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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
28/140

Ep02-01-02


   2


 意味のわからない、だが、異様なまでに不穏な響きのある言葉をルシェイラに投げつけた男が、ルシェイラの着衣の乱れた部分にちらと視線を走らせ、さらなる言葉を吐き出した。

「男を惑わす魔女に違いない」

 男の連れたちも、発言当初は呆気に取られたような弛緩した雰囲気を漂わせていたものの、男が少年らに質疑を重ねていくうちに、表情に真剣味を浮かべるようになってきた。それどころか、ルシェイラを大切に想ってくれているはずの少年たちまでもが、いつの間にか、ルシェイラに怯えるような眼差しを向けるようになっていた。

 ルシェイラは喪失したかのように声を出せなくなった。騎士たちや少年たちの、怖れをかき消すためのようだった怒りが、別の高揚になってくるのを感じ、糾弾の声に身を強張らせているしかなかった。ただ、誰一人として味方がいなくなってしまった状況でそれは、彼らの主張を事実として肯定したも同然だった。

 だからなのだろう。

 さもそれが当然とばかりに、ルシェイラが騎士たちに連行されることが決まった。

 男だと惑わされるからと、近い街にある教会ではなく、遠くの修道院まで行って、魔女裁判なるものにかけられるのだという。背丈くらいある袋を頭から被され、ルシェイラは馬に括られた。道中は酷い揺れだった。幸いだったのは、家の乏しい食料を気にかけて、朝食は水しか飲まなかったことだ。さらに食事をさせてもらえなかったおかげなのか、夜通しの強行軍をさせられたにもかかわらず、袋の中で吐瀉したのは水だけで済んだ。もっとも、袋を剥ぎ取った修道女たちは、吐いた水でべとべとしたルシェイラを見て一様に顔を顰めていた。

 拷問はだから、真水をかけられることからはじまった。

 到着したのが夜だったおかげで、初日はそれだけで済んだと言えなくもない。だが、濡れたまま石牢に放置されるのは、真冬でもないのに凍え死にを予感させるほどの寒さだった。しかも翌朝にはその凍えきった身体を鞭打たれた。激しい痛みに悲鳴を上げ過ぎて、寒さを零す間もなく声はすぐに嗄れ果てた。そんな中、ルシェイラの震えが恐怖よりも身体の冷えのせいと勘づいた修道女が、暖めてやると言って焼いた鉄串を押し当ててきた。熱さから逃れたい一心で腕を振り解けば、反抗したからと幾重にも縄で縛られ、棒で打ちのめされた。

 すべてはルシェイラに魔女だと白状させるためにしているのだという。

 ルシェイラもそれだけは頑として頷かなかったからか、目や耳や舌や鼻は程度を抑えられてしか痛めつけられなかった。なんでも、いやなものが見えなくなっても、いやなことが聞こえなくなっても、いやな真相が喋れなくなっても、いやな臭いを感じなくなってもかわいそうだからということらしい。おかげでルシェイラは、まっさらだった自分の身体が焼け爛れたり火ぶくれになっている様を見せつけられ、修道女たちからはお似合いの模様がついたと言葉で弄られた。もし姉の子供を家に迎えられても、こんなにみっともない模様のついた叔母になどは懐かないだろうと思うと、拷問のない夜にまで涙が止まらなくなった。食事はさせてもらえなかったものの、度々桶の中の水に頭ごと沈められていたせいで、涙の分まで身体から水分が尽きることはなかった。

 ただもちろん、水だけで衰弱は免れない。食物が胃に収まった最後の日が五日前。牢生活三日目の夜ともなると、姉の子のことも父のことも脳裏によぎらなくなってきた。勝手に意識が落ちるのを待ち、惰性で目を開いていた。風の音だけが認識できる変化らしい変化だったが、突如、人影が視野に紛れ込んで来た。人影は音を立てないよう腐心しているらしく、靴も履かず、つま先をそっと下ろすように階段を下りて来た。

 美しい修道女だった。朝夕と拷問のためにやって来る修道女たちの中にいたことのない、姉よりもやや年上に見える女性だ。華奢な身体つきは想像どおりの非力で、とても苦労しながらルシェイラの半身を起こさせると、自身の胸で倒れないように支えながら、持って来たスープにパンを浸して口に入れてくれた。ルシェイラの口内は歯を抜くという拷問の際にほとんどが歯茎ごと引き千切れていたが、器具で挟み過ぎて砕けていた歯で噛み合わせられる部分が奇跡的に残っており、身体の欲求に従って嚥下できるまでの咀嚼をすることができた。だが、何口目かでルシェイラが痛みに耐え切れずに泣きはじめると、女性も、震えながらルシェイラを抱きしめて一緒に泣いてくれた。女性は、つぎの夜からははじめから噛まなくても喉を通せるくらいの状態にして、食事を持って来てくれるようになった。

