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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
24/140

Ep01-04-04


   4


 四人の沈黙が不意に長引き、部屋には無言の時間が訪れていた。

 明日からの過ごし方について、景虎とクロムエルが注意点の洗い出しを行い、芙実乃とルシエラが心配事を挙げ対応を決めておく。帰室が遅くならぬようにと、かけ足で進められた話し合いも、もうしばらくこの思案の時間が続けば、このままお開きの流れになるのだろう。

 だが、芙実乃には一つ気懸かりがあり、それを口にすべきかどうかで迷い焦っていた。

 日を重ねるごとに募っていた疑問を、解消するのならこの場しかないのではないか、と。

 それは、芙実乃がどうして景虎に良くしてもらえるのか、だ。

 景虎は優しい。その優しさが万人に向けられたものであるかのように錯覚しそうなほど、人当たりも柔らかだ。ただ、その人当たりが礼儀とか行儀とか、言ってしまえば単なる社交辞令に過ぎないのも、芙実乃はなんとなく察していた。

 無礼な相手にも一律に優しく見えるが、その実しっかりと評価を下げてもいる。関係性が成り立っていない相手に礼を欠くことを、教養の欠如と感じているとかなのだろう。

 自分にも人にもそれを許していないだけだ。

 芙実乃は無礼こそ働いてないと思うが、役に立てたような記憶も皆無だった。ましてや、月一戦でパートナー権限の棄権負けをさせるなどという屈辱を味あわせている始末だ。とっくに愛想を尽かされていてもおかしくないほど、迷惑ばかりかけている。

 それなのに、景虎はこんなにも芙実乃のために、骨を折ってくれていた。

 愛情でないことはさすがに自覚しているつもりだ。それに近い何かが含まれているのでは、と舞い上がりかけることはあっても、願望が先行しただけの妄想だともわきまえている。

 景虎が芙実乃に良くしてくれるのは、結局のところ芙実乃がルシエラと同じく、精神的に幼く見えているからくらいなのだろう。食事決めを二人に任せきりなのもたぶん、芙実乃たちが食べたい物を選べるようにとかの思惑でしてくれていることだ。些細な出来事でも生きる意志を失ってしまいかねない、二人の不安定さを気にしてくれているのかもしれない。

 しかしそれで、子供、あるは精神的に未成熟な人間を好んで手助けする、というような信条を景虎が持っている、と思うのにも違和感がある。クラスメイトには言動がルシエラよりもさらに幼さを感じさせる子もいるが、彼女が困って騒いでいても、景虎は特定して話しかけられなければ関与しようとはしない。終始そういったスタンスだ。

 誰にも面倒見がいいなんて受け止めはされていない。

 芙実乃だって、人が大勢いる時くらいは気を張ってしっかりしているつもりだし、依存しているとは思われていても、面倒を見られているというようには思われてないだろう。実際、目に見えるような世話をされ、気恥ずかしかったり優越感を抱いたりもない。月一戦の棄権負けが知れ渡るまで、不釣合いの印象はあっても足手纏いはなかったはずだ。

 だが、景虎は事実こうして、芙実乃のために目的なんてものまで見つけてきてくれた。

 味方として見られているから、とかなのだろうか。

 バーナディルに対して冷淡とも取れる見解を示したことから察するに、景虎は中立の人間を敵に準じるという位置づけで見ているのだろう。だからこそ、その中立の手前で断ち切られたラインの内側にいる人間に、その知性を、強さを、優しさを与えてしまう、とか。

 大きくは外れていないと思う。

 だが、芙実乃はその、景虎の味方でいる自分自身の資格をこそ危ぶんでいた。いや、芙実乃の心情はどんな状況でも景虎の味方だと断言できるのだが……。

 足を引っ張る味方など敵よりなお悪い。芙実乃が読んできたいくつかの本で、登場人物たちが含蓄のように語っていた台詞だ。

 物語に没頭して、発言した人物の陣営に肩入れしていた時なら、芙実乃もそう思っていた。しかし、自分がいざその立場になって、そんな不要論が景虎の口から零れ出たら、なんて考えると、芙実乃は親を見失った子供のころのような不安に苛まれる。

