりでさせてもらえている芙実乃は、こういう四人掛けの場合、ルシエラに譲ることにしていた。
全員喉を潤し、ようやく人心地つく。
が、時間も押していた。いつもほどにはのんびりした気分になれない。話しながらではなく先に食べ終えてしまおうという意識で、皆どことなく落ち着いていないでいる。
ただ、今日の設定上飲食物は器に入っているあいだ適温が保たれるようになっていて、食べる早さ以上に猫舌度合が試される。そのどちらにも劣る芙実乃とルシエラの二人が、クロムエルと景虎に取り残されてしまっても、それは仕方のないことだった。一番早く片づいていたクロムエルが、景虎の手がテーブルから離れたのを見計らうように口を開いた。
「あれで果実を得た気になれるということは、仕掛けの手をそれでも伸ばせるという自信、よりも強い確信でしょうか。絶対に誰にも見つからずにできる、という」
「あるいは、この一件そのものに布石とする価値を見出した、か」
それは芙実乃の中でもやもやしていた懸念を言語化してくれたような会話だった。
とはいえ、腹の探り合いみたいな読みがふんだんに盛り込まれていて、芙実乃の理解は追いつけていない。ただ、芙実乃がなんとなくだけで感じていたことを、景虎たちは知性や経験則やらを絡めて整理できているのだ。こっそり芙実乃は安心していた。
クロムエルが頷く。
「兄妹の最後の齟齬が見せかけでないのなら、あの引き際は確かにそう取れますね。条件を呑まされることを、妹は失態だと捉え、兄は好機と踏んだ」
「失態……も、あるか。なれば、此度のことはそなたの言うところの確信とやらが、思うようにいかなかったこその失態、ということになりはすまいか?」
「すでに仕掛けられ、回避――完全な回避かの見当はつきませんが、少なくとも兄妹の思惑はずらしていた、ということですか? 確信するほどの仕掛けができるのなら、今回だって無策でいたはずがない。もっともなお話です。それでは、兄妹の態度には何かしら仕掛けの痕跡が隠されていたのでしょうか?」
「だとしても、兄妹の言葉の印象が薄い。いや、むしろ印象だけしか残らす、一言一句があやふやなこれは……翻訳とやらの弊害であろうな」
「初対面の相手との深い話を思い出そうとすると、のようなことは担任から聞かされたことがありましたね。伝えたい側が喋ろうとする時の言語中枢の働きを弱めて送ると、送られた側は声を聞いているあいだ、その内容を喋られていると錯覚するのだそうで」
芙実乃と景虎は一月前にこの世界に来たが、ルシエラとクロムエルは五月前。その分現地人である担任やクラスメイトである他異世界人との交流もそれなりにある。もっとも、ルシエラはそのどちらからも腫れ物扱いされているようだ、と芙実乃はそこはかとなく察していた。
景虎が黙考するような相槌を打つのを見て、クロムエルが話を戻した。
「マスターかわたしの世界にある常識で理解できるのならともかく、他世界独自の考え方や手法が取られていたのだとしたら、どう見当をつければいいのでしょうね」
「それに加え、こちらで得た魔法に固有魔法、それに元の世で身につけていた異能……なるものもあると、講義でも言っていたな。そういう仕掛けか」
「その中で、多少なりとも目にできているのは、魔法くらいのものですが」
「あれは不思議と言えば不思議ではあるが、それなりに理屈は知れてしまっているからな。魔法少女にしか発現できぬという点では特別だが、現状魔法として教えられているものは、単に力の種類でしかない。あの者らの自信の根拠にはなるまい」
「そうなると固有魔法か異能。ですが、それはわたしの想像の範疇を超えていて、まともな予測を立てられそうもありません」
「それに類するもので知り得ているとなると、授業で触れられていた別種の不条理を可能にする魔法そのものという話、くらいか」
「はい。そういえば、授業ではなく担任との雑談でしたが、異能や固有魔法は知れ渡ることはあっても、公表されているわけではないらしいです。過去の映像を見て自分で探るしかない、と。他人の月一戦の映像は月契約で六〇ポイントですから、基本貸与されるポイントをすべてつぎ込んだとしても、前節二〇四八戦のうち百七十戦弱、三百人強の分しか見られません。あの場にいた生徒を探し、兄妹の名を知る者がいないか聞き込みましょうか?」
「それでは立場が入れ替わってしまったようではないか」
景虎が微笑する。顔にはまるで表われてないが、粉の分量を間違えた抹茶を口にしたみたいな苦味が、どことなく吐息に含まれていた感じがした。
「その点、向こうは楽だったでしょうね。マスターの名と顔を覚えてない者などいませんし」
セレモニーという、入学式での模範試合で史上初の勝利を収めた景虎のことを、校内で知らない者はいない。ちなみに、景虎がクロムエルと戦った月一戦がとんでもない視聴数を叩き出したらしく、クロムエルも結構な数の生徒たちに認識されている。また、セレモニー中に姿が公開されてしまった芙実乃も、景虎のパートナーとしてそこそこは認知されていたりする。
