Ep02-01-05
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本日の座学の一時限目は魔法講義。入学月最終週のはじまりとあって、いままでのカリキュラムの総ざらい、つまりは復習だった。
教鞭を取るのは異世界人女性で、二十期以上前の卒業生だったという話だ。が、若い。生徒と遜色はなかった。
というのも、異世界人はこの世界に成体で迎えられるため、肉体を成長させる因子が除去されていて、端的に言ってしまえば老化しない。だから彼女も、生徒と同じ制服を着ていたなら本当に生徒と見分けがつかなくなって当たり前の容姿をしていた。
もっとも、そんな彼女はすでに既婚者で、さ来月にはこの学校を離れてしまう。急な話ではなく、最初のうちだけでも彼女の講義を生徒に受けさせたい学校側に強く留意され、延長してくれていたらしい。
ホログラフの彼女が講義をはじめた。一年生全員に向けて授業をしている、ということだ。日本でも予備校がこんなふうにしていると聞いたことがあるし、授業だけを流すテレビ局の視聴者だった芙実乃には、なんの違和感もない。しかも授業で使われるホログラフは背景が透けて見える半透明のタイプではなく、実物と見紛うばかりの高精細なタイプ。
実際に人が教壇に立っているようにしか見えなかった。
「魔法は事象の上書きでなく、空白を貼りつけて描く。最初に言ったこのことを、そろそろ実感している者も出ているころだ。固有魔法だけの者もいるそうだが、皆、無事魔法を発現できたと聞いた。だから空白を貼りつけるがしていることを話せる」
復習だからといって、既知のものばかり聞かされるのではなさそうだ。芙実乃は隣りの景虎にちらり視線を走らす。魔法を使う意識を作り、パートナーの魔法少女に使わせる、というのが景虎ら戦士として迎えられた者に求められる役割だ。地方の交番勤務、のような就業をした場合など、毎回不特定の魔力提供者の魔法で任務に当たらなくてはならなくなるため、魔法に対して共通の認識でいることは、戦士、魔法少女、どちらの立場でも重要になる。
ただ、芙実乃の目標は景虎のパートナーであり続けることだ。それを実現したいなら、士官学校、軍、と辿るコースを一緒に進まなければ叶わない。
芙実乃は気持ちを引き締め直して、授業に集中した。
「空白が魔力だと感じている君らは正しい。が、おそらく魔力がしていることを半分だけ、表面しか理解できてない。ただ、それも無理からぬこと。五感で認識できるようなことを魔力はしていない。たとえばだ、右手を動かすのに脳の働きは必須だが、脳を意識せずとも右手は動かせる。こうしたことを魔力もまたしているわけだ。だが、考え過ぎると魔法を使えなくなったりするから注意するように。むしろ単純に考えるようにという意味合いが強い講義なんだ、これは。でも、これを曖昧にしておくと、魔法の使い方を唐突に意味不明に思える瞬間が来てしまうからな。そうならないために頭の片隅にでも置いておいてくれ」
講師がそこで一拍置いた。生徒の関心を惹くテクニックなのか、芙実乃の意識も否応なく囚われてゆく。元よりざわついていたわけでもないのに、教室内が一段上の静寂に包まれた印象だ。
その空気になるのを待っていたのか、教壇上を歩いていた彼女は机に手を置くと、誰に聞かせるでもないような小声から入り、最後の一文だけ声を張るというメリハリをつけて皆の耳に届かせた。
「そうだな、一言で言うならこういうことだ。――魔力は世界を保存している」
魔力は世界を保存している。
その言葉を噛み締めさせるためなのだろう。講師はしばらく教室内をゆっくりと見回すだけで、その口は沈黙を貫いた。だが、生徒たちが周りと話しはじめる前に早口で列挙した。
「二重に存在させる。上の次元に押し込める。存在と非存在を切り替える。どう保存してるかはわからない。どうでもいい。要は魔力が魔法として発動して敵性体を破壊している裏で、環境に別のダメージを与えてる、なんてことは、散々実験しても観測できてないってことだ」
うん、と講師は一つ頷く。それを合図としたかのように、講師は口調を楽しげなよもやま噺風に切り替える。