 どうして。

 責められない理由。

 見捨てられない理由。

 冷たくされない理由。

 無視されない理由。

 逆の理由ならいくらでも挙げられる。だからこそずっと不安でいた。

 しかし、そんなふうにされないことだけは、もうわかってしまった。

 芙実乃は、もしかすると普通の一生を費やしてもできないくらいのことを、共に為すとまで言ってもらったのだ。そこに悪意が潜んでいるだなんて可能性を、芙実乃は頭によぎらせもしなかった。

 景虎は決して、芙実乃を傷つけるだけのための嘘を言ったりしない。仮に嘘だったとしても、それは芙実乃に目的――引いては生きる意志を与えてくれるためのものであるはずだ。

 芙実乃は覚悟を決め、その胸の内を口に出してみた。

「景虎くんは、どうしてこんなに、わたしの家族のことまで考えてくれるんですか? わたしは、役に立つどころか、足を引っ張って、ばかり、なのに」

 できればこれは、自分の部屋で二人きりの時に問いたかった。

 だが、景虎の真意は、ルシエラやクロムエルにとっても、きっとこの世で一番重要なことになっているはず。それを。抜け駆けするように独り占めしようだなんて、快く協力を約束してくれた二人をあまりにもないがしろにしている。

 そんな真似はできなかった。

 ただ、一人で聞きたかった本当の理由は、景虎の答えはきっと芙実乃が期待するような甘いだけの、夢心地に浸っていられるものであるはずがない、とわかってもいたからだ。

 その幻想が砕かれてなお、二人きりの帰路を終えるまで、芙実乃は落ち込んだ顔を見せてはならないのだから。こんなにもありがたい話を持って来てくれた景虎に、そんな余計な気を回させかねないような真似をしては申し訳が立たないどころではない。

 正直、やり遂げる自信はなかった。

 いつものように服の裾を抓んで、何も話さずに景虎の後ろを歩くしかなくなるに違いない。ただそれは、私室以外で秘匿事項に関する話はしないと決めたばかりというのもあり、そこまで不自然ではなくなるだろう。喜びを伝える言葉しか浮かばないのだから、結果として無口になっただけで押し通せる。そもそも移動中の会話など、ルシエラがいない場合はほとんどしていない。

 気づかれないはずだ。

 どれだけ傷心しようと、何事もなく振る舞ってみせる。

 そんな心構えをしながら待つ芙実乃の萎縮に影響されたのか、ルシエラとクロムエルの二人も、その返答を片言も聞き落とすまいと固唾を呑み景虎に注目した。

 景虎は芙実乃に目を合わせると、それを語ってくれた。

「わたしがこちらで目覚めたその日、その場で、そなたは先のようなことを言い、己を責めていたな。自身のせいで弟御に罪を負わせた。それを庇い立てできぬほど無力であった。そのような悔恨すらして。芙実乃の、息をするにも機械の介添えがいるという状況は、あの場のわたしにとりあまりに想像の埒外で、口がきけず手足を失くしたようなものと置き換えて考えていた。ここで過ごし、機械の概念を得たいまは、それも足りぬ想像であったと知ったがな。ただ、そなたが片時も忘れられぬほど生きる苦難を感じていなければならなかった、くらいはあの時でも伝わっていた。そなたがそれでもなお、そのような悔恨を抱くよう生きたのも。それは、自分もその立場に置かれればそう生きた、そう言えた、などとは誰もが軽軽に言えぬほど強く、気高き心の持ちようだ。わたしはそれを――」

