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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
29/140

Ep02-01-03


   3


「これこっち側の角に行くだけでベッドが出るようになってる? もしかしてルシエラって、床に寝なくちゃいけない習慣とかがあるの?」

「そんな習慣の人がどこかにはいるの?」

「ルシエラがそうなのって確認だったんだけど、その様子だと違うみたいね」

 芙実乃がなんだかわかったような顔だ。ちなみに、先程から芙実乃が疑おうともせずに口にしている『ルシエラ』というのはルシェイラのことだ。芙実乃に景虎、またそれ以上にこの国の人間たちは、一音一音をはっきりさせる喋り方をしていて、ルシェイラを『ルシエラ』としか発音しない。姉がつけてくれた名前を間違われるのは本来不本意ではあるのだが、困ったことに、彼女たちの言う翻訳うんぬんが『ルシエラ』を自分だと思わせてしまうらしく、間違いを正せぬまま定着されてしまった。ただ、景虎が音にする『ルシエラ』は響きが美しく、聞けなくなるのが惜しいくらいうっとりとさせてくれるから、ルシェイラはもう『ルシエラ』を受け入れようかなとも思っていた。

 ルシエラは景虎が好きなのだ。

 理由は、美しいから。

 ルシエラにとって、美しいというのは正しいということに他ならない。現に、景虎はとても勝てるとは思えないような大きくて醜い相手に、言い表せないくらい美しく戦って勝った。それは美しく振る舞うことが何よりも正しい、と実感させてくれるものだった。

 さらには昨夜、ルシエラの『正しさは美しさに比例する』という信念を確固たるものにする話を聞けた。誰あろう景虎その人が、彼のパートナーである芙実乃を手助けする理由として、美しい、を挙げたのだ。

 それはもはや、ルシエラに自分が真理を啓いていたとの確信を抱かせるのに充分な出来事と言えた。だから一晩明けて、ありとあらゆる行動の基準を景虎に倣うべきだとの信仰が強まっていたとしても無理からぬこと。

 ルシエラは、景虎さえ信じていれば無敵の気分でいられるようになっていた。

「ああ……ほら、奥に行くとこれは……トイレとシャワー……だけで浴槽はなし。でもその場に衣服を放置で洗濯乾燥までやってくれちゃうんだ。へえ」

「すごいでしょ」

 ぶつぶつと独り言のようにつぶやいていた芙実乃の感心した雰囲気を察し、とりあえずルシエラは胸を反らしてみる。声に反応した芙実乃が、コンソールとかいう光でできた板から目を離してルシエラを見上げたが、その表情は感心というよりは拍子抜けに近かった。

「はいはい。そっちは使えてたわけだね。じゃあちょっとあっちの角に行ってみて。――ね、ベッドが勝手に出てくるでしょ。今夜からはちゃんとそこで寝るようにしなよね」

 この芙実乃というのは、景虎と同じ世界の人間で、この世界に景虎を呼び出した張本人だ。言ってみれば恩人、でもいいくらいなわけだが、いかんせん、実際の芙実乃はルシエラの妹分でしかない。

 なぜなら芙実乃は子供だから。それも、手のつけようもないくらいの。

 昨夜だって芙実乃は、自分の部屋に帰れなくなるほど前後不覚になるまで泣き、ルシエラの部屋に泊まるしかなくなった。それが今朝は起きるなり、床で直に寝るのはどうとか、デフォルトの白のままは殺風景だとか言い出したのだ。ばつが悪いのをごまかしているのが丸わかりだが、さすがにそこをつっつくのは大人げないからやめておく。

 恥ずかしい理由で泣いたのでもないし、あんなふうに景虎に言われたら、泣くのも当然だ。お互い様だし、年長者の立場で見守ってやろう、とルシエラは考えていた。

 というのも以前、ルシエラは芙実乃に泣かせてもらえたことがあるからだ。

 そう。もらえた、だ。

 ここで目覚めるなり魔法少女にされ、騎士がパートナーだとか言われて、ルシエラはずっと怒っていた。生活の何にも困らなくて、清浄な場所がどこまでも続くここを、天国だと思うのにも抵抗感があった。ここが天国だと、自分を火刑にするのは救うためだとかの教えを説いてきた聖職者が、デタラメを言ってなかったと認めなくてはならなくなる。姉だっていない。追いかけて来たのも父ではなくて見知らぬ騎士だ。多少まともな容姿をしているからといって、騎士なんてものを天国に連れて来ていいわけがないのに。

 そういう憤懣や鬱屈を、ルシエラは召喚されてから入学までの四月間抱え続けてきた。だがそれは、怒りというかたちで保ってなければ耐えられそうにもない色々から目を逸らすため、固執していただけだったのだろう。