「こんな観測結果がある。密閉された空間を燃焼する気体で満たし魔法で火だけを焚く。術者にそれを長時間維持させるとやがて気体は燃焼され尽くすが、燃え拡がらなくなるだけで魔法の火はまだ存在できる。術者が火を焚こうとするのをやめない限りはな。そして火魔法を終える、とだ、魔法で火になっていた体積分の気体が、燃焼されぬまま空間内に残されるのだ」
芙実乃はまだライターくらいの火魔法しか使えないが、フレアが立ち昇る太陽、フレアが消えて球状になった太陽、を野球ボールサイズで思い浮かべ、それが消失する風景を想像した。満たされた酸素が燃焼され尽くしても、魔法を解くと野球ボールと同体積の酸素が残る、と。
「水魔法の実験もこんな感じだ。湿度四十パーセントの密閉空間に水弾を出し空間内を満遍なく通過させ魔法を終える。すると床には水弾に満たない程度の水滴が残り、空間内は湿度がほぼなくなる。ゼロではなくてほぼなのは、水弾を生成した際に保存された空気が湿度四十パーセントで戻り、水弾が動かされている最中の取り込まれた水分も残る水滴も、微量ながら気体に戻ってしまっているからだと考えられる。だが時間を経過させると水滴は気化してしまい、この空間の湿度は元の四十パーセントに戻るのだ。これは即ち水弾の水が消失している、魔法で生成された水は魔力で維持されなければ世界に存在を確定させられないのを顕している」
芙実乃はこれまた水魔法を、自身が作れるピンポン玉サイズではなく、やはり野球ボールサイズでイメージした。湿度の濃度とかは食塩水の問題と置き換えることで、なんとか理解を諦めることを回避する。
「質量が不変だという認識を持つ者も多いと思う。斯く言うわたしもそうだ。だから安心していい。魔法はそれに反しない。魔法を出した空間の体積分の空気が世界から目減りしている、なんて心配も無用だ。水魔法や土魔法をいくら使っても、惑星の体積が増えるわけでも、表面が泥で覆われるなんてことにもならない。訓練場に魔法の痕跡が残らないのは、瞬時に清掃されるとかの仕様でもない。そんなふうにできるのなら、宇宙に惑星を造ってしまえる可能性まで出てきてしまうだろう? まあ、その類の魔法を使う者もいるらしいが、羨ましがるのは早計だ。そういう場合、特別待遇と引き換えに魔法使用の管理を受け入れざるを得なくなる。ただ、その魔法を使うのは数人しかいないとされる生粋の魔法能力保持者のうちの一人で、使うのも体系の違った別異世界の魔法と聞く。こちらでそれは魔法でなく実存浸蝕型概念異能という区分にされている。模倣は誰にもできんという話だ」
芙実乃のように召喚される魔法少女は一学年四〇九六名。同様の召喚数で運営される異世界人学校が国内でさらに複数あるこの国は、世界の中でも中規模程度の国土しか持たない。
つまり、この国のみならず数百年にも渡って魔法少女召喚を続けていてなお、数名しか魔法世界の住人を呼び出せていないことになる。希少性も窺い知れよう。
「もっとも、ここで教えてる魔法もこの世界由来のものではない。ここの世界も君らの世界と同じく魔法など存在してなかった。それを持ち込んだのがはじまりの魔女と呼ばれる魔法少女で、わたしを含む魔法少女の皆と同じ方法でこの世界に迎えられた。話のついでにもう一度これを言っておくが、魔法の発現者にはこの方法で迎えられた者――魔法少女にしかなれない。現地人は誰一人、戦士として呼ばれた者にも不可能だ。使用者と間違うなよ。使用者には誰でもなれる。現地人、戦士、魔法少女も、だ。魔法少女が他の魔法少女に魔法を発現させるって意味だから、混乱してる者は実技担当官にでも納得するまで聞くように」
ちなみに、退職するこの講師の替わりは、話に出た実技担当官の誰かになるらしい。最も適性の高い実技担当官が講師に繰り上がり、その分の実技担当官が一人補充される。ただ、繰り上がる実技担当官というのが現在三年の担当をしているため、後釜に即補充された魔法少女を座らせるわけにもいかず、全学年の担当が微妙にずれるという話になっている。
人見知りな芙実乃は、クラスが巻き込まれなければいいなと思っていた。
