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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
33/140

Ep02-02-01

 第二章 予言者の操る糸



   1


「クロムエル」

「遠目で顔まで確認できてませんが、背丈の差異は似通っており、髪色も一致しています」

「二人の言が揃いとなれば、わたしに否やはない。さて、それはつまりこの件、この柿崎景虎に近き者をつけ狙っての仕業と取るが、申し開きはあるか?」

 景虎はクロムエルに向けていた視線を再び兄妹に戻した。

 開花の瞬間に立ち会ったかのような仄かな香り。それが片時、芙実乃の鼻孔を掠め消える。

 それに反応した兄の手が、腰の剣に伸びかけた。

「握らないで。彼は抜かない。柄に触れることさえしない」

 妹が口早に言った。

 妹の言動の不可解さに首を傾げたのか、景虎の長い黒髪が微かに揺れた。

 確かに景虎は一貫して腕組みのような格好をしているのだが、芙実乃は知っている。いつもいつもしているあの腕組み。左肘の袖を抓むあの指を離すと、脱力させている右手が自然落下し、柄の根元へと落ちるのだ。

 その落下速度さえ初速に上乗せする抜刀は、それがあると知っているクロムエルが、構えて待っていればぎりぎり対処が可能、というくらい反応しにくいものらしい。

 景虎はこの世界の規範に抵触しない範囲で、常在戦場の心得を体現しているのだ。

 ましてや、互いに抜かないで対峙するなら、抜刀そのものが直接攻撃になる景虎の刀を防ぐには、同じく抜剣そのものの挙動でどうにかしなければ間に合わない。もちろんそれは、景虎がその抜剣の範囲に攻撃をしてくれた場合に限るわけで、実質積んでいるという話だった。

 それは平和裏に話していても、景虎が相手の生殺与奪の権を握っているということに他ならない。兄が剣を抜こうとした反応は、危機管理の面である意味正解と言える。

 なのに、妹はそれを安全だと……錯誤した?

 さらには、兄は妹のそんな言葉を鵜呑みにして戦闘態勢を解いた。のだろう。

「それはここの決まりを遵守する決意、という解釈でよいのか? その上でこの場での申し開きを拒絶する、と。あくまでも担任同士を介した事態の報告と意図の表明、という手続きを正式に申し入れろと言いたいわけだな。なれば物別れも致し方あるまい」

 景虎はこの場を散会させようとしていた。

 ルシエラの心象を決定的に悪くするのも避けられたようだし、芙実乃としても願ったり叶ったりだった。が、その言に兄妹はさっと顔色を悪くする。担任を介してというのは、兄妹のほうから先に言いだしたはずだが、芙実乃の証言が状況を変えたのだろうか。

 焦ったらしき兄が、景虎に翻意を促そうとする。

「待ってくれ。……認めよう。授業前に君を見に行ったのは僕らだ。この学食へも君が来るという話を聞きつけて今日初めて来た。見当をつけて君らが現れる瞬間から見ていた。だが、君の連れに危害を加えるつもりでそうしていたわけじゃない。見て待っていたら事故が起こりそうだったから、あわよくば助けたと思われたくて君の連れの前に飛び出した。後ろの二人にではなく、君に君の連れを助けたと思われたいから、そちらに向かうことしか考えなかった。それで行動が色々とちぐはぐになったんだと思う。これが僕らの動機だ」

 景虎と知り合いたい。景虎に恩を売りたい。兄妹の行動原理はそれか。それに、いずれはばれるであろう事柄でも、自分から先に出してしまえば誠意に見せかけられる。もし本当にこの件が担任の耳に入っても、心証の悪化の軽減が期待できる。

 この兄妹は、まるきり考えなしというわけでもないのかもしれない。

 クロムエルが質した。

「なぜこの時期になって? 少なくとも、わたしがマスターに侍るようになって、貴方がたを目にしたのは今日が初めて。それが急に。駆けずり回らなければ接触機会が持てないような場所に、日に二度も顔を出す。昨日から熱狂的な支持者にでもなったとかでしょうか?」

 たぶんクロムエルは、この二人と景虎が直接やり取りすると、景虎まで二人と同レベルに見られはしないかと危惧したのだろう。景虎をマスターと最上級の尊称で呼ぶクロムエルにとって、景虎を低く見られる可能性がある事態は看過できるものではない。

 景虎が口を噤む。会話の主導権を以後クロムエルに委ねる心積もりになったらしい。

「いや、友好的な関係になれればいいと……。それに、月一戦の二回戦で…………当たる……可能性があるなら、その、決定前のいまのうちがいいと思い立って……」

 学校は現在一月目最終週の一日目。二日後に二戦目の対戦スケジュールが通達される。その四日後はもう来月となり、その一日目から二回戦が順次行われることになる。確かに、対戦相手になると決まってからでは、友好的な関係を築くことに乗り気にはなれないだろう。

