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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
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Ep01-01-01

 第一章 異世界軍学校への誘い



   1


 馴染みのない素材。天井を見上げながら、少女はどうにか命を繋いだと考えていた。

 身体が動かないのは相変わらず。

 それなのに、目が見えているのは、意識を失っているあいだ、瞼を開きっぱなしにされていたからだろうか。羞恥心が棘となり、胸を疼かせる。だが目の乾きがないと気づき、不服などという不遜な感情を宥めすかせてゆく。

 点眼なり瞼の上げ下ろしなりの看護を、してもらっていたのだろう、と。

 ただ、それにしては人の気配がなさ過ぎた。

 二年も不自由な生活を続けたせいか、彼女は周囲の匂いや温度に敏感だ。なのにそういった人の残滓を感じない。かなりの時間、人の出入りがないのではないか。

 首を傾げたい気分でいると、不意に『声』が聞こえていた。

『貴女の名前を思い浮かべてください』

 言ってみてではなく、思い浮かべてというのは、通常なら奇妙だろうが、声を出せない彼女からすれば意外ではない。むしろ病状を理解されていると考えるべきだ。きっとここは集中治療室か何かで、モニタリングでもされていた。意識不明から回復した人間に名前を訊ねるのを不思議には思わない。

 菊井芙実乃。

 芙実乃が名前を思い浮かべると、それを皮切りにいくつかの問いかけがあった。

 十六歳、金沢、無職、読書。頭の中で答えながら、眼球が収めている範囲の隅々に意識を凝らし、周囲を把握してゆく。どうやら未熟児用の保育器みたいなものの中にいる、らしい。

 芙実乃は困惑した。最新の医療設備とはこういうものなのだろうか。

「自分の身に何が起きているのかを考えていますか?」

 違う声だった。

 女性の声。人間の声。

 違和感を持ったからこそ、そんな感想が浮かんでくる。しかしそれが正しいのなら、さっきまで声だと思っていたものはなんだと言うのだ。まさか頭の中に内容だけ直接送られていた、なんて怖い考えも浮かぶが、いくらなんでもそれは、と願望まじりの否定を採択する。

「思考活動が見られるようですね。それが問いに対しての反応だとすると、聴覚も正常だと判断します」

 声の主は、やはり芙実乃の様子を把握しているようだ。

「状況を説明させていただきます。ただ、これは貴女にとって受け入れがたいものかもしれません。取り乱すようなら睡眠誘導し、落ち着いたのちに再度の説明を行います。身体の自由を制限しているのは、衝動的に動かれて怪我をしてほしくないという配慮とご了承ください」

 前置きらしき口上で、やや不穏なものが感じられる。しかし、身体の自由うんぬんという芙実乃に当て嵌まらない部分もあるし、定型文なんだろうと努めて気にしないようにした。

 最後の一文を聞くまでは。

「視覚と聴覚に関連する以外の感覚と身体の自由は、説明を聞き終えてなお、平静を維持できていると確認でき次第回復させますのでご安心を」

 回復……させる?

 身体の自由を?

 芙実乃は動転した。世界が反転するに等しい宣告だ。

「強い反応が最後になって……。これは『自由を回復』あたりでしょうか」

 声の主は独り言のようにつぶやくと、芙実乃に向けて、質問に肯定と否定の念を返すようにと告げた。あなたはあなたですか、あなたはあなた以外の誰かですか、と交互に五度繰り返された。それで認否が何割程度と割合で伝わるようになったらしい。

 質疑を経ると、声の主は推測してみせた。

「つまり貴女は、傷病により身体の自由がなく、それを回復させる手だてもなかったため、動揺したというところかしら?」

 芙実乃は心の中で肯定する。

「状況の説明は睡眠を挟んでからにしますか?」

 そこは否定を返す。不安からなのか、好奇心からなのかわからないが、知りたい気持ちのほうが勝っていたようだ。明確な意思を表明できなかったせいか、繰り返し確認はされたが。

