Ep04-05-07
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景虎を匿うことで一致したところで、タフィールは疑問を投げかけてみた。
「ところでナディちゃんさ、柿崎くんとわたしたちの会話の相互理解が成り立ってるのって、結局どう可能になってるの?」
「どうも何も、脳エミュレータを介した会話プロセスが通常処理されているとしか」
「いや、だからさ、いまの柿崎くんはパラレルワールドの可能性が浮き出てるみたいなことなんでしょ。こっちの、えっと、下の世界? こっちで脳エミュレータを作られてないのに、わたしたちの脳エミュレータとの擦り合わせなんて、やっぱり無理っぽいんじゃ……」
「ああ……。脳エミュレータの働きには、そんな制限をかけなくてもいいんですよ」
「うん?」
「パラレルワールドごとに、と考えること自体は正しいのですが、そもそも脳エミュレータはこの世界内にあるのではなくて、上位次元にあるんです。つまり、すべての可能性を孕んだ宇宙を包み込んだ上にあるわけで、むしろ現実世界からでは不可能に思える、どの世界からだって、あらゆるパラレルワールドのものにアクセスを可能にする中継ポイントにもなりうる」
「……それでもさ、脳への書き込みやら読み込みやらは、実際にこの下の世界で行われなきゃいかないわけでしょ。しかも魔法として存在してる柿崎くんの脳を、どう読み込んで書き込めるって言うの?」
「経路としては二通り考えられますね。一つはすべてこちら側で処理できる方法。継続時間が残る限り水弾の水で渇きを癒していられる、としたミヌガさんの提言を思い出してください。確かに景虎さんは魔法として存在してるのでしょうが、魔法分子理論としては、実際の分子として存在してないわけではないんです。機械的に観測ができないというのも、景虎さんの現状を鑑みますに、おそらく光波等の物理現象のほうが、魔法の欺瞞に騙されないような強みを持つか、人の認識が存在しうる可能性までをも視覚化できる、量子世界との親和性の顕われなのではないかと。だとすれば、魔法として存在してる景虎さんの脳への読み書きは不可能ではない。水弾の水がこの世界の単なる強風に吹き散らされることもあるように、魔法と物理は機械での記録以外はそれなりに干渉し合ってたりもしているでしょう。あと一応、脳エミュレータを介した会話の仕組みを話しておきますと、機械は国内のほぼすべてを網羅して、正確に読み書きができるようにしてある、という、通信技術を拡張流用したものに過ぎません。正確な位置に、適切な生体パルス相当の電気を生じさせているだけですから」
「うーん……、書き込みのほうはそれでも一応は納得できなくもないけど、読み込みのほうはさ、タイミング等を含めてどう感知してるのかな? 通信技術程度でどうにかできるとはとても思えないんだけど」
「仰るとおりですよ。ざっと説明しますと、読み取りは脳を読み取っているとしか言いようがないのですけど、物理的な機械で、物理的な空間を読み取っているのは、初期の名残りであり万一の備えに過ぎません。メインはこの世界をデータとして扱える上位次元の領域にアクセスすることで、実脳が何を言おうとして、何を聞いているのか判別してるんです」
「機械が?」
「と言うか、プログラムがですね。まあ、最初に機械で起動する、という意味においては機械ということでも、完全に間違っているわけではないと思いますが」
「えっと、何を起動するって?」
「脳エミュレータですよ。脳エミュレータに生成と同時に世界のデータを参照させ、完全一致した自データを中心に、周囲の発言ごとに該当者の脳エミュレータとの擦り合わせを行わせ、現実の通信網にこの生体パルス相当の電気をこの位置情報に発生させろ、となるんです」
「読み込みは、この世界の中で、機械で行われるものではない?」
「そこが微妙なところなんですよね。確かに上位次元からこの世界を読み取っている、と考えると、実態のないデータを参照しているだけに思えてしまうのでしょうけど、上位次元側から見ると、この世界の実態はすべてデータとして読み取れてしまうわけですから、やはり実態を読み取っている、とも考えられるわけです。しかも上位次元側で扱うデータとしてですから、わたしたちが認知でき得ない要素まで含んでいる公算が高いというおまけつきで」