 急いだ理由に矛盾はないように芙実乃には思えたが、クロムエルは眉を顰めた。

「友好的? それでマスターのパートナー嬢の心根につけ込もうと? そうして勝ちを譲ってもらえれば、全敗を免れられるとでも計算されましたか」

「ふざけないで! お兄様は負けない! 負けてない! 最強なの! 勝ちを譲られたのは貴方のほうじゃない! いけしゃあしゃあとどの口でそんなことを!」

 妹はまさに激昂と呼ぶにふさわしい見幕でまくしたてると、息をきらせた。

 対するクロムエルはなんの痛痒も感じないという顔をしている。殺意すら込められた罵声を浴びるのはルシエラで慣れっこなのだろう、と思うと芙実乃も不憫に思わなくもない。

「それは失礼しました。心より謝罪しましょう。わたしに兄君の研鑽を貶める気持ちは元より微塵もありません。否定したかったのは、やり口のことだけです。ただ、やり口から一戦目の敗者と決めつけたのは浅慮が過ぎました。重ねてそれも詫びさせてもらえれば幸いです」

 クロムエルは妹へ向けていた顔を兄に移して、きちんと頭を下げた。

 兄は妹を抱き寄せると、苦汁に耐えているような顔で首を振った。

「いいや、こちらこそ、妹が済まなかったね。この子を……憎まないでやってほしい」

「お兄様……」

 妹の声は湿っていた。魔法少女はそれなりの目に遭って死に、この世界に捕捉されるわけだから、彼女もまたそれなりではあるのだろう。しかし、クロムエルはそれはそれとばかりに、追及の手は緩めなかった。

「こちらの失言が原因です。わたしのことはどうぞ憎んでください。けれど、これを聞かないで済ますわけにもいきません。わたしの誤解の一因でもありますが、貴方が第一戦に勝ち、これからも勝ち続けるおつもりなら、なぜマスターと当たるとお考えになる? 妹君の仰るとおり、わたしは勝ちを譲られての一勝。マスターはわたしを殺すのを止められての一敗。戦績が同じ者と当たるのが月一戦です。マスターが勝ったと思い込んでいたのなら納得もしますが、貴方がたはその誤解をされていないご様子。ご説明いただけませんか」

 クロムエルの筋立てられた指摘に、兄は束の間息を詰めた。兄の苦境を察したのか、妹が涙ぐんだまま慌てて振り返った。

「それは、あ、貴方がっ、貴方を知っていたからだわっ。それで、その、勝利を返上してるって聞いて、そ、そうなれば彼と当たるかなって、それだけよ」

 あからさまに怪しかったが、ちょっと否定しようのない論拠を出されてしまった感がある。これでは噂を聞いた聞かないの論争になってしまう。クロムエルもどう攻めるか思案顔だ。

 景虎がクロムエルに確認した。

「そなたが勝利を返上しようとしていることは、そこまで広まっておるのか?」

「わたしのクラスではわりとその、ええ、ほとんど知られているかと」

 芙実乃たちのクラスでは、景虎か芙実乃が気遣われているのか、その話には触れられない。だからルシエラだな、と芙実乃は思った。本当はクロムエルが負けていたと吹聴してそうだ。クロムエルはもちろんこちらをちらりとも見ずに続けたが、そんなところだろう。

「まあ、それでもそこから広まったとは、考えにくいのですが……」

「調べ尽くした、とはこちらも言えぬからな」

 全員が別々の異世界から来た異世界人なのだから、クラスを跨いだ人間関係など、まだまだ構築されていない。芙実乃たちのように対戦相手同士で意気投合したなら、親密になることもあるのだろうが、その比率はせいぜい一、二割に止まるのではなかろうか。何せ、傷を負わない力場を張らないで対戦すれば、決着は死か重傷になるのが月一戦だ。遺恨を残さないで日常に戻るのは難しいように思う。

 斯くいう芙実乃も、景虎とクロムエルにそうなってほしくなくて試合を止め、景虎に棄権負けをさせてしまったのだ。元から力場を張っての無血試合なら、そんなふうにはならなかったはずだが、景虎はどうも安全に戦うことを好まないようだ。

「ほら見なさい。何も不自然じゃないから、反論もないんでしょ」

 勝ち誇る妹に、クロムエルは肩を竦めた。

「貴方がたがマスターとの月一戦を視野に入れている。その論拠が何にあるかについてはここまでとしましょう。噂で聞いたなどという言い分を、こちらのほうから嘘と証明することもできませんからね。ですがマスターの周辺を嗅ぎ回っていた事実と、周辺人物の一人へ危害を加えた事実。元々はこれが悪意のない行動の結果と、そちらに証明してもらう趣旨だったはず。それへの返答がなければ、真偽のパーセンテージまで暴かれる担任案件にすることもこちらは厭いません。そちらのほうが、噂で聞いた、のが真実かもわかりますしね」

 意気が揚がりかけたかに見えた妹に対し、形勢が何一つ逆転してないことを突きつけるクロムエル。彼が用いた真偽のパーセンテージという概念に、芙実乃はどうにか察しをつけた。

 水の中にいて喋れなかった時に、芙実乃の意識が肯定か否定のどちらにあるか参照されたことがある。外に出てからはそんな真似されなかったから忘れていたが、いま思うと嘘発見器のようでちょっとうそ寒い気分になった。担任案件なんてことになると、話し合いの場でああいう参照を参加者全員に共有されてしまうのだろう。

 貴女は柿崎景虎を愛してますか。はい。一〇〇パーセントです。

 貴女は柿崎景虎を愛してますか。いいえ。〇パーセントです。

 みたいなことになるのだろうか?

