Ep04-05-06
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「世界中のどこにどんなものが唐突に出て来ても、世界とはそもそもがそんなふうにできている。そう考えられるようになったなら、未知の物質が目の前に突然出現する、なんて現象も不思議ではなくなるのではないですか?」
「ナディちゃん。いくらなんでも、柿崎くんのことを未知の物質呼ばわりはどうかと思うよ」
「違います。むしろ景虎さんだけが違う、という結論に帰結する予定なんですが」
「そうなの? ごめんね。じゃあ、続けちゃって」
「はい。何が言いたかったのかと言うと、未知の物質が目の前に突然出現する現象、というともはや我々にも馴染み深くすらあると言って過言ありませんよね、クシニダさん」
突然話を振られたクシニダは、考えることを若干放棄していたため、動揺を隠せない。
「うえっ、あー、えと、敵性体……とか?」
「いえ。何かすみません。魔法と答えてくださるかと思い、名指ししてしまいました」
「ああ、魔法ね。わたし、この場で唯一の魔法少女だもんね。いやあ、でもデジタルな宇宙の話から魔法ってわたしの中では振り幅大きすぎで。話飛びすぎじゃない?」
「どうなんでしょう。わたしは魔法を使う感覚が理解できませんから、むしろ近い話になってきたと思ってだったのですが、とりあえず話してしまいますね。えっと、つまり、目の前に突然何が出てきても不思議ではないというのが、水弾の水、土弾の土なんかが出現するのと同じなんじゃないかってことなんです」
「それは確かに。宇宙規模でなら辻褄が合ってるかもしれないけど、少なくとも、この惑星上にはなかった質量の水や土を、一時的に上限を超えて出してるって教えられてたかな。質量保存に反しないのは、魔法が終われば消えちゃうからで」
「ですよね。しかもその水や土って、人の肉眼でしか観測できなかったりと、科学的な分析が困難な部分があったのでいままでは定かではなかったんですが、この世界の水や土とは微妙に差異のある兆候が、稀に目視で確認できることもあったんですよ」
「それも聞いてる。わたしたちが慣れた故郷の水や土が出てるのかもって」
それでこの世界にない水や土の徴候が表れたりもする。すぐに消えるし、写真にも写らないから、消えないうちに、ただのレンズで作った顕微鏡を使って見るしかないらしい。
「わたしもそれを知った時は、魔力や想像力ってなんでもありなんだなって思ったものでしたが、宇宙がそもそもなんでもありなんだってことになりますと、ほら、魔法ってなんだか不思議でもなくなってきませんか?」
タフィールが深く頷きながらつぶやきを零した。
「なんでも、どこにでもある、その可能性を魔法が引っ張り出してる、みたいな?」
「うーん、だけど、それだとなんか、空白を貼りつけて描く、っていうふうに教わるのとは、微妙に逆の感じがするんですけど」
「空白をどうこうは、はじまりの魔女なんて人の感覚を言語化したものだと思うのですが、クシニダさんも感覚として、空白を貼りつけている、と、お感じなのでしょうか?」
「そう言われちゃうとね、水道から適量の水を出すみたいに魔力を注ぎ込みながら、威力やらの要素に割り振っていく、って言ったほうが、わたしの感覚には近い気がするよ」
「それをかなり一瞬で同時に済ませてしまえるんですよね?」
「まあね。実際には空白とか水道とか、いちいち考えたりはしないかな。あえて言語化すればそうなるってだけの話だよ。だって魔法は、実際にモーションを起こさないで済ませられちゃう分、それを省いただけの瞬発力が出せるんだから」
「はじまりの魔女もそれは同じと思うんですよ。未経験者に教えようとするから空白と言いだしただけで。でも、空白にイメージを描く、をそう変えなくても、量子的なイメージと重ね合わせることは可能です。要はこれまで、魔力に対して発現者がイメージを送ると火でも水でも出せていた、と思っていたところを、魔力に対して発現者がイメージを送ると、量子的には存在しているはずの火や水が、この世界での事象にもなる、と考えればいいだけなんですから」