「本筋に戻る。魔法が世界を保存しているというのがどういうことなのか、例に出した事象で雰囲気は呑み込めたと思う。これを君らの訓練風景となぞらえるとこうだ。水弾を的に当てるとするな。これを魔力の働く順で見ていくとだ、水の生成と世界の保存が表裏一体の同時進行で完了する。そして飛ばすわけだが、ベクトルと魔力の関係はやることの簡単さに較べて説明は多岐に渡って煩雑なんだ。投げる感覚と慣れでどうにもならないと感じたら学べばいい。ここでは魔力がどう作用するかだけ教える。魔力は、飛んで行く水弾の強度に速度、軌道や維持時間などに適宜振り分けられる、と教えられたな。操魔法はまた異なるが、要は最初に魔力を込めてしまうわけだ。熟練すれば精度や魔力効率が上がる。飛んでるあいだに水が散ってしまうのは主に強度不足が原因だぞ。慣れれば上手くなるんだから気にしなくていい。で、水弾は的に当たったら当たったで弾けてしまうな。飛沫が飛ぶだろう。それは魔力がまだ残ってるからそうなる。強度不足による水の飛散も実はまったく同じだ。細かさゆえに速度や軌道が空気等の障害に抗えなくなるわけだが、これは空気が的の役割をして、飛沫を逸らしたり弾けさせたりしてるんだ。そうやって分割され過ぎた水は先に消えたように思えるだろうが、それは単に肉眼で見えないだけで、均一のイメージで生成した魔法なら消えるのも全部同時だ。だからロスの無い水弾なんかを的に当てると、飛沫なんて影も形も現さず嘘のように消える。的に威力の測定値だけ残してな。ただこれは一見の価値があるだけで実戦向けではない。遠ざかる方向に敵がずれていた場合、威力を与えきる前に魔力が尽き、魔法が消失することになる」
長い説明のわりに芙実乃にはわかりやすかった。実技でやっていることと符合する話だったからだ。芙実乃はまだ三割ほどしか成功させられない、魔法を的に届かせられる魔法少女の中に滑り込んでいる。が、その芙実乃にしても、ピンポン玉サイズの水弾は的に届くまでにアメ玉くらい小さくなってしまう。それの詳細を教えてもらえたようなものだった。
講義を面白く感じ、芙実乃はさらに傾聴する。
「この消失こそがつまり、世界の復元だ。水弾がどう散らばろうと、生成した瞬間に保存されていた世界の欠片が今度は魔法が消失した位置で補填される。結果、世界は元の構成物質だけの状態に戻るわけだな。だからといって与えた威力まで消失するなんて思い込みはするなよ。魔法をぶつければ、人だって敵性体だってダメージは残る。魔力で存在を世界に確定されているあいだの魔法は実存を否定されないということであり、魔法が行使されていた時間や痕跡まで消えてしまうわけではないということだが、そちらの理解は火の属性で話したほうがわかりやすいな。火魔法も行使後には、表の魔力であった部分が裏の魔力で保存されていた構成物質で適宜充填される。だが、魔法が発動している最中に燃やしてしまった空気は戻らないし、何かに引火してしまったなら魔法が消えようと燃え続ける。このあたりはもう、科学的な状態変化とかそれこそ質量とかの領域だ。興味があれば各々で調べてくれ」
そこで話を打ち切ろうとした講師だったが、何か思い出したみたいに話を続けた。
「と、そういえば一昨年、この講義の直後に興味深い考察をした一年がいたな。現在三年の首席で、総代のパートナーでもあるザヴィヴァアノという生徒だが。彼女は砂漠の行軍を例に挙げてこんなことを言ってきた。水魔法での水分補給は問題もあるが、渇きと体温上昇の緩和は望める。さらに継続時間を長時間化すれば、体外排出される水分を何割かでものちに消える生成された水で代替でき、実質的に本当の水分摂取に近い効果すら得られることになるはず。活動と生存を、上手くやれば渇ききったあとでさえ続けられるのでは、とな。これはこの世界での魔法運用において意識改革をもたらしたとまで言われている提言だった。魔法少女の地位や好感まで上げてくれた出来事だったからな。感謝はまあ、何かと忙しいだろうから心の中で済ますとして、もし話せる機会があったなら幸いと思って、魔法の相談でもしてみるといい」
芙実乃は景虎をちらりとも見ないようにした。
話に出てきたザヴィヴァアノというのは、景虎が昨日、芙実乃の目的が魔法で達成可能かの可否を問うた上級生のはずだ。しかし、その目的がこの世界の人や組織にどう受け取られるかわからないため、関連しそうな話題に飛びつかないようにするのが基本方針だ、とも景虎から釘を刺されていた。だが内心、芙実乃は胸を躍らせてもいた。迂闊に人を信じない景虎が相談を持ちかけた人物は、講師にまで絶賛されるほどの知見の持ち主だった。
そんな人を見極めてしまう目までをも備えている景虎のパートナーであることに、芙実乃は恵まれているな、としみじみ噛み締めるのだった。