 だから、ルシエラの理想と何も反しない無二の存在――柿崎景虎――を見つけると、縋る手を伸ばさずにはいられなくなった。手を差し伸ばされた人――景虎はその手を振り払いはしなかったが、ルシエラがそのまま景虎から手を離さず、いつまでも掴み続けられていたかというと、難しかったのかもしれない。

 景虎は理想どおりの人ではあったが、神々しくて近寄りがたくもあったのだ。

 それをとりなしてくれたのが芙実乃だった。

 景虎に縋ろうとするルシエラの手に、芙実乃が手を重ねてくれたから、一緒に握ってくれたから、ルシエラはこの世界に来て初めて安心できた。泣くことができた。あの温かみをずっと覚えているから、ルシエラには昨夜の芙実乃の気持ちがわかるのだ。

 芙実乃は景虎に美しいと言われた。

 それは元の世界での生き方を、在り方を肯定されたという意味だ。はたで聞いてたルシエラですら、信念の一致に胸を震わせていたのだから、直接言われた芙実乃はその比ではなかっただろう。あの日のあの場所でルシエラが感じた安心を、芙実乃も味わったに違いない。

 良かったね、とルシエラは心の底から思う。

 ただその一方で、ルシエラにはほんの少しだけ胸に棘が残った。それは、芙実乃がその安心を、景虎だけからもらえていたことによる。

 そのことが、小さな小さな棘となって、一夜明けたいまでも抜けて行ってくれない。

 残っているその棘が、思い出したように胸を疼かせるのだ。

 元気になった芙実乃を見て思い浮かぶ言葉が、良かったよりも良かったねが主となってしまうのは、そのせいなのかもしれない。今度は模様替えだとはりきりだした芙実乃をからかってやろうか、という気持ちがわずかばかり首を擡げてくる。

「白のままのほうが綺麗なんじゃない?」

 案の定、芙実乃はちょっぴりふくれっ面になった。

「えぇー。それはルシエラが白を好きだから? それならいいんだけど、清潔に見えれば見えるほど綺麗が足されちゃうみたいな感じなら、お部屋はちゃんとリラックスできる雰囲気にしてたほうが居やすくなると思うよ」

「でも景虎の部屋だって、床は違うけど壁は白いじゃない」

「あれはまあ、白と言っても昔の白壁風の白に調整してあるし、ここの全面蛍光灯みたいな感じじゃないでしょ? たぶん暗くしてもここみたく、真っ白な壁がほわほわっと光って迫って来る感じにはならないよ」

「じゃあ景虎は、ここの白より自分の部屋の白のほうが綺麗だと思うのね?」

「ん……んんー? いや、色そのものの好みは聞いてないけどまあ、お部屋を和室風にってあの配色にした時に『良いな』って言ってくれたわけだから、やっぱり部屋は落ち着きを基準に考えるのが、景虎くんでも普通なんじゃないかなあ」

「そう。じゃあ、景虎と同じにするわ」

「それがいいならそうしてもいいけど。でもルシエラ、ここに一人でいる時に混同してもわたしはすぐ助けに来れるわけじゃないんだからね」

「何よ助けにってばかにして、わたしのほうがお姉さんなんだから困らないわよ」

「いやほら、困るって言うのは、ここの部屋で寝てて起きてさ、寝ぼけて景虎くんの部屋だと勘違いしたとするでしょ。そしたら、わたしの部屋に呼びかけようとして、隣の部屋の女の子を叩き起こしちゃったりするかもってことだよ」

「かまわないわ」

「もうっっっ! ルシエラはまったくルシエラは。そんなふうに人に迷惑かけていいわけないでしょ。それに寝ぼけて部屋の左右まで間違えちゃってたら、起きて壁越しに応対するのは、クロムエルさんになるんだからね」

「えっ……、どうしてそんなことになるの。だいたい、もう片方も女の子だとか芙実乃が知ってるわけないじゃない。わたしの部屋に来たのは昨日初めてでしょ」

「初めてだけど、初めてですけど、部屋割りはそもそも、パートナー同士が並ぶようになってるものなの。わたしの部屋の隣が景虎くんなのはルシエラも知ってるでしょ。それで両隣も別のペアなのが普通の並び。わたしは角部屋だから別の隣の人がいないわけだけど、クラスごとに固めて、この世界に来た順で並べてるって聞いたよ」

「それだとわたしの隣が女の子ってことにはならないじゃない」

「変に頭の回転がいいんだから。えーっと、正しくは来たペアの順、かな。それをね、こう、パートナーじゃない男女が隣り合わないようにくるっとさせた配置なんだって。だから三ペア六人の並びで言うと、女男男女女男みたいな感じ。魔法少女が女の子を呼び出すパターンもあるとかないとかだから、より正確にだと、魔法戦士戦士魔法魔法戦士の順になるの」

