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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
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Ep02-01-04


   4


 ルシエラの部屋で、二人きりでの朝食を済ませた芙実乃は、景虎との合流を果たすべく教室へと足を向けていた。ルシエラの部屋からだと彼女のクラスのほうが近く、そこを経由してからの移動だから、この異世界で初めてかもしれない一人歩きだった。

 と言っても、ルシエラと別れた直後にクロムエルから連絡が入り、教室まで離れて見送ってもらえる手筈になっている。おそらくルシエラと二人の時も見守られてはいたのだろう。無断でだったのは、クロムエルを嫌うルシエラへの配慮か。そうした配慮を、彼は欠かさない。

 景虎に心酔しマスターと崇めているくらいだから、最優先は当然景虎への忠誠だが、景虎が不在の時などは芙実乃やルシエラに危害が加えられないよう気を配ってくれる。いま芙実乃と同道しないのも、妙な組み合わせで歩いて詮索されたりしないように、というまたこれも景虎と芙実乃への配慮に違いなかった。

 だけど、彼と一緒に歩かなくて済むのは、正直芙実乃としてもほっとしてるのだ。

 ルシエラほどではないにしろ、実は芙実乃もクロムエルが苦手だった。もちろん隔意があるわけでは断じてない。人柄なら全幅と言っていいほど信頼している。清潔感の塊みたいな印象で、生理的な嫌悪感が立ってしまうというのでもない。景虎に見蕩れ慣れ過ぎたせいで目が惹きつけられることはないが、彼だって稀に見る美丈夫と言えよう。輝くブロンドの美形で有名な外国人スポーツ選手がごくごく自然に騎士流の礼儀作法をしている、風な人だ。ではそんなクロムエルの何がいったい芙実乃の苦手意識に作用しているかというと、答えは至って明快。

 芙実乃は、背の高い人間が苦手なのだった。

 景虎陣営の四人、みたいな括りで身長順に並べてみると、芙実乃が一四〇センチ、ルシエラが一五五センチ、景虎が一六五センチで、クロムエルは一九〇センチを優に超す。全部芙実乃の目算した数値でしかないが、クロムエルは飛び抜けて長身だ。

 芙実乃が長身の人間に苦手意識を持つ理由として、バダバダルが規格外に大きかったというのも挙げられるかもしれない。しかしそれ以上に、日本で暮らしている時でさえ、長身の部類に入る人間が、周囲には一人もいなかったのが理由の大半だろう。長身の人間が近くに寄って来るだけで、何事かと思ってしまう。具体的に言えば、長身の人間はその身長の三倍は開けた距離を保っていてくれないと、恐い。

 まるで電線工事のクレーン車の直下を通っているような気分になるのだ。ほんのちょっと肘に動かれただけで、すわ、クレーン車が動きだした、みたいに感じてしまう。内心でひやっとしただけでも顔に出なかったか気が咎めるのに、本当にびくっとでもしようものなら、気づかれて気を悪くされたのではと頭がぐるぐるする。最近では、物怖じしないルシエラのほうが、実はクロムエルを怖がってないのではとさえ思っているくらいだった。

 申し訳ないオーラを背後に漂わせつつ、目的地である教室が見えるくらいまで歩くと、芙実乃はクロムエルに通話を繋げた。彼を自クラスへ帰らすためだ。だが、喋りだす段になって、ふと、廊下から教室内を眺めるのに適した位置に陣取る男女の二人組みに気づく。

 芙実乃のクラスに見物客が来るのは珍しくない。むしろ日常と言えるくらいだった。

 なぜなら、芙実乃のクラスは景虎のクラスでもあるからだ。

 しかし、その二人にはなぜだか違和感を覚えた。景虎を見に来るにしても、男女二人きりでというのが奇妙に思えたのだ。三人以上で連れ立ってなら、男女混合というのも見かけなくはない。だが、同性の友人同士でならともかく、素敵な景虎を見たがる女子に、わざわざ男子が同伴するものだろうか。廊下の反対側に陣取る彼らを見つめる芙実乃の視線に、知らず知らず訝しげな色が差してくる。が、それも片時のこと。

「芙実乃殿、どうかされましたか?」

 通話の声で我に返った芙実乃は、即座に意識を電話対応に切り替える。

「ああいえ。教室が見えてきたのでここまででって連絡です。ありがとうございました」

 クロムエルはそこそこ離れた後方にいるはずだが、見られているという意識が芙実乃にお辞儀までさせた。しかし歩きながらでのその挙動が身体のふらつきを生みだしかけ、自力で歩くことにまだまだ不慣れな芙実乃に危機感を芽生えさせた。芙実乃は、この世界に来る前の日本では、自力で身体を動かすことができなくなる病と戦って生きていたのだ。