言語表現を替えただけで、本質的に同じ事象を表しているのがわかる。
「イメージの力で物を創造してる、じゃなくて、イメージどおりの可能性が浮かび上がってくる、みたいな感じでいいかな……って、タフィ担任はこのことを言ってたんですね?」
タフィールがうんうんと頷いていた。
「クシニダちゃんが感覚で納得してくれたなら何よりだよ。両極っぽい二人の認識が擦り合わないままだったら、話が進まないままになるんじゃないかなって心配しちゃったもん。で、これは、世界がそもそもなんでもありだから、魔法少女たちはイメージできる範囲でなんでもありな魔法を使えてる、ってことでいいの?」
「はい。魔法は、それと少なくともアニステアさんの異能は、そういう世界の物理法則に働きかけていると解釈できます。広大な宇宙からすれば、どちらもほんの些細な変更を世界に加えているだけ。放っておけば世界のほうが辻褄を合わす、という意味でも近い現象と言えるかもしれません。要は世界を、我々が認識できない次元から単に個として扱うような大きな物理法則に対し、ささやかな数値のすり替えをしているのが魔法であり異能。これで今回異能をきっかけにした世界改変において、纏の魔力に守られていた景虎さんがこちら側の世界に存在を顕わにしたのも、魔法そのものとして存在しているから、のささやかな論拠になるでしょう」
「芙実乃ちゃんの纏の魔力で、景虎くんはこっちの世界に浮かび上がってこられた?」
「景虎さん側の世界を主体に見れば、あちら側の世界が保存された、ということでもありますしね。それで同じ纏魔法に守られているはずの芙実乃さんの意識が元の身体に残らなかった、というのは、やはり世界の物理法則のほうが魔法などの部分変更より圧倒的にメインの力で、菊井芙実乃の意識の在り処として妥当なほうを優先させられたのだと思われます」
「ナディちゃん、そこなんだけどさ、芙実乃ちゃんの意識がこっちの世界の身体に移っちゃったんなら、記憶はやっぱりこっちの芙実乃ちゃんになっちゃうと思うの。なのに、ナディちゃんが話した芙実乃ちゃんは、明らかに柿崎くんのことを知った芙実乃ちゃんなわけだよね」
「そうです。そこで思い出してほしいのが、アニステアさんの異能の話なんですが、世界改変は芙実乃さんがこちらの芙実乃さんと完全に同化した時に完了する、とされてましたよね。その時には、元の記憶はもちろん、元の記憶を基にこちらで足掻いた記憶も綺麗さっぱりなくなる、と。その現象を考えてみると、元の芙実乃さんの記憶がこちらの芙実乃さんの身体に一度上書きされ、徐々に薄れるとともに上書きされた記憶が書き戻される、というのでは、効率が悪すぎると思うのですよ。それでは何より、一時的にせよここの芙実乃さんの記憶が量子ビットの宇宙から欠損してしまう状態になる。それは結構な不都合に思えてなりません」
「すべての可能性を網羅してるはずの量子ビットの一部を欠けさせてしまう、かしら?」
「おそらく。それに、アニステアさんの話しようからの類推ですが、わたしたちがいまここで景虎さんと同席していること、芙実乃さんがその景虎さんを知っていることなどは、芙実乃さんの記憶が消える時にはやはり消える、ということになるのでしょう」
「それは……どういう連動性があって、わたしたちの記憶まで消えることになるの?」
タフィールが疑問に思うのも無理はない。それはとても大きな力の動きに思えるのだ。
バーナディルが思案げに答える。
「世界改変の過渡期、という扱いになるのだと思います。世界、というものを一旦、惑星のようなかたちで思い浮かべてください。景虎さんがいた世界を仮に上の世界と呼称し、この世界を仮に下の世界と呼称することにしますね。この二つの惑星は、惑星同士にしては近い位置で並んでいた。ところが、上の世界から突如重力が消失し、異能所有者の芙実乃さんだけが下の世界の重力に引かれ落下。芙実乃さんが落ちきるまでが過渡期、でいかがでしょうか?」