 女性が話してくれたことを思い出してみる。彼女の出自は貴族というものらしく、早くに両親を亡くして祖父の許で育ったが、その祖父が亡くなると父親の弟の意向でこの修道院に送られたのだとか。この修道院では発言力こそないが微妙に敬われ、その一方で蔑まれているのだという。似た境遇の修道女が他におらず、ルシェイラの尋問に励んでいる修道女はほとんどが騎士の娘なのだそうだ。騎士の娘は見目が良くない場合、潤沢な支度金でも用意しなければ嫁のもらい手がつかない。その屈辱の日々で傷つけられた矜持を、見目の良いルシェイラに辛く当たり、晴らしているのだろうと。ルシェイラは見目が良くて騎士に奪われ殺された姉の惨状を訴えたが、それこそが彼女たちが心の底から欲した立場なのだから、決して言わないようにと諭された。徐々に冷めるであろう拷問への意欲に火をつけかねないと。

 彼女の言ったとおり、修道女たちからの責めは日を追うごとにおざなりにはなっていった。無論苦痛でなくなったわけではないが、耐えて魔女とさえ言わなければ家に帰れると思えば、我慢できた。気懸かりなのは這って移動するのも困難な父親を家に残していることだ。修道院に連れ込まれて十日を超えた。父が村の誰にも手を貸してもらえてなかったりしたら、ルシェイラは家に帰る意味を喪失する。拷問よりもむしろ、停滞した状況こそがルシェイラの精神を蝕んでいた。だからそれを聞いた時、かすかに奇妙な安堵を覚えた。

 ルシェイラの火刑が決まった。

 理由は食事を与えてもいないのに、生きのびているからだそうだ。件の修道女が食事は自分がさせていたと告白し、連れ出される前のルシェイラに覆いかぶさった。が、あっさり引き剥がされた。彼女は羽交い絞めにされながら、顔を覆って自分のせいだとルシェイラに謝った。

 だが魔女でないことを証明するには、死んでなければならなかったとしか取れない理由で火刑が決まったのだ。だから彼女のしたことに間違いがあったなんて、ルシェイラは思わない。せめてそれを伝えなくてはと、謝らないでやありがとうを残そうとした。しかし、唇はささやくほどの音も出してくれなかった。肉体の損傷を補うほどの体力や気力を振り絞れなかったのだ。牢に彼女を置き去りにして、ルシェイラは修道院から連れ出された。

 村に着いたのは、三日後だ。行きとは違い、乗せられたのは荷車で、道中は食事も与えられた。それでも快適なわけもなく、身体はさらに衰弱していた。そのせいか、村に戻れた安堵や心強さを感じはしても、逃げ出そうという力も意思もどこかへ行ったきりだった。

 もっとも、着いた早々吊られては、どのみち何もできなかっただろう。村では、ルシェイラを燃やす準備が万端整えられていた。結構な数の村の大人たちが騎士に顎で使われ、それをはるかに超える数の村人たちが遠巻きにして見に来ていた。

 そこに、後方から這って近づこうとする人の姿を見つけた。

 見間違うはずもない。父親だ。

 それに気づいたのだろう。居並んでいた村人らが正面までの隙間を開けた。父は必死の形相でその合間を縫い、ルシェイラの許へ駆けつけようとしていた。だが、その遅々として進まない匍匐のための腕が、最前列の群衆より前に出た瞬間、騎士の踵に踏み砕かれた。

 ルシェイラは父を呼んだ。しかし唇はわななくことさえしなかった。ルシェイラの体力は、吊るされているだけで限界以上に使い果たされていた。父の口から連呼される自分の名前に答えるのも無理だった。もっとも、互いが互いを助けたいと願うだけの呼びかけが出来ていたとしても、無力さを痛感するだけになっていたはずだ。父は四肢のうちで唯一損傷してなかった右手までも先程壊されていたし、ルシェイラの身体は、足下の枯れ枝に火を放たれ煙が立ち込めても咳きこむことすらしない。

 意識を途切れさせずに済んでいるのは、一緒に森に入った四人の少年たちが、大きな布を振り回して、粗方の煙をルシェイラから遠ざけてくれているからだ。彼らは皆涙を流していた。きっとルシェイラが焼かれて死んでしまうのが悲しくて抗ってくれているのだ。

 だから、ルシェイラは少年たちを許そうと思った。

 ルシェイラにいやな態度を取っていた少女たちや村長も、ルシェイラが焼かれだしてからはしきりに、父の世話は任せろだとか、安心していいとか必死になって叫んでくれた。

 だから、ルシェイラは村人たちも許そうと思った。

 そして、ルシェイラは修道女たちもまた、許そうと思っていた。

 修道女にだって美しい人はいたのだし、ルシェイラを拷問した醜い修道女たちと一緒くたにはできない。そもそも、騎士の娘だからというだけで醜く生まれなくてはならなかった彼女たちも、騎士という忌まわしい存在のせいで人生を狂わされた被害者で、自分と変わりない。また、騎士の娘が美しく生まれられない、という順当な現実に非難すべき点がない以上、彼女たちの行為を彼女たちだけの責任にされたところで、ルシェイラの気持ちが晴れることはない。

 だって醜い姿に生まれれば心まで醜くなってしまうものだから。

 すべて騎士が悪いのに、そのせいで醜く生まれたあの修道女たちの罪悪を暴いたって、問題は何も解決しない。正しさが美しさにしか宿らないなら、彼女たちが救済される日は永遠に訪れはしないのだ。ならばせめて、自分だけでも許してやらなくては哀れに過ぎる。

 だけど。

 だけど騎士だけは許さない。

 それがルシェイラという名の少女の、生まれ落ちた世界から持ち出した人生の教訓だった。

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