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異世界軍学校の侍  作者: 伽夜輪奎
137/141

Ep04-06-03


   3


 景虎と北条との対決は、もはや戦いとも呼べないほどに実力差が歴然としてしまっている。治療中の芙実乃を見守りだしたバーナディルの関心を取り戻そうとしてか、バーナディルを罵る北条の喚き声だけがとめどなくエスカレートしていた。

 景虎を止めろ。自分は切られている。担任がこんなことを放置していいのか。

 読み解けばそんな要旨の罵詈雑言が途切れると、バーナディルはそちらに目を向けた。北条はがなり疲れて息をついている。その、ふと訪れたような瞬間の閑静に、さらに静けさを増すひとしずくが垂らされた。景虎のしんとした印象のある声が響きだしたのだ。

 ただし、その優しげな声色は、常よりもやや低音域の調べのように奏でられていた。

「最も所縁なき者。そう思い、そなたの見苦しさは放置してきたが、先程からのそなたの態度には何かこう、恥を掻かされた気分にさせられるな。そなたと同じ世から来た、などとこちらは、ここの、芙実乃以外のすべての者らから思われることになるというに……」

 バーナディルは、景虎と北条が同じ世界の人間だなんて、ほとんど忘れているくらい結びつけてなかったが、確かにそれはひとつの事実ではあった。

 だが北条は、かけられていた別の言葉に、過敏に激高する。

「恥。恥ときやがったか。柿崎なんて、どこの土豪か知れたもんじゃねえ田舎侍風情がよ。俺は北条、執権の嫡子の頼時だぞ。生きてさえいれば俺が執権だったんだ。その俺に手を上げておいて、ただで済むと思ってんのかよ」

 景虎は普段の穏やかさを欠片ほども損なわず、声のトーンも元に戻してそれに応じていた。

「執権の北条――と言われても、わたしが生きた世では、もうとうに失墜しておる権威なのだがな。むしろ正当な北条であればあるほど、野武士にすら落ちぶれられぬよう根絶やしにされておるのではなかったか……」

「ほ、北条が、根絶やしの、の、野武士以下。嘘、嘘だろ……」

 バーナディルが意外に思うほど、北条はアイデンティティを揺るがしている様子だった。

 実はバーナディルは、芙実乃が話せる限りの日本史を把握していて、北条の一族が執権と呼ばれた権力者で、芙実乃が生きた時代には武家も公家もなく、天皇家のみが象徴として残っているのだと承知している。ただ、のちに滅びるだとかは、バーナディルも芙実乃もまるで気にしてなかったため、たかだかそんな歴史が北条を動揺させるとは思いもしてなかった。

 正直、まだそんなことにこだわっているのか、くらいにしか思えない。

 むしろ芙実乃などは、平、源、北条、足利、織田、豊臣、徳川の七家の中では北条のイメージが飛び抜けて悪かったらしく、その家柄の狂気性に目の前のこの男を重ねて、一層恐れ慄いていた。だがいまになって思うに、そうした芙実乃の怯えこそが、北条から家柄へのこだわりを捨てないでいさせた一因だったのかもしれない。

 横暴な気質の北条は、入学後二週も経たないうちに三件のトラブルを起こした。相手はどれも女子生徒で、腕を掴んだ程度の暴力行為だったが、後半の二件ではパートナーとの決闘にまで及ぶと、二戦とも重症を負って負けた。どちらも一方的な負けというほどでもなかったが、その後、暴力の対象が芙実乃だけになったのは、守る人間がいる女子生徒に手を上げる危険性を思い知ったからだろう。暴力で思い通りにならないと悟った時、北条のプライドは実際には折れていたのだ。そこでかろうじて屈しないでいられたのは、北条の暴力に怯える芙実乃の存在があったればこそ。しかしながら、月一戦での度重なる負けに北条は次第に自身が人に優っている根拠を、強さという実力ではなく、血統へとすり替えていたのではないか。だから執権という一族の権威に縋り、それを嵩に暴力を振るえる相手と芙実乃を定めることで、己を満足させようとしていた。

「ふむ」と、つぶやく景虎。感じの良い立ち姿からは、寄る辺を失くした北条に暖かく寄り添い、見守ってやっているかのような印象しか持てないのだが、真逆の思考回路を働かせなければならない立場の人だ。北条が生きるのを諦めなければ、景虎は世界に存在できなくなる。

 歯向かって来そうもなくなった北条をちまちまと痛めつけるよりも、一度言葉で鞭打ってみて、憔悴するも良し、再び歯向かうようになるもまた良し、とでも考えたのか――。

「それどころか、北条を跡形もなく踏み潰した足利とて、凋落の一途を辿っておったのだぞ。鎌倉を押さえた今川の臣が、あやかって北条を名乗ったとて、何も言ってこれぬほどにな」