「うん? わたしたちは元から下の世界にいた存在、で、いいことになるの?」
「はい。そしてそこから、落ちている芙実乃さんを見上げた瞬間に暫定的にコピーされて派生した存在、ということになるのかもしれません。つまり、下の世界からするとエラーの頻出が予期される芙実乃さん周りのデータを異能のストレージ上でエミュレート、過渡期として処理されてしまう。景虎さんや、景虎さんを知る芙実乃さんにも会ってないわたしたちの人生は、元々の量子パターンの中で何者からの干渉も受けずに着実に進行してるとでも考えれば、いまの我々の記憶は消えるのではなく、暫定的にしか存在しないものとして見るべきなのかと」
クシニダとタフィールが考え込んだからか、話を進めるべく景虎が質問を投げた。
「芙実乃に過渡期とやらにされたそなたが、それ前提で動いた時に会った者も過渡期とやらになる、と考えても?」
「はい。そうなるしかないと思われます。景虎さんに出会っていたとはいえ、芙実乃さんに直接出会ってない先輩方も、芙実乃さんの現状を知ったわけですし。それなら……、皆さんは、惑星上で入れ物を落下させるとその中が疑似的な無重力になるのをご存知でしょうか?」
景虎だけは初耳のようだが、タフィールは頷き、クシニダもまた頷いた。生まれた世界だったら、ちょっと遠出するだけでそういうアクティビティはいくらでも経験できた。
「つまりですね、過渡期というのはそんなふうに、在るべき世界の影響が遮断された状態であると思われるのです。だから、その無重力の中で芙実乃さん自身が落ちるべき下の世界の蓋然性を揺るがせ、上の世界の蓋然性を高めれば、芙実乃さんを入れた箱は上の世界の重力に引かれて元の世界に戻ることになる。そしておそらく、芙実乃さん自身が本来上の世界の住人ですから、そちらに引かれだすととても速く上の世界に馴染んでしまうことになるのでしょう」
気になったことがあり、クシニダも口を出してみる。
「ってことは、同じ入れ物の中に引き込まれちゃったわたしたちは、芙実乃ちゃんが元の世界に戻ったら、一緒にそっちの世界に行っちゃったり?」
「いえ。芙実乃さんが上下のどちらに定着しようと、わたしたちは世界のほうに由来した存在として居続けるだけです。いまの状態のわたしたちや過渡期に巻き込まれた人の意識は、どちらにせよ消えてしまうのかと。芙実乃さんだけが特別なのは、アニステアさんから異能を渡されたことで、外部ストレージのアクセス権所有者になっているからなのだと思われますので。あるいは、この外部ストレージというのが、世界が過渡期を処理しているメモリ領域みたいなもので、アニステアさんの異能は、このメモリへとパスが通じるということかもしれません」
「んー、じゃあ、いまのわたしたちって、本当に芙実乃ちゃんにリンクしてるそのストレージ上でエミュレートされてるデータみたいなことになっちゃってるのね」
「VR説のイメージにすればそれが理解しやすいかたちというだけです。二次元説のイメージなら、同じ入れ物の中の投影世界を認識している、とかでは? でも、そもそも宇宙がどんなかたちでも取りうる、と考えるのであれば、知るはずのないことを知っている自分がいたっておかしくはないわけですよ。わたしの中身がクシニダさんという世界の状態だって、あるにはあることになりますから、コピーとかエミュレートとか、わざわざ別の世界が一時的に作られているなんて考えなくても、重ね合わせのどこかしらに存在していればいいことになる」
「そっか。量子的にすべての可能性を孕んでるなら、そういうことになるんだ」
「人の思考も物の動きも、それを記述したほうを主として考えよ、ということだな」
タフィールと景虎の理解を聞いて、クシニダも納得できつつあった。バーナディルがデジタルに考えろと言った意味もわかってくるというもの。パラレルワールドを別個別個に存在していると考えるのではなく、すべての可能性が同じ場所で常に重なりあっている、ということを物質も込みで想像できてなければ、この現象が不思議でなくならない。
