Ep01-03-02
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入学式翌日の休日。
景虎とともに夕食を済ませた芙実乃は、景虎の部屋でバーナディルを迎えていた。
場所が場所なのに、彼女が芙実乃のほうを優先しているようなのは、記憶の消失という懸念があるからなのだろう。芙実乃には、タフィールがバダバダルを診察しているくらいまでの記憶しか残ってない。バーナディルから直後の出来事を聞いて、その時の様子も喪心に近かったという話だから、記憶がそのあたりで途切れていてもおかしくないそうだ。
景虎を怖く思ったりは、まったくない。
その場面の映像が頭にないからかもだが、怖がっているのでは、なんて気遣ってもらえてむしろ嬉しいくらいだ。もっとも、気遣いで会うのを自粛されては本末転倒なのたが。
「残念なのは美しいと評判のシーンが思い出せないことですね。見られないし」
「無料の公式配信では削除されているでしょうね。有料でも皆さんが持つポイントで支払えるかの判断は学校の認可が下りてから。ニュースのほうでなら見れる可能性はありますが」
初心者がナビのフィルターをいじると、使いにくくなるのだそうだ。おこづかいが通貨でないのも、課金地獄へ陥らせないためか、穿った見かたをすれば、情報を制限したいのだろう。
「まあ、困ってはいないですけど」
バーナディルはほっとしたように頷き、本来の用件を景虎に切りだした。
「刀を治らないようにする件ですが、やはり難しいようです。物質は推定できましたし、調達も問題ありませんが、お望みの形や硬軟に重量ともなると、柿崎さんの世界の技術を再現する機械を作ったとしても、できるかどうかは偶然頼みになるそうで」
何かを聞き違えたのかと思うくらい、芙実乃には意味不明の報告だった。治るように、ではなく、治らないように、とはどういうことなのか。しかし、景虎が聞いて気鬱げになるのだから、二人のあいだでは話が通じているのだろう。少し焦る。自分だけが除け者にされているような、バーナディルだけが知る景虎がいる、みたいな気持ちだ。
「どどど、どういうお話なのでしょうか?」
バーナディルが経緯を教えてくれた。思ったのは、景虎が語った言葉を肉声で聞いておきたかった、だ。人づてでも格好いいのに、聞き逃すなんてもったいないことをした。とはいえ、疑問もある。景虎のこだわる点を芙実乃なりに考えてみても、実害がなさそうなのだ。
芙実乃は、手入れが自身でできない不利益を、景虎に話してもらった。
「手入れを自分ですれば、刀の限界が感じられる。どこまで無理をさせられるかなどがな」
確かにそれは、侍として怠るようなことではなかった。ただ、バーナディルが何か言いたそうなのも、芙実乃にはわかる。最初から限界をなくしておけばその必要もなくなるのに、というところだろう。もちろん、そんな刀は景虎の理想とかけ離れる。
それでも、芙実乃は聞いてみたかった。
侍だからという部分の詳細を。
「刀が折れなかったり、曲がらなかったりするのでは、いったい何がだめなんでしょう?」
「雑になる。腕が落ちる。力任せに振ろうとする意識があると、動きが身体に出る」
だめなことだらけだった。大きく振りかぶって、目いっぱいの力で振りきることが、何倍ものダメージを与える攻撃と思っていた芙実乃では、到底辿り着けない立ち合いの妙。景虎はそれこそ魂を研ぎ澄ませるように、一刀一刀を振りたいのだろう。
「今度こそ納得しました。それだけに、ご希望に添える刀を作れないことが悔やまれます。申し訳ありませんでした」
バーナディルが深々と頭を下げた。景虎はもどかしそうに刀を見つめていたが、謝罪を受け入れるように頷いた。外観だけとはいえ、自分がデザインした刀が景虎を落胆させていると思うと、芙実乃も心苦しくなる。それに、刀を庇ってやりたくもなった。
「あの、それじゃあ、刀を生きてるって思ってみるのはどうでしょう。傷ついても治るなんて生き物みたくなっちゃったわけですし……」
景虎は一瞬だけ芙実乃を見て、視線を刀に戻すと、固い蕾のようだった口元を綻ばせた。
「芙実乃は面白きことを言う。なるほど。なれば、違うつきあい方があるも道理よな」
景虎は手入れ作業に代替する限界の見極め方を模索しはじめた。刀を抜いて、時折独り言をつぶやきながら、没頭するように刀身を眺めている。
