Ep04-05-03
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柿崎景虎を連れ、バーナディルの管制室まで来たクシニダとタフィールだったが、開かない壁に阻まれて、通路に立ち尽くしていた。もちろん、不在を察した段階でバーナディルにはすぐに連絡を取っているが、それも無視されてしまっている。
緊急性の高い事態の対処に当たっているに違いない。
と、さらなる察しをつけてみると、心当たりは一つしか思い浮かばなかった。
担任としてのバーナディルが率先して動くのであれば、クラスの生徒の安否にかかわる事態であることが予想される。また、バーナディルクラスの問題児と言えば、北条頼時に他ならない。そして、このタイミングでそんな事態になっている、ということになると、ここに連れて来た柿崎景虎の言い分の信憑性が、一層補強されたように思えてならなかった。
タフィールも同じく考えたようで、二人は小さく頷き合う。
この想像は安易に口にはできない、という暗黙の了解だ。
芙実乃を自らのパートナーだと主張する景虎がどういう行動に出るか読めない、と休憩室を出る時にも思い知らされていた。景虎は休憩室を退去するに当たり、その施設の閉鎖か、一角のスペース確保を要求してきたのだ。要は、景虎にだけ見えるという止まった芙実乃に誰も近づけさせたくないかららしい。結局そこは、タフィールの権限において最大の優先度を持たせた個室スペースとしたから、学長などの学園の責任者でも、タフィールの許諾がない限りは、学外からの監査立ち合いがなければ、無断では立ち入れなくされたことになる。
クシニダやタフィールから見えず触れずの芙実乃を保護することになんの意味があるのか、クシニダには正直わからない。だがそれは、景虎の行動原理を、クシニダやタフィールでは計り知れないという一端が垣間見えたところでもある。だから、景虎は芙実乃を守るスタンスでいる、と想定して与える情報を限定する必要があった。
もっとも、その景虎がもっぱら警戒しているのは、タフィールのようだ。立場的に、クシニダよりもタフィールのほうが学校の警備側に近いと感じているからだろう。当のタフィールにはおそらく気づかせていないが、クシニダには若干、そういう姿を見せてしまっている。
確かに、現状クシニダには景虎を警備側に引き渡すことに、積極的に協力する気にはなれなかった。もちろん、自分自身の国や学校での立場を鑑みて、協力せざるを得ない状況にでもなれば別だが、この場合、タフィールやバーナディルの決断がそちらに傾きでもしない限り、自ら景虎と事を構えるつもりなど、クシニダにはさらさらないのだ。
景虎の無警戒は、クシニダのそうした当事者意識の欠如を見透かしてかもしれない。
クシニダもその態度に釣られるように景虎への警戒を無意識で緩めつつ、程なく執務室へと戻って来たバーナディルを迎えた。想像はついたが、何やらぐったりと肩を落とし気味の、とぼとぼした足どりだ。バーナディルは博士としてなら淡々と業務をこなせるが、担任として生徒間の問題に駆り出されると、毎度毎度経験不足を痛感してしまうらしかった。
そんなバーナディルがこちらに気づき、先に声をかけてくる。
「お呼び立てしておいたのにすみません。緊急で外してまして、締め出すかたちになってしまいましたね。お二人とも……」
バーナディルは言いかけた言葉を失念したかのようにしばし景虎に見入ると、名残り惜しげにぎこちなく首を傾げて、タフィールのほうへと視線を向けた。
「ええと……、先輩のクラスの生徒さんでしょうか。どうしてここに……?」
予想し得たことだが、バーナディルはやはり景虎を知らない様子だ。そうなると、タフィールのクラスの生徒と考えるのが、ごくごく真っ当な返しになるのだろう。
しかし、景虎の言い分を聞いた二人としては、どう説明したものか頭を抱えたくもなる。
困り果てたタフィールが、眉間の皺を伸ばすようなしぐさをしながら促した。
「ナディちゃん、とりあえず、とりあえず座って話をしようよ。ちょっと、ちょっとね、込み入ったことになってて、何を聞かれても一言で済まない感じなんだ」
「はあ……」
と、バーナディルもまた憔悴を引きずっているような、覇気のない返事とともに、部屋への入り口を開けた。オブジェクトの円卓のまわりに均等に配置された席に、バーナディルと景虎が対面で座れるよう、タフィールとクシニダは先に席を埋めてしまっておく。
景虎と正対させられることにやや戸惑いを見せつつ、バーナディルが最後に着席した。
