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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
27/140

Ep02-01-01

 第一章 炎の記憶



   1


 少女が火にくべられていた。

 落ちぬよう、十字に組んだ湿った丸木に手のひらを杭で打たれ身体を縄で括られ、身長よりも倍の高さにまで持ち上げられて吊り下げられている。まるで古の聖人にでもするかのような仕打ちだったが、それもそのはず、これを取り仕切る者たちの言い分では、これは少女に対しての救済に当たる行為であるらしかった。

 魔女に堕ちてしまった魂を浄化して、神の御許に送るということであるらしいのだ。魔女という救われない存在を憐れみ、魂だけでも人のものに戻してやろうという、深い労わりや慈しみであると。そのために聖人と等しく扱われているのだと。だからそうされることに感謝しろとすら少女は諭されていた。

 それを言われた時の少女の感慨など、言わずもがなだろう。

 その気持ちは浄化とやらの火に包まれたいまも変わらない。聖職者たちには想像だにできなかったのだろうが、この期に及んで死にゆくまで、少女にその善性を理解する感性が生まれることはなかった。全身に火が回り、足先から灰化して崩れゆく状況では、熱さと痛みの延長線上で混じり合う、未知の感覚に耐えているしかできなかったからだ。

 ひたすら、ひたすら。

 外からの刺激を感じられる身体であるうちは、ただひたすらに。

 だがやがてそれも終わり、命の灯火が消えかかるその束の間。あらゆる感覚が喪われた少女は、このような目に遭わなくてはならなくなった経緯と、自らの短い一生を脳裏によぎらせるのだった。


 姉が死んだ。そうだ。

 東の村の、そのまた東の村の、その南の村の、さらに南のほうにある町から、もう四つ、五つ村を経た所にあるという、なんとかという領主の膝元の街にある大店の大旦那の三男で、騎士の身分とやらに取り立てられた立派な若者というのに嫁いで一年。

 子供を産んでそのまま……ということだったらしい。

 字を読めない父娘に請われ、手紙を持って来た商人の男が音読を繰り返したものの、文面は何一つ変わらなかった。姉が死んだその場で書かれたわけではないその手紙は、確実に届くようにと商人の知己のみに委ねられ続け、父娘に手渡された。

 商人の男の話では、姉の死からはすでに二十日近く過ぎているだろうとのことだった。

 少女――ルシェイラとその父親の手には、先の手紙と幾許かの金子だけが残された。嫁いだ男の実家から毎年送られると約束された額に相違ないらしいが、姉が亡くなってしまったなら来年からは届かなくなるに違いない。

 降って湧いたような幸運な話なのだからと、しがみついて放そうとしないルシェイラの手をさすりながらほどき、姉は荷車の上からいつまでも手を振り、家族の誰も会ったことがない男の許へと嫁いで行ってしまった。姉のことは、男の父親が一方的に見知っていたという話だ。これから騎士となって励んでゆく息子に、美しく気立ての良い娘を娶らせてやりたいと思い、使いを寄越したのだという。姉は半日も考えずにその話を受ける決断を下したが、出立までの数日、姉のため息の回数が増えていくのをルシェイラは見逃してなかった。

 だから、幸運なのは姉ではなく、父親とルシェイラにとってだったのだろう。父一人娘二人の三人家族は、誰もが自分よりも家族を大事にする傾向にあったが、とりわけ姉の献身ぶりは残る二人の及ぶところではなかった。そうしたことを本来するはずだった母親は、これまた血筋というべきか、産み落としたルシェイラをひと目も見ることなく、出産後失った意識を取り戻さないまま亡き人となっていた。

 その時にまだ五歳でしかなかった姉に支えられることで、破綻を免れてきた一家だった。父親は妻を亡くした痛手に呆然としたまま、一年余りの期間、日々の仕事をこなすだけになっていたらしい。そんな状況にもかかわらず、姉は死んでいて当然のルシェイラを生き長らえさせた。それは多分に村人たちの手助けに支えられた側面もあっただろうが、ルシェイラをここまで成長させた最大の功労者を挙げるなら、やはり姉でしかない。