「まあ、実際柿崎くんと喋れてるんだから、わたしにはなんとも言えないけどね。一応、経路が二通りの、もう一つのほうも聞かせておいてもらえる?」
「ああ、それは、景虎さんへの読み書きが、こちらの世界寄りで行われているのか、元々存在するはずの世界寄りで行われてるのかみたいなことなんですが、魔法が絡んでしまった以上、どちらでもよいのだと思います。景虎さんはどちらの世界にも存在できる状態であられるわけですし、両方からの派生である過渡期の世界にも顕れておられる魔法存在なわけですから」
納得しかかったクシニダとタフィールをよそに、景虎が質問を繰り出していた。
「意識の置き処が移った芙実乃はどうなっておるのだ?」
「そうですね。景虎さんを召喚した世界のものからのアクセスが望ましい、ですが、こちらで作られたものからでも不都合はないでしょう。おそらくですが、この過渡期の世界においてその両方はかなり密接なリンクの仕方をしていて、読み書きを下の世界のもので、処理を上の世界のもので、実行が一時記憶のような世界で、なんて可能性も否定はできません」
目が眩んでたまらず、といった調子でクシニダが質す。
「それだとわたしたち異世界人って、脳エミュレータがいくつもあるってことにならない?」
「なりますけど、この世界がそもそもあらゆる可能性を孕むのですから、それを参照する上位次元はもっと高度な多重構造になっているはずですよ。ちなみに、現地人職員の脳エミュレータは簡易版という感じになるのですが、それだって、少なくともこちらと景虎さんのいた世界とでは別個だと言えるはずで、異世界人だけがそんなことになってるわけではないです」
タフィールもそこらへんは知っていた。
異世界人の脳エミュレータは、他世界の魂を捕捉すると同時にそれを上位次元にコピーして作られる。肉体はそれを基に惑星環境に適応するよう遺伝子調整され、元の姿のこちらの人間として生まれるのだ。だから実のところ、脳エミュレータは彼らのこちらの世界での魂だ、などという解釈もあるくらいだった。
それに対し、現地人が異世界人との言語コミュニケーションを目的として作られる簡易版の脳エミュレータは、自分たちの魂の在り処がわからないからこそ、実脳をスキャンするだけに留まるのだ。結局のところ、自身が身を置いている世界からでは、どこかしらの上位次元にあるはずの、この世界の人間の魂は見つけられないことに原因がある。
ただ、現地人の不完全な脳エミュレータも、異世界人の魂そのものをコピーした完全な脳エミュレータも、データの置き所はおそらく同質の親和性の高い領域にあるはずで、アニステアの外部記憶領域というのも、そことのデータリンクができる領域になければ不都合が生じるに違いなかった。バーナディルは確認しようがないから言わないのだろうが、脳エミュレータというのがそもそも、この世界の魂のある領域で作動しているプログラムなのだろう。
と、タフィールは一応の納得をしたのだが、まだまだうそ寒いといった表情で、クシニダは質問を続けている。
「でもさ、脳エミュレータが勝手に別世界の自分とリンク、だなんて、誤作動とかの心配はないの?」
「ほぼほぼないはずですよ。脳エミュレータからすれば、別世界の自分も同世界の他人も、等しくプログラム外のデータでしかないと思われるので、デジタルに別人認定されるでしょう。たぶんリンクするのにも、アドレス情報しか必要としていません。もちろん上位次元のアドレスになるわけですから、どんな量子ビットの値の位相にあっても簡単にアクセスできるかと。ちなみに、景虎さんにセキュリティ系が反応しないのは、これの公算が高いです。学内セキュリティの突破の難しさには、脳エミュレータが正当なものであるかでチェックする機構もあるからで、パラレルな世界の正規データならこれをすり抜けられても不思議はないですからね」
「えーと、じゃあ、会話プロセスを経るたび、この子この学校の子だよね、そうだよー、みたいなチェックにもなっちゃってる感じ?」とタフィールが機械動作系の確認をする。