そんなことを考えていた芙実乃と、同じ前提を抱いたらしき景虎が、芙実乃には見えていなかった事柄に焦点を当てた。
「では……ここに来てからのルシエラに、わたしの連れだと余人に確信させる振る舞いがあったか?」
「それは、おそらくありません。ですが、マスターの注目され具合を考えると、ここ一月、ほとんどマスターらと一緒に行動していた彼女を知る機会は、望めば得られたのではないかと」
景虎の指摘が鋭かったのは本当だが、景虎の注目度を外側からも見ているクロムエルの見解のほうが、現実に即していると考えたのだろう。景虎はその疑念にこだわりはしなかった。
「相手が何を狙っているかすら、結局のところわかっておらぬからな。その上、人知の及ばぬ能力を推定しようなど、きりのない話だ」
「まったく。ならばマスターの仰った、この件を布石にしたつぎなる手というのをどう打ってくるかについてだけでも、固有魔法や異能が使用される場合を外して考えてみますか?」
「兄妹の意識や目的だけでも那辺にあるのか、か。正直考えるのがばかばかしく思えるが、そちらから特異な能力の有無を計れるやもしれぬしな。この場合致し方あるまい」
「兄妹の目的。口にしていたのは友誼を結びたいだとかでしたが、その目的はすでに破綻したと向こうも認識してるでしょうし、妹の理解もおそらくその範囲で止まっています。けれど、兄のほうはマスターの条件を呑んでなお不都合はないと考えた。つまり友誼は目的ではなく、目的を達するための手段であり、真の目的は別のところにある。その真の目的を達するためのものと考えた時、友誼は有用ではあっても必須とまでは言えない。むしろ、あの顛末を某かに利用するなら、友誼に匹敵する有用な手段たり得る、と」
「周囲の誰にも気取られずこちらを探る手段が兄妹にあるとして、それだけでは達成されない何か、真の目的とやらの叶った状況を、友誼……恩か? ルシエラを助けたとこちらに思わせられれば、望む状況に近づける。また、それが潰えていようとも、此度の件を持ち出すことにより、望む状況を作り出す後押しにはできる……」
「兄妹がその行動原理に従っていたというのなら、手際はともかく、しようとしたことはそう間違ってはいないのではないでしょうか。不自然なのは狼狽ぶりくらいなものです」
「よほど確信とずれた応対を我らがしたのか? ルシエラの拒絶具合と芙実乃の指摘なれば、読めずとも致し方あるまいが、話を主導していたわたしやそなたは特段、変わったことはしておらぬよな」
「ですね。まあ、最初に掛け違ったのがすべてだったということなのでは。それで想定と違う問答をするはめになったのではないですか」
「そなたに『来るな』であったか。読めぬ道理だ」
「ふふんっ」
ルシエラが見せびらかすように、芙実乃よりふくらみかけている胸を張った。芙実乃もルシエラもお茶とお菓子をとっくに空にしていたが、難しい話についていけず黙っていただけなのだ。しかし景虎とクロムエルの打ち合わせが終わってないのなら、ルシエラの口出しを窘めるのは自分の役目。とはいえ、いま現在胸を張っているルシエラと比較されたくない、ぎりぎりふくらみかけの芙実乃は、両拳を鎖骨ぞいに乗せ、素知らぬ顔で胸を隠しながら注意する。
「ルシエラ。いまのは別に褒められてないからね」
ルシエラは瞬間ぷくっと頬をふくらませると反論してきた。
「芙実乃はまた年上に生意気なこと言って。あ! 胸ね。胸を隠してるでしょ。ぺったんこなのを気にしてるんだわ。だったら、年上の力を思い知らせてやるんだから」
ルシエラは芙実乃の両手首をがっと掴んで、がばっと左右に広げた。
「やめっ。こらっ。わたしの胸を曝すな」
芙実乃は抗議したが、もちろん言葉どおりの剥き出しにされたわけではない。両腕を広げられても、上着にシャツに、水着のような下着で胸はしっかりと隠されている。ただ、芙実乃の胸のふくらみかけがふくらみかけ足り得るのは、せいぜい下着姿まで。シャツに上着まで着てしまうと、ルシエラが言ったように芙実乃の胸はぺったんこなのだ。
「年上に逆らうとこうなんだから。このまま胸をもっとぺったんぺったんにしてやるわ」
「ルシエラはまったくルシエラは。ぺったんぺったんだと、逆にふくらんでふわふわのもっちもちになっちゃうでしょうが。放して。放しなさい」
「もう生意気言わないんだったらね。あと、放せ、じゃなく、お願いします、よ」
「くっ。こんなふうに言うことを聞かせようなんて、にゃにゃにゃにゃにゃ。――――かぷ」
芙実乃は掴まれている右手首を引き寄せ、ルシエラの人差し指を甘噛みする。
「痛たたっ、噛んだわ! これだから甘やかされて育った子供は……。ねえ、景虎。ぶっていい? ぶって躾けてもいい?」
「互いに怪我させぬよう心がけるならな」
景虎はどちらかと言えば我関せずの構えだ。そう。彼は猫の集まる家の人。この手のじゃれ合いを止めようと思う感性を持ち合わせない。
「にゃにゃにゃにゃっ!」
「しゃーっ!」
こうしてこの日の昼休みは最後、ルシエラとのじゃれ合いで終わってしまうのだった。