 景虎はいつもどおりの柔らかな微笑を、気のせいなくらい微かに綻ばせ――。


「――美しいと思った」


 ――芙実乃に、これまでの人生すべてが報われたと思わせる言葉をくれた。

 こんなにも強い人から強いと言われた。

 こんなにも気高い人から気高いと言われた。

 こんなにも美しい人から美しいと言われた。

 芙実乃は確かに聞いた。だが、それらの言葉たちは、芙実乃の常識からするとあまりに虚を突いていて、心の理解が追いついて来なかった。今までの人生で、一度たりとももらったことのない何かだったからだ。それでも、身体の芯を駆け抜けていった衝撃が、岩盤よりも硬く凍りついていた心の中の氷に罅を穿つような、そんな幻聴だけが残って胸を疼かせていることだけは、かろうじて認識できていた。その罅の隙間から染み入るように、理解が追いつかなかった分の時間をかけ、何度も何度も景虎の言葉がリフレインされる。

 景虎の口から零れたその言葉はまるで、神の雫として秘匿されてきた高貴な美酒であるかのように、芙実乃の胸に火を灯らせ熱くさせた。極寒の氷雪の中、身体を温めるがごとく。燻らせてきた弱々しい種火を、瞬く間に燃え上がらせるがごとく。

 芙実乃がかたくなに凍らせてきた心が内から熱せられ炎に包まれる。するとそれは心を覆っていた氷を溶かし、涙にして、芙実乃の瞼から春の雪のように伝い落とさせた。

 言葉にならない嗚咽の奔流を、口では留めきれなくなる。

「う……ああああ……」

 ふわり、と頭に手が乗った。重みのまま芙実乃は俯き、乗せられた右手の親指と小指を縋りつくように両手で握る。出会った日と同じだ。ならば、あの日の温かな手のひらも、とっくに同じ気持ちでしてくれていたものだったに違いない。

 無力なりに家族を庇おうとしていた芙実乃を見かね、差し伸べてくれた手だったのだ。

 あの日から、守られていることに安心しながらも、どこか不安で。誰にでも優しいわけじゃない人に優しくされているのが誇らしくも、いたたまれなくて。でも、理由がないわけではなかった。こちらで唯一の日本人だから、ではなく、芙実乃だからこそ持つ理由が。

 それが、美しい、だった。

 柿崎景虎をしてその言葉を言わしめるくらいの生き方を芙実乃がしてきたと、お墨つきをもらったに等しい評価だ。地球での人生に無駄なんて一つもなかった。

 日本における、菊井芙実乃をやり遂げていたとさえ思えてくる。

 抱えきれない嬉しさがじわじわと温かく溢れかえり、誰かに、家族に等分に汲み分けて一緒に持ってもらいたかった。そもそもこれは、芙実乃の病気と闘ってくれた母や父や弟の、家族全員でもらうご褒美であるはずだ。しかしそれは届かない。届けられない。

 だからその、抱えきれないほどの嬉しさを余した芙実乃はまた、束の間の温かさで満足するべきとの思いに駆られ、与えられたご褒美を辞退しようとする。

「わたしっ……ぜんぜんっ……そんなのじゃ……ありません。家族にっ……迷惑ばかりの……お荷物で、役立たずで。せっかく動けるようになっても、今度は景虎くんにまで……」

 景虎の手に重みが加わった。それ以上の自虐を遮ろうと、乗せていただけの手で撫でてくれようとしたらしい。だが、ただでさえ俯いていた芙実乃は膝を崩し、身体がバランスを取ろうと動きだしてしまう。遮ると尻もちをつく危惧を抱いたのか、景虎はその動きに逆らわない。それでかえって勢いを余した芙実乃は、景虎と目を合わす角度にまで顔を上げてしまった。

 美しいとしか言えない顔が間近にあった。

 芙実乃は怖れる。こんなふうに見つめられたら、感情を抑えるなんて不可能だ。慌てて目線を下に戻そうとするが、額のほうにまでずれていた手のひらにそれを阻まれてしまう。溢れようとする涙の勢いで瞼も閉じられない。景虎を直視しているしかなくなった。