 鄙びた村の娘に似つかわしくないルシェイラという凝った名も、父に代わって幼いころの姉が懸命に考えて名づけたものだ。ルシェイラが乳幼児のあいだ、母乳の出る女性を求めて村中をさまよってくれたのも姉だ。だからルシェイラにとって姉は、時には父親に占有されることもあるはずの本物の母親より、より純粋に母として慕わしい存在だった。

 その姉を奪われて、殺されて。

 挙句の果てに、姉を娶った男は、生まれた子供に母親が必要だからと、ルシェイラにその気があるなら後妻に来るよう、姉の死を報せる手紙の最後につけ足して寄越してきた。なんでも姉は妊娠中、お腹をずっと撫でながら、妹のように美しく素直で可愛くなれと願っていたのだとか。それで、そんな娘なら代わりの母や妻にちょうどいいと思われたのだ。

 ルシェイラは姉を娶った男――騎士を憎んだ。

 そんな男の子なら、姉の子でもいらないと思った。もちろん、ただただ姉の遺児としてその子だけがこちらの家に来たのなら、何を犠牲にしてでも育てる覚悟が父娘にはある。だが、姉の遺児を育てるだけのために、そんな男に嫁ぐのなんてまっぴらだった。それには父も同意してくれた。手紙に従うほうが暮らしは上向くとわかっていながらだ。

 ルシェイラの出生直後は呆けていたが、立ち直ってからはずっと、二人の娘にとって情愛の深い頼もしい存在であり続けてくれた父だ。ルシェイラは父にそんな時期があったことさえ、最近まで知らなかったくらいだった。姉を亡くした心の痛みは拭いようもないが、父娘で助け合って生きる選択に揺らぎはなかった。

 だが、ルシェイラのそんな見通しは、数日も経たずに脆くも崩れ去った。

 父が荷車ごと傾斜から滑落し、片腕と両足を骨折する大怪我を負ってしまったのだ。無理を押して気を張っていたものの、不意に死んだ娘を想い、普段ならするはずのない失態を犯したに違いなかった。母を亡くした時のように、何もしない時間が父には必要だったのかもしれない。まともな治療もできないこんな寒村にありながら、安静にしているだけで一命を取り留めたことは運が良かったが、おそらくもう、歩行さえ一生できなくなる。

 ルシェイラはその一身に、二人が生きてゆくために必要な、二人分の糧を得る責務まで負わされることとなった。

 もちろんそれは、必要に迫られたからといってすぐにできるようになるほど、容易なことではなかった。元々、ルシェイラには家の外でする仕事の経験がない。働く父を衣食住で煩わせないよう家事を仕切るのが姉で、その姉にべったりだったルシェイラには、姉の見よう見まねを不出来にこなすくらいの能力しか培われていなかった。ましてや、父に代わって村の働き手となる素地ともなると皆無と言う他ない。

 それでも、ルシェイラはそういうことをしようと意気込んで、村長の家を訪ねた。村長はこれまで力仕事に従事してこなかった中年男性で、父よりいくつか年下のはずなのに肌艶は年寄りじみて、言動は大人と子供の入り混じったところのある人物だ。前村長の息子だが、怠け者と評判だった。前村長が村一番の働き手であったルシェイラの父に頻りに仕事を任せていたから、食べて寝て遊んでいても困らなかったのだ。二年前に前の村長が亡くなってからは、父は彼を盛りたてようとしていたようだが、ルシェイラの父任せは改まらないまま、こんなことになってしまった。ただ、ルシェイラには言語化できるほどではなかったものの、漠然と村長の人物像を卑屈だと認識しており、糧を得られる仕事をしたいと自分が望めば、当然それが割り振られるという先入観があった。

 しかし、その日からの村長は、それまでの印象が見る影もないくらい尊大になった。やけに意地悪で、仕事を割り振ってやるのだと、しきりに感謝を求められているように感じられた。要はもう、ルシェイラの父が村のお荷物になっているからということらしかった。