「そんなところです。脳エミュレータ作成時に、その脳エミュレータを生成AIとしても働いてねって頼んでおく、みたいな管理ですから、自律的に翻訳対象も選んでくれます。だから、元々頭の出来の良い人の脳エミュレータだと、何人もいっぺんに喋っている、なんて状況にも対応してくれるんですが、そんなのは手に余るなんて思う人のだと、目の前の人のも翻訳しなくなるシチュエーションもある。処理能力で言えば絶対に可能なはずなんですけどね」
「本人よりも高い計算能力があるの?」
クシニダがそんなことを聞くのは、翻訳の安全性を確認したいからだろう。
「と言うか、処理に時間が要らないので、潜在的な処理能力は無限に等しくなってるんです。逆に、そんな脳エミュレータが生成AIのナビとして各自に着いてくれてますから、加減をしない実脳へのフィードバックなんてされなくなってるんですよ」
「それをされたら脳が焼き切れちゃったり?」
「しませんよ。そこまでできる脳への書き込み機能が、現実の通信網のほうにこそありませんから。ただ、まあ、弱めてもなお、脳神経に影響を残すような思考や概念を言葉にしてしまうような方がいれば、脳の未使用領域に痛痒を感じさせるくらいはあるかもしれませんが」
「それって痛痒いだけで済むの?」
「ええ。問題になった前例も聞きませんので、痛痒すら誰も訴えてこない程度に治まっているのではないかと。クシニダさんだって、同級生や現地人の言葉が母国語に置き換わってない経験はおありでしょう? その時に頭痛などは感じられましたか?」
「確かに、翻訳されてない箇所があるなって思うだけで、痛かったりはしなかったよ」
少し落ち着いた様子で、クシニダが頷いている。
「あくまでも理論値で、そういう可能性もなきにしもあらずだなってくらいですからね。機械にそこまでさせるような特殊言語を使う異世界人もいないのでしょう」
「そういえば今期の生徒に、召喚史上初めてってくらいの原始言語体系の子がいるみたいだけど、その周辺で意思疎通が捗らない以外の言語的な問題は起きてないって聞いてもいるわ」
クシニダの不安がぶり返さないよう、タフィールも保証しておいた。そんな様子はまったく見受けられないが、こんな話は景虎にだってストレス過多である可能性は否定できない。あまりにも意味不明に言語コミュニケーションが成り立っているのではない、とわかってくれていれば、意思疎通を優先してくれるくらいには、景虎もこちらに配慮してくれるだろう。
一応、無体をしなければ反撃もしない、という態度に見受けられるが、セキュリティ関連がほぼ自動での対処をしてくれないであろう景虎の行動を止める手立ては、想像以上にない可能性が高い。例えば、この部屋を出て行こうとすれば、廊下側での通行許可が必要になるわけだが、ここの生徒と認められてしまっている景虎は、当然システムに承認され、壁が開いてしまうことになる。しかし、その事態を回避しようと監督権を行使しようとしても、景虎の担任ということになっているバーナディルには、そういう権限で景虎の脳エミュレータにアクセスすることはおそらく不可能。なぜなら、監督権で景虎の脳エミュレータにアクセスしようにも、そのアクセスコード自体が、景虎を召喚していないこの世界のこの国のインフラから消え失せてしまっているはず。そして、現地人の魂を見つけられないのと同様、景虎の脳エミュレータへのアクセスコードも、生成時にこちらで紐づけておかない限り見つけられるものではない。
要は不意に遭遇した危険生物に近い対応が必要になるわけだが、魔法として存在する景虎にはインフラでの捕獲補助も作動してくれなさそうだ。また、敵性体に近い存在だとインフラに承認させられたとしても、それはそれで科学的な捕獲や攻撃は逆にしなくなってしまうことになりかねない。敵性体であれば、それで強化してしまう、と判断されることになるからだ。それにバーナディルの言うように脳エミュレータがナビとして景虎に便宜を図っているのなら、景虎はどんなシチュエーションでもこの学校の生徒ということになり、通常空間から機械的な処理を止めさせる手立てもない。それがこの現状の厄介なところだった。