 景虎が舌禍を揮いだした。ただし、口調は優しく穏やかで、普段とまるで変わりない。

「北条は……鎌倉に戻れるのか?」

「ほう。そうも解釈できような。確かに北条はその治世のあいだ、余った庶子、嫡子をところかまわず、嫁やら養子跡継ぎやらとして、犬の子のように方々配り歩いておったのだ。鎌倉に程近き今川の臣であれば、さらに今川からの養子や降嫁を受け入れたのやもしれぬし、その血筋をもってして、北条の再興と思い込もうが誰も咎めはすまいよ。わたしが知らぬだけで、それ以外にも北条を名乗りだした寡勢は、そこかしこにおったのやもしれぬぞ。我が家の近隣にも、同じ字を用いて読み方を変えた、北条なんて寡勢もわらわらとしておったわ」

「犬……の……子……」

「それを恥じずともよいではないか。北条の治世がそんなであったゆえ、わたしが生きた時代の武家など、むしろ誰も彼もが北条の血を混ぜられたも同然であった。その北条とて辿れば平氏と聞く。なれば誰も彼もが帝の血筋と思っても、気侭に北条を名乗りだしてもよかろうよ。そら、執権だ嫡子だと言って誇れ誇れ。寡勢の土豪の庶子と比べ物にならぬほど、北条の血が色濃く入っておるとな」

 完膚なきまでに血筋の価値が逆転していた。まるで北条という家の血が濃ければ濃いほど、人として劣っているのだとすら思えてきてしまう。そもそもそんな血に因らずとも、柿崎景虎とはひたすらに高貴に稀人に見える人種なのだ。そんな人と容姿で対比してしまえば、本当に高貴な身の上の人だって、どうしようなく見劣りしている事実からは目の逸らしようもない。

 自分のほうが高貴などという、北条の言い分は最初から惨めでしかなかったのだ。

「畜生。なんで俺が北条と言っても、誰も従いやがらねえ」

 北条がぐるっと切れ目を入れられた腕を押さえながら、腕よりも口から血を吐くようにつぶやくと、抑えきれずに嘆息した景虎が、優しく諭すように話しだした。

「致し方あるまい。わたしとて、柿崎の名に恥じぬという想いはあるにはある。元の世におるのであれば、いない留守に攻め滅ぼさせるわけにもいかぬゆえ、守護だ将軍だ帝だのにも礼は尽くそう。しかしな、このような世に来てしまうと、家を守るという軛からは解き放たれてしまうのだ。そのような土地で執権の地位だ帝の血筋だと言い立てたところで――」

 景虎は言葉を一度切ると、刀を持たない左手の手遊びを北条に見せるようにして続けた。


「わたしの指の一本でも、好きに動かせると思うなよ」


 景虎の静かなその一言で、北条は精神のどこかを崩壊させたのか、高音の悲鳴を上げる。

「いひぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁ!」

 話は終わり、とばかりに景虎が北条へと歩みだしたのだ。朝の光を纏う刀をゆらり横に掲げるさまは、獲物を見つけた鳥が飛び立とうと、翼を広げだしたかのようだった。

 北条は座ったままの背で壁を拭くがごとき無様さで、壁沿いを横へ横へと逃げようとする。

「逃げるな執権。さっさと立ち戦え。そなたが生きるのを諦めるまで相手をしてくれる」

「いやだ! 無理だ! 俺はもう、刀さえ持っちゃいねえんだぞ!」

「たかだか痛いくらいで自ら放り出しておいて。拾え。わたしをかいくぐる気概を見せよ」

「やめろぉぉぉ! 来んなぁぁぁ。俺に寄んなよぉぉぉ……」

 角に追い詰められ、逃げ場をも失った北条は、子供返りしたように恥も外聞もなく泣き喚きながら、切れてないほうの左腕一本で顔と頭を抱える。

 景虎は、見るも優雅に大きく刀を振るうと、その北条の左袖を真横に裂いた。

「左腕まで切らないでええ! 堪忍してえっ! バーナディルっ! バーナディルぅ!」

 景虎からその左腕を隠しながら、北条はうつ伏せての匍匐前進をはじめた。どうやら一直線にバーナディルを目指して、這い寄るつもりのようだ。ここに来てからというもの、薄々は感づいていたが、北条はバーナディルに対して母性的な何かを求めていたのかもしれない。もしここでバーナディルが母性に目覚めていたなら、景虎に対して北条の助命を乞うていてもおかしくはなかったが、生憎とバーナディルが初めて母性に目覚めたのは四月前、世界と北条に怯える芙実乃を見た時なのだ。

 バーナディルはこの四月、北条には担任としての自制した接し方を心掛けていただけで、本能的には我が子の敵も同然に思ってきた。弱い芙実乃が怯え震え泣き傷つけられるたび、胸を痛めて歯噛みしてきたのだ。そして、その弱い芙実乃はこの世からいなくなり、代わりの強い芙実乃がここにこうして、北条の手でズタボロになるまで痛めつけられ、横たわっている。

「もう芙実乃を殴らないからぁ! 俺を助けろよぉ! バーナディルぅ!」

 上半身の下でもぞもぞさせた左腕だけで、北条は景虎から数歩分距離を稼いでいた。ただしもちろん、異様な速さで這いずったわけではなく、景虎が立ち止まって眺めていた時間の分だけ距離を開けられたに過ぎない。泳がす、という方針なのだろう。人を絶望させるのなら、希望を持たせてからそれを台無しにしてやるのが最も理に適っている。