微妙な沈黙になりかける中、タフィールが景虎に窺いを立てる。
「えっと、その、自己紹介からお願いできる?」
どうやら、タフィールはバーナディルの説得を、景虎に丸投げするつもりのようだ。考えてみれば、景虎の言い分をタフィールが代弁するほうがおかしな話になりかねない。心情的には味方してやりたくもなるが、クシニダやタフィールの態度をもって、バーナディルに対しての信憑性にしてはいけないのだ。バーナディルには、担任や一般人としてではなく、是非とも博士としての冷静な知見を、如何なく発揮してもらいたかった。が。
その当のバーナディルこそが、冷静さとは真逆の反応を見せることになる。
「わたしの名は柿崎景虎――」
「は? 柿崎……、――っ! か、柿崎? 景虎?」
と、途端に激しく動揺しだす。
名を名乗られただけで何を、とクシニダが胡乱な目を向けると、バーナディルのほうも猜疑心を溢れさせた目で、タフィールとクシニダを交互に見やってくる。まるで二人が悪質ないたずらを仕掛けているのを、見破ろうとするかのような挙動だった。
景虎が事情の説明を済ませていたのなら、その反応もわからなくはない。バーナディルが頭の良い人間だとは重々承知しているから、話の先取りまでクシニダの想像を超えているのだろうか。クシニダが戸惑っていると、視界外からの身じろぎの気配に目線を誘われる。
景虎だ。景虎はくすり、と、一瞬だけ微笑みを色濃くし、バーナディルに指摘した。
「わたしの顔に心当たりはないが、名には心当たりがある、ということでよいな」
「――え、ええ……」
「つまりわたしの知る……、わたしを知る芙実乃から、先に話を聞かされたということになるわけだ。芙実乃には、わたしと補習の休憩室ではぐれた、と訴えられはしなかったか?」
「…………」
バーナディルは押し黙ったが、返事をしたくないというより、ぐうの音も出ないという様子で、景虎に見入っているだけのようだ。
クシニダにも、おぼろげにバーナディル側の事情を察せてきた。と言うより、景虎の指摘がただただ図星なのだろう。クシニダ自身、景虎の出現と芙実乃の異変に関連性を感じていたものの、バーナディルが景虎の存在を知る芙実乃からすべて事情を聞いていた、とまでは考えが及んでなかった。だが、バーナディルのこの反応を見る限り、クシニダからすると景虎がパラレルワールドからの来訪者というのは、すでに証明されたも同然になったと言えよう。
しかし、立場上細心の慎重さが求められる担任たちは、まだ納得するわけにもいかないらしい。二人の人間が別口で同じ話をしていた、くらいで安易に物事を確定させはしないのだ。
「ナディちゃん。まだ、二人が示し合わせていたって疑いは残ってるからね」
「確かに。けれど、それをも難しくしているのは、他ならないわたしの仕業です。この三月、わたしは事あるごとに芙実乃さんにかかわり、かまけていたと言っても過言ではありません。保護者レベルの監督権を行使して、プライバシーにまで踏み込んでいた。その感触だと、彼女が外部と連絡を取り合うのは物理的にも不可能。連絡そのものに、異能などの未知の手段が用いられたのだとしても、芙実乃さんはそうした態度を垣間見せすらしなかったことになる。彼女とは先輩もそこそこ会ってるはずですが、そんな兆候などを感じられていましたか?」
タフィールが致し方ないといった表情で、力なく首を振る。この二人ももう、異能の絡んだ騒動の渦中にいることがわかってはいるのだ。ただ、それを否定する立場を完全に放棄することが難しいだけなのだろう。
タフィールが、割り切ったように口を開く。
「ナディちゃん、こっちはね、この柿崎くんから、アニステアという子の異能と、わたししか知らないはずの別の子の異能情報を聞かされた。それで、問題を表面化する前にナディちゃんに会わせようと思ったのは、彼がナディちゃんの生徒だと主張してるのもあるけど、彼に対して学校のセキュリティが反応しないことと、翻訳が成立してるからなんだ」
「翻訳が――興味深いですね。ではその前に擦り合わせを、ということで、わたしが芙実乃さんから聞いた話のほうを話すことにしましょうか。芙実乃さんは細かなディテールまで必死に訴えてましたが、支離滅裂でもありましたから、時系列等はわたしの想像で補っているところもあります。大きな違いがあるかどうか、先輩は入念に検討を。差し障りがあれば、景虎さんのほうも、止めて注釈を入れてくださると、全体像を共有しやすくなるかと」
景虎が頷き、バーナディルが順を追って話し終えた。
タフィールが私情を交えないような感想を口にする。