「ではまず、これを確認しなければなりません」

 声の主は重々しく言った。

 雰囲気を察知して、芙実乃も心構えをする。

「貴女は自分の死因を覚えていますか?」

 ――死因。

 死んだ。弟に殺された。弟に罪を背負わせてしまった。両親を殺人犯の親にしてしまった。温かだった家族との記憶が、ざらりざらりと音を立て、シャーベットの泉に沈んでゆく。心が悴んでゆく。だが、芙実乃は時間を費やさずに、それらの感受性を麻痺させるべく、そっと、感情を何かでぬりたくった。

 全身麻酔をかけられたまま過ごすような二年を耐えていた芙実乃だ。心を抑制する術も心得ている。いつの間にか閉じていた目を開けて、肯定の意思を浮かべてみせる。

「続けてよさそうですね。概要を送りましょう」

 告げられて間もなく、芙実乃は状況を理解した。説明してくれたのは声の主ではなく、最初の『声』だった。送ると言うからにはやはり、聞こえたというのは錯覚らしい。

「理解できましたか?」

 芙実乃はかろうじて肯定する。異世界、魔法、望まれた役割。見る番組を選べていたころなら、アニメなどで珍しくないテーマだった。それがまさか自分の身に起きるとは……。

 正直、半信半疑ではある。信じられる要因としては、死んだはずの自分がこうしている理由にはなるから。だが、説明どおりのことが起きたかどうかを信じるには、相手を理解してからでなければ無理だ。でたらめを吹き込まれている可能性だって捨てきれない。

 しかし、精神状態を測るほうからすれば、芙実乃の反応はむしろありふれた部類に分けられるのだろう。中断を問われることもなく、話が進められた。

「以後は会話を試みたいと思います。代謝抑止液を抜きますので、自発呼吸を忘れないようにしてください。貴女の声を確認するまでこちらからは声をかけません」

 言われて、芙実乃はあえて息を止めてみた。水が抜けたような感覚はなかったが、徐々に息が苦しくなってくる。鼻、口、肺、胸、芙実乃は慣らすつもりでゆっくりと呼吸した。

 本当にできている。息苦しさを自分でどうにでもできる。実感。自分で取り込んだ酸素が身体を巡る感覚に感極まり、涙を滲ませそうになりながら、芙実乃は発声した。

「聞こえ……ますか?」

「聞こえます。けれど感情値が高いですね。中断しますか?」

「いえ! いえ、あの、呼吸も声もずっとしてなくて、その、すみません、待ってください。落ち着きますから」

「待ちますよ。だいじょうぶです。呼吸も声も取り上げたりしません」

 言葉どおり、声の主は芙実乃が深呼吸をしているのをずっと待ってくれた。芙実乃は謝辞を述べた。相手から気づかいのようなものを感じたからだ。

「気になさらず」

 声の主はそう返してから、事前確認のような言葉を並べた。それは多岐に渡っていたとしか言えないが、例を挙げてみれば、そちらの顔を見てもいいかとか、こちらの顔を見せてもいいか、などだった。要は芙実乃の価値観がわかってないからこそなのだろう。

 相手にとっても芙実乃は異世界人。顔を見た相手を殺さなければならない、なんて教義を持っている場合だってあるかもしれない、とかも考えておく必要がある。

「特に不都合はなさそうですね。こちらに気をつけてほしい要望はありますか?」

「すぐには思いつきません。けど、その、びっくりしたらその都度相談するようにします」

「そう心がけてもらえるだけでもありがたいです。それでは生まれて目覚めるベッド機器から出てもらいますね。その前にしてもらいたいことがあるのですが――わかりますか?」

「パートナーを呼び出す、でしょうか?」

 どういうことを望まれて転生させられたか、を教えられていれば察するのも難しくない。

「はい。実際に貴女にしてもらいたいのは、貴女のいた世界の人たちに呼びかることです」

「――わたしのいた世界の人に声が届くんですか?」

「添えない期待をさせてしまったのなら申し訳ありません。貴女の声が届く対象は限られていて、貴女と近い年齢で亡くなった過去未来の魂の、死後に限られるのです」

「――過去、はわかるんですけど、未来というのが想像もつきません」

「大別して推論が三つあります。宇宙同士に同調する時間軸があり、かつ高次元域を介した空間の繋がりがあるとする場合、こちらからの送信は波形状に時間と宇宙に行き渡る、とするもの。対象となる宇宙の開闢に、神の声のようなかたちで信号を刻みつけているのだ、とするもの。呼びかけているのは止まった宇宙に対してなのだろう、とするもの」