 神々でもなければ劣等感を抱くことすらおこがましいほどの美貌。そんな顔で景虎は、慈しみや困惑の綯い混じった表情を浮かべていた。芙実乃が涙を流しているからだろうか。だが景虎の常識に、芙実乃を俯かせて泣きやむまで放置するなんて種類の気遣いはないらしい。

 泣き顔を晒したまま、芙実乃はさらなる優しい言葉に耐えねばならなかった。

「そう己を卑下するものではない。それに、ここの世を手探りで渡るしかないのは、ここに来た誰もが同じ。迷惑などお互い様だ。せめてここにいる者らの手を借りることくらい、斯様に気に病んでくれるな、芙実乃」

 景虎はおそらく、嬉しさで涙を流すことなく育ったのだろう。

 当然だ。これだけ何もかもに秀でていれば、手に入れたものすべてに、自身の価値に見合わない時間を費やしたような徒労を感じてきたはずだ。望外の望みが叶うなんて経験どころか、感性そのものが培われなかったに違いない。

 それで、嬉しさが溢れているだけの芙実乃の気も知らず、慰めようだなんてしてしまう。

 涙を流す芙実乃に、景虎が幼子をあやすような響きで話を聞かせる。

「言葉すら遠慮するほど、自身の価値を認められぬか。なれば急がずともよい。元より芙実乃をこのわたしの、侍の庇護下に置いたは、ここがどのような泥の世であろうとも、汚れ沈ませてしまうのが惜しいと思ってのこと。ただわたしがわたしの存念でしているだけだ。迷惑だの役に立てぬだのと気がねせず、芙実乃なりに己の自信を芽吹かせるがよい。その時が来るまでわたしは、そなたの誇りを預かり守ると明言しておく」

 優しい声に誘われ、芙実乃はいつの間にか揺れる瞳を止め、景虎の夜空のような双眸を真っ直ぐに見つめていた。誰も口を挟まないまま、皆が景虎の紡ぐ言葉に耳を傾け続ける。

「そしてそのあいだはそなたに代わり――」

 息継ぎが、楽譜に組み込まれた清らかな無音のような時間を奏でる。その中で。


「――そなたの美しさはわたしが誇ろう」


 景虎が言った。パートナーなのだから、の一言を添えて。

 もちろんそこに、夫婦や恋人を思わせる類のニュアンスは含まれていない。景虎はきっと、これ以上芙実乃を泣かせぬよう言葉を尽くしてくれただけだ。

 芙実乃にはそれがわかった。十二分に伝わってもいた。だがそれは、見返りすら求められてない厚意の暖かさが、胸の奥にまで届いてしまったということでもあった。それで込み上げてくるものを胸の内に留めておく方法なんて、芙実乃にありはしなかった。

「あ……ああああっ……あっ…………ああっああぁああああーー!」

 芙実乃は壊れたように号泣した。

「ああああああっ……あああ……ああー!」

 大切な物が壊れた時の幼子のように大声が出るのを止められなかった。そんな引き裂かれるような気持ちを裏返しにした気持ちの奔流が、あまりに理解を超えていて、そういうふうにしかできなかった。この反応は違う。恥ずかしい。そんな衝動が止めどなく湧いて、見つけた隠れ場所である景虎の胸に無我夢中で顔を埋めた。

 残り香ほどの花のような微香が芙実乃の身体を廻る。幼い思い出の中にある、高級な紅茶とケーキのような、幸福で満たされた甘い温度のある時間に包まれた心地になった。

 去ってゆく弟の小さな背中を見送ったあの時から、二つの世界に渡って重ねてきた幾層もの氷壁が溶けて砕けて崩れ落ち、剥き出しにされた心が暖められていく。その暖かさがあまりにも暖かく、暖かくて、芙実乃は普段ならそれ以外に割く感覚まで残らずかき集めて、暖かさに縋った。

 だがその暖かさは、心に残すことはできても、記憶に留めておけるような変換可能な情報になってくれず、芙実乃には空白の時間として過ぎ去ってゆくだけとなった。

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