 これまで村に尽くしてきた父へのその扱いに、ルシェイラは憤りを覚えたが、ルシェイラ自身が村の働き手の頭数にも挙がってない実状をあげつらわれると、口を噤んでただただ働かせてほしいと頭を下げるしかなかった。それは結果として、終始良好だった村長の機嫌を損ねることなく、ルシェイラに村の手伝いを認めさせる一助となった。それも、その時のルシェイラにとって唯一無二と思える内容でだ。

 それは、村周辺の自然の恵みを点検するというものだった。

 ルシェイラはすぐその翌日にも、点検の順路を教えてもらえることになった。四人の少年たちに同道され、生まれて初めて森の中に踏み入った。十歩かあるいはせいぜい二十歩くらいで森の境目に辿り着く程度の深さでも、来た道を覚えてなければ方向を見失いそうになった。滑落しそうな場所の警告や順路へ戻るための目印の見つけ方などを学びながら、慎重に進んだ。

 案内してくれる少年たちは、四人のうち三人はルシェイラより年上、一人が年下だが、全員がルシェイラとは二年と離れていない同年代だ。いつのころからかルシェイラの父に憧れだしたらしく、将来はあんなふうになると、口を揃えてルシェイラに言ってくるようになった男の子たちだった。ただ、それと同じころからルシェイラは、逆に同年代の少女たちからよそよそしい態度を取られることが多くなって、子供同士で遊ぶことをしなくなった。だから彼らの中の誰とも、月に二言三言話すくらいの間柄でしかなかったが、案内役が彼らであることに安堵を覚えてもいた。その程度でも、彼らはルシェイラにとって最も親しい村人だったのだ。

 それに、彼らがそうしてルシェイラを気にかけてくれるのを面倒くさがってはいけないというのは、姉の教えでもあった。ルシェイラはその教えに忠実だったつもりだし、そうしてきたからこそ、彼らもこうした案内を面倒がらずにしてくれる。そう思っていた。

 だが、森をさらに進んだ先で行き当たった、木々が途切れて皆で腰を下ろせそうなくらいの広さがある場所に行き着くと、少年たちの様子は一変した。ルシェイラの手足を掴んで、散った葉の積もった地面へと押さえつけにきたのだった。

 しばらく、ルシェイラは自分が不手際を起こしたからこその仕打ちかと考えていた。何をどうしたとかはさっぱりわからなかったものの、おそらくここは狩りの罠とかが仕掛けられているはずの場所だし、不用意に動いていいわけがない。

 それでも、何がどういけないのかくらいの説明は欲しいと思った。なのに、ルシェイラの質問はことごとく黙殺された。気味悪く思いながらも抵抗は控えるようにしていたルシェイラだが、少年たちの手がルシェイラの服をたくし上げるそぶりを見せた瞬間、悲鳴が出た。

 それはルシェイラにとって意味不明な感情の発露だった。が、本能から溢れ出るような何かがそうさせた。しかし、ルシェイラの悲鳴は少年たちの強引さに拍車をかけるような効果しか及ぼさなかった。やめてという言葉は少年たちをより乱暴にさせるだけとなった。

 それでも、大声で泣くことしか、この時のルシェイラにはできなかった。ただこの時、声を殺してひたすら耐え抜いていたなら、ルシェイラはいまこうして火にくべられてはいなかったとは思う。そういう分岐点ではあったのだ。

 狂乱から醒めたきっかけは、荒々しい音に囲まれたことだった。

 気づくと拘束からは開放されていて、周囲では父よりも体格のいい大人たちによって、四人の少年がルシェイラから引き剥がされていた。太い金属で編んだような服を着た、一面識もない男たちだ。彼らは木に押しつけたり、掴んだり、踏みつけたり、膝で蹴りあげて蹲らせたりして、たちまちのうちに少年四人を捕らえてしまった。

 ルシェイラは助けられたように感じ、自然と感謝の言葉を口にしていた。

 腰が立たず上体を起こすだけでやっとのルシェイラの前で男の一人が屈み、何があったかを訊ねてきた。少年たちがどうしてそんな行為に及んだのかの見当がさっぱりつかないルシェイラだが、あったことをただただ順を追って話すくらいのことはできた。