景虎の行動を阻害する手立ては、どう手を打ったところで人力を用いる以外なくなる。ならば、こちらが強硬手段をまだ一つも起こしてないいまのうちが、唯一話し合いで事を治められる機会なのだ。本当に強硬手段にまで及ぶ気にまで、タフィールはまだなっていないが、監督権行使や危険生物認定できない景虎相手に、空間指定のオブジェクト操作では対処は到底間に合うまい。三人の中では頭抜けた戦闘力を持つはずのクシニダでも、おそらく足止めすら夢のまた夢だ。この場での生殺与奪の権は景虎に掌握されている。
そうである以上、積極的な害意がこちらにはないと思ってもらうより他はない。
幸いなのは、景虎が精神状態を安定させているところで、最悪なのは、景虎の知性も強さも計り知れないところだ。バーナディルが芙実乃から仕入れてきた情報によれば、景虎はバダバダルやクロムエルといった、身体能力最上位の面々にも容易く勝利している。ということはつまり、身体能力的にはピクスアに成り代わっての最下位の生徒ということだ。
それなのにその戦果は、と、思考では疑わしく思うものの、実際に接していると、その信憑性に異議を唱える気にはなれない。それに理由を挙げるとすれば、景虎の落ち着いた物腰だ。力及ばなければそれまでという潔さを持つ生徒も多いが、一敗でも喫しているとそのスタンスはどうしても揺らぎ、態度に滲み出てしまう。が、景虎にはその手の気配が一切ない。
全勝者にしか漂わない、陰りのない清新な気風を、タフィールは景虎から感じるのだ。
この見立てが正しいのだとすると、景虎はぎりぎりで入学が認められたピクスアよりも低い身体能力で、規格外のバダバダルや史上稀なクロムエルを手玉に取る実力者ということにしかならない。シュノアの未来視のような、なんらかの異能を隠し持っている可能性すらあった。
それに、それがなくても景虎に一か八かの行動に打って出られれば、数人は容易く殺されてしまうだろうし、そこで通常の武力制圧を仕掛けようとしても、警備人員が景虎をシステムが認識しないことに手間取っているうちに無力化されるのが目に見えている。
警備人員をはるかに凌駕する潜在的な戦闘要員――生徒を含めた戦力の一挙投入でもしない限り、景虎は無人の野をゆくが如く、どこへでも行けてしまうのだ。区画を封鎖してしまい、景虎を限定範囲内に閉じ込めておくことなら一応は可能だが、人が魔法として世界に浮き出て来たのだ、なんて展開理由を述べてみても、学校、地方行政、国家、と段階を上げていくうちのどこかで、タフィールらの正気が疑われるに違いない。
仮に、学長にこの事態を正確に把握させたとしても、学校として妥当な処置だったと認めてもらうことも、生徒全員に景虎捕縛に動くよう動員をかけられるはずもない以上、そういった被害を被らないようにするためには、景虎を殺しておくしかない。
しかし、その唯一の手段はすでに景虎によって封じられたに等しくなっていた。
室内に監視の目がある限りこちらの意向に添う、というのは、景虎をここに一人置き去りにはできない、ということでもある。つまり、三人の中の最後の一人がこの部屋を出ようとすれば、景虎も一緒にここを出てしまうということだ。そうなると、部屋に水を満たして窒息死を狙おうにも、残った誰かがネックになり、システムが水を満たすことを許さなくなる。
もっとも、この部屋は特殊な使用権限があり、そんな真似ができるのは元よりバーナディルだけだったし、タフィールの権限の及ぶところではない。そもそもバーナディルにそうするようけしかけても、致命的な事態にでも陥らない限り、首を縦には振らないだろう。
システムが存在していることを認識しない景虎にならあるいは安全性のリミッターがかからないのではないか、なんて思いはじめたら、抗いがたい牽制が先に打たれていたことに気づかされただけだ。だからタフィールだっていまはまだそこまで極端な行動に出る気はない、との気持ちが移ろっているわけではない。
ただ、実質的には人質であるにもかかわらず、監視の目を向ける後ろめたさだけを抱えているようなバーナディルとクシニダの二人を見るにつけ、ここには主に自分が詰めておかなくてはならなくなるな、と密やかな危機感を募らすタフィールなのだった。