「同じだね。わたしに気づけるような違いはなかったと思う」
「でしたら先輩、わたしは一旦、この話が実際に起きた出来事として、思考を進めてみてもよろしいでしょうか」
「わかった。わたしは全部を否定するつもりで聞いてるよ」
「お願いします。それでは景虎さん、改めてわたしからの質疑応答とさせていただいても?」
「ああ」
「では、そうですね、事象に見当をつける前に、芙実乃さんの話では意味のわからない会話を貴方とアニステアさんがしているのですが、どういった意図での発言だったのかをお聞かせいただけますか。芙実乃さんが貴方に連絡を取り、説明を終えた直後の会話です。ちなみに、芙実乃さんの口からは、この会話以降の貴方とアニステアさんの会話には言及されていません」
「確かにアニステアと話したのはあれきりか。彼女と話そうと思ったのは、芙実乃との約束を破る必要がある、と彼女が思った時に踏み止まる一助になればくらいでしかない。こう言ってはなんだが、あの時点で彼女がわたしの役に立つのは、世界改変とやらを早めないだけだからな。芙実乃からの説明でわたしの意図が不明に聞こえるのは、芙実乃が自害してしまうと、気力喪失になる恐れもあるゆえ、芙実乃に悟らせぬよう話したからであろう」
「芙実乃さんが自害、ですか。いったい何を話せば彼女がそうするとお思いになったので?」
「世界改変を事前に止められる可能性がある、と知れば、芙実乃は一人で解決に臨むより、自害のほうに飛びつくようにわたしには思えた。それも、自分が再び目覚めない危険があるのも顧みないでな。だから、その時点での認識をわたしと同等に引き上げるのもやめておいた」
「えっと、芙実乃さんが自害すると、世界改変を事前に止められる、なんて話ありました?」
「正確には芙実乃が死ねば、だ。それができるのであれば、さすがにアニステアとて話さぬであろう。あくまでも可能性の話となる。藁にも縋るといった程度のな」
「低い可能性の予想。芙実乃さんが死ねば……そうか、世界改変の異能が発動する前に、発動者たる人間が死んでいる、という状況にはできていましたね、確かに」
「アニステアがこれに言及しないのはもっとも、とは思ったのだがな、一応、これを失念し、途中で気づいた場合、世界改変を急ぐこともあると案じ、それで言葉を交わしておいた。わずかな差であろうと、世界改変のはじまりは遅ければ遅いほどよい」
「それでアニステアさんへは、休憩室への攻撃手段がないと正直に伝えられた?」
「ん? ああ……」
景虎が微妙な反応を見せると、すかさずタフィールが口を挟みにいく。
「そんな状況でも、休憩室への攻撃手段を思いつけてた、ってことでいいかしら?」
「わたし自身は居所を開示する通話を切ることを禁じられ、身動きは取れなかったが、配下を動かすことはできた。ルシエラには芙実乃を自害させるより確実に蘇生させられると説けば、クロムエルに魔法使用の許諾を出させられもしたであろうし、クロムエルであれば複数の魔法少女と組んだ経験もあり、通路か訓練場からの壁越しで魔法を撃ち込めたと踏んでいる」
二人がそんな真似をするかはさておき、二人がパートナーでありながら関係性をこじらせている、ということが当たり前のように盛り込まれている。その二人がポーティウムクラスの生徒だということは、当のポーティウムから聞いたことがあった。参加もまばらで今日も外しているが、彼女もここに集まる顔ぶれではあるのだ。彼女が忙しいのは、ふらふらと出歩いてしまうそのルシエラという女生徒の占める割合が高いと聞いている。このこと自体はそう高くもない機密だが、知っているのはポーティウムクラスの生徒くらいなもの。ここに聞き込みをかけない限り知り得ないようなことを、景虎はやはり知っていることになる。
クシニダが確信を強めているのをよそに、引き続きタフィールが景虎へと問いかけていた。
「手段があるのに、しない、ということを選んだわけだよね。でも、柿崎くんの置かれた立場なら、それは自分の存在を消す可能性から逃れられる機会をふいにしたことにならない?」
「なるが、どのみち確証などない可能性に過ぎぬ。そのようなことでパートナーの命を賭けてしまうのもな。自身の存在とパートナーの命であれば、わたしが勝手に賭けてよいのは自身の存在のほうであろう」
自身も魔法少女であるクシニダからすると、ひたすらに耳心地のよい言葉だ。
クシニダは記憶の追体験でしかパートナーを知らず、面識がある自覚を持てない相手だったが、彼が景虎のような人であったなら、普段は彼のことを忘れている、なんて薄情なことにはなってなかったに違いなかった。