 よそ見して歩くなんてことはしちゃいけない。

 そこでなぜよそ見したのかも頭から飛んでしまった芙実乃。前を向く。だからそのすれ違いざま、二人組みの少女のほうが手を動かしたことなど見ていない。目に入ってさえない。何をされかけたのかの察しをつけるどころか、記憶に残る可能性がはじめからない、くらいに見逃してしまう。芙実乃の関心はその時すでに、教室前方の人だかりへと囚われていた。

 何を目当てにしたものかが一目瞭然の女子の群れ。

 その光景の認識と通話の切断で、芙実乃の意識から、クロムエルへの申し訳なさも不審な二人組みのことも、綺麗さっぱり処理待ちの行列から排除して良い案件に成り果てた。道すがらの観察や考察など、そもそもがすることがなくてしているだけの暇つぶし。

 頭の中はもう、景虎のことでいっぱいだった。芙実乃に気づいたクラスメイトの女子たちに道を開けられ、芙実乃は景虎の許へと真っ先に馳せ参じる。

 そこには美が顕現していた。

 この世界ではやや珍しいとされる深黒の髪が、朝の光量を纏わせて宝石も斯くやという輝きを放っている。白磁の肌には最上級の純血が溶け混じったかのような仄かな生色が差し、その紅をさらに滲ませた唇は舞う桜の花びらを想起させる優美さと色を湛えている。鼻筋と顎のラインは、芸術家がそれを描き出せたならその会心の出来栄えに打ち震えるに違いない完成度。だが、その芸術家をもってしても、各々に違う粋が凝らされた睫毛の一本一本を写し取るのは不可能だ。ましてや、閉じられた瞼に隠された瞳は、宇宙のどれだけの色を集めれば再現できるかも見当がつかない夜の色。

 瞑想しているかのような佇まいの景虎を前に、芙実乃は緊張の高まりを感じた。とんでもなく醜態を晒してしまった昨夜のことが思い返される。

「かかか、景虎くん、おはようございます」

 この世界に来てから朝夕の食事はずっと一緒だったから、朝食を別にした今日ほど離れ離れになっていたことはない。地球時間で一時間超もいつもより長く会えてなかったのだ。

 ルーティンが崩れることで改めて思い知らされる、破格の厚遇。感謝が溢れる。

「お会いできるこの時を、一日千秋の想いで待ちかねておりますれば候」

「そうか。しかし芙実乃。そなた口調が古語の調べとやらになっておるまいか?」

 芙実乃にその自覚はない。ただ、昨夜は大泣きして困らせてしまった。ここでさらに気後れなどしていては、景虎の気づかいを求めているようになると思い至る。

 元気を出そう。芙実乃は勇気を奮い立たせる。ものの、この世界で五体満足な身体にしてもらえる前の日本での数年、芙実乃は意思の疎通に文字盤を使っていて、ある意味言葉を吟味する時間が許されていた。同時に浮かぶいくつもの言葉を混ぜ合わせて編集する時間をだ。が、いまはそれがない。でも会話は途切れさせたくない。だから芙実乃は咄嗟に、思い浮かんだ候補の中で最も元気と威勢が伝わりそうな、こんな言葉を選択した。

「そそそ、そんな。滅相もございませんや、旦那」

「朝餉をともにせぬと見知り置かぬころに戻るのか。無理に喋らず落ち着くのを待て」

「ははぁっ」

 自信満々で返事をした芙実乃だが、席に座ると思考力を取り戻し、羞恥心で頭を抱えた。

 しかし、芙実乃のこういうところが、クラスの女子たちの妬心を絶妙に遠ざけ、自身をマスコットの立ち位置へと置く一因となっていることを芙実乃は知らない。当人としては、景虎の庇護下にあるのが知れ渡っているから、そこはかとなく姫のように気づかってもらえている、くらいの勘違いを引き起こしているのだが、実際には芙実乃は芙実乃で、周囲からその挙動や言動を楽しまれていたりする。

 もっとも、それがちょっかいやらいじりやらの行為へと掛け違っていかない主たる要因は、景虎が自身への憧れと畏れとで、クラスの方向性に見えない楔を打っているおかげだろう。

 女子たちはだから、芙実乃を笑い者にしていると取られないよう、歯を噛みしめて吹き出すのを耐えるしかない。景虎への囲み取材を断念し、ほぼほぼ決まった着順の席に引き返してゆく。いまは机に突っ伏していて見ていないが、クラスの皆が自分から目を逸らして小刻みに震える姿は、気にしていないだけで芙実乃にも馴染みの光景なのだった。

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