 景虎は、北条が景虎よりもバーナディルに近い地点まで辿り着くと、足音の代わりとばかりに刀の先端を床に触れさせ、かつんかつんと音を立てながらゆっくりと北条を追った。たった一歩でバーナディルよりも近い距離に迫られたのを聞きつけた北条が、上半身で隠し通してきた左腕を目いっぱい前に伸ばしてまで、スピードアップを図る。

 それでも、匍匐前進が歩みに敵うはずもなく、両者の距離は縮まる一方だった。

 だらん、と、引き摺られているしかない、神経が根こそぎ寸断されて指ももうぴくりとも動かなくなった北条の右腕の、すぐ後ろにまで景虎が迫る。

 と。

 景虎は落ちている小石をぽんと蹴るかのごとく、右脚を極めて軽く振り抜いた。

 ドッ!

 バーナディルの視界が一瞬塞がれると同時に目の前のしきいで発生した、轟音ではないがそれなりの衝撃音。晴れた視界に幾筋かの赤い雫が下側に伝って消える。そんな錯覚じみた色の動きに釣られて視線を下に落とすと、そこには、北条の生身の右腕が転がっていた。

 ひっ、と息を呑むものの、その音をかき消すほどの狂態を、少し先の北条が演じだす。

「腕っ、腕が取れたっ、腕っ、俺の腕がああぁぁぁぁぁっ!」

 バーナディルは顔を上げようともせずに、じっと北条の右腕のほうを眺めていた。

 蹴り、だけで腕を。それもさして力を入れることなく。だがそんな疑問は、改めて観察をせずともたちどころに消える。綺麗に平らに整えられて切られている肉と、無造作にへし折れた二本の骨の断面。上から眺めるだけでも一目瞭然のこれを見れば、答えもまた瞭然だ。

 バーナディルは原始的な実物の道具を使って木を切ったことはないが、自らの手で小枝を手折ったことくらいならある。種類にもよるが、細い枝などは子供時代のバーナディルにだって容易く折れていた。なのに、同じ種類の木でも、枝ぶりが少々太くなる程度で、びくともしなくなる。それをインフラ提供されているオブジェクト操作で切るのではなく、力づくで折るにはどうすればよいか。答えは簡単だ。枝周りに切れ目を入れるだけでいい。それだけで、どんなに太い枝であろうと、繋がりが残った部分だけの太さの、小枝と同じ脆さになる。

 景虎がしたことの本質もそれと変わらない。

 人の腕は同じ太さの枝ほど頑丈ではないが、代わりに生身のクッションで覆われている。この生身は、優良な筋肉であればあるほど、奧への衝撃を緩和してもくれる。筋肉のつきにくい女子供や老人の骨が、成人男性と較べれば折れやすくあるのはそのためだ。彼、彼女らは、皮膚と薄い皮下脂肪だけをクッションにするしかない。それに対して、この学校の男子生徒の骨は、蹴りなどではそうそう折れたりはしないし、ましてやちぎれ飛ぶことなどはあり得ない。

 それは、三千位台の北条とて同じ。彼は史上最強たちの中で三千位台に列せられているだけで、一般に暮らす人々と較べれば、生涯到達できないレベルの肉体の持ち主なのだ。しかしそんな北条とて、その優等な筋肉に神経一本残さぬほど切れ込みを入れられては、蹴りの衝撃を混じりなしの骨だけで受けなければならなくなる。蹴られた負荷が集約する骨は、一般人より多少骨太で骨密度に満ちていたとしても、所詮骨は骨。肉付きの悪い老人や子供のごとく骨は折られ、老人子供程度の薄い肉だけでもあればまずちぎれ飛ぶはずのない腕さえも、こうしてここに飛んで来ているというわけだ。それも、おそらく景虎が北条に入れた蹴りは、執拗に北条が芙実乃に入れたどの蹴りよりも、実際の威力に乏しいものでしかないと見受けられる。

 そう。あの目を覆わんばかりの、北条による芙実乃への暴力。較べればその一撃にも満たない軽い蹴りを一つ返しただけで、景虎はこの現実を北条に突きつけてみせたのだ。

 巨獣と小虫の喩えは数多の異世界からも持ち込まれていたが、おそらくいま北条は、それに近しい力の差を目の当たりにした心地なのではあるまいか。

 単に筋力で言えば実際は逆になるのだが、ただただぽんと蹴られただけで自分の腕がちぎれ飛んで行ったら、誰だってそんな気分にもなろう。本物の小虫だったら、大抵は巨獣の大きさすらも認識できやしないが、北条は曲がりなりにも、巨獣と小虫の喩えを作ったほうの人間側に属している。想像を実感して、体感に反映させてしまっていてもおかしくはない。

 この四月憎み続けた相手だったが、さすがに見ているのが忍びなく、バーナディルはひたすら俯いて、床に転がっている北条の右腕を見つめるばかりだった。

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