あの刀はいまようやく、命を預けるに足る、いわゆる武士の魂になれたのかもしれない。
「菊井さん、さすがです」
「いや、その、あうう……」
芙実乃は頭を抱えて恐縮した。さっき思っていたようなことは、景虎の表情を目の当たりにしたから浮上した、いわば受動的なものだ。予想できていて言ったことではない。
「菊井さんは、柿崎さんがどのようにお育ちになられたのか、おわかりになるのでしょうね」
「そんなことは……。あんなふうに人を育てられるなんて、いったいどんなおうちなのか」
芙実乃が零した疑問に、脇差に手を伸ばしていた景虎が反応する。
「魚を毎日食していたせいか猫が多くてな。刀にじゃれるのを散らしてばかりいた気がする」
もしかして、別のことに集中していて、会話している意識が希薄なのかもしれない。芙実乃はここぞとばかりに、質問を繰り出してみようと考えた。なんでも答えてくれる気がする。
「猫って刀にじゃれるものなんですか?」
「わたしは箸より先に刀を覚えたのでな。小骨などを除くのに刀を使っていたからであろう。それでむしろ箸が遅くなった」
箸より先に刀、なんて日本人の芙実乃でも初めて聞くフレーズだ。
物心がつく前のような口ぶりだし、挙動が猫っぽくなったのにも頷ける。静けさや柔らかさ、跳んだ時の軽やかさなんて、まさしくそれだろう。後ろではバーナディルが、味がどうのとつぶやいていた。
「えっと、えっと、物心、そう、こ、子供のころの……名前は?」
「九郎だ。名づけた母が、乳も飲まさぬうちに身罷ったらしくてな、兄に背く名だがそのままにされた。腹違いであったし、そう望まれたのやもしれぬ」
重い内容に、芙実乃は猛省する。さすがに言いたくないことまでは口にしないだろうが、こういう状態の人に喋らすのは、やはりずるなのだ。
景虎への質問を切り上げることにした。
「と、ところで、ナディ担任の用は、刀の報告だけですか?」
「いいえ、本来の用件も刀にまつわることではあるのですが」
「まだ何かあられるのか?」
景虎が立ち上がる。芙実乃は自然と景虎の後ろに行き、刀と脇差の装着に手を貸した。
「それです。登校時帯刀するには、許可と登録をしておく必要がありまして」
「ふむ。わたしが何かをする必要があるのだな」
「はい。登録に当たって、刀に名前がないとだめなのです」
「銘をつけよと言うのか? 大仰なことだ。刀と脇差でよい」
「それですと、剣を持ち歩く生徒が、この剣は剣だとかの問答をする感じになるので」
「なれば、刀のほうは芙実乃が言っていたものがあったな。それにするか」
芙実乃は首を傾げる。白虎がモチーフだったから『白虎刀』とか、そのものずばり『白虎』とかを口にしていたのだろうか。いまいち覚えてない。だがそのどちらでも、景虎が持つ刀にふさわしい気がしてくる。自画自賛してもいいくらいの気分だ。
「では、音声で登録するので、前後に無音の時間を取って、名前だけを仰ってください」
景虎が頷き、口にした。が、芙実乃の想像とは懸け離れた別の名前だった。
「『虎の尾』」
芙実乃に戦慄が奔った。
虎のしっぽだなんて浮かれて喋りまくった記憶が蘇える。
いや。しかし。そういう残念なエピソードを抜きに考えれば、日本刀の銘として、それ以上の名などないのではなかろうか。形状を比喩しただけの言葉でありながら、触れることなかれという、高貴や威圧が感じられる。もっとも、景虎ほどの美貌や技量がない者がそんな名の刀を手にしていたら、あまりの名前負けに気の毒と思ってしまいそうだが。
「登録されました。脇差のほうはお決まりになっていますか?」
同じでいいというのは通らなかった。対応する者によっては、面倒が起きるかもしれないのだそうだ。景虎は『虎児の尾』と一度は言ったものの、口が動かしにくいという理由で『虎子の尾』に替えた。読みは『こしのお』だ。虎子が造語のようなのに、腰の尾に聞こえなかったのは、発音の違いだけでなく意訳してくれる翻訳のおかげでもあるのだろう。
「これで自室外へ持ち出し可能です。ただし訓練場や試合場以外で手に持ったりすると、許可が取り消されるケースもあるとご了承ください。特に学外では、無意識に握っただけで威圧行為と見做されたりもありうるので、細心の注意を払う必要があります」
学外。敵性体がいるという話だから、荒廃した世紀末のようなイメージだったが、規制の厳しさを匂わせている。街か何かがあるとでも言うように。