 さらに、この推論は逆順で否定材料が少ない、という補足がついた。

「わたしのいた世界はもうなくなってるんでしょうか?」

「それでは最初の説の仮定、最も否定されている仮定である、同調する時間軸と空間の繋がりがあった上で止まる、ではない、終わった宇宙を捉えているという理解になってしまいます。考え方として、わたしたちが魂を探るのに用いているシステム……現象は、流動する時間や空間がないどこかしらにアクセスする。だから時間の流れを含めてしまうと、ここの世界での現在、貴女の元いた世界は終わっている場合も、はじまってすらない場合だって考えなくてはならなくなる。それらの整合性が立てられないため、わたしたちがアクセスする魂の存在する場所は、通常空間とはまた異なった領域と考えられる。現状はそれです」

「元の世界でわたしはまだ生まれていなかったり、生きていたりするみたいな?」

「間違いとも言いきれませんが、まず、最初の仮定を捨てましょう……」

 声に疲れが見えた。こういう質疑は芙実乃がパートナーを呼び出してからまとめてしたい、というのが正直なところなのだろう。

「貴女の現在の右方向が、貴女の宇宙のあらゆる方向と平行にならないように、違う世界の時間軸での生をはじめた貴女にとって、元の世界の時間は進んでいるとも止まっているとも言えないわけです。時間軸を物体としての棒と見なし、俯瞰でそれを眺めればどの位置でも参照できるイメージだと言うとわりと広く受け入れられるようですが……どうでしょう?」

 芙実乃は一応納得することにした。相手は丁寧だが、いつまでもそうとは限らない。相手の望む呼びかけで、知っておくべきイメージはそれで充分だった。

「不特定多数に呼びかけるのなら『集まって』とかでしょうか?」

「それは……大切なことですから詳細まで知っておいてもらいましょう。確かに条件をつけずに集合をかけるのは、存外悪くないのかもしれません。ただ、こちらがそれを推奨していないのは、選定される基準の見当がつかないという理由です」

「選定……ですか?」

「はい。望ましいのは戦える人材ですから、先程の言葉をこう『強い人、集まって』などにすると、自分が強いと思って応じた魂の中から、強さという基準で一番が決まります」

「複数の中から一番って……戦わせるんですか?」

「不明です。この現象は、対象となる魂を対戦させて検証しているのか、評価値一位を連れて来るのかもわかっていません。傾向から類推しているだけです。強さ、賢さ、美しさなどを問えば、来る人間は、貴女と同じ立場の人間の感性で絶世だとのことですから」

 それではどのみち自信家が来るのだなと、芙実乃は思った。自信家と言うと根拠のない自信に満ち満ちているという印象があるが、圧倒的な実力を根拠に自信を持っている人だって、一定数は混じっているに違いない。自信だけの弱い人は弾かれるわけだ。ただ、それに乗り気になれないのは、どれだけ高みに立っても謙虚な達人というのがいると思えるからだ。しかし、近い年齢の人物にそこまで望んでしまうのは無理な話だろうか。

「お悩みになる前に知らせなければならないことが。逆に、いつどこで生まれた誰と指定すれば、傑出した能力がない人物を呼ぶこともできます。適合する年齢で亡くなっていれば」

「……会いたい人を呼びだすことができる、と?」

「そうしたいと思うのなら希望に添いましょう」

 そうは言われても、芙実乃には会いたい同年代などいなかった。そもそも知り合いがほぼ皆無なのだ。関係性を作り直したいというなら弟だが、弟が早世したかどうかなど、知ってしまうことに身の毛のよだつほどの恐怖を覚える。芙実乃はそっけなく言った。