 怖い。嫌過ぎる。芙実乃はこの件に関して特に後暗いところがないからいいが、挙動不審なあの兄妹がその事態を避けたがる理由は理解できた。そんなことにはならないと思うが、話し合いの場で景虎が唐突に芙実乃の気持ちを確かめようとしたなら、芙実乃はどうしようもなく愛の告白をしてしまうことになる。不可避だ。

 芙実乃の頭は飽和した。

「きゃわわわわ!」

「景虎! 芙実乃が意味のない音を叫びだしたわ!」

「捨て置いてよい。じきに落ち着くであろう」

 芙実乃はルシエラに背中をぽんぽんされた。突発的な焦りが宥められてゆく。

 ……いや、おかしくないだろうか。

 どうして注意深く慎重に行動しようとする芙実乃が、注意力散漫な上に思いつきで動いてしまうルシエラに、ぽんぽんと落ち着かせられなければならなくなるのか。いままさにそうしたルシエラを中心とした騒動の渦中にいるというのに、だ。元はと言えば、震えるルシエラを、芙実乃がぽんぽんしてやる、くらいのつもりで抱き止めてあげていたはずなのに……。

 芙実乃は釈然としない。ルシエラとは対等、という気持ちでいようと昨夜決意したばかりなのだが、ルシエラが年上ぶるのを改めない限り、保留にしておこうと思い直した。

 そんな芙実乃のひそやかな意識改革をよそに、兄とクロムエルの応酬は続いていた。

「担任案件……」

「そうです。こちらは困りません」

「……それは、待ってほしい」

「それで済ますために、ご説明を求めているのですが?」

「…………」

「沈黙で昼食休みをやり過ごされるおつもりで?」

「もうよい、クロムエル。埒が明かぬからな」

 そこで景虎が口を挟んだ。ルシエラの手も止まり、芙実乃もなりゆきに意識を向けた。

「だが今後は我らの周りをうろつかぬ。そう約してもらおうか。それが保たれているうちに限り、こちらもそなたらの望みを叶えていよう」

 手打ちの条件を出すとなれば、独断で提案することをクロムエルがしないからこその景虎の発言だ。景虎には兄妹の事情など知ったことではないという割り切りがあるのかもしれない。おそらく兄妹の急所はそこにあるとも当然見抜いているが、そこへの口の固さを見越しての埒が明かぬなのだろう。しかし、周囲の目もあるここでその条件を呑ませれば、兄妹が何を目論んでいたとしてもその手足や耳目がこちらに届くことはない。

 実質、兄妹の目論見は達成する手立てを失うことになるのだ。

 だが兄はそれに安堵の表情を見せた。普通なら、そちらよりも担任案件を回避できることを優先したからと取れる。が、それだけではないような違和感を芙実乃は覚えた。しかし、芙実乃がそれを指摘する間もなく、兄が二つ返事でその条件を承諾してしまった。

「君の言うとおりにしよう。僕らは君らの周辺を嗅ぎ回っている、などの誤解を誰かに与え、君らに報せられることもないよう、十全に配慮して行動するつもりだ」

 嘘の気配は感じられない。それを守るという自信まで透けて見える。

 ただ、翻訳は言語意識を互いの脳エミュレータですり合わせながら、最低限の理解が得られたとされる点を、聞く側の脳エミュレータが実在の聞き手にリンクし続ける、というプロセスで成り立つものだ。つまり、言語の翻訳システムでは、嘘の徴候を伝えることはない。

 なぜそんなふうになるのかと言えば、何時何処にいた、という嘘をついたとして。それを信じさせようと紡ぐストーリーと言葉は、たとえ真っ赤な嘘であったとしても、喋る当人の伝えたい事柄そのものにしかなり得ない。翻訳が伝えるのは、その言葉を編む意識なのだ。

 だから、芙実乃が嘘とかごまかしとか感じるのは、単に雰囲気を察しているだけであって、失言とか言質を取ったとかの、この世界でも通じる根拠のあるものではない。兄の言葉に嘘がないとわざわざ感じる、この些細な違和感を説明する言葉を芙実乃は思いつけないでいた。

 床に散らばる食事の残骸が、条件起動されたオブジェクトに包まれて持ち去られる。

「僕らも退散せざるを得なくなったのだし、先に行かせてもらうとしよう。今日は本当に失礼をした。問題を大きくせずに済ませてくれて感謝するよ」

「お兄様、こんなはずでは……」

「いいんだ。行こう」

 兄妹は芙実乃に一抹の不安を残して立ち去った。

 景虎が周囲に食事の手を止めさせたことに触れ、柔らかに心苦しさを表明する。皆はまるで天上人にそうされたかのように恐縮し、感動さえした様子を見せていた。

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