「あの、学外って普通に出られるんですか?」
「ええ。初めての場合は講習を受ける必要がありますが。何日目かに同じ内容の講義があるはずですから、二度受けたくないのであれば、それまでは控えておくと面倒がないかと」
そもそも講習のほうが、準備期間の長い生徒のために設けられたようなものらしい。気にはなるがいま聞くこともないな、と芙実乃が思っていると、バーナディルが言った。
「まだお時間がよろしければ、ついでに魔導門装の希望を伺っておきたいのですが」
「ええと……それがないと魔法が使えないとかいうのでしたっけ?」
「お二人の場合は柿崎さんが、ですね。菊井さんはなくても使えますが、魔導門装なしで他者の意識を察知するのは至難でしょう。細かく言えば、魔導受装、魔導送装とも言います」
短い言葉で聞こえるのは、使われた言葉自体が略されているからだろう。とはいえ翻訳では意味はわかっても、どちらがどちら用とかは不明だ。芙実乃は詳細を訊ねた。
「装飾品と考えていただくのが通常ですが、防具や携帯品として精製することも可能です。慣れればそこまでではありませんが、初心者は肌に触れるタイプが推奨されてますね。抵抗がなければ、身体に埋めるのも便利かもしれません。ああ、でも、着け忘れや置き忘れは、ナビで設定しておけば一定距離で警告が出ますから、便利と言ってもその程度かと。お金を使わずにアクセサリーを作るチャンス、くらいに思ってくれてかまいませんよ」
おしゃれとは無縁だった芙実乃には、心躍る提案だ。
「お、お揃いの指輪を、左手のくくく薬指に嵌めたりとか?」
バーナディルが肯定して、サンプル画像を出してくれる。自らデザインしてもいいそうだ。芙実乃はわくわくしてきたが、景虎がそれに待ったをかけた。
「芙実乃。左でもわたしは指輪を嵌められぬ。刀が握りにくくなるし、衝撃の伝わり方もおかしくなり、勝手が狂ってしまう」
芙実乃の夢は潰えた。
バーナディルがお揃いでなくてもかまわないという趣旨の発言をするが、意味がない。誰と約束するでもなく、左手の薬指に指輪を嵌めていることになるだけだ。
芙実乃は気を取り直した。婚約気分を味わいたかったのはあるが、景虎が意味を知らないとわかってなければ、どのみち言いだせてすらいなかった。
「じゃあ、デザインとかは、景虎くんに着ける場所を決めてもらってからということで」
景虎が同意すると、バーナディルが今度はそれ用のサンプル画像を出した。貼るタイプなどもあり、身体のどの部分にでも対応している。
「問われるとどこも気乗りはせぬな。耳はまだ許容できそうだが、片側なのであろう?」
「いえ。両手の篭手などでも良いくらいですから。爪を望まれれば、二十個まで認めたりもします。ただ、特別な事情が認められない場合、個数は一対で二つまでが普通でしょう」
バランスを気にしていた景虎だったが、それを聞いて装着箇所を両耳に指定した。芙実乃の感覚では、ピアスかイヤリングだ。アクセサリーの中でもハードルが高く、背伸びし過ぎに思える。が、景虎と別の物にしてまで着けたいアクセサリーがあるわけでもない。
結果、自身でのデザインもせず、輝くカットだけをされた、小粒で透明な貼るタイプのピアスを選択した。景虎が着けるのだから、品が悪くならないようにだけ留意したつもりだ。
もっとも、芙実乃はもちろん、景虎にしたところで、耳は髪に隠れて見えないのだが。
「明日のHRで魔導門装の配布がありますが、お二人だけ間に合わないかもしれません。けれど、魔法の授業までには必ずお渡ししますので、ご心配なさらず。では、わたしはこれで」
バーナディルを見送らず、芙実乃も退室することにした。
ただし出口は別だ。
バーナディルが通路側なのに対し、芙実乃は隣室側へ向かう。通じているのが自室なら、許可なく壁を開けられるのだ。これは、通路から自室に入る際も同じだった。要は、勝手に入っていい場所に通じている壁は、どこでも出入口にできる仕様だ。
芙実乃は、部屋に戻りシャワーを浴びた。
明日は初登校。身体を温めて、早めに寝ようと決めていた。
ドキドキはしていない。未知の教室も、孤立することにも、恐れはなかった。景虎が一緒なのは疑いようもないのだから、不安に出番などはない。
ほのかな期待だけを胸に、眠りに落ちてゆくのだった。