「つくづく咄嗟に纏魔法を思いつけた景虎くんのファインプレーだったわけだね」
「まさに。起きた事象を説明することはできても、わたし自身、同じ立場で同じ対処ができたとはとても思えません。何より平常心を保っていられたかすら怪しいところですしね」
と、バーナディルも手放しで称賛している。景虎に対して絶大な信頼を寄せている芙実乃から話を聞かされている分、知らずに影響を受けているということなのだろう。バーナディルは大層な識者だが、その中身には上京したての田舎学生のような気質を残している部分がある。
「それも纏の考察を聞く機会があったればこそかな。しかし、纏で記憶を残せるのであれば、世界改変の発動時に身体に纏をかけていた者は、世界の変容を不審に思いはしておらぬのか」
「景虎さんを覚えておられる可能性ですね。残念ながら無駄かと。その方々はおそらく、芙実乃さん同様、世界から下の世界のほうの継続性を優先されているのだと思います。ストレージによる拡張記憶もないわけですから、上の世界の自分ともリンクしていない。景虎さんの影響の少ない方が、奇跡的に寸分違わぬ所在地での纏に成功していたとしても、違和感を感じていられたのは纏の時間内だけ。解ければそんな違和感を抱いていたことも、その違和感を聞かされていた人と一緒くたに、ずっと下の世界の人生を経ていたとの認識に戻ってしまうのかと」
「わからなくはないのだけれど、過去が変わっちゃうところがまだなんともね」
「でも先輩、過去って結局は現在ですよ。例えばいま突然、目の前に一万年前の建造物が現れたとしても、我々から突然という認識が消えてしまえば、それは紛れもなく一万年前の建造物ということにしかならなくなる。要は、一万年分の風化をした建造物が現在にあれば、我々の認識では、そういった一万年分の継続性のほうを補完してしまうんです」
「一万年分の風化も、物質の取りうる一形態に過ぎない、みたいに、いま過渡期にいるわたしたちも、思い出せる……過去の道筋のほうが変わっちゃう?」
「はい。あるいはもう、世界はそんな継続性など忖度せず、いまの我々など綺麗さっぱり捨て去ってしまい、粛々と、漣も立たなかった下の世界としての平穏を保つのでしょう。過渡期なんてものは所詮、世界がそれ用に確保している仮想メモリの処理領域みたいなものなのかと」
「うーん、世界がどっちに傾くにせよ、わたしたちのこの意識は消えちゃうのかあ……」
タフィールがそうしみじみため息をつくと、開き直るように明るく宣言した。
「どうせそんななら、わたしは柿崎くんと芙実乃ちゃんの味方になっちゃおっと」
「あ、なら、わたしもそっち側で」
と、クシニダも素早く便乗しておく。心情的にははじめのうちから景虎側だったし、担任同士の力関係を鑑みても、タフィールのほうに与しておきたかった。
「クシニダちゃんもいける口だね。じゃあさ、ナディちゃん、このまま芙実乃ちゃんに柿崎くんを会わせてみる、なんてどう?」
「先輩。いくらなんでもそれは……」
バーナディルが渋る表情を見せた。
想像だが、タフィールはバーナディルにそう言わしめたくて、あえて景虎側に回っているのだろう。マニュアル対応にするかしないかという問題で、どちらかに回って意見を出さなければならなくなっている責任者二人だ。芙実乃のために実動もする立場でもあるバーナディルを景虎側にいさせると、原理原則を破るほうへの歯止めがかかりにくくなる。言い分を肯定する流れのまま、バーナディルに例外行動を取らせる側に置くことはできないということだ。
「そう? だったらその代わりに、柿崎くんをここで匿う、くらいならいいよね」
「それは……、まあ……」
「ということで、柿崎くんもしばらくはおとなしくしてもらえるかな?」
景虎はクシニダ側でだけわずかに肩を竦めると、変わらず平静に返していた。
「なれば、室内に監視の目がある限りは、担任殿らの意向に添わぬ真似もすまいと約そう」
こうして景虎は、基本人が訪れることのない、バーナディルのオペレーティングルームへの滞在者に収まったのだった。