 すると少年たちを拘束していた中の一人が「悪童どもめ」と唾棄するようにつぶやき、佩いていた腰の物を抜いた。

 見たことのない長い鉄の塊だった。が、それが剣というものだと察しがつけられるくらいには、ルシェイラは勘というものを持ち合わせていた。また、その時になってようやく、鎧とか騎士という言葉が脳裏に浮かび上がった。剣を佩いて鎧を着ているというのが、ルシェイラがおぼろげに知る騎士の特徴だ。

 騎士。

 それはルシェイラにとって、不吉と死を象徴する忌むべきものでしかなかった。

 このままでは少年たちが殺されてしまう。それを危惧したルシェイラは、目の前の男に少年たちの助命を嘆願した。このあたりは村にとって恵みのある場所だし、自分が知らずに間違いを犯していたのかもしれない。四人はそれをたしなめてくれようとしただけに違いない、と。

 それを聞いた少年たちが一斉にわっと泣きだし、謝罪の言葉を何度も繰り返した。

 ルシェイラは安堵を覚えた。やっと言葉が通じて、心も通った気になれたからだ。少年たちを乱暴に思えたのも、やはり何かの行き違いだと確信できた。考えてみれば、姉の教えである彼らの相手を面倒くさがってはいけないというのは、態度に表さないよう気をつけるようにというのではなく、それを喜ばしく思うようにというものだった。それなのに、ルシェイラは上辺だけを取り繕うだけで済ませていたのだ。だから少年たちはルシェイラのそんな内心を見透かして、ちょっとだけ鞭打ってやろうということになったとかだったのだろう。

 そう考えてみると思い当たるふしもあるのだ。少年たちはルシェイラを押さえつけようとしながら、しきりに大事にするだとか、ルシェイラのことを全員の財産だとか、そういう気持ちをルシェイラに納得させようとしていた。ルシェイラの父にはもう守る力がないとかも聞こえたが、要するに、身体が不自由になってしまった父に代わって、ルシェイラを守ってやるという意味だったに違いない。父がルシェイラや姉のことを最後の宝物だと言っていたのと近しい気持ちを向けてくれていたのかもしれない。

 それを勘違いして喚いたせいで、あろうことか騎士なんてものを呼び寄せてしまったのだ。

 憎んでも憎みきれない、騎士なんて連中を。

 ルシェイラはだが、憎しみを抑えこんで顔を伏せ続けた。このままもし少年たちが殺されでもしたら、村人たちの怒りはおそらくルシェイラに向く。そうなれば父もルシェイラも村に居場所がなくなってしまう。これはもう、少年たちの命うんぬんに止まらず、自分と父の死活問題にもなっているのだと、ひしひしと追い詰められてもいたからだ。

 だからそのルシェイラの懇願は、結果的に嘘偽りのない真摯なものとなった。

 それには聞く者の心を揺り動かす真に迫った何かがあったらしく、少年たちは先刻からより一層、ルシェイラへの感謝と愛を叫ぶようになった。ルシェイラは確信した。彼らがこの上なく反省しているのは明らかなのだから、許されないはずがない。

 ルシェイラは頭を下げたまま、そっと上目遣いで騎士たちの顔色を窺った。いくら騎士が傍若無人で人の心を解さないとはいえ、これ以上少年たちを害する気は失くしただろうと思い、確認したくなったのだ。畢竟、一番近くにいた男と目が合った。この時、この男が騎士たちの中でも命令をする立場なのだろうと、ルシェイラは感じていたように思う。彼の判断で少年たちの命運が決まる、と思っていたからだ。つまり彼の一言で少年らは解放される。

 はずなのに、その男の目の奥で揺らいだ光は、ルシェイラの想像とかけ離れた気味悪げなものだった。

 その瞳を真っ直ぐにルシェイラへと向けて、彼がつぶやいた。

「……魔女だ」

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