「いませんね」

「残念です」

 喜ばせられなかったことを惜しむ口調が、芙実乃には意外だった。

「強くなくていいんですか?」

「会いたい人と一緒にいられる、離れたくないと思っていただけるのは、好ましいですから」

 それはそうかもしれない。芙実乃だって、この場に家族を揃えられたなら、率先して恩を返そうと、ここの世界になんでも協力したくなるだろう。

 だが、それができないからといって、反感を抱くほどでもない。自力で呼吸ができ、会話もできているこの環境は、充分感謝に値する気がした。一緒にいたい人といられるような配慮もしてくれているのだし、少しくらいは前向きに考えてもいいように思えた。

「歴史上の強くて有名な人を呼ぶのはどうですか」

「それは素晴らしいですね。検討してみてください」

 早世した人物として、芙実乃が真っ先に思いついたのは新撰組の沖田総司だ。確認してみたところ、声が届く魂は、芙実乃のプラスマイナス五、六歳。十歳から二十二歳くらいになるだろうとのことだった。沖田総司がそれに合致するのか正確な知識がなかったが、微妙なところだと芙実乃は思った。

 ならばそれ以外、と考えてようやく辿り着いたのが白虎隊だ。だがそれも、個人名は漢字一文字も出てこない。もっとも、虜囚となって藩に迷惑をかけないため、全員が切腹したという話だから、その中の誰であっても精神力は折り紙つきだろう。

 しかし『白虎隊、集合』なんて声かけで本当にいいのだろうか?

 幕末の白虎隊士たちは、白虎隊士というより会津藩士として死んだのだ。隊の名前自体に依存や執着をしたとは思えない。だがたとえば『白虎隊』とかいうチーム名のバイク男子あたりが転んで死んでいたりしたら、そっちが来てしまうなんてこともありうるのだ。執着心で競われてしまったら、死後名声が高まった本物の白虎隊士に勝ち目はない。チームだけが拠り所の少年と異世界で運命共同体。不安と負担が渦を巻いている未来しか想像できなかった。

 芙実乃は、団体名で呼びかけるのを避けることにする。だがそうなるともう、国内で候補を見つけるのは、芙実乃の歴史知識では難しかった。

「言葉が通じなくても呼び出せたりは……」

「違う言語圏の人物ですか。成功例は聞きませんが、個人名で呼びかければ、可能性があるかもしれません。通じるかどうかの判断は、貴女の感性でするほうが確度があるでしょう」

 だめだろうなというのが、芙実乃の判断だった。浮かんでいたのはジャンヌ・ダルクだったのだが、芙実乃の発音ではむしろ日本のバイク女子が来るだけだろう。有名な個人名は団体名にもなりがち、というのは芙実乃の住んでいた日本ではよくあったことだ。

 芙実乃は早世している偉人を諦める。不特定の強い人物を呼ぶヒントを求めた。

「重要なのは多数に響くかどうかですが、何も不特定多数に呼びかけようとする必要はありません。貴女の声は、個別に語りかけるようにすべての魂に届く、と考えられています。貴女の世界のより多くの人が、自分の強さを示そうとする言葉を選んで言ってください」

 芙実乃は想像した。強い人間。侍を。

 何を言えば彼らが耳を傾けてくれるのか。自信のあるなしにかかわらず、全員で一番強い人を決めたくなるような言葉。あった。これなら。一人一人にこの言葉を言えば、きっと日本一の侍がやって来るはず。思い浮かんだ言葉を、芙実乃は妥当なのか確認を取る。

「貴女の感性が唯一の基準です。助言できるとすれば自信を持って言うことくらいですが、それも貴女の世界の人に嫌われると思うなら却下してください。迷いながら言うのがいいと思うならそれで。――声を送る準備に入りました。合図をください。直後に繋ぎますから」

 緊張が伝わってくる。細々としたことも聞いたが、彼女たちにとってもこの作業は一大事業なのだ。リトライが許されないわけではないが、喜ばしくもない。

「いきます」

「繋ぎます」

 芙実乃は言った。

「いざ尋常に勝負!」

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