「そう……。じゃあ本当にあいつが隣なんだ……」

「ほんとに知らなかったの……って、担任からも隠されてたのか。でももう、ほんの少しくらいはだいじょうぶなんじゃないの?」

「ないわよ」

 ルシエラはクロムエルが嫌いなのだ。

 理由は、騎士だから。

 だからクロムエルが自分で名乗るとクロムウェルに聞こえるのを知っていたが、修正などはしてやらない。ちなみに、同世界人であるはずの彼が稀にルシエラの名前を出す時も、ルシェイラとは言わない。なぜならそれは、ルシエラが彼に自分で名乗ったことがなく、この世界の人間である担任からまた聞きをして知ったせいだ。もちろん、姉がつけてくれた名を彼にだけ呼ばれるというのを許せるはずもなく、誤解は解かずにいた。

 それほどまでに、ルシエラはクロムエルを許したくない。いや、なかった、が正確か。

 月一戦初戦終了後、クロムエルは景虎の家来になった。それで仕方なく、ルシエラはクロムエルを許さないわりに追い払わないようにしている。景虎は美しくて間違わないのだから、クロムエルがルシエラに危害を加えることはない、と自分を言いくるめているのだ。

 芙実乃の問いを否定したが、実状はあながち間違ってもいない。

 頭を抱えてしくじったという様子の芙実乃を見て、ルシエラはため息をつく。

「嘘。いやだけど芙実乃の言うとおり、だいじょうぶになってきたわ」

 芙実乃のほへーっと息をつく安堵の顔を見て、ルシエラは閃き、にやり笑った。

「むしろこれはチャンスと見るべきね。壁越しの部屋に火の魔法をぶちこんでやるわ」

「やや、やめてー」

 ルシエラの伸ばした右腕に、芙実乃がひしっとしがみついてきた。

「何よっ! 芙実乃が教えてくれたんでしょ!」

「ごめんなさい、ごめんなさい! わたしを教唆犯に仕立てないで!」

 二人して息を切らすまで揉み合ったのち、ルシエラは芙実乃をからかうのをやめる。

「そもそも、なんでこんな話になってるのよ」

「それはルシエラが……って、だめだっ。そ、そもそもは模様替えの話だってば」

「ああそうそう、景虎と同じに……だと、まずいんだっけ。もう芙実乃が決めなさい。景虎のとこも芙実乃がやったって言ってたし、それで景虎と同じってことにするわ」

「わかった。じゃあまず、蜂蜜色から試してみよっか」

「わたしの髪の色に合わせるわけね」

 この蜂蜜というワードからそうすぐに連想できるのは、以前にも芙実乃が使用したからだ。もちろん、なんのことかの理解くらいは最初からできていた。ただそれは、芙実乃がルシエラの髪の色を、そのワードを用いて区分している、くらいの認識だった。それが二度三度と聞く回数を増やすたび、蜜の一種だとか、蜂という虫だろうとかの予測がついてきた。わざわざ芙実乃に確認したわけでもないのに、だ。もっとも、聞かずに理解できるのはその程度までで、以後はそういう気づきもなくなってしまう。だから、そのものの姿さえも伝わる、ということではないのだ、誰かの元の世界にだけ存在するものの場合は。

 が、しかし、ルシエラは今日この時、芙実乃がイメージする蜂蜜を目の当たりにした。正確には、再現された蜂蜜の実態を目の当たりにした。

 芙実乃が、コンソールの光の中に指を差し込んだ瞬間だ。

 壁が、床が、天井が、一瞬で液体さながらの質感を伴って変色した。これが蜂蜜。

 酷い。特に、床がこれだと沼に沈んでゆくような錯覚にさえ囚われる。いや、壁や天井にしたって、ましだなどとは言わせない。いまにもこちらを押し流そうとしているようにしか見えないのだ。ここで眠れば確実に悪夢にうなされる。否。この光景こそが悪夢だった。

「何、コレ! ぜんぜん落ち着かない!」

「ふくっ……くっ。べとつきまでこんな忠実に再現されちゃってまあ、スライムの迷宮の財宝部屋みたいだよ、あはははっ」

 吹き出した芙実乃が口とお腹を押さえていた。

「あはは、じゃない!」

 ルシエラは手をぎゅっと丸めて、ぽかぽかと芙実乃を叩きだした。加減はしてやるが、元に戻すまではやめてやらないつもりだ。

「ごめん、ごめんって。脳エミュレータを使用して精細に再現しますかって出たから、押してみちゃったんだよ。操作しにくいからやめて」

「まったくもう」

 ルシエラは腕を組んでそっぽを向いた。けれど、ルシエラは芙実乃とこうした時間を過ごすのが、わりと気に入ったりもしていた。

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